「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その1
房総支部 仲野嶢山
第182回房総支部摂心会において師命により法話をさせていただきました。葆光庵老師から人間禅ホームページにも投稿するよう勧められましたので、4回に分けて投稿させていただきます。
(1) はじめに
人生100年時代を迎えるにあたり、健康上の問題がなく日常生活を送ることができる健康寿命を延ばすことが重要です。高齢期に要介護となる原因の多くは、青年期、壮年期からの生活習慣によって予防できます。世の中には健康に良いとされる習慣が多数あります。
一方座禅道場に来る動機の一つに、心身ともに健康になりより良く生きたいという願望があります。生きていく上での先人の智慧を紐解き、世にある健康法を吟味し、その中でも禅道場における生活が如何に健康的であるかを示し、最後に新型コロナウイルス感染拡大の中、如何にすべきかに関してまとめます。
(2)生きていく上での先人の智慧
人間禅の会員の平均年齢はおそらく65歳ぐらいと思われます。65歳の日本人の平均余命(あと何年生きることができるか)は、現在男性19.6年、女性24.4年です。そういう意味で人間禅の現会員男性は平均であと20年、女性は25年修行を続けることができます。
中世以降生きる智慧にまつわる記載は数多く、特に健康に関する人々の興味は強かったようです。私が興味を持った記述を順次取り上げてみます。
徒然草(吉田兼好 1283〜1350) 第155段の抜粋です。
生・老・病・死の移り来る事、また、四季の変化に過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひかた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
生まれて、老いて、病にかかり、死んでいくことは、また四季の変化より勝って早いのです。四季には春夏秋冬という決まった順序があります。しかし死期は順序を待ちません。死は必ずしも前からやってくるわけではなく、背後から不意に近づいてくるのです。人々は皆死があることを知っていますが、死がそんなにも差し迫ってはいないと思っているときに、思いがけなくやってきます。それは沖の干潟は遠く離れていると安心していると、足もとの磯から急に潮が一気に満ちるようなものなのです。
ここでは、自然現象のうちに見られる変化の相が、同じく人間の生のうちにも見られ、刻々移り行く生の中に常に死がきざしていて、それが思いがけなく突然にやってくると説いています。
ここで思い出されるのは緝熙庵老禅子が折に触れおっしゃっていた「今日は死ぬ日ぞ。」という言葉です。朝起きたら「今日は死ぬ日ぞ。」と心に定め、今日一日を大切に生きるという意味です。こうした気持ちを常に持って、一時も無駄にしないようにせねばなりません。
論語(孔子 BC552〜479)にある「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」という言葉も同じ意味を含んでいると思います。特に摂心会中は朝起きたら「今日は死ぬ日ぞ。」と覚悟を決めて一つ一つの動作を命懸けで遂行したいものです。
時代は多少前後しますが、雲門大師(864〜949)の「日々是好日」は禅的な生活実践の極みと思います。200則の公案の中にもありますので詳しくは触れませんが、今日一日、今一瞬を大事にしなさい。明日という日、次の一瞬があるとは限らない人生にあって、今を生き切るということの大切さを説いていると思われます。
親鸞上人(1173〜1263)が得度を願い出た際に詠んだ歌「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かんともかな」にも同じ意味合いがあり、この一瞬を大切にする、一瞬にかける思いが強く表れています。
日本に臨在禅を伝えたに栄西禅師(1141〜1215)が著した「興禅護国論」に「心身一如」という語があります。「心は身の主なり。静かにして安からしむべし。」という意味に捉えられています。
当時中国に留学して禅を学んだ仏教僧達が、漢方医学を日本にもたらすようになりました。栄西は臨済禅を布教するとともに、鎌倉幕府第3代将軍の源実朝を治療したことが「吾妻鏡」に明記されています。栄西は茶の種を日本に持ち帰り、「喫茶養生記」を書いて薬として広めてもいます。お茶はそれこそ万病の薬であったと思われます。そう思うと朝の一服の抹茶、大海を飲み干すように、そして体の隅々にまでその滋養が行き渡るように頂きたいものです。
道元禅師(1200〜1253)の『正法眼蔵』の一説です。
「この一日の身命は、たふとぶべき身命なり。(中略)一日をいたずらにつかふことなかれ。この一日はをしむべき重宝(ちょうほう)なり。(中略)一日百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたゝびうることなからん。」
今ここに生を受け、生きさせていただいているという確証をもって、その日暮らしをしたいものです。
親鸞上人の「教行信証」の化身土巻の中には
「さきに生ぜんものは、のちをみちびき、のちに生ぜんものは、さきをとぶらひ、連続無窮にしてねがはくは休止(ぐし)せざらしめんと欲す。」
とあります。何事も連綿と継続していくことの大切さを強調しています。親が子に教えること、先輩が後輩に教えること、老師が弟子に法を伝えることすべてに通じることと思います。人間禅の立教の主旨の第2段では仏祖の慧命を永遠に進展せしめるとあり、ただ単に伝えるだけではだめで、永遠に繋げるためには一歩一歩進めていく必要性を明言しています。
もう少し具体的な健康にまつわる話に触れていきます。貝原益軒は江戸時代の医学に通じた儒学者で「養生訓」を著して幾つかの有益な点を指摘しています。医療を生業とする人間禅者としての私なりに貝原益軒の言葉について考察をしてみたいと思います。
江戸時代中期(元禄期)に出版された大衆衛生書「養生訓」は健康管理の処世術をまとめたものです。益軒は生来からだが虚弱体質であったため、健康に留意し養生を心がけ実践しました。養生訓に書かれている内容は、養生法を身につけ健康を維持するための取り組みについてです。
養生訓の中で、人間は心身一体の動物であるから、心の平安を保つことが基軸となる。それには体を動かし循環させ、全身に栄養が行くように整えることである。体の隅々にまで気を循環させる養生法が大切で、体を養うことと同時に心を養うことが重要であるとしています。房総支部の初代の師家であられた磨甎庵老師は、幼少時代から体が弱く学生時代に患った結核ではそれこそ命を落としかねない状況だったと伺っています。それだからこそ自分お体に謙虚に向き合い、用心には用心を重ねて93歳の天寿を全うされました。食事の量、お酒の量、運動、睡眠を厳しく律して、それでいてごく自然に理想的な生活を実践されていました。人として生きる見本を終生我々にお見せいただきました。
養生訓の中の言葉をいくつか紹介いたします。
「病なくして安楽なる時に、初病に苦しめる時を常に思ひ出して、
わするべからず。無病の時慎ありて、恣ならざれば病生ぜず。」
無病の時こそ病を思えということで、病がなく安楽なときに、病気で苦しんだ日を思い起こし、忘れるなよ。そして無病な時に、節度ある生活をし、好き勝手しなければ病は生まれない。病気のことを常に頭の片隅に置いて、好き放題のことをしなければ病気にならない。病気が起こってから、良薬を飲んだり、鍼灸をしたりするよりずっと良い。
「病ある日のくるしみを常に思ひやりて、風寒暑湿の外邪をふせぎ、酒食好色の内欲を節にし、身體の起臥動静を慎めば病なし。」
無病の時にこそ、病の苦しみを思い巡らし、風・寒・暑・湿の外邪を防ぎ、飲食・飲酒や好色の内欲を自制し、寝起きなど日常生活を慎めば病気にならない。治療も大切だが、何よりも病気の予防が一番としています。
益軒の時代、現在と比べるとかなり質素なきわめてつつましい生活であったと思われますが、養生法を守って現在以上に心豊かな生き方・暮らし方をしていたように思われます。土地にあった食べ物を「腹八分目」食べ、生活するのに養生を旨として、元気に楽しく暮らしていました。
「病は少しく癒ゆるに加わる」
病気が少し良くなったときに用心して隙を見せないと早く治って再発しない。病気が快復に向っている時期に、完全に快復するまで辛抱せよ。
「自然に治る病気が多い。」
むやみに薬を使うと病気を重くし、食欲をなくし、長く治らないことも多い。大した理由もなく薬を使うと反対に体のバランスを崩し害になることもある。どのような薬にも薬効と同時に副作用もあるのだから慎重に用いる。
禅林句集にある「薬病相(やくへいあい)治(じす)」は更にその上を行きます。病気が癒えて来たら病気に使った薬の影響もすっかり取り除きなさい。そこまで徹底することが必要です。
小倉温故居士の「自然治癒力を生かせ。」も味わいのある言葉です。温故居士は房総支部の古い会員で、磨甎庵老師に玄米食を薦めた方です。不治の病を玄米と豆を食し、徹底的に運動療法をすることで驚異的な回復に導いた漢方医でした。人間禅の会員にそうした方がいらしたことを心に留めておくべきです。
禅の世界では白隠禅師の有名な健康法「軟その法」がありますが、これは長くなりますのでまた別の機会に勉強したいと思います。
釈迦が生まれたインドにも素晴らしい健康法があります。インドの伝統的医学「アーユルヴェーダ」、生命の化学、寿命の化学とも訳されます。それにはインド人の暮らしに学ぶ健康術が多数載っています。
「自分の体の変化に敏感であること」がインド人の健康を守る秘訣です。そして与えられた寿命の最後の日まで、明るく輝いて暮らすための養生の知識や生活術に溢れています。
体がバランスよく働いていると健康な状態であり、バランスが崩れた時に体の不快な症状が現れる。バランスを保つために食生活の改善やマッサージ、ヨガを取り入れる。だからこそ自分の体と向き合い、体質を認識し、日々変化する心身の状態を自覚して、些細な変化に気づくことが大切である。これがインドに伝わる予防医学での根本です。
山岡鉄舟居士も自分の心身に極めて敏感な方であったように思います。自分の腹部にできたしこりを胃にできたしこりとして「胃凝り」として愛でたとされています。それが癌であると認識できなくとも病気だと百も承知と思われます。自分の体の中にできた異変を受け入れ、それが徐々に増大する様子を観察し、ついに腹部全体を覆うようになり死期を察して皇居に向かって座禅してそのまま座死したとのことです。人間禅の発足当初の先人にこのような境涯の方がいらしたことは我々の模範とすることです。
紹介した先人たちの生きる智慧は現在、姿・形を変えて、現在の私たちの生活に根付いていると思われます。 続く
房総支部