オウギヤシという植物

  • 2020.02.18 Tuesday
  • 14:00

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オウギヤシ
西岡由利子 <東京上野桜木在 住東京支部の坐禅会員>
インド西ベンガルの冬はけっこう寒いです。とはいえ、4度以下になることはなく、霜が降らないので日本で見られない熱帯植物が色々みられておもしろいです。
このヤシの木はインドの東北部ではどこでも見られるオウギヤシ、ここでは実を食べたり、樹液から砂糖や酒を作ったりします。ベンガルではタール、サンスクリット語ではtaraとよばれています。紙が使われる前は、インドではこの葉でお経を書いていました。葉の表面に鉄筆で文字を刻み、炭を塗り拭き取って文字を残します。葉に横二箇所に穴を開け、紐を通して一枚読んでは向こう側にめくると、散逸しないようになっています。これがインド古来の経の形式Tara pattra(貝多羅、貝葉経)です。
貝葉経は今でも東京上野の法隆寺館で私たち誰もが見ることができます。『梵本心経および尊勝陀羅尼』7世紀初頭頃。インドから中国に渡った僧が梵語で書いた般若心経と陀羅尼経だといわれています。(これは墨で書かれている。)しかしながら、こんな葉っぱが、さらにはるばる日本に運ばれ、千数百年も大切に保存されていることは凄いことです。
2020年、今年の年越しもシアン村で過ごしました。この地は私と主人が学生時代1973年から頻繁に来ている場所です。そろそろ半世紀になります。長かったようで過ぎ去った時は、ほんの一瞬の様にも思えます。

 

 

インド西ベンガル州ビルブム県シアン村にて

 

人間禅擇木道場について

  • 2020.01.30 Thursday
  • 19:41

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人間禅擇木道場について

 人間禅は千葉県市川市に本拠地を置く宗教法人で、会社員、主婦、学生など様々な方々が日常の暮らしの中で道を求め、共に禅を学び自己の修養を深める、社会人のための座禅道場である。全国に36ヶ所の道場があり、擇木道場は人間禅の東京支部として日暮里の谷中に所在する座禅道場である。

 宗教法人「人間禅教団」の源は、明治8年に創設された居士禅の会である「両忘会」にある。居士禅とは、従来僧侶にしか許されていなかった禅門の修行を、職業を持つ社会人に認め、佛法の正脈を伝える事を認めた新しい禅佛法を言う。

 「両忘会」創設の由来は、幕末から明治の剣術家・政治家として知られる山岡鉄舟を初めとする10数名の居士が、国の前途を憂え寺院の伝統の殻を脱却した在家禅の振興によって、有為の人材を養成するために、当時臨済宗円覚寺の管長であった今北洪川禅師を東京に拝請して摂心会を開催し、この集まりを「両忘会」と称したことによるものである。

 「両忘会」の主催者となった山岡鉄舟が出家しようとした時、洪川禅師は「失望せざるを得ない。(仏法の)大なるところを攫んで居られないやうな気がしてならぬ」として反対したが、これは決して出家を否定したから出家を止めたのではないと考えられる。

 出家とは自分を徹底無にすることが条件である。姿形を無くし法そのものになることである。空である。しかし娑婆は色である。職業や立場など具体的な姿形を通じて救済の働きを成さねばならぬ。

 洪川禅師は、伝法嗣法は出家が命がけでやるから、君はそちら側で働くべきである。君は特別な働きができるのだから。君という形はふたつとないのだから。形を無くしてはいけない。在家のまま働いて、多くの人を彼岸に渡してほしい。このように言われたのではないだろうか。

 結果として山岡鉄舟は出家せずに「両忘会」を続けていたが、その「両忘会」も何時とはなしに中絶してしまった。

 明治34年に、当時鎌倉円覚寺において参禅していた居士らが、時の管長釈宗演老師のもとに、「居士会」を創設したいため、釈宗演老師の戸籍上の息子である釈宗活老師を東京に拝請したい旨を申し出た。釈宗演老師はこれを許可し、その会に一時中絶していた「両忘会」という名称を与え、ここに「両忘会」が再興されることとなった。

 釈宗演老師は慶応に学んで洋学や英語を学んだり、セイロンに留学したり、日本全国のみならず世界へと行脚し、欧米に初めて「ZEN」を伝えた老師として知られている。

 一方、釈宗活老師は、医者であった父親に才を見込まれて英才教育を受けたが、臨終の母の「富貴栄達を望まず、正しき教えに就いて自分の心を磨いて名珠の如き人間になれ」との遺言を守り、20歳の時今北洪川禅師に入門、洪川禅師帰寂後は釈宗演老師に参禅して厳しい修行をし、29歳の時出家した。そして、明治34年、32歳の時に釈宗演老師に両忘庵の庵号を授与され、その命により「両忘会」を再興したのである。明治38年頃には若き日の平塚らいてうも日暮里の両忘会の道場で座禅をしていたそうである。

 釈宗活老師は明治39年に渡米し、サンフランシスコに北米両忘会を開設した。その後、北米両忘会はニューヨークに移り合衆国の公認を得て、昭和20年まで会は存続し、老師も何度か渡米したとのことである。

 そしてついに大正4年、医科機械商を経営し、禅の修行もしていた田中大鋼居士が日暮里の谷中に「擇木道場」を建設し、両忘会を主催していた釈宗活老師に寄進したのである。ここで、「擇木(たくぼく)」とは「良禽(りょうきん)は木を擇(えら)ぶ」という中国古典 「左伝」の中から採られ、修行者が正しい師家を求めて参禅弁道すると言う意味である。

 大正14年には、認可に伴い「財団法人両忘協会」が設立され、立田英山老師が第一回理事に就任した。両忘協会は、昭和15年には宗教団体法施行により「両忘禅協会」に変更された。

 立田英山老師は、明治26年生まれで、大正5年に東京帝国大学在学中に釈宗活老師に入門。大正8年に東京帝国大学を卒業し、大正10年に中央大学予科、自然科学の教授に就任した。大正12年、30歳の時に「耕雲庵」の庵号を授与され、昭和3年、35歳で師家分上となり、両忘会最初の居士身のままでの法嗣が誕生した。出家しなければ本格の修行ができず、妻を離縁せざるを得なかった今北洪川禅師の時代から、出家が在家を嗣法者にした時代が来たのである。

 釈宗活老師が立田英山老師を法嗣とした決断の背景には、出家か在家かの区別以前に、只々真の求法者でありたい、という願いがあったのではなかろうか。その真剣さが出家か在家かという区別を乗り越え、「二者択一」から「不二」へと飛躍したのだと思う。

 昭和4年、中央大学に座禅の会である「五葉会」が結成され、これが機縁になって各大学に座禅の会が結成された。

 昭和11年には、千葉県市川市に現在の人間禅本部道場が建設された。本部道場は今も当時の面影を十分留めており、会員の手で大事に守られている。

 この後、戦中戦後の時代が来るが、混乱の中の巡錫は困難を極めたという。例えば立田英山老師が北海道の摂心会に巡錫の際には、身動きできない混雑の中で汽車に揺られ、海を渡るには蟹工船にまで乗ったということだった。

 昭和22年、突如「両忘禅協会」は釈宗活老師によって閉鎖された。

 理由は明らかにされていない。この時のことを立田英山老師は、「私の20数年に亘る宗教生活の基盤が足元から崩れ、途方に暮れてしまいました、ただわずかに自利利他の素願の達成はあらゆることに優先し、誰人といえどもこの志だけは奪えないという信念と、志を同じゅうする少数の道友に励まされて」翌年ただちに「人間禅教団」を発足させたと振り返っている。

 昭和24年、立田英山老師は人間禅を設立し、その初代総裁に就任した。その「立教の主旨」には、従来の「伝法のための伝法」ではなく、「布教のための伝法、世界楽土の建設のための立教」であることが明記された。人間禅の精神としては、人間味が豊かなこと、各自の個性を重んずること、神秘性を説かないことが挙げられた。科学者らしい合理を重んじた明快な宗教観と言えるであろう。

 釈宗活老師は両忘禅協会閉鎖の理由を語らなかったが、老師自身が幕を引いたことで、出家のしの字もきれいに無くなり、伝統的な寺や僧や歴史的なしがらみがもたらす全てが払拭され、「在家の、在家による、在家のための僧伽」が誕生した。

 換骨奪胎されて残ったもの、そこに永遠にあるもの、それは釈尊の悟りであり、仏法そのものである。純粋に真っすぐに自己に向かう努力を惜しまず、やがて人々と共に彼岸に渡る、その誓願である。娑婆に生きる者自らが任に就き働く道がここにある。釈尊の神髄は天地を窮め、人間禅という在家禅の存在そのものの中にも生きているのである。

 その後、擇木道場は建物が老朽化したため、多くの関係者による寄付金によって、昭和63年に第一期改築工事、平成4年に第二期改築工事が完了して現在に至っている。擇木道場は人間禅の東京支部として、支部員をはじめ、禅を志す人々が日々、修行に精進している。

 

人間禅擇木道場

 

擇木道場の禅堂

 

参考文献

「擇木道場創建100周年記念 蒼龍窟今北洪川禅師から山岡鉄舟への手紙」 平成28年2月14日発行 著者:慧日庵笠倉玉溪 発行所:宗教法人 人間禅 擇木道場

 

「宗教法人 人間禅教団30年史」 昭和53年5月5日発行 発行者:人間禅教団30年史 編纂委員会 発行所:宗教法人 人間禅教団

 

合掌 風印 拝

 

深い河

  • 2020.01.20 Monday
  • 00:29

 遠藤周作の遺作である。クリスチャンで有名な著者であるが、東洋的な汎神論的な色彩を出している。

 突然、それまでの人生に疑問が生じた登場人物がなぜかインド・ガンジス川へのツアーに参加する。

  会社人間、磯辺は、仕事や業績が全てだと思ってきた。自分が先に死ぬと思っていたら、妻が先立ってしまった。そこで気付く。「生活と人生とは異なるのだ」と。生活のために交わった人は大勢いたが、人生の中で本当にふれあったのは妻と母しかいなかった。数えきれないほどの男女があるのに、人生の同伴者となった縁。それは偶然の出会いではあったが、ずっと以前からの流れの中の必然のようにも思えた。

  沼田は、幼少期を満州大連で過ごす。沼田の唯一の話し相手が捨て犬の「クロ」だった。クロだけが沼田の悲しみを理解した。彼は命あるもの全てとの結びつきに惹かれ、童話作家となる。彼の童話の中では全ての生き物が通じ合っていた。昔の結核が元で沼田は長い闘病生活を送る。そこで彼が本当に対話をしたのは九官鳥だった。一か八かの大手術で生き延びるが、その九官鳥が身代わりに死ぬ。沼田はガンジス河でなら九官鳥に会える気がした。

  事業家木口は、戦時中インパール作戦で死にかける。救ってくれたのは戦友塚田。戦後、二人の死んだ戦友南川の遺族が塚田を訪ねてくる。それから塚田は肝臓が破壊されるまで酒に頼る。実は、彼は木口と生き延びるため、南川の死肉を食べていたのだ。恩人塚田は苦しんで死んだ。木口を救うために人の肉を食べたこと、その罪の意識に勝てなかった。木口の足は再びインドを目指した。

  成瀬美津子は、地方の裕福な家の娘で美貌の持ち主。四谷近くの都心の大学に都心のマンションから通う。男友達にも不自由しなかったが、見合いで有名建築業者の息子と結婚する。ゴルフと車に夢中の堅実な実業家だったが、世間的に真っ当な日々に心が納得せず離婚する。自分はなぜ空虚なのか。世間的には満たされたかに見える人生の中で、人を愛せない自分に物足らなさを思う。大学時代弄んだ同級生大津の噂に足はガンジス川に向かう。 

インドのバナラシは、ガンジス川の聖なる地。沐浴のために多くの人々が訪れ、死ぬために多くの人が来る。死の灰の中で身体を清め、生も死もどんな人生も引き受けてくれる。その象徴が女神チャームンダ像。人々の苦しんできたすべての病気に罹り、コブラやサソリの毒にも耐える。それなのに、喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人に与えている。

  美津子の同級生大津は、権勢家の一族に生まれながら、世俗に興味がない。ただ、母の影響で神と共に生きていることを実感しながら育ってきた。美津子に舞い上がり、幸せな結婚を夢見るが、捨てられる。再び神を実感する彼はフランスに渡り神父を目指す。ところが、彼の神は「はたらき」であり、どこにでも、いつでも傍にいる。そんな考えが汎神論だとして、異端扱いされ、神父になれず、このバナラシで、金のないアウトカーストの死骸運びをしていた。

 そこに美津子たちの日本人ツアー一行がやってくる。その一人の傲慢な振る舞いは、地元民の怒りを買う。逃げ惑う日本人観光客に代わって、大津は地元民からの暴行を引き受ける。そして、あの世へ行こうとしている。もう休みなさいと神から召されるのかのように。

  一方、磯辺、沼田、木口、美津子は、全てを包み込むガンジスの流れに接し、これまでの流される生活ではない、生きる日々を思い出したかのように帰路に就く。

  「酔生夢死」という言葉がある。酔っぱらったように生きて、夢見心地に死んでいく、という意味でもないらしい。

  出典には、「高才明智といえども、見聞に膠するは、酔生夢死して、自ら覚らざるなり」

とある。*膠する(こうする):こだわる

  まじめに授業を受け、多くの読書を重ねるだけでは、いくら才能があっても、本当の人生は味わえませんよとのことらしい。

 我々は、この文明の中で、その文法、作法を所与のものとして理解し、それを絶対として学んで生きて行く。

  ところが、何かのきっかけで、大きな人生の問題にぶつかった時、理屈では超えられないものに気付く。

 ガンジス川に身を浸すことで全てが包み込まれる体験を自覚した成瀬美津子の姿を、我々への一つの答えとして遠藤周作は「深い河」で示したのかもしれない。

 

日峰

ちょっと禅的な自由詩

  • 2020.01.19 Sunday
  • 20:12

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何かを書こうにも、言葉はあっという間に色あせて、私は押し黙る。
あんなに強く思っていたのに、今日は何も感じない。

 

私の心は何処へ行ってしまったのか?
私の身体は昨日と同じようにここに在る筈なのに。

 

心の裏切りに、肉体から涙がこぼれ出る。

 

私がない。
その深淵に灰色の虚空を見る。私は宇宙の粒になって漂い、彷徨う。
私を捕まえてと、叫びながら。

 

                       香春

個人が先か、経験が先か?

  • 2020.01.19 Sunday
  • 19:51

 

西田幾多郎が言った、

「個人あって経験あるにあらず、

経験あって個人あるのである」(「善の研究」)

????

 

「自分」が花を見たり、

鳥の声を聞いたり、

していると思っているが、

 

「個人」が花を見ているのではない

眼で花を見た

耳で鳥の声を聞いた

との認識が発生した後に個人が発生するそうな

 

この自分という個人は、

一瞬、一瞬、違った内容として

発生し続けている感覚に過ぎない

決して個人というような確固不動な実体はない

個人は瞬間・瞬間消滅している無数の感覚の流れ

いつも現在進行形の現象ということらしい

 

頬をさすると、確かに個体としての「自分」があるように思うが

しかしこれは「肉の固まり」に過ぎない

 

木や石と違って人間には「意識」がある

意識は鳥の声とか、花の色が、

感覚器官に入ってくる瞬間に起こる

 

すなわち、個人とは、

肉の固まりと感覚器官を通して入ってくる経験によって

成立している幻覚らしい

 

ならば、

我々の眼や耳などを使って

見たり、聞いたりさせているものがあるのだろう

 

道元禅師は

「本来の面目」と題した歌で、

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」

と歌っているけれど

 

日峰

父の死

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 04:15

父が息を引き取った

肌の色や表情には何の変化も見られないが

ピクリとも動かず

恐らく意識もない

コンセントの外れた電化製品のようだ

 

生命エネルギーが注入されなくとも

この身体も

やがて因果の流れにより

宇宙の中に同化してゆくのだろう

 

一方、今も

生命エネルギーが注入されている

私の身体も因果の流れの中にある

 

生命エネルギーは

この眼や耳などの五官を使い

意識を生じさせ

私(?)をどのように動かそうとしているのだろう

 

それは心耳を澄ますしかない

この世に存在するものの

あらゆる動きの兆候を感じ

この世に存在するものの一つとして

あらゆる動きと一つになって流れて行く

 

この身体に繋がれた

コンセントの先に何があるのかはわからないが

注入されている

生命エネルギーを濁すことなく

一瞬一瞬を宇宙に投入する

 

その精進の先に生死を超えた何かを

見出せるかも

 

日峰

世間の中で生きる

  • 2020.01.10 Friday
  • 12:25

 小さい頃から、いつも世間が念頭にあった。人様に迷惑が掛からないように、みっともないことをしないように、と言い聞かされる。

 この世間意識が我々の行為の規範として作用する。

 その世間を構成している人々はどのような人達なのか。

 表面的には体裁よく友好的に振舞っていても、陰に回ると陰口を叩くような人々が想定されている。だから気をつけろと。世の中は、まことに息苦しく醜悪なものだと脅される。

 自分は違うけれども、世の中がそうだから気をつけなければと、保身と自利に走り、適者生存の原理の中で生き延びることが至上命題になる。そうすると、気付かないうちに、自分も世間を構成していると想定されている通りの人間になっていく。

 ハイデガーは、それを「世人」と呼んだ。

 自分らしさは失われ、誰もが、世間の様子を窺いながら、落伍しないようにと、大衆の中に紛れ込んで生きて行く。

 自分の生き方の道などを考えようとしない在り方を、ハイデガーは「世人」の「頽落」と呼んだ。

 しかし、我々は、どこかで気付いている。

 人は死ぬのである。生まれるときも、頼んだわけでもないのに、この世の中に放り込まれたが、死ぬ時も、突然、この世から連れ去られる。

 そこで思う。世間体に縛られて、ビクビクしながら死んでしまって良いのかと。

 ところが、人は、他のものから切り離された、それ自身だけの独立存在ではあり得ないことはヘーゲルの指摘する通りである。

 いかなる出来事も、理由なくしては生ぜず、それ相当の必然性をもって出現している。過去を悔い、未来に期待しながらも、今を行動することしかできない我々に対して、物事は成るべくして成り、その現実は抗いがたい重みを持つのである。

 それをいたずらに嘆いていても仕方がない。

 であれば、世間の中で、未来の理想を直観し、その理想から逆算される現在の努力を、今実践するしかないことを受け入れる。その理想は恐らく実現しないけれども、日々刻々と未来の理想を修正しつつ、一歩一歩、今できることを行うことが生きることであると得心しなければならないだろう。

 であれば、世間という崖の下で、いつ押しつぶされるかと、ビクビクしながら生きて行くのではなく、世間という崖の存在を認めながらも、崖の下にいる自分という肉体にへばり付いた心を崖の上から見下ろしながら、崖の下で自由に舞い踊らせる本当の自分を育てていく精進こそが生きるということかもしれない。

                                         日峰

客観的な世界なんてあるのかな?

  • 2020.01.07 Tuesday
  • 22:52

風に揺れる旗を見て議論していた

旗が動いているのだ、

いや、風が動いているのだ、と。

そこに

どちらでもない

自分の心が動いているのだ、と。

その人が達磨大師の流れを継ぐ

六祖慧能だといわれている

我々は、自分が居なくても

客観的に旗が風に揺れていると思いがちだ

だが待てよ、旗には揺れているという認識はないだろう

 

人が揺れている旗を認識して初めて意味が出る

しかも

自分が見ようとして旗が動くのを見たのではないだろう

眼に動く旗が映じ、

それを風に揺れる旗だと認識して

初めて気づくのだ

認識している自分に

 

動く旗を認識したのは自分の意識ではない

自分の眼に動く旗を映じさせ

風に揺れているのだろうと思わせているのは

この自分の心や身体ではない

 

この不思議な力に気付くことが出発点

 

空気を動かし風にしているエネルギー

旗を形作り揺れているエネルギー

我々の心と身体を動かしているエネルギー

 

全て同じエネルギーだろう

 

このエネルギーが単なる塊に過ぎなかった地球に

緑を生まれさせ

生物を生まれさせ

その過程で人間が生じ

どんどん進化させている

 

風を起こし

旗を動かし

動く旗を認識する

 

全て、このエネルギーの為せる業だ

このエネルギーが宇宙を進化させているのならば

このエネルギーに任せよう

 

自分の外に大きな客観的な世界が存在し

後から小さな自分が生まれ

あっという間に死んでいく

そういう考えは錯覚だ

 

自分が認識して初めて世界は意味を持つ

ただ、自分が自発的に認識したのではない

我々の眼や心を使って認識したのも

このエネルギーなのである

 

この大いなるエネルギーの立場から

自分の心や身体眺めてみる

このエネルギーの流れを邪魔しないように

心や身体を使っていく

 

ここに創造的な人生が生まれるのだろう

 

日峰

 

 

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