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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
ヒマラヤへ行ってきた(続4;最終回)

ヒマラヤへ行ってきた(続4;最終回)


  カトマンズの街角で
 私は首都カトマンズを離れ、ガイドさんと妻と一緒にヒマラヤの小径を歩いていた。
 小さな村を通りかかったところ何人かの子供たちに囲まれた。日本でいえば小学校高学年くらいだろうか。ノートを見せながらスクール、スクールと言っている。
 ガイドさんがにやにやしながら内容を教えてくれた。要はこの村に学校を建てたいので寄付をしてほしいということだった。彼らの服はボロボロ、寒くても素足にビーチサンダル。学校なら少しは寄付をしてもいいかなと思った。
 そこでガイドさん曰く。もう何十年も同じことをやっているのですよ。学校なんていくら待っても建ちませんよ。
 子供たちは、観光客にいいことを言って小遣い稼ぎをしているのだった。
 ウーン。ここは騙されても、寄付(?)をしておくか。私はポケットにあった小銭を差し出した。
 再びカトマンズに戻って、帰りのお土産を買っていた。ネパールで物を買うときは値切るのが当たり前。この時はヤクの毛でできた手袋を買おうとしていた。700円が500円になった。さらに値切ろうとすると店主が突然怒り出した。
 「あんたたち日本人は金持ちじゃないか。この手袋一つ作るのに、田舎のおばちゃんが何時間かけていると思っているんだ。そのことを思い出してくれ。もう100円値切ってどうするんだ」
 言葉に押されて言い値で買った。日本で買ったら、3000円〜5000円する手袋だ。
 店主は私の後姿を見て舌を出しているかもしれない。でもこれもまたよしとしよう。
 40年振りのネパールでその発展に目を奪われる一方、根底にはまだすさまじい貧困が横たわっていた。

 

 

 チベットから亡命してきたオバチャンと。

チベットから亡命してきたオバチャンと
 顔のしわに苦労が刻み込まれているようだった。ダライラマもそうだが、チベットからの亡命者は世界中にいる。


 ネパールで最大のヒンドゥー教寺院の敷地の中。

ネパールで最大のヒンドゥー教寺院の敷地の中
 火葬場が川に突き出るように並んでいる。
 煙が出ているところは火葬中。火葬して残った灰は川に流され、やがてはガンジス川に注がれる。


 街を歩くヒンドゥー教のサドゥー(修行者)。

街を歩くヒンドゥー教のサドゥー(修行者)
 写真を撮った後、お金をせびられた。
 観光客相手のインチキサドゥーでした。本物はこんなところにはいない。


 世界遺産のパタン。

世界遺産のパタン
 大小の寺院が並んでいる。寺院の柱にはちょっと言えない、写真ではもっと載せられない彫刻が刻まれている。


 ネパールでは最大の高さ36メートルの仏塔、ボダナート。

ネパールでは最大の高さ36メートルの仏塔、ボダナート
 チベット仏教を信仰している人は、この周りを時計回りに回っている。上方には四方を見渡すブッダの目が描かれている。


 またしても奇跡的な出会いがあった。
 ボダナートの近くで道に迷ってしまい、軽い気持ちでチベット僧に道を尋ねた。
 「僕も日本の仏教徒ですが、寺院を見てみたい」と言うと、「ああそれならあの角を曲がったところに私の寺院があります。もうすぐ法要が始まるので行ってみたらいいですよ。入れてくれるかもしれないですよ」と言われびっくり仰天。
 好奇心旺盛の僕はさっそく行ってみた。
 チベット寺院の中に入ると「そこに座って見ていていいですよ」と言われた。

チベット寺院の中

 見るというよりも聞くが正しい。鐘や太鼓、シンバルや長い角笛のようなものが一体となって曲(?)を奏でていて、これに合わせて声明が唱えられる。不謹慎だが前衛ジャズのようだ。静寂の禅とは両極端だ。機会があれば皆さんもどうぞ。You Tubeでチベット仏教と打つと聞けます。


 これで「ヒマラヤへ行ってきた」シリーズを終わります。
 摂心後の懇親会でこれらの話をしたところ、老師に文章にして残しておくようにとのお言葉を頂き書いたものです。どうぞ最初からお読みください。

 合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)

 

「ヒマラヤへ行ってきた」シリーズ

 ヒマラヤへ行ってきた

 ヒマラヤへ行ってきた(続1)

 ヒマラヤへ行ってきた(続2)

 ヒマラヤへ行ってきた(続3)

 ヒマラヤへ行ってきた(続4;最終回)

posted by ただいま禅の修行中 | 17:08 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
ヒマラヤへ行ってきた(続3)

ヒマラヤへ行ってきた(続3)

 ルーカスとはポカラのホテルで待ち合わせた。しばらくの間は今朝見たヒマラヤのことを話したり、仕事の話などを話したりしていたが、だんだん坐禅の話になっていった。
 聞けば彼の父親も坐禅に傾倒していて、なんと自分の家の裏庭に小さな道場を建て、多くの人に禅を紹介しているそうだ。親子そろって本当に熱心だ。
 彼がヒマラヤで、典座教訓や正法眼蔵のことを持ち出したことで分かるように、彼らがやっているのは曹洞宗の修行だ。

 

しばらく話をしていたら、ルーカスが、まじめな顔をして言ってきた。
 「義存さん、あなたはマスターですか?」
 「何言ってるの?僕のことをからかってるの?」
 「そうじゃないですよ。だってあなたの言うことは、僕のマスターが言っていることと同じですよ」
 「浅い深いはあるけど同じ禅について話しているのだから同じに決まっている。真理が二つも三つもあるわけないでしょう」
 「なーるほど」
 「僕はただ坐禅について今まで学んだことを言っているだけだよ。でもまあ、坐禅の基礎や目指すところは、臨済宗でも曹洞宗でも同じだからそう聞こえたのかもしれない。僕とマスターでは雲泥の差があって、僕の手が届くところにマスターはいない。マスターは公案の修行が終わってさらに修行を続け(聖胎長養なんて訳せない)マスターの、マスターが許可して初めて指導ができる本当のマスターになるんだ。僕はティーチャーではあるけど、それも一番レベルの低いティーチャーなんだよ。だからこれ以上難しいことは話せない」
 僕が永くその会員である「禅と茶の集い」ではもう40年も毎年禅入門講座をやっているが、そのたびに緝煕庵老禅子の入門者向けの禅の話を聞いてきた。同じく「禅と茶の集い」の輪読で、ちょうど「禅マインドビギナーズ・マインド」を読んでいたので、それがたまたま役に立ったのだろう。
 どういう修行をしているのかと聞かれたので、一日一炷香と公案(koanは世界的な単語になっている)の修行をしていると答えた。
 彼はそんなに少ししか坐禅してないのですかと聞いてきた。ウーム、まいった。

 

 「ところで、公案とはどういうものなのですか」
 難しい問題を投げかけられた。
 やっぱりここは「本来の面目」かなあと思って、ちょっと話し始めた(ようと思った)が、5秒くらいで僕の英語力では無理だということが分かった。僕より英語ができる妻に「ちょっと訳してみてよ」と言ってみたが、「英語ができるからって訳せるわけじゃないでしょ。日本語の意味だって分からないんだから」と言われた。そりゃそうだ。
 だいたい「本来の面目」の訳し方が分からない。帰国して調べたら、Original Aspect だった。その後、パラパラとGasenshuを見たがこの本は本当に格調が高い。
 後で思ったことだが、下手に訳さなくてよかった。変な誤解を与えることもあるし、もし見解が出たとしても、それを見てくれる師家がいない。ルーカスがずっとそれが正しいかどうかが分からないまま過ごすのは、返ってつらいかもしれない。
 正脈の師家について修行できるというのはとても有難いことだと改めて思った。普段は、この有難さを自覚していない自分が恥ずかしい。コロンビアでは公案の修行はできないのだ。
 臨済の修行の難しさはここにあるという気がした。アメリカで師家について修行しているというのは見たことがあるが、ほかの国ではどうなのだろう。
 ルーカスに対して黙っているのも恥ずかしいので、大燈国師の『まくわ瓜の話』をした。最後の一段まで話した瞬間、二人で大笑いした。彼は十分わかっている。ちなみに妻は、きょとんとした顔をしていた。

 

 ここで彼の師(マスター)の話になった。
 とにかくルーカスは熱心に修行しているのだが、彼は誰をマスターとして修行しているのだろう。
 聞くと彼のマスターはフランス人で数年前にコロンビアに単身でやって来たそうだ、どうやって布教をしたのかと聞いてみたらこれがすごい。
 最初の2年間は、ひたすら坐っていたという。2年くらいたった後、はじめは相手にしていなかった近所の人が、少しずつ食べ物を持ってきてくれるようになった。
 その後彼のうわさを聞きつける人が来て、徐々に人が増え始め、道場ができたそうだ。今ではコロンビアには道場が二つあるという。これじゃあ、達磨大師と同じじゃないか。
 磨甎庵老師がご提唱の時におっしゃられた言葉が脳裏をよぎった。
 「本物の修行をすることが最大の布教だ。本物の修行をしていれば必ず本物を求める者がやってくる」。でも、これは難中の難だ。
 ルーカスはこのことを思い出させてくれた。
 ただひたすら坐り続けるという布教と(これを布教というのか?)SNSを使った布教とどちらがいいか僕には判断できなない。
 道場に来たみんなが坐禅を続けているかどうかを聞いてみたが、答えはどこも同じ、大体の人が続かないということだった。
 さらにマスターのことを聞くと、彼は、弟子丸泰仙の孫弟子でずっとフランスで修行してきたという。フランスには20以上の弟子丸泰仙門下の道場があり、ヨーロッパ全体ではもっと多いそうだ。何年も修行した後、彼のマスターがこれならもう大丈夫だということになると、布教して来いと、独りでどこかの国に派遣されるという。もちろん完全な出家主義だ。
 今朝はヒマラヤを見て言葉が出なかったが、またもや言葉を失った。
 卑近な言い方だが、「やってるやつはやってるなあ」というのが僕の感想だ。
 日本でも、人知れずどこかで徹底的に坐っている人がいるだろうか
 ルーカスが時計を見て、慌てて「ごめんなさい、これからオーストラリア人と会う約束していたので行かなくちゃ」と言ったので名残惜しいが彼と別れることになった。もう4時間が経っていた。
 彼はこの後イスタンブールへ行くそうだ。

 

 彼と別れて改めて思った。ここは道場じゃない。ネパールの大衆レストランだ。よくもまあこんな話をしたもんだ。改めて縁の不思議さを思った。
 彼とはもうフェイスブックで友達になっていたし、メッセンジャーでもつながっていたので、お互いに帰国した後も時々連絡を取り合っている。
 彼は相変わらず世界中を旅しながら、そこで坐禅をしている。
 日本に来たら、ぜひ人間禅を訪ねてきてくださいね。

  合掌  鈴木義存  三拝  (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 21:41 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
ヒマラヤへ行ってきた(続2)

ヒマラヤへ行ってきた(続2)

 

 翌朝、まだ薄暗いうちに目が覚めた。外を見ると黒い壁のようなものが見える。なんだこれは?

 少しずつ明るくなるにつれ、それが山だということが分かってきた。徐々に、山容がくっきりしてくる。

 寒いのも忘れて、部屋の外に出た。形容のしようがないほどの迫力だ。妻を起こした。大変だよ、ヒマラヤがすぐそばだ。

 ガイドさんも飛んできて、屋上に行けと言った。

 二人で屋上に行って山を眺めているうちに朝日が昇ってきた。山が真っ赤に染まった。言葉が出ない。

 

ネパールの山並みを背景にチャイを飲む男女

<チャイを飲みほす。宇宙を飲みほす>

 

 少し落ち着いてから、38年前の妻との約束のとおり、ヒマラヤを眺めながら二人で、チャイを飲んだ。これで今回の旅の二つ目の目標の達成だ。

 そうこうしているうちに、屋上にいた人も、少しずつ部屋に帰り始めた。

 そんな時、突然後ろから話しかけられた。

 (以下カタカナは彼が日本語で言ったこと)

 

 「ニホンジンデスカ?」

 「そうですよ」

 「サセンシマスカ」

 なんで僕が左遷されたこと知ってんだ?

 「え〜!、もしかして坐禅のこと?」

 「ソウ、ザゼンデス」

 「しますよ」

 なんで僕が坐禅すると思ったんだ?

 周りに何人も人がいるのに何で僕に聞いてきたんだ?

 「テンソキョクン読んだことありますか」

 「もしかしてそれ典座教訓のこと?」

 「そうです」

 「読んだことはありますよ。でもよくそんなこと知っていますね。日本人だってあまり知らないですよ」

 以前、禅と茶の集いの輪読で読んだ。あ〜、読んでおいてよかった。知らなかったらヒマラヤを見ながらチャイを飲むどころか、ヒマラヤを見ながら大恥をかくところだった。

 「じゃあ、ショホケンソは」

 彼の日本語の発音がだいたい分かってきた。

 「正法眼蔵ね。何章かだけだけど、読みましたよ。でもあれはとてつもなく難しいですよ」。

 「はい、そうですよね」

 ヒマラヤで、こんな会話をするとは思いもよらなかった。

 「それにしても、なんで僕に声をかけたの?」

 「なんとなく坐禅してそうだったから」

 そんなこと分かるのかなあ。僕は登山の普通の恰好してるし、特に変わったところはないと思うのだが。

 

 この人は、いったい何者なんだ。30代くらいで、髪を伸ばしている。

 もう聞くしかない。

 「あなたの名前は?どこから来たのですか?」

 「名前はルーカス、コロンビアから来ました」

 僕も名乗らなければならない。「義存といいます」

 「ヒマラヤで坐禅するのが夢でここに来ました。ここで坐るために持ってきた座蒲もあります」

 僕は妻とチャイを飲みたくて来たのに、彼は坐禅か、一本取られた。

 話が弾み、これでは物足りないということになり、山を下りてからポカラで会うことにした。

 それにしても、こんなに偶然が重なることってあるのだろうか。

 コロンビアから来た彼と日本から来た僕が、ヒマラヤの小さな村のロッジの屋上で会った。彼が突然話しかけてきたことがきっかけで禅の話をし始めた。歯車が一つ嚙み合わなかっただけでこんなことは起こらない。

 日本で、「あなたは坐禅しますか」なんて突然声をかける人はいないだろう。話が出来過ぎている。

 でも、これだけ偶然が重なると、もはや必然としか言いようがない。

 彼はおもむろに坐り始めた。

 僕は写真を撮った後、そっと屋上を下りた。

 

アンナプルナ

<アンナプルナ南峰(7256m)の頂上付近>

 

マチャプチャレ

<マチャプチャレ(6993m)を望む。ここは聖なる山なので登山禁止>

 

坐禅をしている男性

<すごくいい姿勢だ。普段から坐り込んでいるに違いない>

 (続く)

 

        合掌  鈴木義存  三拝  (房総支部)

 

posted by ただいま禅の修行中 | 19:04 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
ヒマラヤへ行ってきた(続1)

ヒマラヤへ行ってきた(続1)

 

 アーユルベーダの治療のおかげか、体調が改善して来たのをいいことに、ヒマラヤを眺むだけでなく、ある程度のところまで登ってみようという大それた望みを持った。
 まだ、ポカラの街を散歩できるようになっただけなのに、これは希望ではなく無謀とも言えた。そもそも、一年前は車椅子で外出していたのだ。
 といいながら、もうヒマラヤに行けるなんで二度とないと思い、仲良くなったホテルのマネージャーにいろいろ頼むことにした。
 まずはトレッキング許可証。そして入山許可証。これはどの地域まで入っていいかという証明書だ。地域によって金額が違う。ちなみにエヴェレストは、110万円。(もちろん僕は登らないが)
 そしてガイドさんを雇うことになった。ヒマラヤで迷子になるわけにはいかない。通常なら、これにポーターを雇うのだが、一泊二日の短い行程なので、バックパックは自分で背負うことになった。そして、できるだけ目的地の近くまでジープで行くことにした。これは死活問題だった。
 道が開通するまでは、二三日歩かなければ行けないところを車では数時間で行ける。
 朝早めにホテルを出発し、山道に入ったのはいいが、信じられないような悪路で、車の天井に何度も頭をぶつけた、ずっとひどい凸凹道が続き、むち打ちになるのではないかと思った。
 車で行けるところまで行き、さあ、ここからは歩かなければならない。標高は2000mで目的地は2500mなので、普通の人にとってはたいしたことはない。僕たち夫婦とガイドさんの三人で歩き始めたのはいいが、さっそく僕が遅れ始めた。
 ガイドさんは最初は付き合ってくれたが、あまりの遅さにあきれて、ここは一本道で、迷子にはならないといって先に進み始めた。その代わりに僕の荷物を持ってくれた。妻も僕を置いて先に行った。自分のペースで歩かないと、遅くてもかえって疲れる。
 僕のそばを子供が駆け上がっていく。道は生活道路として使われているので、思ったより整備されていた。
 休み休み登って、3〜4時間で目的の村に着いた。疲労はピークだったが、よく登ってこられた。村はロッジがたくさん建っていて思ったよりも広かった。
 ガイドさんは、ここは少数民族の村なので案内すると言ってくれたが、村の中は階段だらけなので断った。今思えば、あ〜行っとけばよかった。
 ロッジの部屋に案内されてやることはただ一つ、ひたすら寝る。夕食の前まで寝て、夕食の後も寝る。ちょっとだけ夜空を見たが、曇っていて星は見えなかった。明日の朝も曇りかもしれない。
 こんなに頑張ったのに山が見えなかったらどうしようと思いながら毛布をかぶった。

ヒマラヤの山道を歩いている人の後ろ姿

<こんな山道を延々と登った>

(続く)

合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 21:06 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
ヒマラヤへ行ってきた

ヒマラヤへ行ってきた

 

 一か月ネパールを旅してきた。40年振りのネパールだ。
 今回の旅の目的は二つ。一つは、アーユルベーダの治療院に入り、一週間の施術を受けること。二つ目は 38年前の約束を果たすべく、妻とヒマラヤを見ながらチャイ(インド式ミルクティー)を飲むことだ。
 空港を出てまず驚いたことは、その車の多さだった。40年も経てばどの国でも見違えるような街並みになっているのは当然だが、当時世界の最貧国のうちの一つに挙げられた国がこんなにも発展したとはにわかには信じられなかった。
 道路には車やバイクがあふれそこかしこに人込みも見受けられた。その一方で排気ガスの臭いこと。こんな街に暮らしていたらすぐにでも病気になりそうな気さえした。
 昔は道路には牛がのんびり歩いていて人力車が走っていた。タクシーを探すことさえ大変だった。
 そんな首都カトマンズを後にして、ネパール第二の都市ポカラへ向かった。先日墜落した飛行機と同じ航路で同じ機種。本当に同じ飛行機だったかもしれない。危なかった。
 二三日ゆっくりして、治療院に入った。あらかじめメールで何回も連絡を取っていたので、カルテができていた。面接をして次の日から施術を受けることになった。
 最初に脈を測った時のことだが、内臓関係だけではなく、僕が長年悩まされている膝痛と腰痛の位置まで特定されてびっくりした。
 アーユルベーダは紀元前5〜6世紀頃からの治療方法で、背後には膨大な哲学的な背景がある。(ウィキペディア参照)
 治療の方法としては僕の症状に合った薬草をしみ込ませたオイルで一日3回全身をマッサージするのが主だ。治療院に入っているため、食事も管理され、ヨガの教室もある。
 施術を始めて二〜三日後に、猛烈に体調が悪くなった。日本に帰れるとは思えなかったくらいだ。聞けば、これは好転反応なので、いい兆しだと言われた。
 確かにその翌日くらいから、体調が戻りはじめ、体が軽くなっていった。
 僕は10年以上取れなかった疲労感が大分改善し、妻は10歳は確実に若返ったと言っていた。
 これで一つ目の目標は一応達成することができた。
 体調が改善されたことで気をよくして、もう一つの目標を達成図すべくヒマラヤへ行く準備を始めた。

上空から8000m級のヒマラヤを望む

<上空から8000m級のヒマラヤを望む>

 

 

 

カトマンズの古い町並み
<カトマンズの古い町並み>

(続く)

 合掌  鈴木義存  三拝 (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 11:15 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
鈴木陽介四街道市長と房総道場光永道虔支部長との懇談

 5月26日(木)午後1時から四街道市長室において、人間禅房総道場をご紹介する機会として鈴木陽介市長との懇談が行われました。この懇談は、名誉会員である瀬下和正様が鈴木市長と慶応義塾大学の三田会で先輩後輩であるご縁から実現しました。この日は光永道虔支部長、名誉会員の瀬下和正様、宮近千世子先生、吉川照淵の4名が参加しました。

 

市長に人間禅を説明する道虔支部長(右)市長室


冒頭、瀬下様からご多忙な公務の中でこのような懇談の機会を頂けたことへの謝辞と、今年2月の市長選挙で見事初当選をされたことへの祝辞が述べられました。
続いて、光永道虔支部長がご自身の紹介をしながら、人間禅の成り立ちなどを簡潔に話され、「我々の禅会は運営に僧侶が関与しない在家の集団であり宗派性がないので、どんな方でも坐禅をしたい人が集まってくる場となりました。その結果、本格的な座禅道場としての役割の他に日本文化研修施設としての顔も持っています」と房総道場の特性を解説されました。
「また、名誉会員の瀬下さんと協力しながら多文化交流の場としても活動が始まっています。外国から日本に働きに来た人が日本人の友達もできず、和室に入ったことのないような状態で、なんとなく、日本の社会の中で疎外感を感じながら帰国されるようなことは、彼らにとっても、私たち日本人にとっても良くないと思います。できればそういう方々を房総道場にお呼びして、お茶を一緒に飲んで、畳の部屋で坐禅をするなど日本文化に触れて頂き、日本に来た甲斐があるような、そんな活動ができたらと思っています」と支部長の話が続きました。
また、八千代市で国際交流を長年されている瀬下さんからは、禅と茶の日本文化に触れる拠点となるよう、共に協力し、茶禅一味の取組みが出来上った経過の説明がなされました。また、宮近千世子先生からは「房総道場は四街道市で60年の歴史があります。市の文化資産として市の発展に役立てて頂きたい」と話し、承諾されました。何かの折に市長もぜひおいでくださるよう、お誘いしました。
市長は就任以降、多忙を極めておられる様子でしたが、ひと段落してから道場に足を運んでくださるよう、重ねてお誘いをしました。市長は人間力を高める禅の効果の話にはとても興味深く聞き入っておられました。
また、坐禅と国際交流と日本文化のほかに、光永道虔支部長は里山再生の取り組みをご紹介され、「房総道場も里山にあるのですが、近年、土が劣化し杉が病気になってしまい、房総道場の杉林も、令和元年の房総半島台風で27本折れてしまったことがあり、現在熊谷前千葉市長と一緒に昭和の森の再生をしている高田さんと土中環境改善を行っている」ことが紹介されました。「戦後の日本社会の中で消費社会・使い捨て社会を我々は一回見直して、先祖から引き継いだ自然の壊れたところを修復していくことも、人生の目的として非常に意味があること。そして自然環境を良くしていくことに興味がある人にもぜひ道場に来てほしい。」とも、市長に説明されました。

 

 最後に光永支部長から、房総坐禅道場は地域に開放している施設で、日曜日に座禅会をしているので、毎週日曜日に誰でも立ち寄って座ることができることや、
宮近千世子先生からは、「今年4月から愛国学園大学で学生さんにお茶の指導をしており(毎週金曜日に1時間半ほどお茶の演習)、授業では素直な外国の学生さんが多く、日本と中国の文化を学ぶ機会となっていること」が紹介されました。「今後、四街道の地で、学生と市民とが一緒に禅と茶を楽しみ、市民へ房総道場の存在を広く知ってもらい、人間力を高めるために活用してほしい」と話されました。
鈴木陽介市長は38歳の溌剌とした若い市長で、今後の房総道場と四街道市との交流の発展が期待されます。
尚、鈴木陽介市長は慶應義塾大学の卒業生の集まりである四街道三田会に所属しており、また、瀬下様は八千代三田会に所属されています。

20220615鈴木市長(中央)を囲み記念撮影

合掌 吉川照淵 三拝 (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 22:30 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その4

「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その4


房総支部 仲野嶢山


(5)新型コロナウイルス対策について
 首都圏に出されていた非常事態宣言は3月21日まで2週間延長になりましたが、まだまだ油断できません。新型コロナウイルス感染の特徴については以前禅誌に投稿させていただきました。今回は道場での令和3年3月中旬までの状況について留意点をまとめ、ワクチン接種についてもご紹介したいと思います。


 令和 3 年 2 月末時点で全世界の 1.1 億人以上が新型コロナウイルスに感染し、250 万人が死亡するパンデミックをきたしています。感染の潜伏期間は通常のウイルス感染と同様に2〜7日です。平均4日、発症した方の98%が12日までに発症しています。初期症状として、咳、微熱、息切れが多く、その他に筋肉痛、倦怠感、痰、嗅覚低下、味覚低下等が3分の1程度の方に出ています。中国のデータでは感染した人の81%が軽症、14%が重症、5%が最重症で、このうち2.8%が死亡しています。感染しても無症状の方、軽い風邪程度の方が80%以上います。


 注意しなくてはいけないのは症状が発現する2日前から発症までが感染力のピークということです。周囲にコロナウイルス感染者がいて、濃厚に接触した可能性のある方は道場に来るのを控えてもらう必要があります。接触後10日間症状がなければ感染していないと判断されます。濃厚接触者とみなされる方は、体調が特に問題なくとも決して入山しないでください。症状が出始めた時点では周囲に拡げてしまっていることになります。


 感染しているかどうかの検査はコロナウイルスDNAを数百倍に増幅して調べるPCR法があります。当初なかなか検査してもらえず問題になりましたが、最近では感染対策を実施している施設ではすぐに検査してもらえるようになりました。ただ、感染している際に陽性に出る確率は70%位と考えたほうが良いようです。30%は罹っていても陰性になります。PCR検査で陰性であれば大丈夫というわけではないのですが、この点に留意して入山は許可することが妥当と思います。


 一人の方から何人に感染するかの基本再生産数が感染の拡がりやすさの指標になります。当初基本再生産数は1.3〜2.5人で、インフルエンザの1〜2人とほぼ同じでした。この数字が1以上の場合は感染が拡がっていると考えます。0.8〜0.9ぐらいになり徐々に下がってきていれば感染の収まる傾向になってきたと考えます。3月初旬の段階で首都圏では0.7以下になることを目標にしていますが、その時点では達成できていませんでした。


 道場において最も大切なことは接触感染、飛沫感染を予防することです。石鹸で30秒以上一本ずつ指間も洗うようにする、アルコール消毒剤で手指の衛生をはかる、鼻や口をやたらに触らないことが大切です。ドアノブ等についたウイルスは2〜3日そこに付着しています。感染の主たる原因となる飛沫は粒子の大きさが数十μmで、健常人で飛沫の飛び散る範囲は0.7m程度と考えられます。飛び散った飛沫内のウイルスは3時間程度生存しています。くしゃみで飛び散り床に落ちた鼻汁内のウイルスも2〜3日そこに付着していると考えたほうが良いです。一方、エアロゾルは数μm以下の微小粒子で、くしゃみに伴い8m以上漂います。


 換気を十分にすることで比較的短時間で飛沫はほぼなくなります。普段から部屋の窓を対角線上に空けて空気の流れを作り、休憩時間等に大きく開放して室内の空気を入れ替えることで感染の可能性がかなり減ります。その次に不特定多数の人の手が触れるところを定期的にアルコール消毒することです。


 新型コロナウイルス感染は、なぜ死亡率が高いのかはっきりした証拠は見つかっていません。ただ最終的には自己免疫機構が破綻して、重症の自己免疫破綻状態になるサイトカインストームという現象が起こります。免疫機構をつかさどるサイトカインが自己制御できなくなり、どんどん悪循環で重症化していき、手の尽くしようがなくなります。そうなると自動心肺装置ECMOにつないでサイトカインストームが収まるのを待つしかありません。
マスク、手洗い、夜遊び制限、宴会制限等の徹底をはかり感染しないようにするしか今のところ有効な対応法がありません。過去の強力なウイルスがそうであったように、新型コロナウイルスが弱毒化して世界中に拡がるか、ワクチンが行き渡るのを待つしか感染をコントロールできない可能性があります。スペイン風邪と同様な経過を辿る可能性が高く、世界中に拡がってインフルエンザ程度のウイルスに落ち着くのを待つしかないかもしれません。その際には通常3年ぐらいかかります。


 一刻も早く新型コロナウイルス感染を制御可能にするには、ワクチンが世界中にいきわたり人口の50〜60%の方が接種するようになるしかありません。そうすることで新型コロナウイルスに対する抗体保有率が人口の60〜70%になり集団免疫が確立されて感染は終息します。日本において集団免疫が確立するには残念ながら1年以上かかりそうです。


 異例の速さで開発された新型コロナウイルスワクチンは、臨床治験で発症予防効果、安全性が示され日本でも特例承認され、令和 3 年 2 月 から医療関係者を対象とした接種が始まっています。1回目のワクチン接種後12日間たてば発症予防効果が期待できます。感染予防効果は27.3%、発症予防の有効率は95.6%で、重症患者が出なくなる傾向も確認されています。


 接種後に接種部位の疼痛、発赤、腫脹などの局所反応や発熱、倦怠感、頭痛などの症状も時にみられます。ファイザーのmRNAワクチンで10万人に1人の重症アナフィラキシーの発症が報告されていますが、適切な対処により全員が回復しています。副反応に対する過度な懸念は必要ありません。


 古くからあるインフルエンザ等のワクチンは、病原体のウイルスを弱毒化や不活化して用いています。新型コロナウイルスワクチンはmRNAワクチンですが、実用化されたのは歴史上今回が初めてです。DNAワクチンと異なり遺伝情報を使う新しい技術を駆使して、ワクチン開発にかかった時間も通常より短い期間で開発されました。ただ、長期的な経過観察が実施される前に緊急での接種が承認されたので、長期的にどのような問題は発生するかは未知数です。細胞内に導入されたmRNAは壊れやすくその痕跡を残さないので、人の染色体に組み込まれることなく人の遺伝情報に影響を与えることはないと言われています。


 新型コロナウイルスの遺伝子は、2週間に1度程度と頻回に変異を繰り返し、最近も感染力が強まったイギリス発の変異株の出現が報告されました。


 自然界に存在するmRNAは不安定で―80℃以下で保存しないと分解してしまいます。そのためワクチンの輸送、保存には―80℃以下を維持できる超低温冷凍庫が必要とされていました。ただ、最近の知見として新型コロナウイルスワクチンは合成mRNAであるため自然界のものより安定しており、DNAの保存に用いられる−20℃程度の冷凍庫でも保存可能なのではないかと言われだしました。


 ワクチンの接種回数も3週間あけて2回の接種が望ましいとされていますが、ワクチンの入荷状況、接種する医療者の確保が困難であることもあり、一回接種や間隔を3か月ぐらいまであけての接種でも問題ないとする方向性が打ち出される可能性があります。今後もこうした方針の変更が加えられる可能性があり、その都度確認して行動する必要があります。


(6)結語
 改めて道場における留意点です。現時点で危惧するのは手洗いの徹底が足りないことです。まず入山したら玄関でアルコール消毒します。そして荷物を置いたらまず石鹸で手を洗い、うがいをします。これを徹底するだけでかなり有効です。


 普段接することの少ない人との接触を避けることも必要です。毎週顔を合わせている会員同士であれば普段接することの少ない人には当たりません。


 座る際の間隔を保ち、マスクを必ずつけて、不必要な接触を避けます。そうすれば道場に来るのをためらう必要はありません。


 新型コロナウイルス感染拡大を受けて、いつ感染して命を落とすかわかりません。それこそいつ死んでもおかしくないことを実感させられました。それだからこそ一日一炷香を三昧になって実行し、「今日は死ぬ日ぞ。」と思い定め、日々正しく・楽しく・仲よく修行していきましょう。

房総支部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 07:28 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その3

「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その3


房総支部 仲野嶢山


(4)禅道場における作法
 禅道場における健康的な行いを医学的に評価してみたいと思います。


 もちろん集中した一炷香が心身ともに健康の秘訣と思われます。座禅すると免疫力がアップすることは間違いないようです。心拍数や呼吸数が落ち着くので交感神経の活動が抑制されているように思いますが、しかし「火だるまになって座る」とは交感神経が頂点にあるように思えます。副交感神経は優位になっているはずですが、こうした自律神経の働きに関してはまだ謎が多いようです。本庄慈眼先生が報告された「三昧状態とは頭頂葉がサイレントになり、前頭前野が活性化する状態である。」というような明確な理論構築が末梢のレベルでも解明されることが待たれます。


 最近の免疫学の研究では、我々が「こころ」と想定しているものは腸の中の免疫細胞が担っているのではないかという面白い学説があります。腸や骨は単なる食物の通路や立体構造を維持するための無機的なものではないようです。座禅するときには臍下丹田に中心的な役割がありますが、そこに心があると思うと三昧の理解も違ってきます。三昧状態が腸や骨、筋肉の中でどういう状況を起こしているか解明されると、座禅の健康への効果についてより一層の理解が進むと思われます。


 5時起床、10時就寝、この早寝早起きの習慣は極めて有意義なことです。


 私たちの体には、約24.5時間の周期を刻む概日リズムが体内時計として備わっています。体内時計の主時計は脳内にあり、一日の周期が24時間より長いため、朝の光を浴びることで時計を進めて24時間に調節しています。一方肝臓などの抹消の体内時計は、食事により調節されています。特に朝食を取らないと、末梢の時計は主時計とずれ、リズムが乱れます。つまり、朝は光を浴び、朝食を取ることで体内時計の調和がとれるのです。生活リズムを整え体内時計を正確に刻むことが健康な体つくりの第一歩です。


 道場における食事は脂肪分が少なく繊維分が多いメニューです。極力安い食材を手に入れることはそれだけ季節の物を取り入れていることになります。3月のこの時期ふきのとうのてんぷらや菜の花のおひたしは格別なごちそうです。折に触れ近所の農家さんから頂くお野菜も、採れたてを頂きすぐに食卓に上り本当にありがたいことです。ただ食べるのが早すぎます。いの一番にお替りをしている私が偉そうなことを言えませんが、自戒を込めて忠告します。もっとしっかり噛んで食材を楽しみ、食事を頂けることに感謝をしつつ咀嚼玩味しましょう。


 日本食の食事の作法も理論的に行き届いていると思われます。まず汁をひと吸い口にして口内を潤します。その後は三角食べと言われる方法でごはん、おかず、みそ汁などを順番に食べるのが理想です。


 食材の望ましい取り方、特に日本食ではまず野菜料理を先に食べること、できれば野菜を少しずつ口に入れ、よく噛みながら5分間程度ゆっくり食べるのが理想です。摂心中はできませんが家庭で実践するとよいと思われます。


 食べる順番としては、まず非加熱食品を最初に食べます。次いで加熱食品の食べ方、最初は食物繊維を含む煮物や和え物などの植物性食品、次いで蛋白源の魚介類や豆類、最後に軽くご飯が望ましいと言われています。


 夕食を決まった時間に取れないときの工夫があります。道場への入山が遅れるとか、仕事で帰宅が遅れ夕食の時間が遅くなる時は、主食(おにぎり等)を夕方に、主菜・副菜を帰宅後の遅い時間に食べるという方法も合理的です。帰宅後に適量のアルコールと一緒でも可能で、そうすることで体内時計は夜型化しにくく、太りにくくなります。


 作務やラジオ体操の運動も健康を保つ有意義な時間です。できればラジオ体操では心拍数が120ぐらいになるよう大きく激しく動くことが大切です。真剣に動けば心拍数120は可能な数字ですが、皆さんの体操は動きが少ないように思われます。スクワットも本来は1回の運動を10秒かけるのが理想と言われています。10秒を10回1日2セットで相当な運動量になります。


 種々の作務をする際の段取り、真剣、尻ぬぐいは単に仕事をうまく進めるだけではなく、脳細胞の活性化にもつながります。何かもっとうまい方法がないか工夫しながら進めることが大切です。


 午睡の習慣も極めて良いことと思われます。ただ15分ぐらいが理想とされていて、あまり長いとだるさが出て午睡後の運動量の低下がなかなか元に戻らないことがあるようです。


 入浴習慣は極めて大切な健康法と思われます。残念ながら摂心会中は入浴の時間があまり取れません。本来なら毎日の入浴習慣が理想です。体を温めてほぐした後に座禅して体を少し冷まし、心を落ち着けると熟睡できると思われます。


 お酒のことも興味深いことがたくさんあるのですが、これも話し出すと長くなりますので別の機会にしたいと思います。 続く

房総支部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 18:23 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その2

「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その2


房総支部 仲野嶢山


(3)今回は今までに折に触れ記録してきた民間療法的な健康法について紹介します。医学的に実証されているものもありますが、私が尊敬する方がやっていたから私も取り入れていることもあります。


 頭のほうから順次具体例を挙げます。


 頭髪については、ワカメやコンブなどの海藻類を多く取る、髪の根元を櫛で強めにマッサージすると黒々とした豊かな髪になると言われています。頭髪マッサージは東北大学工学部の教授が実践し、自分自身がそうすることで豊かな髪を維持できたとしてベストセラーにもなった本がありました。幼少時より私は母の勧めで毎食のようにワカメやコンブをたくさん食べて、学生時代から頭髪マッサージもやっていましたが、私の髪に関しては医学的な効果を全く認めませんでした。


 視力を維持し保つためには15分に一回程度6m以上の先を30秒間見るというものがあります。遠方をみることで目の筋肉の負担を軽減できます。特にスマホを長く見る人にとっては大切な視力維持法です。


 ただ私が初めて房総道場に来た時、視線を水平より上げるなと怒鳴られました。常に足元に留意せよ、無駄な視覚的情報を入れずに工夫せよとの注意であったと思います。


 嗅覚についてです。新型コロナウイルス感染症の初期症状として嗅覚障害が注目されました。以前よりアルツハイマー型認知症の初期症状としても認識されるようになりました。嗅覚を衰えないようにする訓練は、しっかりと匂いを感じること、においを楽しむことと言われています。においをかいで楽しむという嗅覚訓練は、嗅覚を維持し、衰えた嗅覚の回復を期待できると医学的に証明されました。例えば3月初旬に梅の花を愛でることはとても大切なことです。


 食物をよく噛むこと、歯肉のマッサージの大切さも以前から指摘されています。よく噛むことで歯肉を強化し、歯を長持ちさせます。噛むことが脳への刺激にもなります。よく噛む必要のある繊維性の食物はお通じにも良いのです。歯を磨いた後30秒間の歯肉マッサージは歯周病の予防にも効果があります。これは皆さんにも特にお勧めいたします。歯がぐらつくようになる前に歯磨きをした後に指で歯肉をマッサージしてください。


 起床時の水分摂取、コップ一杯の水道水を一気に飲む方法です。これはお通じに良いとされています。歯肉マッサージと起床時のコップ一杯の水分摂取は、若い頃の王貞治選手が取り入れていた健康法で、私も40年以上続けています。


 高血圧予防には雑巾絞り運動、手のにぎにぎ運動2分間、後向き歩きが良いことが、NHKの番組ためしてガッテンで紹介されました。多少高い程度の血圧であれば、これらの運動を取り入れることでかなりの降圧効果が期待できます。


 最近摂心会中に実施されている柔軟体操の真向法についてです。体の柔らかさと血管の柔軟性は相関するという医学的データがあります。体が柔らかくなれば血管の柔軟性が高まり、その分脳血管障害が減るのです。


 スクワット、片足立ち、つま先立ちについてです。折に触れ葆光庵老師が紹介されますように、「三昧の持続時間はせいぜい24時間、筋力の持続時間72時間に比べればはるかに短い。」その筋力の維持にはスクワット、片足立ち、つま先立ちが有効です。バスや電車を待っている空き時間に数息観とともにやっていると待つことが全く気にならなくなります。


 これまでに紹介してきたことは、生活習慣になってしまえばさほど意識することなくできることです。少しでも健康寿命を延ばすために是非心がけていただければと思います。 続く

  房総支部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:55 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その1

「先人に学ぶ生きる智慧 −民間療法、禅道場の作法、新型コロナウイルス対策について」その1

 

房総支部 仲野嶢山

 

 第182回房総支部摂心会において師命により法話をさせていただきました。葆光庵老師から人間禅ホームページにも投稿するよう勧められましたので、4回に分けて投稿させていただきます。

 

(1) はじめに

 人生100年時代を迎えるにあたり、健康上の問題がなく日常生活を送ることができる健康寿命を延ばすことが重要です。高齢期に要介護となる原因の多くは、青年期、壮年期からの生活習慣によって予防できます。世の中には健康に良いとされる習慣が多数あります。

 

 一方座禅道場に来る動機の一つに、心身ともに健康になりより良く生きたいという願望があります。生きていく上での先人の智慧を紐解き、世にある健康法を吟味し、その中でも禅道場における生活が如何に健康的であるかを示し、最後に新型コロナウイルス感染拡大の中、如何にすべきかに関してまとめます。

 

(2)生きていく上での先人の智慧

 人間禅の会員の平均年齢はおそらく65歳ぐらいと思われます。65歳の日本人の平均余命(あと何年生きることができるか)は、現在男性19.6年、女性24.4年です。そういう意味で人間禅の現会員男性は平均であと20年、女性は25年修行を続けることができます。

 

 中世以降生きる智慧にまつわる記載は数多く、特に健康に関する人々の興味は強かったようです。私が興味を持った記述を順次取り上げてみます。

 

 徒然草(吉田兼好 1283〜1350) 第155段の抜粋です。 

 生・老・病・死の移り来る事、また、四季の変化に過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひかた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

 

 生まれて、老いて、病にかかり、死んでいくことは、また四季の変化より勝って早いのです。四季には春夏秋冬という決まった順序があります。しかし死期は順序を待ちません。死は必ずしも前からやってくるわけではなく、背後から不意に近づいてくるのです。人々は皆死があることを知っていますが、死がそんなにも差し迫ってはいないと思っているときに、思いがけなくやってきます。それは沖の干潟は遠く離れていると安心していると、足もとの磯から急に潮が一気に満ちるようなものなのです。

 

 ここでは、自然現象のうちに見られる変化の相が、同じく人間の生のうちにも見られ、刻々移り行く生の中に常に死がきざしていて、それが思いがけなく突然にやってくると説いています。

 

 ここで思い出されるのは緝熙庵老禅子が折に触れおっしゃっていた「今日は死ぬ日ぞ。」という言葉です。朝起きたら「今日は死ぬ日ぞ。」と心に定め、今日一日を大切に生きるという意味です。こうした気持ちを常に持って、一時も無駄にしないようにせねばなりません。

 

 論語(孔子 BC552〜479)にある「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」という言葉も同じ意味を含んでいると思います。特に摂心会中は朝起きたら「今日は死ぬ日ぞ。」と覚悟を決めて一つ一つの動作を命懸けで遂行したいものです。

 

 時代は多少前後しますが、雲門大師(864〜949)の「日々是好日」は禅的な生活実践の極みと思います。200則の公案の中にもありますので詳しくは触れませんが、今日一日、今一瞬を大事にしなさい。明日という日、次の一瞬があるとは限らない人生にあって、今を生き切るということの大切さを説いていると思われます。

 

 親鸞上人(1173〜1263)が得度を願い出た際に詠んだ歌「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かんともかな」にも同じ意味合いがあり、この一瞬を大切にする、一瞬にかける思いが強く表れています。

 

 日本に臨在禅を伝えたに栄西禅師(1141〜1215)が著した「興禅護国論」に「心身一如」という語があります。「心は身の主なり。静かにして安からしむべし。」という意味に捉えられています。

 

 当時中国に留学して禅を学んだ仏教僧達が、漢方医学を日本にもたらすようになりました。栄西は臨済禅を布教するとともに、鎌倉幕府第3代将軍の源実朝を治療したことが「吾妻鏡」に明記されています。栄西は茶の種を日本に持ち帰り、「喫茶養生記」を書いて薬として広めてもいます。お茶はそれこそ万病の薬であったと思われます。そう思うと朝の一服の抹茶、大海を飲み干すように、そして体の隅々にまでその滋養が行き渡るように頂きたいものです。

 

 道元禅師(1200〜1253)の『正法眼蔵』の一説です。

 「この一日の身命は、たふとぶべき身命なり。(中略)一日をいたずらにつかふことなかれ。この一日はをしむべき重宝(ちょうほう)なり。(中略)一日百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたゝびうることなからん。」

 

 今ここに生を受け、生きさせていただいているという確証をもって、その日暮らしをしたいものです。

 

 親鸞上人の「教行信証」の化身土巻の中には

「さきに生ぜんものは、のちをみちびき、のちに生ぜんものは、さきをとぶらひ、連続無窮にしてねがはくは休止(ぐし)せざらしめんと欲す。」

とあります。何事も連綿と継続していくことの大切さを強調しています。親が子に教えること、先輩が後輩に教えること、老師が弟子に法を伝えることすべてに通じることと思います。人間禅の立教の主旨の第2段では仏祖の慧命を永遠に進展せしめるとあり、ただ単に伝えるだけではだめで、永遠に繋げるためには一歩一歩進めていく必要性を明言しています。 

 

 もう少し具体的な健康にまつわる話に触れていきます。貝原益軒は江戸時代の医学に通じた儒学者で「養生訓」を著して幾つかの有益な点を指摘しています。医療を生業とする人間禅者としての私なりに貝原益軒の言葉について考察をしてみたいと思います。

 

 江戸時代中期(元禄期)に出版された大衆衛生書「養生訓」は健康管理の処世術をまとめたものです。益軒は生来からだが虚弱体質であったため、健康に留意し養生を心がけ実践しました。養生訓に書かれている内容は、養生法を身につけ健康を維持するための取り組みについてです。

 

 養生訓の中で、人間は心身一体の動物であるから、心の平安を保つことが基軸となる。それには体を動かし循環させ、全身に栄養が行くように整えることである。体の隅々にまで気を循環させる養生法が大切で、体を養うことと同時に心を養うことが重要であるとしています。房総支部の初代の師家であられた磨甎庵老師は、幼少時代から体が弱く学生時代に患った結核ではそれこそ命を落としかねない状況だったと伺っています。それだからこそ自分お体に謙虚に向き合い、用心には用心を重ねて93歳の天寿を全うされました。食事の量、お酒の量、運動、睡眠を厳しく律して、それでいてごく自然に理想的な生活を実践されていました。人として生きる見本を終生我々にお見せいただきました。

 

 養生訓の中の言葉をいくつか紹介いたします。

「病なくして安楽なる時に、初病に苦しめる時を常に思ひ出して、

わするべからず。無病の時慎ありて、恣ならざれば病生ぜず。」

 

 無病の時こそ病を思えということで、病がなく安楽なときに、病気で苦しんだ日を思い起こし、忘れるなよ。そして無病な時に、節度ある生活をし、好き勝手しなければ病は生まれない。病気のことを常に頭の片隅に置いて、好き放題のことをしなければ病気にならない。病気が起こってから、良薬を飲んだり、鍼灸をしたりするよりずっと良い。

 

「病ある日のくるしみを常に思ひやりて、風寒暑湿の外邪をふせぎ、酒食好色の内欲を節にし、身體の起臥動静を慎めば病なし。」

 

 無病の時にこそ、病の苦しみを思い巡らし、風・寒・暑・湿の外邪を防ぎ、飲食・飲酒や好色の内欲を自制し、寝起きなど日常生活を慎めば病気にならない。治療も大切だが、何よりも病気の予防が一番としています。

 

 益軒の時代、現在と比べるとかなり質素なきわめてつつましい生活であったと思われますが、養生法を守って現在以上に心豊かな生き方・暮らし方をしていたように思われます。土地にあった食べ物を「腹八分目」食べ、生活するのに養生を旨として、元気に楽しく暮らしていました。

 

「病は少しく癒ゆるに加わる」

 

 病気が少し良くなったときに用心して隙を見せないと早く治って再発しない。病気が快復に向っている時期に、完全に快復するまで辛抱せよ。

 

「自然に治る病気が多い。」

 

 むやみに薬を使うと病気を重くし、食欲をなくし、長く治らないことも多い。大した理由もなく薬を使うと反対に体のバランスを崩し害になることもある。どのような薬にも薬効と同時に副作用もあるのだから慎重に用いる。

 

 禅林句集にある「薬病相(やくへいあい)治(じす)」は更にその上を行きます。病気が癒えて来たら病気に使った薬の影響もすっかり取り除きなさい。そこまで徹底することが必要です。

 

 小倉温故居士の「自然治癒力を生かせ。」も味わいのある言葉です。温故居士は房総支部の古い会員で、磨甎庵老師に玄米食を薦めた方です。不治の病を玄米と豆を食し、徹底的に運動療法をすることで驚異的な回復に導いた漢方医でした。人間禅の会員にそうした方がいらしたことを心に留めておくべきです。

 

 禅の世界では白隠禅師の有名な健康法「軟その法」がありますが、これは長くなりますのでまた別の機会に勉強したいと思います。

 

 釈迦が生まれたインドにも素晴らしい健康法があります。インドの伝統的医学「アーユルヴェーダ」、生命の化学、寿命の化学とも訳されます。それにはインド人の暮らしに学ぶ健康術が多数載っています。

 

 「自分の体の変化に敏感であること」がインド人の健康を守る秘訣です。そして与えられた寿命の最後の日まで、明るく輝いて暮らすための養生の知識や生活術に溢れています。

 

 体がバランスよく働いていると健康な状態であり、バランスが崩れた時に体の不快な症状が現れる。バランスを保つために食生活の改善やマッサージ、ヨガを取り入れる。だからこそ自分の体と向き合い、体質を認識し、日々変化する心身の状態を自覚して、些細な変化に気づくことが大切である。これがインドに伝わる予防医学での根本です。

 

 山岡鉄舟居士も自分の心身に極めて敏感な方であったように思います。自分の腹部にできたしこりを胃にできたしこりとして「胃凝り」として愛でたとされています。それが癌であると認識できなくとも病気だと百も承知と思われます。自分の体の中にできた異変を受け入れ、それが徐々に増大する様子を観察し、ついに腹部全体を覆うようになり死期を察して皇居に向かって座禅してそのまま座死したとのことです。人間禅の発足当初の先人にこのような境涯の方がいらしたことは我々の模範とすることです。

 

 紹介した先人たちの生きる智慧は現在、姿・形を変えて、現在の私たちの生活に根付いていると思われます。 続く

  房総支部

posted by ただいま禅の修行中 | 20:50 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
慧玉(房総支部)〜私と禅〜

シリーズ「女性と禅」 第7回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

「坐禅を始めてどの位ですか?」という質問には、いつも戸惑ってしまう。

長男が生まれた年に入門したと記憶しているので、もう40年以上も経過したことになるのだが、子育て、仕事を理由にたいした修行もせずに20年以上を過ごしていたように思う。

真剣に修行に向き合うようになったのは、磨甎庵老師が亡くなられる5年くらい前からか・・・。

その頃、たまたま老師の食事係を任されることになり、やっと道場が生活の中心に据えられるようになったように思う。

 

磨甎庵老師が帰寂され、金峰庵老師も遠くに行かれ、深い悲しみを感ずる日々もあった。

今は、ふたたび前を向いて歩む力を自分の内に感じている。

多くの道友に支えられ、勇気づけられ今があると思う。

 

今回『あけぼの25号』に向けて、「禅と私」をふり返ってみようと思ったが、なかなか言葉には表し切れない。

そこで、最近読んだ『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の言葉を借りながら、今の心境について書いてみたいと思う。

 

『君たちはどう生きるか』は1937年(昭和12年)に発行されたにもかかわらず、戦後も売れ続け、今、ふたたび脚光を浴びている名著である。

書店の新刊コーナーに山積みされ、学校の同僚の机の上にも無造作に置かれている。

 

主人公のコペル君は中学二年生。

叔父さんに悩みを打ちあけ、人間として成長していく話の展開になっている。

一部抜粋する。

 

正直で、勤勉で、克己心があり、義務には忠実で、公徳は重んじ、人には親切だし、節倹は守るし・・・という人があったら、それは、たしかに申し分のない人だろう。こういう円満な人格者なら、人々から尊敬されるだろうし、また尊敬されるだけの値打ちのある人だ。

しかし、―――君に考えてもらわなければならない問題は、それから先にあるんだ。もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれば立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、――コペル君、いいか、―――それじゃ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。

世間の目よりも何よりも、君自信がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。

そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。 いいことをいいことだとし、 悪いことを悪いことだとし、

一つ一つ判断をしてゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。

 

若い頃の私を振り返ってみると、多様な価値観の狭間を揺れ動きながら、どこに信ずべきものがあるのか確信がもてず、自信を持って自分の生き方を決めかねている不安定さがいつもあったように思う。

 

禅と出会い、細々とではあるが禅の修行を続け、参禅弁道により自己と向き合い続けてきた結果、今、恥ずかしいことも誇れることも特にないが、隠すものとてなく、その時その時自分の思いを屈託なく素直に出し、自由に生きている自分がいることに気付く。

心が開かれ清々としている。

やっと自信を持って生きられるようになった。

そんな自分に気付くのである。

 

叔父さんがコペル君に「いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない」といったことの深い意味が納得できるのである。

 

『君たちはどう生きるか』では、さらにコペル君が親友の<いじめ>に遭遇し、上級生から<いじめ>を受けたら、みんなで立ち向かおうと約束しておきながら、いざというときに出ていく勇気を持てなかったときの苦しみを取り上げている。叔父さんはコペル君に言う。

 

「人間は、自分自身をあわれなものだとみとめることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。」・・・・・・

 僕たちは人間として生きてゆく途中で、子供は子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。

 もちろん、それは誰にとっても、決して望ましいことではない。しかし、こうして悲しいことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。・・・・・ 

 しかし、コペル君、自分が過っていた場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは、それこそ、天地の間で、ただ人間だけができることなんだよ。人間である限り、過ちは誰にだってある。・・・・

お互いに、この苦しい思いの中から、いつも新たな自信を汲みだしてゆこうではないか、―――正しい道に歩いてゆく力があるから、今の苦しみもあるのだと。

 

自分は取り返しのつかないことをしてしまったと悔い、反省することはある。

気持ちがへこむこともある。

 

気持ちを切り替え勇気を出して一歩踏み出すと、自分を苦しめていたのは悔恨そのものではなく、ひと目を気にする自分こそが大きな問題であったことに気付く。

自分の気持を切り替え、思い切りのよい一歩を踏み出すことは、新しい自分の始まりになる。

失敗し、反省し、悔恨の情から新しい気付きがあり、生き直すことこそ人間らしい生き方なんだと思う。

 

私が大好きだった故緝煕庵老禅子は、「人間はよく間違えることがあるの」とおっしゃられ、《裏をみせ表を見せて散るもみじ》の句をよく口にされた。

 

「人間は、自分自身をあわれなものだとみとめることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。」という言葉は、緝煕庵老禅子の飾らない真摯な人柄と共に、老禅子の人間としての気品を思い出させるものである。

 

総裁老師様から、「慧玉さんは修行をやめないで続けているのが偉い」と言われたことがある。

やっと、その意味が分かるようになってきた。

今、禅と出会った喜びを深く嚙みしめている。

 

『君たちはどう生きるか』は最後、次の文で締めくくられている。

 

そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。

君たちは、どう生きるか。

 

  合掌 慧玉(房総支部)(あけぼの第25号より抜粋)#女性部

 

 

引用文献:「君たちはどう生きるか」吉野源三郎著

posted by ただいま禅の修行中 | 22:52 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
新型コロナウイルス感染その後の話題

新型コロナウイルス感染その後の話題

房総支部 仲野嶢山

 

 学校の休校、外出制限が奏功して新型コロナウイルス感染拡大の兆候が少し落ちついてきた印象があります。しかし現時点では、感染の拡大を遅らせることが辛うじてできたというだけです。依然としてほとんどの人は新型コロナウイルスに対する有効な抗体を持っていません。油断すると間違いなく第2波の流行拡大が懸念されます。

 新型コロナウイルス感染の収束には、ワクチンが開発されて世界中に行き渡るか、多くの人が感染して免疫を獲得する集団免疫が確立することが必要です。WHOの予測では現在新型コロナウイルスに対する抗体を保有しているのは世界の人口の2〜3%程度としています。先頃慶応大学病院の調査では、呼吸器感染症以外の疾患で入院した60数例の症例の6%に新型コロナウイルス抗体を確認できたとしています。都内の大学病院の入院患者を対象とした調査というバイアスがあるので、現時点ではここまでは高くないと思われます。神戸からの報告ですと、5月3日の報道で市立病院を受診した方1000名の検査で3.3%の抗体保有率とのことです。WHOの予想に近い数字ですので、現時点で日本人の3%程度は新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っていると考えられます。これらの数字については種々の議論が出ることが予想されますが、現段階で日本人300万人が不顕性感染して既に抗体を持っているということになります。集団免疫が機能するには全人口の60%以上の方に抗体ができることが必要と言われています。そうなるにはこの後ウイルス感染の爆発的な広がりが2〜3年続けば達成できる可能性のある数字です。それまでの間に、人類は新型コロナウイルスに対するワクチンを手にしない限り、コロナウイルス感染の恐怖から逃れられないのです。新型コロナウイルスに対するワクチンの実用化には1年から1年半は少なくとも必要そうです。過去に最も早く作成できて臨床に使われたウイルスに対するワクチンでも4年かかりました。そんなには待てません。一刻も早いワクチンの実用化が望まれます。

 日本人の3%が新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っているということは、新聞報道されている1万5000人程度の顕性感染者の他に、その200倍以上の不顕性感染者300万人が日本にいることになります。この後不顕性感染が急速に広がり、知らないうちに新型コロナウイルスに対する抗体ができてくると、集団免疫が確立するまでの時間は予想されている期間より短いことも期待できます。そうなれば数年前の新型インフルエンザA型感染の時のように、しばらくするとあまり騒がれずに通常の感染症程度の扱いになるかもしれません。

 例年インフルエンザウイルス感染症で、高齢者を中心に約2000人の方が亡くなります。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは普段疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がコロナウイルス感染を心配してしっかりやっているためと思われます。コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減しているので、インフルエンザで亡くなる方の数も例年より少なくなることが予想されます。

 新型コロナウイルス感染症は、現時点では極めて感染性の高い疾患で、年配の方や合併症を有する方にとっては死亡率の高い恐ろしい疾患です。また、特に問題とならないだろうと考えられる人が重症化することも報告されています。こうした疾患にかからないようにするために個人が取れる感染予防対策を励行し、専門家が指摘するような「3密」を避け、不要不急の外出を控えて行きましょう。一見自由の制限に当たるように思われますが、今まであまりにも不用心で、体調に気配りのない生活に慣れてしまってきたようです。この辺で規則正しい、体内時計のリズムに合った、適度な量と質の食事を楽しく取り、適度な労働と運動を欠かさない禅者としての生活を他の見本となるよう送っていきましょう。 ( 房総支部 )

 

posted by ただいま禅の修行中 | 19:16 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(1) | - |
思わぬ家族団欒の時間

思わぬ家族団欒の時間

房総支部 仲野嶢山

 

新型コロナウイルス感染拡大防止の為、4月初旬に首都圏を中心に非常事態宣言が出されました。学校が休校になり、経済にも甚大な影響が出ています。私の勤務するクリニックも何とか診療を続けていますが、いつコロナウイルス患者が受診するかわからず、職員も最大限の注意を払い日々の仕事に当たっています。

 こんな中、都内の大学院に在学中の長女と群馬の大学に在学中の次女は大学での授業がなく、講義の再開のめども立たず千葉の自宅で待機の状態が続いています。大学進学の為に長女は家を離れて6年、次女は4年になります。子供たちが家を離れて寂しくなったと同時に、子供たちに振り回されない平穏な日々に慣れてしまった夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思いもよらない賑やかな家族団欒の時を与えてくれています。街の小さな診療所を開設している私だけでなく、県立病院の管理職になっている妻もコロナウイルス騒動で普段の仕事が激減し、思いもよらない時間の余裕を感じられる生活になりました。

 3月中旬以降、それまで毎週のように開催されていた摂心会や参禅会がほとんど中止になっています。月に3回から4回は週末の座禅会の行事に参加していた私ですが、座禅をするようになって以来初めてゴールデンウイークを自宅で堪能しています。妻も月に1回から2回参加していた国内外の医学会がすべて中止になっているので、家族4人が水入らずの濃密な時間を過ごしています。家族4人そろって朝食や夕食を取るのは長女が中学受験の準備を始めた15年前以来のことと思われます。休日の昼食も希望を出し合って皆の食べたいものを時間をかけて作り、わいわいやりながらゆっくり楽しんで食べています。こんな時間を過ごすことはもうないだろうとあきらめていた夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思わぬ有意義な時間になっています。

 修士論文の作成に入った長女は時々パソコンで担当教授とネット会議しながら指示を貰い、必死に論文作成を進めています。傍ら自分で見つけて来た就職予定の会社の担当者と令和3年4月以降の海外派遣事業の段取りをしています。

次女は一日4〜6コマあるオンライン授業を聞きながら必死に勉強しているようです。医学部生の授業も担当している妻は群馬大学の臨床系の授業を娘と一緒に見ながら盛んに学生受けする講義のノウハウの取得に余念がありません。パソコンを駆使した双方向のリアルタイム講義は提供する側は大変でしょうが、学生には本当に理解しやすい講義です。講義が終わった後は仲の良い友達同士でテレビ会議をしながらわからなかったところや大切な部分を互いに教えあいながら復習しているようです。こうしたコンピューターや携帯を駆使した情報共有は若い人たちにとって当たり前で、我々の世代も乗り遅れないよう必死についていくしかないようです。

 いつしか家の中では役割分担ができて、家族それぞれが得意な分野を担当しています。私の担当は食材の買い出し、家庭ごみの管理、洗濯、お風呂洗いになりました。「父親に下着の洗濯までさせているとお嫁に行けないぞ。」なぞと口走ってしまうと、「何言ってるのよ。お嫁に行ってほしくないくせに。」とこちらの本音を見透かされているようです。

 まだまだコロナウイルス感染の危険が続き、すぐには自宅待機が解除される兆しはありません。大変な時期ですが家族団欒の時間をもう少し堪能したいと思います。(房総支部)

 

posted by ただいま禅の修行中 | 16:48 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |
スペイン風邪の教訓

スペイン風邪の教訓

房総支部 仲野嶢山

 

 新型コロナウイルス感染拡大で、想像もしたことがない耐久生活を強いられています。第三次世界大戦とも評され、先の大戦の実情を知らない人でも今の状況の異常性にほとほと嫌気がさしています。こうした新たにやってくるウイルス感染症は時として甚大な影響を世界中に起こします。経済的には1929年の世界恐慌以来のことと言われますが、医学的には今から100年ほど前に起こったスペイン風邪を思い起こさせるものです。その教訓を再度見つめ直し、今後に生かすためにスペイン風邪の被害について2020424日の朝日新聞「スペイン風邪に学ぶことは」という記事を参考に再度情報を整理してみます。

 スペイン風邪はインフルエンザウイルスA型の大流行で、1918年から1920年にかけて世界中で猛威を振るいました。数年前にも日本で新型インフルエンザウイルスA型が流行し、かなりの混乱が起きました。新型というだけで何か恐ろしいウイルスと恐れられましたが、実際には例年発症するインフルエンザと同程度ないしはやや軽いくらいの症状を起こすウイルスでした。当時鳥インフルエンザウイルスがかなり致死率の高い疾患として恐れられていましたが、それと同じくらい毒性が強いことを心配し、各地で新型インフルエンザの報道が出るとパニックになるような状況でした。でも、落ち着いてみると通常のインフルエンザワクチンも奏功し、抗インフルエンザ薬も十分に効果があり、例年のインフルエンザと変わりない対応で充分にコントロールできていました。それなのに感染初期に罹患した方は、周囲からかなりつらい仕打ちをされたような情報があります。

 今回も新型コロナウイルス感染が報道されると、種々の情報が錯綜して個人名やその所属先がネット上に暴露され、大きな人権侵害を引き起こしています。確かに現時点で新型コロナウイルスは恐ろしい印象が強いのですが、もう少し落ち着いて疾患概念が出そろうと、現在恐れられている状況とはかなり違うウイルスであることがわかってくると思います。

 スペイン風邪に話を戻します。スペイン風邪の際には当時の日本人の40%程度にあたる2400万人程度が感染し、死者が40万人に近かったようです。死亡率はおおよそ1.6%です。当時はかなりの死亡率と捉えられていましたが、特効薬やワクチンもなく、栄養状態も今よりかなり悪い時代で、ほとんど情報が入らなかった中で日本におけるこの数字は決して高くないと考えられます。今回の新型コロナウイルス感染は、スペイン風邪に比べれば現時点で23桁オーダーが小さい感染者数と思われます。ただ死亡率は現時点で0.72%と見積もられておりスペイン風邪と同程度です。

 スペイン風邪が流行した際には、当初運動会や遠足が中止になった程度ですが、その後小学校等の休校が相次いだようです。当時取られた対応法は、マスクの着用、うがいの励行、室内の換気、患者の隔離が主なもので、これは今回のコロナウイルスに対する呼びかけと全く同じで、今も100年前もあまり変わりがないようです。医療崩壊も当時問題になったようで、これも今と変わりがありません。当時と大きく異なるのは情報の量、人間の栄養状態、重症者に対する治療法と思われます。そのおかげで情報を入手し対応も取りやすいですし、生死の間をさまようような重症化例でも回復することが多いようです。一方で情報が独り歩きして過度な恐怖心や思わぬデマが広がるもとにもなっているようです。

 スペイン風邪が終息に向かったのは3年経過してからのようです。これは世界中で感染が蔓延に、人口の60%程度がインフルエンザに対する抗体を獲得するのにかかった時間と思われます。結局ワクチンはできなかったようです。新型コロナウイルスに効果のあるワクチン開発が進められています。国会答弁等では1年から1年半でワクチンができることを期待しているようです。そうなることを願いますが、過去の事例を見ると最も早くできたウイルスワクチンでも、臨床で使われるようになるには4年間を要しました。今回その期間を大幅に短縮した時間でワクチンが世に出ることを期待するばかりです。

 簡単に収束する気配のない新型コロナウイルスですので、今後どのタイミングで皆が集まって摂心会や参禅会を安全に開催できるのかわかりません。今まで通りの形態での開催は困難なこともありそうです。知恵を出し合ってこうした中での安全な座禅会の開催を模索していかねばなりません。

 53日に報告された東京荻窪支部の参禅会では、老師も学人もマスクを着用し、2m以上離れて参禅が実施されたとのことです。室内の音声が漏れないようにできるなら、参禅時に隠寮の窓を2か所以上開けておくことも必要でしょう。今回の東京荻窪支部では、食事も懇親会も宿泊もなしとのことでしたので、まずは短期間での参禅会から始めていくしかないようです。とてもお元気とはいえ80歳を超えた名誉総裁老師の参禅の際には、学人との間にビニールカーテンを設ける必要があるかもしれません。喘息の御加減が思わしくない際には参禅を中止にするくらいの心配りが必要かと思われます。

 実は私は5月中旬に千葉市医師会の活動でドライブスルーのコロナウイルスPCR検査を担当することになっております。およそ可能な限りの感染予防対策をした上で検査に当たりますが、それでも感染のリスクがゼロではありません。今も房総道場の日曜座禅会への参加を控えていますが、PCR検査担当後2週間は老師のお傍近くに寄ることは控えようと決めています。

 もう一度普段できる感染予防対策の基本を見直してしっかり励行しましょう。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がしっかりやっているので、コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減していると考えられています。外出から戻ったら石鹸で30秒以上かけてしっかり手を洗い、うがい、鼻洗い、洗顔をしましょう。規則正しい生活をし、栄養、睡眠を充分に取りましょう。まめに水分を補給し、適度な運動を続けましょう。摂心会や参禅会がない生活が少なくともあと一ヶ月続きます。こんな時だからこそ24時間を使いこなす主人公となって、一日一日を有意義に大切に使っていきたいものです。(房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:23 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(1) | - |
新型コロナウイルス感染の特徴

新型コロナウイルス感染の特徴ついて

2020年4月23

新型コロナウイルス感染拡大予防に向けて非常事態宣言が出されて2週間、一向に感染拡大が終息に向かう感じはありません。人間禅の中心的な行事である春季本部摂心会並びに諸会議・設立記念式も人間禅発足以来初めて中止になってしまいました。各支部での行事も思うように開催できず、個人的な一日一炷香が活動の中心になっています。当初比較的若い年齢層の死亡率はそれほどでもないということでしたが、ここにきてショッキングなニュースが飛び込んでくるようになりました。軽症と思われていた50代の男性が急激に悪化して自宅で死亡しているのが発見されています。山梨では幼児が重症化して懸命な治療が続けられています。得体のしれない敵に対して戦々恐々としてしまい、自分を見失いがちです。こんな時は先ず敵を知り、それに対する合理的な対処法を取って乗り切るしかありません。信頼のおける情報元からの最近のデータに基づく確かな情報をまとめました。ご参考にしていただき、新型コロナウイルスを恐れ過ぎず、見くびらずに対応していきましょう。

1.感染の特徴

潜伏期間は通常のウイルス感染と同様に2〜7日です。平均4日です。発症した方の97.5%が11.5日までに発症しています。最大で14日経過すれば感染していないと考えられます。

一人の方から何人に感染するかの基本再生産数は1.3〜2.5人で、インフルエンザの1〜2人とほぼ同じです。マスクをせずに接触するような濃厚接触者が感染する確率は中国で1〜5%、アメリカで0.45%と言われています。

感染しているかどうかの検査はコロナウイルスDNAを数百倍に増幅して調べるPCR法があります。ただ、感染している際に陽性に出る確率は70%位と考えたほうが良いようです。30%は罹っていても陰性になります。2回検査して2回とも陰性としても、0.3×0.3=0.09%、つまり10人に一人は感染していないと評価される可能性があります。この数字は悪く見積もった際の計算で、今後より良い精度の検査法が確立されると思います。

2.症状の特徴

初期症状として、咳81%、微熱40%、息切れ31%が多く、その他に筋肉痛、倦怠感、痰、嗅覚低下、味覚低下等が3分の1程度の方に出ています。感染しても無症状の方、風邪程度の方、重症肺炎になる方がいます。80%程度は軽症に留まり、14%程度が重症化しています。

死亡率の平均は0.7〜2%、ただし80歳以上の高齢者では15%程度と高くなります。発症から7日間くらいで症状が増悪することがあり、肺炎を起こすと少なくとも2週間程度回復にかかります。

3.治療法

いわゆる特効薬は今の所ありません。家庭では熱や咽頭痛があれば市販の解熱鎮痛剤(アセトアミノフェンがお勧めです。)で様子を見ます。風邪症状で受診した際に医療機関から処方されるのは対症療法の薬で、咳止め、痰切り、解熱剤等です。

4.予防

接触感染、飛沫感染を予防することが大切です。石鹸で30秒以上一本づつ指間も洗うようにする、アルコール消毒剤で手指の衛生をはかる、やたらに鼻や口を触らないことも大切です。ドアノブ等についたウイルスは2〜3日そこに付着しています。くしゃみなどで飛び散った飛沫(エアロゾル)内のウイルスは3時間程度生存しています。飛沫の飛び散る範囲は2メートル未満、換気することで比較的短時間で飛沫はほぼなくなります。くしゃみで飛び散り床に落ちた鼻汁内のウイルスも2〜3日そこに付着していると考えたほうが良いです。道場においても手が触れる所、静座後の畳や床を拭き掃除することでウイルスの残存を減らせます。

信頼できる方からの情報ですが、感染経路不明として報告されている方の多くは公共交通機関を利用している方とのことです。インフルエンザでも電車内でマスクをせずに咳の飛沫を浴びて感染すると言われていますが、同じことが新型コロナウイルスでも言えます。ただ、今回の新型コロナウイルスの感染は、つり革や支柱に触れた手をきちんと洗わずに目や鼻、口に触れることで感染が起きている可能性が高いようです。外出して不特定多数の方が触れるようなドアノブ、エレベーターのボタン等に触れた際には、しっかり手を洗う前に手を顔に近づけない対応が大切と思われます。

5.有症時の具体的な対応

風邪のような症状がある場合、まずは自宅で待機します。現在、「熱があって体がだるい。」等の症状を訴えて飛び込みで診療所を受診しようとすると、多くの所で受付せずにまずは自宅で待機するように言われる可能性が高いです。自宅で待機する際には家族ともできるだけ接触を避けます。タオル等の共用も避けます。入浴は最後が望ましいです。4日間自宅で様子を見て症状が改善されない場合、かかりつけ医に相談するか、地域外来、検査センター(県、市町村のホームページ等に連絡先が明示されていると思います。)に連絡し指示を仰ぎます。来週(4月27日)には千葉市でも「PCRセンター」が開設され、房総支部の会員の中にも検査の為に派遣されるものがいます。しかし、どこにセンターが開設されるか公表はせずに、事前に電話で確認を取った方や医師からの紹介状を貰った方がドライブスルーでの検査を受けられるようになります(これはあくまで千葉市の方針予定ですので、各地で対応法は異なるかもしれません)。症状が急激に悪化した際、80歳以上の方は早めに医療相談をした方が良いでしょう。特に喫煙者や呼吸器の疾患がある方は症状が急激に悪化することがあります。普段からかかりつけ医に相談して、もしもの時の対応法を確認しておくことをお勧めいたします。 

合掌 仲野嶢山 九拝 (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 20:33 | 千葉・房総 座禅道場(房総禅道場) | comments(0) | - |