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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
茶の湯の側面|再録「禅と茶道」 緝熙庵内田慧純老禅子

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1 現代と茶道 利休に帰れ

(1)茶の湯の側面

 まず茶の湯ということですが、日本文化のなかでも、最も日本文化らしい特色をもち、世界にも誇りうる極めて格調の高い文化といわれています。

 茶はもともと中国より伝わったものです。しかし、中国流の茶の製法と飲み方を取り入れてから、日本においては、茶の湯、茶道という独特の文化形式を育てあげてきたのです。つい先頃、日本の茶道のある家元の方が中国に行かれ、時の政治家や一般の方々に、日本式のお茶を点てて飲んで頂き、親善をはかったという報道がありました。つまりお茶の逆輸入によって文化交流を果たしたということです。中国の方々から、今までこのような飲み方を知らなかったと大変喜ばれたという話です。

 また先日は、ソ連の高官の来日を歓迎して、東京都で茶会を催したということも伝わってきましたが、このような例を挙げるまでもなく、日本文化を外国に紹介するときには、ほとんど決まったように茶の湯が取り上げられます。日本文化の代表のように扱われるわけですが、では、かえりみて、わが国の人々は茶の湯をどのように認識しているのでしょうか。これにはさまざまの見方や評価がなされています。

 第一に、茶の湯は非常に格式ばったやかましい作法があって窮屈な古めかしいものという表面的な認識があります。あるいは、若い女性が結婚前に礼儀作法を習う稽古事に過ぎないと見る見方もあります。あるいは、日本的に趣味や教養を身につける風流の道という位置づけもされていると思います。またお茶を通して人生を味わい人間形成をはかろうと願う人びともあるでしょう。(つづく)

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
声を出すということ

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シリーズ「女性と禅」 第3回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

「禅は無功徳」といいますし、座禅に何かを求めているつもりもありません。

しかし、擇木道場に通い始めて2年目に入った現在、思い返してみると私のなかに思わぬ変化があったことも事実です。

 

私は「声を出す」「話をする」ということに非常に不安と恐怖を抱いてしまいます。

女性部の静座会(座禅会)では静座(座禅)後に自己紹介や近況報告をする場面があります。

さらに参禅では公案を述べるのにも声を出さなければなりませんし、摂心会では会歌斉唱があったり、食事で食前の文や食畢の偈を唱えるのにも声を出します。

懇親会での歌なんて恐怖でしかありません。

 

今でも声を出すということに対して苦手意識はありますが、それでもその苦手意識が少し薄れたような感じがあります。

そして「話をしても大丈夫なのかもしれない」という安心感のようなものが芽生え始めたのではないかとも感じています。

 

安心感というよりもある意味「諦め」と言ったほうがよいかもしれません。

禅をとるか、それとも苦手なことから逃げるかを選択するときに禅を続けることを選んだということです。

以前の私だったら迷うことなく「声を出す・話をする」という苦手なことから全力で逃げていたはずです。

でも、逃げずに座禅を続けるなら声を出すしかないし、話をするしかありません。

そういう状況に自らを追い込むことができたとも言えそうです。

 

なぜ苦手なことより座禅を選んだのかは自分でもよくわかりません。

そのメカニズムがわかれば他の苦手克服にも役立つのではないかと思うのですが。

 

今でも大きな声を出すことは上手くできません。

ただ、声を出すコツのようなものがなんとなくですがわかってきたように思います。

これは法定のおかげもあると私は考えています。

法定は東京支部の摂心会で作務としてしているだけですが、腹の底から声を出すということを初めて経験したことで、のどの使い方を体がわかってくれたのかもしれないと感じています。

法定は数息観ではありませんが、やはり禅なのだなと思えます。

動きや呼吸のひとつひとつを意識して、その動きや呼吸だけに全力を尽くす。

動きはまったく違うけれどお茶のお点前と似ているとも感じます。

ということはつまり、いつもは忘れてしまいがちだけれど、日常のすべてが禅なのでしょう。

 

日常のひとつひとつに全力を尽くすことはできていないけれど、苦手なことも多いけれど、それでも毎日少しでも数息観をして、できるだけ一炷香坐る。

そんな日々をこれからも過ごしていきたいと思っています。

(掲載に際し、一部修正を加えました)

  合掌 翡翠(東京支部) (あけぼの第25号より抜粋) #女性部

posted by ただいま禅の修行中 | 20:39 | 東京支部 | comments(0) | - |
道場の6月の茶花

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市川の本部道場には多くの茶花が植えられています。今回は6月上旬頃の茶花の紹介です。

〔令和2年6月の上旬頃〕

【草花編】

. 伊予蔓(イヨカズラ)が咲いています。地面を這うように淡黄色白色の花で小ぶりです。地味な花で見つけにくいです。茶花としては掛け花として使うと面白いです。掲揚塔の大きな欅の近くに咲いてます。

 

. 八重十薬(ヤエドクダミ)の八重咲きの白色で気品を持って咲いてます。普通の十楽と思われ何回も引き抜かれましたが、やっと根付きました。北寮茶室の茶庭の大きな石の周りにあります。

 

. 日光黄菅(ニッコウキスゲ)が群落状態で黄色の透明性で剣道場脇に直立し咲いてます。花自体は1日花に近いですが1本の茎に蕾が5〜7個付いてますので次々と咲きます。育てやすい花ですので株分けはいつでもできます。

 

 

. 蛍袋(ホタルブクロ)。蛍が入って隠れ易いほどの大きさで濃い赤紫色で下向きに咲いてます。この花も1本の茎に蕾を10個以上付けてますのでしばらく楽しめます。倉庫脇の茶花園に咲いてます。

 

. 鳥足升麻(トリアシショウマ)が白色で咲いてます。この近くには升麻関係の花が次々と咲きます。道場にあるのは山吹升麻・赤升麻があります。倉庫脇の茶花園に咲いてます。

 

 

. 竹葉草(チクヨウソウ)の茶色の花が咲き出しました。名前の通り竹の葉が細い茎についています。北寮茶花園にあります。

 

【樹木編】

 

  

. 泰山木(タイサンボク)の大きな乳白色の芳香ある花が咲きました。次々と咲くことでしょう。大きな大木となり約10メートル超えで下からでは花が見えなく禅堂2階の廊下からよく見えます。花も大きく、ままごとには皿としてよく使いました。

 

  

. 甘茶が咲きました。以前は目立たない場所にありましたが、今は北寮茶室の庭にあります。やっと根付き可愛い額アジサイ風に咲いてます。

 

. 売子の木(えごのき)の花が一斉に咲きました。期間が短いですが、その木の下には白色の花びらがたくさん落ち、一時期白色の絨毯が敷いてあるようです。隠寮入口の垣根近くと典座の外入口の水道近くにあります。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部

posted by ただいま禅の修行中 | 16:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
環境は変わっても。

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皆さま、いかがお過ごしですか。

私は会社員をしております。
仕事は緊急事態宣言前から完全テレワークに移行し、6月も半月以上は在宅の予定です。
在宅勤務はすぐに慣れ、オフィスと変わらずに働いています。
ただ自宅は手狭なワンルームのため、日常の行動範囲は2m×6m以内に縮小しました。

さて、そんな自粛生活もひと月を過ぎた5月下旬のことです。
こじんまりとした我が家では、仕事のデスクと食事のちゃぶ台は兼用です。
1日の仕事を終えて、今日もお疲れさまと楽しくデスクを片づけていたら、不意に、
「ああ、環境が変わっても、私は変わらないんだな。」
という思いが頭に浮かび、すっと納得しました。

もちろん、環境が変われば経済的に苦しんだり健康を害したりします。
ここでの「私」とはそうした金銭や身体という側面ではなく、「自分そのもの」のことです。
環境が変わっても、自分そのものは変わらない。
変わらないでいられるのです。
これは坐禅の修行で気づいたことでした。

それなのに。
外出自粛でどうなるかしらとちょっぴり不安だった私です。
あぁ身についていないな、本当に修行最中だなと、ちゃぶ台を拭きながらひとり苦笑いをしました。

新たな生活が徐々に始まっています。
感染予防を徹底して人に迷惑をかけないように、そして元気に行動したいと思います。
皆さまもどうかご自愛専一に、お元気にお過ごしください。

露香 拝 中央支部

 


 自宅のスナップ写真です

posted by ただいま禅の修行中 | 20:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
理想の自分

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 擇木道場の風印です。
 私は看護師をしており、新型コロナ疑いの患者様を担当することもありますので、道場に行けない日々が続いております。
 とは言え、ずっと引きこもっているのも辛いので、先日自転車で葛西臨海公園まで行ってきました。

 

 自宅近くの隅田川沿いには桜の木が沢山植わっているのですが、5月下旬の今は青々とした葉が茂っていました。

 木々の生命を感じるようでこれも悪くないと思いました。

 

 荒川沿いをずっと南下したのですが、途中で一面の花畑がありました。

 鮮やかな花は気持ちを和ませてくれますね。

 

 荒川の土手に沢山の人が集まっていて、何をしているのだろうと思ったのですが、ブルーインパルスの航空ショーを見に集まっていたようです。
 

 私も運良く写真を撮ることが出来ました。

 ブルーインパルスについては様々な意見があるようですが、先入観を捨てて見れば見事なショーだと思います。子どもの頃のように純粋な気持ちを持てなくなったのは、何時からだろうと思いました。

 

 さらに南下して海が見えてきました。

 

 海辺に行くとフナムシがいました。


 子どもの頃は平気でバッタなどを触っていたのに、虫が苦手になったのは何時からだろうと思いました。

 

 波音を聞きながら昼食を食べましたが、夜勤明けだったため海辺で寝てしまい、手や顔が真っ赤に日焼けしてしまいました。

 

 最近思うのは、不満や辛さの裏側には思い描く理想の自分があるということです。
 もっと人に認められたい、豊かになりたいという気持ちが叶わない時、不満や辛さを感じる。
 しかし、そんな気持ちを抱くのは浅ましいとも思っているので、中々それが認められない、気付かない。
 他方で理想を思い描くのは決して悪い事ではなく、理想があるから意欲や向上心を持てるとも思います。
 社会的な成功に一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいと思うのは、妬みがあるからではないかと思います。
 皆が達観できる訳ではないし、その必要も無い。
 共同体の価値観を認めた上で、執着せずにいられたら良いなと思っています。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 05:20 | 東京支部 | comments(0) | - |
再録「禅と茶道」 緝熙庵内田慧純老禅子

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1 現代と茶道 利休に帰れ

 

 茶味という題で、これからお話をするわけですが、お茶の世界は、入れば入るほど奥深く、とても一片のお話でもって、その味わいを語ることはできません。ただ将来、茶道に親しまれ、その行に精進されて、茶味を味わいつつ豊かな茶の文化を楽しまれる契機となることを願いつつお話をすすめてみたいと思います。

 

 

※今回、緝熙庵内田慧純老禅子の「禅と茶道」をブログに掲載しようと思ったのは、禅の蘊奥を極めた老禅子の語り口が素晴らしく、禅についても茶道についてもわかりやすく書かれているからです。

 茶禅一味と言われるように、禅の心を表したものが茶道と言えるのではないでしょうか。

 これからあらためて新しいホームページに順次掲載していきます。

(このお話は、千葉大学教養部の総合科目の講義で、「茶味−茶禅一味の茶について」と題してなされたものですが、後で「禅と茶道」という題に変えて一冊の書となったものです。)

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
令和2年5月某日 朝の茶席

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本部道場塾生の富嶽です。

ようやく緊急事態宣言が解除となり、様々なイベントも動きだしてくることと思います。

道場での茶道稽古も少しずつ再開されました。

 

通常、名誉総裁老師が本部道場にお泊まりになられた翌日は、朝8時より名誉総裁老師(御年80歳)のお点前にてのお茶席があります。

ここのところコロナ自粛で名誉総裁老師のお泊まりがなかったことと、そもそも私の仕事の出勤時間の都合上、私はこれになかなか参加できなかったのですが、仕事がたまたま在宅勤務であったので久しぶりに参加することができました。

 

名誉総裁老師は作陶をされ、そのお茶碗が朝のお茶席で出されます。

私が言うのもなんですが、年を重ねるたびに茶碗が進化しているように感じ、最近は「思わず眼がとまる」ということが増えました。

 

名誉総裁老師の年齢にとらわれることのない様々な活動ぶりを目の当たりにするたびに、「我々も頑張らねば」と居住まいを正さずにはいられない心持ちがいたします。

 

写真は時計回りに

床の間に飾られた軸は如々庵老師の筆で「茶烟輕颺落花風」(ちゃえん かるくあがる らっかのかぜ)

お菓子は水羊羹と鶯神楽の実

お花は下野と大山蓮華

 

富嶽(中央支部) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 14:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
落ち椿春日の局の思い程 慈啓|四季折々(13)

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 文京区麟祥院にて

落ち椿春日の局の思い程   片野 慈啓

 

麟祥院には、家光の乳母、春日局の墓があり、椿の寺でもある。

彼女は、家光の将軍就任後、権勢をふるい、実力者となったが、墓は、上部に穴を穿ち、「政道を見守り、直していけるよう、黄泉からも見通せるように」という遺言(思い)を形にしている。

作者は、椿が、庭一面、ぽたりぽたりと落ちているのを見て、政道を死後まで見守りたいという思いに、実力者の寂しさを感じたのだ。

見学した墓と椿を、即座に結び付けた句だ。

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
しばらくは離れて暮らすコとロとナ

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 新型コロナウイルス感染拡大によって、ついに3月24日東京オリンピックの開催が一年延期となりました。4月7日には東京など7都府県に「緊急事態宣言」が発出され、16日に至って宣言の対象を全国にまで拡大されました。5月4日には宣言の期限が31日まで延長されましたが、直近の感染状況の減少傾向を考慮し本日25日全面解除がやっと決定されました。
 私たちを取り巻く環境は大きく変化し、何とも言えない大変な二ヶ月でした。
 この間、私なりに得た知識、出来事、体験等に感想を添えて拙文にまとめましたので参考にしていただければありがたいです。

1.伝染病に関する語源について

 まず「病」とは、患者の手足がこわばり横にピンと張り出すこと(丙はそのままを示す形)。
「疾」の字源は病気が矢のような速さで進行すること。
 また役は古代の武器「ヤマホコ」を手に人びとが遠征する意味で「疫」には遠くまで広がるイメージがある。
 よって「疫は役なり」・・・疫病は天が人民に均等に割り当てる苦役であり戦役である。
「疫、民皆疾なり」…疫病とは天下の人民が皆猛スピードで病気にかかること。
(なるほど疫病とはいつの時代でも怖ろしいものです)

2.外出自粛要請についての三題「不要不急の外出は控えること」

 私の長い人生の中で一ヶ月半まったく外で飲食をしなかったのは初めての経験でした。
 ところが今月13日の夕方6時頃、大会社でいえば総務部長クラスの方から電話があり、
「いま社長と近くのうなぎ屋で飲み始めますので、ぜひいらっしゃい」とのお声がかかりました。

 喜び勇んですっ飛んで行きました。久方ぶりの旨いお酒と肴で話も弾み、楽しい一夜を過ごすことができ元気をいただきました。
(さて、この二人とはどなたでしょうか)

 座禅会といえば私が所属している中央支部月曜耳順会も自粛ということで当分の間、実施されなくなりました。自宅では一日一炷香を毎日欠かさずやっておりますが、一人で行う静坐は三昧には程遠いものがありました。ある方から総裁も参加されておる日曜座禅会が行われていることを聞き、17日8時半から久方ぶりに参加し親しい道友にお会いできました。
(3密など心配のない本部道場で感動、感謝した日曜午前のひと時でした)

 10数年前から趣味の一つとして油絵をやっております。毎年6月に開催される松戸美術展に出品するために3月より描き始めました。外出自粛のお陰で時間はたっぷりあり、三ヶ月かかって完成しました。(結局、美術展は中止)題名は「M氏の古い登山靴」

 

 題名は「М氏の古い登山靴」

 油絵の魅力はデッサン、構図、色使い等やればやるほど奥が深く描いているときは2〜3時間、何もかも忘れて集中でき、三昧状態に入ったような気分になります。
(それにしても座禅では三昧状態には程遠く、まだまだ修行が足りないこと反省しきり)

 

3.Stay homeにあやかりウイルスに負けず健やかに暮らす5つのStay

 1.体力、免疫力を保とう    <Stay Healthy>
 2.ポジティブな気分でいよう  <Stay Positive>

 3.つながりを保とう      <Stay Connected>
 4.感謝の気持ちを忘れずに   <Stay Thankful>
 5.大事なことは考え続けよう  <Stay Focused>
    幸せ経済社会研究所 枝廣淳子所長

(これに人間禅の「正しく、楽しく、仲良く」が加われば言うことなし!)

 

4.ポストコロナへの対応   

 ロンドン・ビジネススクール リンダ・グラットン教授(女性)日経新聞のインタビュー記事から

 

4-1.コロナは働き方にも影響

 どこで、なぜ、いかに働くかが問われる。
 デジタル技術を用いたリモートワークが一気に広がった。
 人は一度経験した便利さを手放さない。
(私も昨年12月遅ればせながらスマホデビューをしました。もう手放すことができません)

4-2.
人工知能(AI)やロボットの普及、気象変動などコロナ以外でも新しい環境への適応は待ったなしだ。一人ひとりが人生100年を見据えた学び直し、学び続けることが最重要事項。
(ボーッと生きているとチコちゃんに叱られますよ)

 

 本日政府より緊急事態宣言が全面解除となりました。治療薬、ワクチンが開発されない中でまだまだ楽観、予断は許されません。長期戦も覚悟せねばなりません。
 新型コロナウイルス感染防止への新たな方策と新しい生活様式への対応を講じてこの難局を乗り切りましょう。

 

 とっておきのお気に入り文句を紹介させていただき終わりとします。

「しばらくは離れて暮らすコとロとナ、つぎ逢うときは君という字に」
(漢字の君という字を分解すると、コとロとナの3文字になります)

 

令和2年5月25日記
森嶋石雲九拝(中央支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
春の宴新婦の父の絶句かな 寶州|四季折々(12)

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春の宴新婦の父の絶句かな  久木田寶州

 

春の陽気の中、華やかな結婚披露宴の最後の一コマ。

締めくくりの場で、新婦の父親が親族代表として、出席者への感謝と新郎新婦への支援お願いの挨拶をした。

宴会では、それまで脇役に徹してきた父親だが、やはり一言述べるとなると、娘が結婚する喜びと共に、娘を送り出す親の思いが一気に込み上げ、感極まって言葉が詰まってしまった。

喜びと寂しさの混み入った気持ちだ。

作者の父親への同感と、暖かいまなざしが滲む。 

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

posted by ただいま禅の修行中 | 09:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
テレワークで集中できないonoff切り替えできない方には座禅がおすすめ

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緊急事態宣言が出されてから約50日。

ようやく解除されましたが、これからは働き方も変わってきそうです。

 

新型コロナウイルスの影響で働き方が変わると言われている中、テレワークに移行していく業種もあると言われています。

ただ、テレワークで集中できない、とか、やる気がでないという話を聞きました。

テレワーク100%になったら集中力がもっと必要だという話も聞きます。

今こそ座禅(数息観)を試してみるよい機会だと思います。

ということで、座禅の方法を載せている人間禅のホームページをご紹介します。

社会人のための坐禅(座禅)道場〔人間禅〕

 

座禅を試すといっても1回や2回で何かが変わるなんていう訳でなく、少しずつでも毎日続けることがよいのだと言われています。

 

座禅風景(於 擇木道場)

 

座禅をおすすめしたい理由は、集中力がつくからということももちろんありますが、それは座禅を続けた場合に期待できるのではないかと私は考えています。

集中力をつけることと座禅との関係性は老師(人間禅名誉総裁 葆光庵丸川春潭老師)の「道力(胆力)を付けるには」などを読んでいただければと思います。

テレワークで集中できないという場合、仕事前に座禅をすることによって、集中の前段階であるonoff切り替えがしやすくなると感じています。

仕事前にたとえ短時間でも座禅(数息観)をすることによって「これから仕事」という意識になりやすいです。

少なくとも私は意識を次のこと(たとえば仕事)に向けやすくなると感じています。

テレワークで集中できないとお思いの方、どうぞお試しあれ。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 20:54 | 東京支部 | comments(0) | - |
正しい目標を持てば楽しくなる〜小川忠太郎先生剣道話(56)〜

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試合ばかりやっていればどうなるか?

相手は「当てっこ」がうまい。しまいには、ごまかす事ばかりうまくなる。そうすると、「ごまかし人間」になっちゃう。 大変な事だ。

真っ直ぐやっていると、いくつになっても伸びるからね。だんだんやっていると楽しくなってくる。
私なんか、どっちかっていうと、楽しいから一生やったんだな。初めは剣道を専門にやるとは思わなかった。
正しい目標を持てば楽しくなる。

小さい者には分からないだろうが、大きい者は、おかしなごまかし 稽古を見て、「嫌だなぁ」という気持ちが出てくるという所まで行かなくちゃいけないね。
そうなると、そういう嫌なものが来ても、こっちがそれに染まらなくなる。

「嫌だなぁ」と思っても、それと一緒になっちゃ駄目だ。
社会でもそうだね。おかしな人がいるからね。初めは「嫌だなぁ」と思っていても、そのうち嫌だと思わなくなっちゃう。

そういう(おかしな)人がこちらを見習うようになればいい。それが教育だ。
いい稽古をすれば、口で言わなくとも人がそれを見習うようになる
道を説くのでもそうだね。本当にやっている人は、黙っていて、周りの人を感化しちゃうんだな。

この間、中江藤樹という人の書いた物を見た。
41歳で死んでいるけどね。この人は、自分の身を修めるという事だけをした人だけれども。この人の周りには、 悪いことをする人が居なかったそうだ。
大したものだね。

理屈を言うんじゃない。この人は、本当の学問をやった。

剣道だって、本当の剣道もあるし、「当てっこ」の稽古もあるしね。学問だって、本当の学問もあれば、理屈だけの学問もある。
中江藤樹は、本当の学問をした人だ。

昭和56年12月13日
宏道会剣道場にて述。
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成…栗山令道(中央支部)

#剣道部 #宏道会

posted by | 18:20 | 中央支部 | comments(0) | - |
70の手習い。本日のお題は「心外無別法」

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  2016年月頃から、毎週土曜日、宏道会の剣道場で行われている書道教室に参加している。先生は書道歴50年以上の宏道会の剣道の仲間で、生徒も剣道の仲間人である。その中には小学生が3人おり、お母さんも参加している。

 先生がお手本を書いてくれる。子供たちには、好きな漢字を選ばせ、正しい書き順で楷書の練習をさせる。大人たちは、如々庵芳賀洞然老師の著書『新版一行物 禅語の茶掛』から五字のものを選んで練習する。先生が楷書、行書、草書の順でお手本を書いてくれる。最初は楷書の練習をして、作品を提出すると、先生が花丸の「よくできました」のハンコを押してくれ、次に練習する行書のお手本を書いて渡してくれるという具合である。

 練習を始めて四年半になるが、いっこうに上達した気配がない。わたしに対する周囲の認識も同様で、先週の土曜日など、書道の稽古に出かけようとすると、女房が「どこへ行くの? お習字?」と訊く。「ウン」と答えて家を出て剣道場に着くと、新型コロナで通常の稽古がないため、ひとりで素振りの稽古に来ていた宏道会の会員が「清巖さん、お習字ですか?」と訊く。どう見ても、わたしは「書道」というガラではないらしい。

 

 本日のわたしの草書の作品「心外無別法」

 

 しかし、わたし自身は本気である。この四年半、自宅でほとんど毎日練習している。きょう(令和2月23日)のお題は「心外無別法」であった。「心外(しんげ)に別法(べっぽう)無し」と読む。如々庵老師の解説には「欲界・色界・無色界の三界、すなわち宇宙空間に存在するものはすべて、みなただ一心の顕現したものであり、この一心と無縁に存在するものは何一つない。

 心と仏と衆生の三者は、名称がちがうとおり、一応、別のものといえば別ものではあるが、その本体からみると同じであり、その間に差別はない」とある。これだけだと唯心論的な誤解が生じる可能性があるので、さらに分かりやすく「ここでいう一心とは、人間をはじめ万物がそこから生まれ、またそこに帰るところの宇宙の大生命、仏教のいわゆる如(にょ)、儒教のいわゆる天命、老子のいうところの大道の謂いなのである。したがってこの句の真正の意味は、この宇宙空間に存在する一切のもの、人間をはじめ万物はみな宇宙の大生命・如の発露したものであり、この宇宙の大生命・如の顕現でないものは何一つない、ということなのである」と解説されており、勉強になる。

 ともかく、書道は動中の工夫であり、何よりも「一行三昧」に徹することである。だから「下手でもよい」、そう思って70の手習いに励んでいる。

 

平川清巌(中央支部) #書道

 

posted by | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
ドクダミの花

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東京支部の黄玉さんがFBにドクダミの花をアップしています。

どうぞご覧ください。

 

  (東京支部)

posted by | 10:25 | 東京支部 | comments(0) | - |
いつの日か

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 私の職業は電気設備工事の技術系事務職員で、横浜みなとみらい地区に新築される某ホテルと商業施設の建設事務所に勤務しております。

 建設現場の現状は基礎工事の段階ですが、基本設計図書に基づいて高品質で効率よく安全な電気設備を構築するための詳細施工方法の検討と施工図面等を作成している最中です。

 2年後には外資系の一流ホテルが完成し、いつの日か、この建物を訪れる人々にいつまでも幸せな思い出を胸に刻んでいただけるような施設を完成すべき日々励んでおります。

 

 国府台の豊かな森に包まれた人間禅道場中央支部においては、建築後半世紀以上経過した禅堂等の営繕係でもあります。

 支部営繕の係員の中に老年の自称“永遠の匠の卵”が2名在籍しています。その一人が私です。

 今年になってから営繕で手掛けた傑作な作品が2つあります。ひとつは両忘塔に上る階段入り口に設けた藤棚、もうひとつは北寮茶室の待合い屋根張替えの二物件です。

 藤棚とはいえ、今はただの潜り棚にすぎませんが、いつの日か、季節に合わせて美しい薄紫の藤花がこの棚を一面の幻想の世界に染めあげ、新緑のさわやかな風に波打つ花園の光景が観られることを楽しみにしています。

 

 

 人間禅では何事にも対応する際に心がける戒めがあります。それは、「段取り・真剣・後始末」の三つの戒めです。

 いつの日か、社会並びに道場の諸行事において事に当たる際に、この戒めを恥ずることなく実行しうる会員になりたいものです。

 

中央支部 佐瀬泰山 拝

 

posted by | 16:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
仰げば尊し・・・小川先生(無得庵刀耕老居士)のエピソード

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人間禅中央支部の岡根谷無刀です。

 

2020年5月17日(日)

 

コロナ禍で剣道場は閉鎖状態ですが、普段通り、まずは道場前の道路を掃いて、禅堂で一炷香。

やっぱり、禅堂で坐るのはいい。

帰りがけ剣道場わきで、道場を振り返ると、空は晴天、理屈なくすがすがしい気分になる。

 

 

私の師匠小川先生(無得庵小川刀耕)の人生が思い起こされる。

先生は、戦後7年間(1945年〜1952年)剣道が禁止され、国士舘の剣道教師の職を失い、サツマイモを作って一家を支えた。

その間も人間禅の総務長として修行にまい進、多くのエピソードをお聞きしている。

・極貧生活であったが「自主的貧乏は、為になる」と。

・サツマイモと合わせて育てていた落花生を盗まれた時「もっと困っている人にさしあげたのだからいいじゃないか」と。

・古材で弟子たちが家を建ててくれた後に「何もお礼に差し上げるものがない、お礼に稽古」と言って、庭に蓆(むしろ)を敷いて切り返しをしたと。

 

今回のコロナ禍など比較にもならないが、同じ志をもって難局を糧にしていきたい。

 

#剣道部 #宏道会

 

 

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(1) | - |
【坐る】

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知多禅会 玉風です。

コロナの影響で摂心会の延期(中止)、静坐会(座禅会)も会場の都合で中止ってことで禅の事を忘れそうです(笑)

忘れないようにブログも書いておかないと。

人間禅の先輩の方々には叱られそうな、ゆる〜い私ですが、忘れてないのは

【坐る】事です。

 

などと書きつつ、実は人間禅に入る前は「座禅」に興味は全然ありませんでした。

むしろ、座禅してどうなるの? と思ってました。よく言われるように「無」になりたい、とか、悩みがある、とか、坐って心落ち着かせたい、とか、そういった気持ちは全然無し(笑)

坐る時間があるなら、本とか読みたいし、洗濯物も干したいし、茶碗も洗いたいし、何なら昼寝したい。くらいの感じでした。

 

じゃあ、なぜ禅? そして人間禅に?

人間禅に入った理由はいくつかありますが、一つには「参禅」というものを知り、興味が沸いたから、です。そのほかの理由は次にして(次があるんか〜い)

参禅という体験は「なんじゃ、こりゃ?」の世界でした。

 

だから、しばらくは坐ることは苦手でした。

でもでも、あぁでも、こうやって少しずつでも続けていくと

「参禅」も苦しくて面白いんですが(Mか?)

「坐る」こともとても大切というのがわかってきました。

 

そしてコロナ騒動で図らずとも増えたSTAY HOMEの時間。

とはいえ、チビッコギャングの孫3人と暮らす私にとっては自宅で坐る時間は普段から捻出が難しい・・・

しかしながら、摂心会も静坐会(座禅会)も中止、となればどこでいつ坐るの〜?

 

そんな状況の中、驚いたことに「坐りたい!」と思うようになったのです。

今? と思われるかもしれませんが、今までは漠然とした義務感、坐らないといけないかな? というような気持ちで坐っていたのかもしれません。

正直に言うと、いやいや坐ってた日も無きにしも非ず・・・。チーン・・・

(この告白で厳しい風当たりにならないことを祈る。合掌)

↓気分はこんな感じ? 坐るという呪縛(笑)

 

​

 

でも、強制的にでも坐っていたことは決して無駄では無く。

自然と朝に晩に「坐りたいなぁ」と思うようになったのです。

気がつくと日常の中で

「あれ? 坐りたい? 優先順位1位?」という風に思うようになり、坐る時間も回数も増えることに。

ふふふふふふ、すごいじゃん、私。

などと思うところがまだまだまだまだ浅はかな未熟者でして。

すごいのは決して私では無く、坐禅(座禅)なんですが。

 

という具合に坐ることも苦しくて面白くなった(笑)STAY HOME。

ふとした瞬間に坐りたいと思う、そんな感覚を覚え。

チビッコギャングに振り回されつつ、時間がないからこそ坐り。

坐る時間の豊かさに気付かされたSTAY HOMEでもありました。

 

忙しさ 坐る時間を 作りけり。

 

家事と育児? に専念し、かえって自由な時間が取り上がられた感なSTAY HOME。

そろそろ、アフターコロナに向けて心の準備しないと。

 

​​​知多の紫陽花

 

↑我が家の紫陽花。季節は確実に移ろいを見せて。

 

どちらにしても坐ることを大切に。 合掌  

 

  知多禅会 河口玉風

posted by | 07:23 | 知多禅会 | comments(0) | - |
禅と私(夢遊 名古屋支部)

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シリーズ「女性と禅」 第2回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、 禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、 また専門用語も多く出てきますが、 どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸い です。

 

私にとっての禅との出会いは、2015年の春。

ちょうど40歳になった頃でした。

 

大阪で生まれ、大学を卒業して、幼児教育にかかわる会社に就職。

最初は厳しかった仕事も続けていくうちにやりたかったこともできるようになりました。

30歳で結婚して、二人の子どもにも恵まれ、その場その場では大変なことやつらかったこともありましたが、振り返ってみて一言でいうと、“やりたいようになってきた”、そんな人生を送っていました。

そんな中、子育てとの両立のため転職。

その会社で任せていただいた役割がどんどん大きくなっていきました。

そのころは頼まれると断れなかった私は、まだ保育園の子どもがいるにもかかわらず、終電まで仕事をしたり、休日出勤までしたり、、、そんな日々に飲み込まれてもいました。

30代後半になった頃、ふと、自分のこれからの人生を考えて、40代以降の自分が全くイメージできないことに気づきました。

振り返ると、そのころ、私の周りには同じ世代で頑張っている女性はたくさんいましたが、人生の先輩である女性たちは、なんだか大変そうに見えることが多かったのです。

「40代になっても私はこのペースで働くのだろうか。そのうちに子どもたちが大きくなって手が離れてしまう・・・私ってホントにそれでいいのかな」と考えるようになりました。

そんな時に、偶然、ドリームマップというツールに出会い、自分自身の本当にやりたいこと、望んでいる未来は何なのか、考えるきっかけをもらい、これをもっと多くの人に知ってもらいたい、と再度転職し、その普及に携わることになりました。

 

ドリームマップでも、最初は、家族と仕事を無理なく両立させようとしていたのですが、どうも性分なのでしょうか、そのうちまた仕事の比重が大きくなってきました。

というのは、インターネットやSNSの発達で勤務時間や働く場所は自由に選択できたのですが、逆に、いつでもどこでもつながってしまうことで区切り目がなくなり、それまで以上に時間があっという間にすぎていってとどめようもない、という感覚を味わうようになっていったからです。

私が子どもの頃から大好きな本でドイツの作家ミヒャエルエンデの「モモ」があります。時間泥棒が人々に「時間を貯蓄すれば命が増える」と勧め、便利や効率に目を奪われた人々は、せかせかと生活をするようになり、人生を楽しむことを忘れてしまう、ということを通して人生で本当に大切なものは何かを考えさせられるお話です。

ふと、「モモ」に登場する町の人たちのようになっている自分に気づき、どこかで立ち止まり、自分自身にとって大切なことを見失わないようにする場があったらいいのに、と思うようになっていました。

そんな時、最初の会社で数年共に仕事をしていて仲の良かった、現在は岐阜禅会長の渡辺玉蘭さんが、Facebookで「座禅女子会」のお知らせを投稿していたのが私と禅との出会いでした。

それまで、仏教にも興味がなく、禅=座禅、バシッとたたかれる、というイメージしかなかった私。

ですがこの時「座禅なら、この飛ぶように過ぎていく時間もリセットできるかも」となんとなく思い、「久しぶりに会いに行ってみよう」というぐらいの気持ちで座禅女子会に参加したのが人間禅との出会いになりました。

 

今となっては最初は想像もしなかったほど、私にとって、本当に大事な時間であり、場となっています。

その理由は、まず、母でも、妻でも、娘でも、姉でも、仕事上の私でもない、ただ私自身としていられる場であること。

また、仕事や家庭生活の中でも自分の力だけでは何ともならないこと、予想もしないことが起きたりすることは多々あります。

しかし、そんな時でも、自分自身を整える日々の座禅があること、更に、参禅という場があることで、その時々に「外的要因はいろいろあるけれど、その解決は自分自身の中にある」と感じたり、そんな風に言葉にはならないことなのですが「あ〜、そういうことだったのか」とおなかの底の方から様々気づかせて頂ける機会であることが、本当に有難く貴重な場であると思っています。

そして、もう一つ。

コツコツと自分一人で続けていくことは本当に大変なことだと思います(私にとっては特に)が、老師がいらっしゃり、諸先輩方がいらっしゃり、ともに歩む道友がいるからこそ続けていけることだとも感じています。

 

禅と出会ったことで、今携わっているドリームマップについても、それぞれの人生を深く味わうきっかけとして活用できるのではないか、と、より深く、その意義やドリームマップというきっかけを多くの方に提供する役割としての在り方に気づかせていただく日々です。

 

これからも続く長い道を、皆様にご指導いただきながら歩んでいければと考えております。

 

ご縁に感謝して。

  合掌 夢遊(名古屋支部) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

posted by | 21:50 | 名古屋支部 | comments(0) | - |
グーペでのアンカーリンク(ページ内リンク)をhtmlだけで微調整する方法

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人間禅ではグーペというホームページ作成ツールを使っています。

初心者の私が使うにしてもまぁまぁ扱いやすいのですが、それでも「どうしたらいいの!」という部分もあります。

そりゃ、多々あります。

で、ひとつクリアしたみたいなので忘備録として載せておこうと思います。

たぶん邪道で、しかもSEO的によい方法かどうか疑問なところが残念ですが。

 

何ができたかというと「ページ内リンクの微調整」です。

結論から先に言うと、グーペのヘッダー固定のデザインでは「二行上にアンカーポイントを設置」すればいいみたい、ってことです。

 

専門家ならサクッとしかももっと効率よくできることだとは思いますが、なにせホームページ初心者ですから「アンカーリンクってなんぞや?」というところから入りました。

アンカーリンクとは簡単に言うと「任意の場所にリンクさせる仕組み」のこと。

ただ、人間禅のホームページで使っているデザインはヘッダーを固定しているため、アンカーリンクを設置するとジャンプした先でヘッダーの高さ分、位置が下にズレてしまうのです。

これがどうも気になります。

 

今回調整したのは「全国の道場一覧」ページ内でのアンカーリンクです。

人間禅には北海道から九州まで全国に座禅道場がありますが、たとえば「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県という見出しと茨城支部から下が見えるようになるはずなのに、房総支部辺りから下が見えるような状態だったのです。

とすると、茨城支部を見たいのに関東近県には茨城支部が見当たらないということになってしまうわけで困っていました。

 

CSSで調整する方法やjavascriptで調整する方法もあるようですが、素人の私はできるだけ触りたくない部分。

htmlだけでなんとかしたいので、下がる分だけアンカーポイントを上げればいいだろうと考えました。

ついでに、HTML5ではname属性というのが非推奨らしいので、id属性で作成しなおしました。

 

 

ここからが本題。

「全国の道場一覧」ページでのページ内アンカーリンクの微調整方法を書いていきます。

 

まず、大見出しにアンカーポイントを作成しました。

ソースコード

<h3><a id="全国の道場一覧"></a>全国の道場一覧</h3>

そして、「トップに戻る」という文を各地区の下に設置しました。

で、そこに

ソースコード

<p><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

というリンクを張りました。

その後、各地区のアンカーポイントを作成。

たとえば「関東近県」ならそのすぐ上の「トップに戻る」にアンカーポイントを付け足すように設置しました。

ソースコード

<p><a id="関東近県"></a><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

 

これで、「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県の見出しから下が表示されるようになりました。

フォントサイズなども関係してくるとは思いますが、二行上にアンカーポイントを設置するとよさそうです。

今度は東京支部のページでもページ内リンクを作成してみようと思います。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by | 19:51 | 東京支部 | comments(0) | - |
釈尊の呼吸法(2)

 

 

 

外国人観光客が減少した狸小路


釈尊の呼吸法(2)

 

大安般守意経に「数息を地と為し、相随を犂と為し、止を軛と為し、観を種と為し、環を雨と為し、浄を行と為す。是の如き六事は乃ち道に随うなり」とあり、呼吸を農作業に譬えています。
 

先ず「数息」についてですが、人間の体表面は畳一枚ほどの表面積で、身体の50兆〜60兆の全細胞のガス交換は肺のガス交換を媒介としております。つまり、酸素を血中(動脈血内)に取り入れ、炭酸ガスを対外に排除します。呼吸を正しくしてやれば血液、細胞が清められ、肺のガス交換が活発に行われ、細胞の活力も高まります。
 

心身を汚すものは第一に外部から侵入するもの、第二に内部から侵入するものがあり、前者は色、声、香、味、触の五境、後者は雑念、妄想であります。外部からのものを遮断するには数息の吸気数息、内からの雑念、妄念は呼気呼吸を用いる。つまり、出る息と共に痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどを長呼気、または力強く吐き出す息とともに対外に吐き出してしまいます。一度に処理できないでしょうから何回でも分けて吐き出します。
 

これは欠気一息(かんきいっそく)といって、吾人間禅でも、坐禅工夫に入る前に行うことを奨めております。欠気(かんき)というのは、胸から腹の奥底までたまっている息を全部吐き出し、新たな息を吸い込む深呼吸のことです。
 

その深呼吸のやり方は鼻から空気を腹部、胸部そして肺の尖部のすみずみまで吸い、そのまま息を吐き出さずに肩甲骨を下げると自然に横隔膜が下がるので、肺のすみずみまで空気がしみ通るように感じられます。そして、丹田をへこまさずに、徐々に鼻孔から細く長く吐きつくす。この時、痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどの悪感情も一緒に外にはき尽くすのです。これらを2〜3回繰り返すと静坐に入り易いのです。

二番目の「相随」とは上達した数息から息を数えることを放った呼吸のことで、随息観のことです。数息が上達すれば自ずから出息長となり、その上達した数息から数を数えることから意(こころ)を放てば、そのまま相随となります。

「相随は五蘊(ごうん)と六入に随わず、息と意に相随うなり」とあります。五蘊は色、受、想、行、識で物質界とそれを認識する人間の精神作用、六入とは色、声、香、味、触の五境に意識を加えた六識のことです。相随で心身一如となるということです。

三番目の「止」とは坐禅をしていると心は雑念、妄想に悩まされます。それを一境に止めようというものです。止の方法は4つあり、数止・相随止・鼻頭止・息心止で一の数止は数を数えることに意識を集中する方法、二の相随止は意(こころ)と呼吸とを相い随わせることによる方法、三の鼻頭止は入息・出息ともに跡をつけていけば入出息とも鼻頭でそれが停止する、四の息心止は意を呼吸のみに傾ける、それによって止を得るというものです。

このうち鼻頭止というのは古来から「眼半目を以って、鼻端を守る」といって、両眼にて自分の鼻の先を凝視してみるのもよいでしょう。
 

四番目の「観」とは五蘊を観ずることです。呼吸をしていてどうも具合がよくないなと思う時は「観」と身体とがしっくり行っていない。つまり体の調子が調わないとき、あるいは心の在り方がよくないと呼吸も正しくできない。観は観察、思い浮かべることで、こうなっていけばよいとか、こうなっては好ましくないなどと心に計らいがあると、正しい観察ができなくなる。そうしたものを心から取り去って初めて正しい観察が出来きます。観察が正しく行われるには出る息を長くして、心身を整えることが必要で長呼気は自然の同化にもっとも役立つ呼吸です。
 

五番目の「環」とは悪を棄てることです。「意は人の種なり。是を名付けて環となす。環とは意にまた悪を起こさぬをいう」とあります。心と身体はもともと一体のもので、意は人の種とは、意が中心であること。欲望を野放しにしておけば自己の内部から好ましくないものが顔を出そうとしまいます。環とは冷静な自己観察のことで、釈尊は簡潔に悪を起こさぬことだと言われました。体の悪とは殺、盗、婬、悪口、妄言、綺語(かざり言葉)です。心の悪とは貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴です。自己の内部には善いものと悪いものが混在しており、その中の悪いものは容赦なく叩きだしてしまうのが環の目的です。

最後の六番目の「浄」は行であります。数息は大地、相随は犂、止を軛、観を種、環は雨と譬えのに対し、浄は行に譬えました。前の五条件が揃えば、次に実行が必要です。
 

「諸の所貪欲を不浄と為す」と経にあり。浄は念(おもい)を断つことであり、所有なしで大自然の運行と共にあることが浄で、大自然そのものが浄です。 
 

以上 纏めますと眼や耳などから入ってくる外界のわずらわしさを遮断するには数息がいいし、意を斂むるには相随がよい。止は意(こころ)を安定させ、観は不必要な念(おもい)から離れさせ、環は意を一つに向け、浄は以上を実践するという訳です。


釈尊の呼吸法(3)に続く 千葉 金風記  札幌支部

posted by ただいま禅の修行中 | 13:45 | 札幌支部 | comments(0) | - |
座禅一年生の歩み

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シリーズ「女性と禅」 第1回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、 禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、 また専門用語も多く出てきますが、 どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸い です。

 

人はそれぞれに道のりを刻み、此処にいると思います。

キャリア教育の分野で以前から親交のあった夢遊禅子からのご縁で、私は昨年4月末初めて名古屋支部の摂心会に参加しました。

面談の際に総裁老師より『絶対樹と相対樹に観る人間形成』についてのお話を伺い「あらゆる事象に当てはまる!まさに!」と、とても感銘を受けました。

それは、座禅という新たな扉を開き歩み出る私を後押ししましたし、総裁老師著書『坐禅の効用』にも示される、参禅弁道と日常の数息感による坐の行、この両輪の大切さを肝に銘じることにつながっています。

また仕事の展開を考慮する際の観点にもなっており、思考・行動の確認とこれからの変化をもたらす大いなる智慧として私の中でずっと息づいていくことでしょう。

 

「本来の面目如何?」と問われて約一年を迎えようとしている昨今、参禅会や諸先輩方々の所作を通じ改めて「知らないと知るは大違い」「知っているとできるも大違い」ということを遭遇する事象・言葉の意味の重さと深さも含めしみじみ味わっています。

礼拝を例にしても、初めは形を教えて頂きまねをすることしかできませんが、心と想いの込められた老師の礼拝する姿を目の当たりにしてその意義に感じ入ると、自分なりの三昧で臨むようになります。

毎日の一日一炷香の大切さは聞いて知ってはいるけれど、行を継続したものにしか感じることができない効用なので、身に付くまでできるには至りません。

「命を懸けて参ぜよ!」との老師のお言葉に、一生懸命はしているけれど、命がけを体現するとは?と、まだまだ未知の感覚を前に茫然となります。

反面自分の無知があからさまになることで、好奇心のエネルギーが湧いてくることも感じます。

 

一つの公案に長らく向き合い工夫三昧するうちに「ん!?」と気づきが降りてきて、現実の出来事を捉えるときの理解に結びついて心がすっきりすると、もっと深くその公案の言わんとするところを感じ取りたいという想いが湧いてくるのです。

 

先の名古屋支部摂心会では金剛庵老師から「一畝之地、三蛇九鼠(いっぽしち さんじゃきゅうそ)の心中」という興味深いお話を頂き、岐阜座禅会洞戸摂心会にては総裁老師より、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を深く味わう機会がありました。

知らないことを知る楽しさ、知るを腹落ちさせる清々しさ、師家在りきによって味わえる貴重な学びは、人間禅ならではのことだと思います。

もちろん修行をされてきた諸先輩方々のひたむきな姿や所作の伝授、お気遣いある言葉がけからも多くの刺激と教えられることが沢山あり、感嘆し感謝するばかりです。

 

私は、子ども・学生のキャリア教育や企業等の人材育成に関わる研修講師、また、着付けの講師等を主な仕事としています。

名古屋モード学園にて7年前から美容系の学生たちを対象とした着物着付け授業を担当してきました。

2時間×14コマで検定課題は、[15分で着物と名古屋帯を自分で着装]です。

単に着る技術を教えても40名全員が検定をクリアできません。

できるまでとことん繰り返すことと、集中すること、ゴールに向かう意思を持つこと、弱音を吐かない心を養うことが大切です。

サイエンスとスピリッツ、ここも『絶対樹と相対樹』の話が当てはまり、大いに納得する学生の事例が毎年存在します。

私の座禅修業は始まったばかりで、道眼、道力を養う道のりは厳しく果てしなく続くと思われます。

ですが新しい扉の先を進んでいくことで、未知の力を発揮する自分自身に気づく瞬間があり、それはこの先の人生をまだまだ豊かに楽しめる!という可能性に満ちた道のりだとも感じられるのです。

ご縁ある皆様方からの学びを、社会にてさらに活かすことのできる自分づくりを目指し、歩み続けたいと思います。

  白蓮(名古屋支部) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

 

posted by | 23:44 | 名古屋支部 | comments(0) | - |
饒舌な沈黙 〜仙空庵心耕老居士の一周忌に寄せて〜

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2020年5月14日――敬愛する仙空庵小川心耕老居士の一周忌でした。
宏道会では、先生方の呼びかけにより、個々に追憶尋思して偲びました。
いつも太陽のような笑顔で私たちに接してくださった心耕さん……との想い出の一端を回想してみたいと思います。

出会いは24年前、まだ私が出版社に勤めていた頃の話です。
ご尊父小川忠太郎先生(剣道範士九段、無得庵刀耕老居士)の稽古日誌「持田盛二範士十段との『百回稽古』」の単行本化にあたり、いいものを遺したい、ただその一念が却って邪魔をして、作業が遅々として進まない時期がありました。

世田谷の御宅を訪問して平身低頭の愚生に対して、

「父はよく言っておりました。火を点けていれば必ずお湯が沸く、と。まさに正念相続ですね」

この言葉に当時30歳の私はどんなに救われたか!
昭さん、ありがとうございます。

次にお逢いしたのは、熊谷での第1回刀耕忌を取材後、宏道会のメンバーに声をかけられて参加した日暮里・擇木禅道場での「小川忠太郎範士『剣道講話』輪読会」(剣書勉強会)でした。

茶話会の席上、翌朝、参禅を決意した私に対して、
「ああ、今夜は愉快だな。オヤジが生きていたら喜ぶぞ。もう一回乾杯しよう。僕はまだ、ちょっと参禅はご遠慮願いたいけれど(笑)」
ほどなくして昭さんも入会され、「心耕」の道号を授与されました。

同期の桜を集めて上野の鰻屋で盃を交わしたこともありました。

それからことあるごとに意気投合する呑兵衛の仲良し3人組が4人、5人……と増えていき、「心肴亭」なる酒場もあちこちにオープンしましたが、今はもう幻の名店であります。

徳利山さん(剣清庵令道老居士)と3人で春の房総を旅したこともありましたね。
電車に揺られ海辺の景色を見ながら秘蔵のどぶろくを飲み、うたた寝する心耕さん。
嵐の夜中に起き出して、シュポ、とくとくとく…、先立たれた奥さまのことを問わず語りされたこともありましたね。

里見の一本桜の下、菜の花に囲まれて呑んでいると、しばし沈黙が流れるときがありましたが、それがまた実にいいんですなぁ。

 

 2018年4月7日、小湊鐡道「里見」にて撮影

 

お互い無理に話題を作らなくても、心の中では饒舌に会話している、とでも申しましょうか。

言葉なんて要らない。

ウグイスが啼いている。

見上げれば空は快晴。

お互いに差しつ差されつ。余韻嫋々…

 

饒舌な沈黙、あれからなかなか味わうことができないでいます。

 

合掌

 

張替剣外(中央支部

 

posted by | 15:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
道場の5月の茶花

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市川の本部道場には多くの茶花が植えられていますので花が咲く時期に月毎に紹介をしてみます。

〔令和2年5月の中旬頃〕

【草花編】

 

1.あやめの紫色と白色が掲揚塔近くの茶花園で気品ある姿で咲いています。

 

2.ユキノシタの白と薄ピンク色が地面に丸い葉を広げて両忘塔斜面の他の植物に混ざって直立して咲いています。

 

3.二人静。直立し葉を4枚茎の上のほうに広げて其の中に白い花2本が直立して咲いています。ユキノシタと同じ場所に咲いています。

 

4.金蘭が苔山中心に26本黄色い花をつけて咲いています。昨年よりも多く咲きました。

 

5.えびね蘭の地味な色の花が咲いています。これは野生のえびね蘭ですが、道場の土地を好み毎年増えています。茶花園に咲いています。

 

6.なるこゆり(鳴子百合)。斑入りの鳴子百合が倉庫の前の大木の下にけなげに咲いています。

 

【樹木編】

1.はないかだ(花筏)。北寮茶室の近くの大きな石の傍に低木で一枚ごとに葉の真ん中に5ミリほどの薄緑の丸い形の花が咲いています。今年は昨年より多く花が咲きました。

 

2.つくばね(衝羽根)。ぽんておうちえんの外の水場の近くの茶花園に咲いております。3度目の正直でやっと根付いて来て花が沢山咲きました。この花は枝先に目立たない葉と同様の色で2ミリほどの大きさです。この花が注目されるのは、咲き終わって実になり、その実が羽子板で使う羽根に似ているからです。初釜の時期に茶花として多くもてはやされます。

 来年正月の初釜に使えたら嬉しいです。秋季摂心会ごろには実がなります。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
「一如、共育ち、一如」

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胎児、嬰児のまぶしい姿

未だことばを発しない光の玉

赤子たちも、この世の修行に臨んでいる

 

母体の生命力から生まれるホルモン分泌物は

おかあさんを外と内の別ないところへいざない、

臍を通じて 産道を進もう嬰児を、見えぬ手でたすける

 

胞衣(えな)と赤子、母はいっしょ 抱き抱かれて、初乳を食む

自と他とのさかいなしの光りのなかで

 

DNAとRNAの情報のおかげだけでは足らない

お産の知恵にまなぼう

 

へその緒をゆわくとき…が有る

母の頭に血がのぼらぬようねむろう…

赤子と一緒…どう眠ろう

 

おかあさんの安寧はおいしいおっぱいの味

赤子はおっぱいがおいしくないと直ぐわかる

…おっぱいは血液そのもの…

 

…おいしくない味を拒んで、あかちゃんのだ液が変化し…おっぱいはとまってしまう

 

言葉ではない赤ちゃんの表現をわかろうとする周囲のおとなたちや

お母さんの安心や気付きそのものでおっぱいはおいしくなってゆく

 

これからいのちを授かり、育てよう、未来のおかあさんをどうにかして

神聖なお産の場で守ってあげたいと思う。

人と人のつながりの実感が若いお母さんも育ちゆくように、

 

 

世の中の

マニュアルには書かれてないお祝いのときがある

 

乳離れ…赤ちゃんとお母さんが互いの自立を確かめ合うとき、おっぱいから離れてだいじょうぶだ!

 

最近、座右の銘のように、ある治療家のおかあさんと赤ちゃんのセミナー記録文、それからユニークなある物理学者の著書を読み進め、

また実母より聞かされた、むかしの知恵話とをひとつにし、子育ての経験がないのに恐縮ではございますが、

 

お産の道と誕生の道が本来ひとつ、で、

 

たいせつなおっぱいが育ててくれた繋がりの実感は

子、母、父の道のあらたなスタートになると考えてみる。

 

子どもたちには、そうして育てられた感性をちからに繋がる道を進んでいって欲しい。

 

起きてくる事象への反省の気持ちで書かせていただきました。

 

瀧口清韻(中央支部) #女性部

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
一陶会と禅林さん

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中央支部の同好会に陶芸の「一陶会」がある。

15年前に発足した。

発起人は道友の、櫻井禅林さん。

彼は茶道に興味を持ち、道友の片野慈啓さんに弟子入りした。

慈啓さんは老大師の奥様、珠月様に有楽流の薫陶を受けられた。


有楽流では茶道具に自作の物を使う習わしがあり、老大師にも珠月様にも茶碗、茶杓ほか素晴らしい遺作が沢山ある。

そこで、禅林さんは自作の茶碗作りを発心し、道友の陶芸家、山下祖牛さんにご指導を仰ぐこととし、賛同者を募った。

それに乗ったのが私を含め道友及びその家族、約10名。

祖牛さんの陶芸の号「一歩」から一字貰って「一陶会」が発足した。

以来、月一回の会が続いている。現在、道友以外の参加者も多い。

 

その禅林さんが多くの病と闘われて、3月に亡くなられた。

一つ病気を乗り越える度に、聞いたのは「禅をやっていて本当に良かった。これで救われてきた。」との言葉であった。
私は禅林さんと一緒に人間禅に入会し、とても懇意にして頂いた。本当に淋しい。

 

 

 

彼から頂いた茶碗が写真Aである。

彼は沢山の抹茶茶碗を作られた。

ところで、禅林さんが盛んに誉めてくれた私の茶碗が写真Bである。

つい先日、その茶碗の上から物を落として粉々にしてしまった。

返す返すも残念で仕方ないが、きっと禅林さんのもとへ行ったに違いないと思っている。

 

木村桃雲(中央支部) #陶芸

 

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
江戸川土手散歩 〜菜の花〜

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コロナ自粛で身体がなまってはいけないと、

お天気の良い日は1万歩をメドに江戸川の土手まで往復することにしています。

3月10日ごろ矢切近くの土手の斜面には菜の花が咲き始めたばかり。

まだ蕾があったので、摘んで帰って、夕餉のおひたしにしました。

程よい辛みのしまりのよい味でした。

一合のお酒のあてにピッタリ!!

(お恥ずかしい話、この時点では食い意地が勝って、菜の花がきれいとは気が付いていませんでした)

 

江戸川土手 菜の花(土手上)

 

江戸川土手 菜の花(土手中腹)

 

3月21日病院の帰りに、お天気が良いので家まで歩いて帰ることにしました。

街中は避けたいので江戸川の土手に出て帰ろうと旧葛飾橋まで行くと、

土手の斜面一面に菜の花が咲いていました。

確かめてはいませんが、観光用に種をまいたのかと思わせる分量でした。

菜の花土手が約1kmにわたって続くのです。

いつも歩いている新葛飾橋より下流の土手では、こんな圧巻は見たことがありませんでした。

 

  土手覆ふ菜の花明り遠筑波   竜穏

 

  (中央支部) #俳句

posted by | 17:43 | 中央支部 | comments(0) | - |
新型コロナウイルス感染その後の話題

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新型コロナウイルス感染その後の話題

房総支部 仲野嶢山

 

 学校の休校、外出制限が奏功して新型コロナウイルス感染拡大の兆候が少し落ちついてきた印象があります。しかし現時点では、感染の拡大を遅らせることが辛うじてできたというだけです。依然としてほとんどの人は新型コロナウイルスに対する有効な抗体を持っていません。油断すると間違いなく第2波の流行拡大が懸念されます。

 新型コロナウイルス感染の収束には、ワクチンが開発されて世界中に行き渡るか、多くの人が感染して免疫を獲得する集団免疫が確立することが必要です。WHOの予測では現在新型コロナウイルスに対する抗体を保有しているのは世界の人口の2〜3%程度としています。先頃慶応大学病院の調査では、呼吸器感染症以外の疾患で入院した60数例の症例の6%に新型コロナウイルス抗体を確認できたとしています。都内の大学病院の入院患者を対象とした調査というバイアスがあるので、現時点ではここまでは高くないと思われます。神戸からの報告ですと、5月3日の報道で市立病院を受診した方1000名の検査で3.3%の抗体保有率とのことです。WHOの予想に近い数字ですので、現時点で日本人の3%程度は新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っていると考えられます。これらの数字については種々の議論が出ることが予想されますが、現段階で日本人300万人が不顕性感染して既に抗体を持っているということになります。集団免疫が機能するには全人口の60%以上の方に抗体ができることが必要と言われています。そうなるにはこの後ウイルス感染の爆発的な広がりが2〜3年続けば達成できる可能性のある数字です。それまでの間に、人類は新型コロナウイルスに対するワクチンを手にしない限り、コロナウイルス感染の恐怖から逃れられないのです。新型コロナウイルスに対するワクチンの実用化には1年から1年半は少なくとも必要そうです。過去に最も早く作成できて臨床に使われたウイルスに対するワクチンでも4年かかりました。そんなには待てません。一刻も早いワクチンの実用化が望まれます。

 日本人の3%が新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っているということは、新聞報道されている1万5000人程度の顕性感染者の他に、その200倍以上の不顕性感染者300万人が日本にいることになります。この後不顕性感染が急速に広がり、知らないうちに新型コロナウイルスに対する抗体ができてくると、集団免疫が確立するまでの時間は予想されている期間より短いことも期待できます。そうなれば数年前の新型インフルエンザA型感染の時のように、しばらくするとあまり騒がれずに通常の感染症程度の扱いになるかもしれません。

 例年インフルエンザウイルス感染症で、高齢者を中心に約2000人の方が亡くなります。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは普段疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がコロナウイルス感染を心配してしっかりやっているためと思われます。コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減しているので、インフルエンザで亡くなる方の数も例年より少なくなることが予想されます。

 新型コロナウイルス感染症は、現時点では極めて感染性の高い疾患で、年配の方や合併症を有する方にとっては死亡率の高い恐ろしい疾患です。また、特に問題とならないだろうと考えられる人が重症化することも報告されています。こうした疾患にかからないようにするために個人が取れる感染予防対策を励行し、専門家が指摘するような「3密」を避け、不要不急の外出を控えて行きましょう。一見自由の制限に当たるように思われますが、今まであまりにも不用心で、体調に気配りのない生活に慣れてしまってきたようです。この辺で規則正しい、体内時計のリズムに合った、適度な量と質の食事を楽しく取り、適度な労働と運動を欠かさない禅者としての生活を他の見本となるよう送っていきましょう。 ( 房総支部 )

 

posted by ただいま禅の修行中 | 19:16 | 房総支部 | comments(1) | - |
思わぬ家族団欒の時間

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思わぬ家族団欒の時間

房総支部 仲野嶢山

 

新型コロナウイルス感染拡大防止の為、4月初旬に首都圏を中心に非常事態宣言が出されました。学校が休校になり、経済にも甚大な影響が出ています。私の勤務するクリニックも何とか診療を続けていますが、いつコロナウイルス患者が受診するかわからず、職員も最大限の注意を払い日々の仕事に当たっています。

 こんな中、都内の大学院に在学中の長女と群馬の大学に在学中の次女は大学での授業がなく、講義の再開のめども立たず千葉の自宅で待機の状態が続いています。大学進学の為に長女は家を離れて6年、次女は4年になります。子供たちが家を離れて寂しくなったと同時に、子供たちに振り回されない平穏な日々に慣れてしまった夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思いもよらない賑やかな家族団欒の時を与えてくれています。街の小さな診療所を開設している私だけでなく、県立病院の管理職になっている妻もコロナウイルス騒動で普段の仕事が激減し、思いもよらない時間の余裕を感じられる生活になりました。

 3月中旬以降、それまで毎週のように開催されていた摂心会や参禅会がほとんど中止になっています。月に3回から4回は週末の座禅会の行事に参加していた私ですが、座禅をするようになって以来初めてゴールデンウイークを自宅で堪能しています。妻も月に1回から2回参加していた国内外の医学会がすべて中止になっているので、家族4人が水入らずの濃密な時間を過ごしています。家族4人そろって朝食や夕食を取るのは長女が中学受験の準備を始めた15年前以来のことと思われます。休日の昼食も希望を出し合って皆の食べたいものを時間をかけて作り、わいわいやりながらゆっくり楽しんで食べています。こんな時間を過ごすことはもうないだろうとあきらめていた夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思わぬ有意義な時間になっています。

 修士論文の作成に入った長女は時々パソコンで担当教授とネット会議しながら指示を貰い、必死に論文作成を進めています。傍ら自分で見つけて来た就職予定の会社の担当者と令和3年4月以降の海外派遣事業の段取りをしています。

次女は一日4〜6コマあるオンライン授業を聞きながら必死に勉強しているようです。医学部生の授業も担当している妻は群馬大学の臨床系の授業を娘と一緒に見ながら盛んに学生受けする講義のノウハウの取得に余念がありません。パソコンを駆使した双方向のリアルタイム講義は提供する側は大変でしょうが、学生には本当に理解しやすい講義です。講義が終わった後は仲の良い友達同士でテレビ会議をしながらわからなかったところや大切な部分を互いに教えあいながら復習しているようです。こうしたコンピューターや携帯を駆使した情報共有は若い人たちにとって当たり前で、我々の世代も乗り遅れないよう必死についていくしかないようです。

 いつしか家の中では役割分担ができて、家族それぞれが得意な分野を担当しています。私の担当は食材の買い出し、家庭ごみの管理、洗濯、お風呂洗いになりました。「父親に下着の洗濯までさせているとお嫁に行けないぞ。」なぞと口走ってしまうと、「何言ってるのよ。お嫁に行ってほしくないくせに。」とこちらの本音を見透かされているようです。

 まだまだコロナウイルス感染の危険が続き、すぐには自宅待機が解除される兆しはありません。大変な時期ですが家族団欒の時間をもう少し堪能したいと思います。(房総支部)

 

posted by ただいま禅の修行中 | 16:48 | 房総支部 | comments(0) | - |
コロナ禍に思う。今一度、原点回帰

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コロナでの外出自粛の為、自宅で料理する機会が増えました。

摂心会では典座係で色々工夫して料理しておりますが、自宅ではほとんど料理することはありません。

 

久しぶりにキッチンに立ち料理をしましたが、包丁がまったく切れない! 包丁研ぎから始まりました。

TVを見ておりますと、「包丁」の番組がありました。備中手打ち鍛冶「武田刃物工場」。思わず衝動買いしました。切れ味抜群です。

家庭用だと少し高価ですが、この切れ味ですと料理するのも楽しくなります。

受注生産なので3ヵ月待ちですが、待っても購入するだけの価値はあると思います。

 

 

緊急事態宣言が出され不自由な生活を余儀なくされておりますが、今までの生活習慣を見直す良い機会になったと思います。

TV放送で「緊急特別番組 寺島実郎の日本再生論−ポストコロナへの指針−」を拝見しました。

新型コロナウイルス問題の本質とは?

 

地球の歴史は46億年、微生物・細菌が登場して30億年、現生人類ホモサピエンスが登場したのが20万年前。人類は所詮、地球上では新参者。との事。

そう考えると、人間がウイルスを封じ込もうとすること自体、人間のエゴでは無いかと思います。

「新型コロナが問題を引き起こしたのではなく、人類が抱えていた問題の本質をあぶり出した」と。

 

環境問題、国家間摩擦、肥大化する金融市場、バーチャルリアリティ等。今一度、原点回帰が必要になっていると思います。

コンピュータは、目的に対する最適解を選び出すが涙はでない。涙がでる感覚こそ人間の本質。

人間の持つポテンシャルをいかに発揮できるかを大切にしたいと思います。

 

中央支部 有元龍石拝

posted by ただいま禅の修行中 | 06:00 | 中央支部 | comments(1) | - |
スペイン風邪の教訓

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スペイン風邪の教訓

房総支部 仲野嶢山

 

 新型コロナウイルス感染拡大で、想像もしたことがない耐久生活を強いられています。第三次世界大戦とも評され、先の大戦の実情を知らない人でも今の状況の異常性にほとほと嫌気がさしています。こうした新たにやってくるウイルス感染症は時として甚大な影響を世界中に起こします。経済的には1929年の世界恐慌以来のことと言われますが、医学的には今から100年ほど前に起こったスペイン風邪を思い起こさせるものです。その教訓を再度見つめ直し、今後に生かすためにスペイン風邪の被害について2020424日の朝日新聞「スペイン風邪に学ぶことは」という記事を参考に再度情報を整理してみます。

 スペイン風邪はインフルエンザウイルスA型の大流行で、1918年から1920年にかけて世界中で猛威を振るいました。数年前にも日本で新型インフルエンザウイルスA型が流行し、かなりの混乱が起きました。新型というだけで何か恐ろしいウイルスと恐れられましたが、実際には例年発症するインフルエンザと同程度ないしはやや軽いくらいの症状を起こすウイルスでした。当時鳥インフルエンザウイルスがかなり致死率の高い疾患として恐れられていましたが、それと同じくらい毒性が強いことを心配し、各地で新型インフルエンザの報道が出るとパニックになるような状況でした。でも、落ち着いてみると通常のインフルエンザワクチンも奏功し、抗インフルエンザ薬も十分に効果があり、例年のインフルエンザと変わりない対応で充分にコントロールできていました。それなのに感染初期に罹患した方は、周囲からかなりつらい仕打ちをされたような情報があります。

 今回も新型コロナウイルス感染が報道されると、種々の情報が錯綜して個人名やその所属先がネット上に暴露され、大きな人権侵害を引き起こしています。確かに現時点で新型コロナウイルスは恐ろしい印象が強いのですが、もう少し落ち着いて疾患概念が出そろうと、現在恐れられている状況とはかなり違うウイルスであることがわかってくると思います。

 スペイン風邪に話を戻します。スペイン風邪の際には当時の日本人の40%程度にあたる2400万人程度が感染し、死者が40万人に近かったようです。死亡率はおおよそ1.6%です。当時はかなりの死亡率と捉えられていましたが、特効薬やワクチンもなく、栄養状態も今よりかなり悪い時代で、ほとんど情報が入らなかった中で日本におけるこの数字は決して高くないと考えられます。今回の新型コロナウイルス感染は、スペイン風邪に比べれば現時点で23桁オーダーが小さい感染者数と思われます。ただ死亡率は現時点で0.72%と見積もられておりスペイン風邪と同程度です。

 スペイン風邪が流行した際には、当初運動会や遠足が中止になった程度ですが、その後小学校等の休校が相次いだようです。当時取られた対応法は、マスクの着用、うがいの励行、室内の換気、患者の隔離が主なもので、これは今回のコロナウイルスに対する呼びかけと全く同じで、今も100年前もあまり変わりがないようです。医療崩壊も当時問題になったようで、これも今と変わりがありません。当時と大きく異なるのは情報の量、人間の栄養状態、重症者に対する治療法と思われます。そのおかげで情報を入手し対応も取りやすいですし、生死の間をさまようような重症化例でも回復することが多いようです。一方で情報が独り歩きして過度な恐怖心や思わぬデマが広がるもとにもなっているようです。

 スペイン風邪が終息に向かったのは3年経過してからのようです。これは世界中で感染が蔓延に、人口の60%程度がインフルエンザに対する抗体を獲得するのにかかった時間と思われます。結局ワクチンはできなかったようです。新型コロナウイルスに効果のあるワクチン開発が進められています。国会答弁等では1年から1年半でワクチンができることを期待しているようです。そうなることを願いますが、過去の事例を見ると最も早くできたウイルスワクチンでも、臨床で使われるようになるには4年間を要しました。今回その期間を大幅に短縮した時間でワクチンが世に出ることを期待するばかりです。

 簡単に収束する気配のない新型コロナウイルスですので、今後どのタイミングで皆が集まって摂心会や参禅会を安全に開催できるのかわかりません。今まで通りの形態での開催は困難なこともありそうです。知恵を出し合ってこうした中での安全な座禅会の開催を模索していかねばなりません。

 53日に報告された東京荻窪支部の参禅会では、老師も学人もマスクを着用し、2m以上離れて参禅が実施されたとのことです。室内の音声が漏れないようにできるなら、参禅時に隠寮の窓を2か所以上開けておくことも必要でしょう。今回の東京荻窪支部では、食事も懇親会も宿泊もなしとのことでしたので、まずは短期間での参禅会から始めていくしかないようです。とてもお元気とはいえ80歳を超えた名誉総裁老師の参禅の際には、学人との間にビニールカーテンを設ける必要があるかもしれません。喘息の御加減が思わしくない際には参禅を中止にするくらいの心配りが必要かと思われます。

 実は私は5月中旬に千葉市医師会の活動でドライブスルーのコロナウイルスPCR検査を担当することになっております。およそ可能な限りの感染予防対策をした上で検査に当たりますが、それでも感染のリスクがゼロではありません。今も房総道場の日曜座禅会への参加を控えていますが、PCR検査担当後2週間は老師のお傍近くに寄ることは控えようと決めています。

 もう一度普段できる感染予防対策の基本を見直してしっかり励行しましょう。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がしっかりやっているので、コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減していると考えられています。外出から戻ったら石鹸で30秒以上かけてしっかり手を洗い、うがい、鼻洗い、洗顔をしましょう。規則正しい生活をし、栄養、睡眠を充分に取りましょう。まめに水分を補給し、適度な運動を続けましょう。摂心会や参禅会がない生活が少なくともあと一ヶ月続きます。こんな時だからこそ24時間を使いこなす主人公となって、一日一日を有意義に大切に使っていきたいものです。(房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:23 | 房総支部 | comments(1) | - |