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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
茶道の成り立ちと茶禅一味|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

2 茶道の成り立ちと茶禅一味

 

 さて、本来の茶の湯とは一体どういうものでしょうか。今まで茶の湯と言い、あるいは茶道とも言ってきたのですが、その本来あるべき姿はどういうものでしょうか。

 まず東洋では、いろいろの分野に道という字をつけて呼びますが、茶道をはじめ、剣道、柔道、合気道などの武道や、書道、華道などの芸術的なものに広く用いられます。これが剣術でなく、あるいは茶術や書術でなく、なぜそれぞれ道とつけて呼ばれるのかといえば、それらの技術や芸能というものを通して、人間を磨いていく道の意味を含めているのです。単に小手先の技の修練、熟達に止まらす、その行を通じて人間らしい、本物の人間を完成していくために通る道を指しているのです。
 そして、重要なことは、それに応えるに十分な精神性の高い理念と、永年にわたって培われた方法・技術の内容実質を備えた東洋独特の分野の道であるということです。
 では、茶の湯が茶道として、どのように成立してきたのか、その成り立ちを簡単にふりかえってみたいと思います。茶の味わい、趣きを深く理解するためには、茶道の創立を担った人びとの精神にふれることが重要だと思うのです。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道

 

 

 

 

 

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯の女性化(2)|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

在りし日の筆者 輯熙庵内田慧純老禅子

 

1 現代と茶道 利休に帰れ

  (3)茶の湯の女性化
 

 ところで、利休に帰れの提唱は、単なる復古の主張ではなく、利休の創造的精神にも学べということですから、現代にふさわしい革新への道を閉ざすはずのものではないでしょう。如何なる伝統文化であっても、時代の流れに従い、時の人びとの好みに導かれて変容していくのが自然ですが、それはあくまでも本質を見失わず、質の低下を許さないものでなければならないのは当然です。日本文化の粋として世界に誇るに足る本物の茶を、異国趣味に終わらせる事なく、正しく伝えるにはどうしたらよいか。もちろん四畳半の小間の茶を味わって頂くことが最良の方法には違いありませんが、これは少数の限られた人びとにしか許されません。そこで私の期待したいのは、現今の大寄せの茶会があまりに儀礼、社交の面に片寄り過ぎている点を改めて、茶のもつ芸術性・精神性をもっと強調し、総合的にその調和をはかる茶会の試みであります。利休の創造的精神にならって、新しい現代の茶会が生まれることを望みたいのです。
 茶の世界における女性化は、そのよしあしを別にして、茶道界を支える大きい力になっているのです。今後、どのような推移をたどって、女性が茶の進展にかかわっていくか注目されるところなのです。茶道教授を職とする多数の女性がすでに育ち、また後に続く女性も少なくない現状でもありますから、女性の自覚的参加によって、女性化による問題を克服して、茶道文化の正しい発展に寄与していくことが望まれるわけです。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 09:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯の女性化|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

(3)茶の湯の女性化
 現代茶の湯が流行しているのにもかかわらず、その内実においてすたれつつあるとすれば、その要因はどこにあるのでしょうか。
 時代の潮流の影響を受けていることはいうまでもありませんし、もちろん茶の湯の伝統を支えている人びとの責任が大きいのですが、ある人が、茶の湯の堕落は、茶の人口の女性化にあると指摘しています。一般のあいだに茶の湯が普及し茶はあたかも女性の占有物のようなありさまとなってきています。昔、茶席に女性が出ることさえ許されなかったことを思えば、隔世の感があります。
 茶の湯の普及の歴史をふりかえってみますと、結婚前に女性が茶を習うという風習が、明治以降の良妻賢母を育てる教育方針に伴い徐々に定着して、女性の茶人口が増加してきたのです。第二次大戦後は、女性解放、女性の経済的自立の潮流にのって、華道や舞踊などの他の伝統的芸能や、その他あらゆる分野の傾向と同様に、茶の世界への女性参加が急激に進んできました。学校、職場、社会のさまざまの教育分野で茶を稽古する女性の数が、かつてないほど多数にのぼってきたのです。
 このような大衆化が俗化につながりやすいのは茶の世界ばかりではありません。急速に進んだ生活様式の西欧化、利便化とともに、このような女性化が茶の世界に影響を与えずにはおかないでしょう。本質を見失い、趣味に止まり、遊芸に堕していると指摘される現状のなかに、たしかに女性化のひき起こした問題があるといえるでしょう。
 東洋的精神は茶道にもとづくもの、と主張した岡倉天心の『茶の本』などを学び、東洋の心にふれる期待をもって訪れる欧米人が日本の茶に接して、「どうして本当のお茶を私たちに御馳走してくれないのですか」と問いかけると聞きますが、たしかに、セレモニーとして、外国人を接待する今の茶会では、若い女性が着飾って、はなやいだ雰囲気のなかでお茶がすすめられますから、点茶の作法や特異性や、日本文化のはなやかな美に対して異国情緒は感じ取れるでしょうが、これでは本当のお茶をと言われるのも無理からぬことです。最近一般化したいわゆる大寄せの茶会では真の茶味は味わえないと思われるのですが、茶会はほとんど大寄せとなってしまいました。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 10:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯の現状(2)|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

 

(2)茶の湯の現状

 本来、茶の湯は、決して日常生活と縁のないぜいたくな遊芸ではありません。道具の多少や華美な衣装を誇る場でもありません。道具はありあわせ、衣服は清潔であれば十分です。茶室がなければならないことでもありません。利休当時の茶の湯の精神が失われてしまうことを恐れて、心ある人びとが、徳川時代以降引き続き、「利休に帰れ」という提言主張をしておりますが、現代においてはその必要がとくに強く感じられます。

 現代の日本は、物質的繁栄を追い求め、そこに価値を見出している時代で、その上に人間の幸せが築かれると考えております。たしかに、その成果として、貧困や無知や病気からかなり解放されてきていますし、大部分の国民は中流意識をもって、その繁栄を謳歌するに至っています。しかし、その反面、心の病む時代、心の貧しい時代ともいわれております。猛烈に働く今のサラリーマンの二十パーセントはうつ病の予備軍だと指摘されるほどですし、家庭で、学校で、社会で、さまざまな病理現象が急速に吹き出してきています。

 物質の洪水とその束縛から離れ、病める心の健康をとり戻すために、現代の人びとの心をとらえている価値観を、この辺で転換する必要がありはしないでしょうか。このような価値観の反対にある価値観が、利休の大成した侘び茶道のなかに見出されます。金で買うことのできない、かけがえのないもの、茶の世界にはそうした素晴らしい豊かな精神性、価値観が培われているのです。「利休に帰れ」という提唱は茶の世界に限らず、現代の社会の人びとにとっても重要なことのように思われるのです。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
禅と私(紫光 八王子禅会)

シリーズ「女性と禅」 第4回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

昨年は、家の事情(母の介護)で、所属支部の摂心・静座会しか出ていません。

葆光庵総裁老師にも参禅したいのですが、なかなか思うようにはいきません。

しかし、所属している八王子支部担当師家の鸞膠庵老師に参禅し、有難い気持ちで一杯です。

室内の事は他言できないので、何も言えませんが、鸞膠庵老師のご指導と公案の有難さを日々思っております。

感動です。

3年前に故・微笑庵老禅子からいただいた手紙に

「自分の力を1本に束ねよう、1本に束ねれば盤石です。

50歳を過ぎれば他人の評価など気にせず、これまでに得たほんとうのものを信じるのです。

幸い八王子支部は葆光庵総裁老師のもと(当時)、鸞膠庵老師を戴いてぴったりと思います。

鸞膠庵老師は『じつ』のあるお人です。

『実』があれば『わかる』それが人間です。

『じつ』以上のものはありません。

『じつ』はやり直しがきく。」

御病床だったのにこんな力強い言葉をいただき、今有難く思っています。

 

鸞膠庵老師が「八王子支部は、『座の八王子』と言われるくらい、座禅に骨を折れ」と言われており、私は今、1日に座禅は2〜3炷香しています。

静中の工夫と動中の工夫を人一倍しなければ力のない私は駄目なので、頑張っています。

心が強くなってきたな、と感じています。

詩人ウルマン原作「青春」の中に『青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる』とあります。

寒い2月の八王子支部摂心会から帰ってきましたが、自信というものがようやく身に付いてきました。

心の豊かさ暖かさとはどういうものなのか、日々新たにして日々新た、です。

家に帰り、一番身近な家族を大事にする気持ちになれるのも、禅で心が養えてきたな、と感じているところです。

 

皆様にご心配いただいていた腰痛もまだ抱えていますが、それに加えて肩こりがひどくなり、週に2度程整形外科に行ってマッサージと牽引をやっています。

座禅中も痛くなり、助警に肩を叩いてもらうと少し良くなります。

昨年の「あけぼの」の珠滴庵老禅子の「膝さんありがとう」を読むと、私の痛みはまだまだだな、でも、「腰さん肩さんありがとう」とまで言えればしめたもの、とも思えました。

鸞膠庵老師に「摂心会 ご苦労様でした。ご家族の介護 ご自分の体調等 充分な修行環境のない中で 限られた時間で修行するのが本当の修行です。」とお声をかけていただき、色々と難題がありますが、本当の修行、工夫してこの禅の修行を全うできればどれだけ有難いか、と思っています。

鸞膠庵老師から次のような言葉もいただきました。

「修行を重ね 耕雲庵老大師 岡山でのご垂戒『最後の安住地に到達すべし』を目指すのではないでしょうか?」

日々の工夫に骨を折り、磨甎庵老師がよく言われていた「我も人なり 彼も人なり」彼とはお釈迦様、もう若くはない、怠けず精進したいと思います。

 

〖付記〗

青春

サムエル・ウルマン 岡田義夫訳


青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。

 

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 

(この詩を禅を始める前の私が読んだら、厳しい内容に心がしぼみ、私には青春は無いのか、老いていくだけか、と落ち込んだと思います。禅をやり、心の在り方を正していくと、この詩の厳しさを引き受ける力がようやくついてきたな、と感じることができ、禅に出会えて本当に良かったと思います。)

 

ツユクサ(イラスト)

  合掌 紫光(八王子禅会) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 22:48 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯の現状(1)|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

(2)茶の湯の現状

 ところで、現在、茶の湯の現状はどのようでしょうか。それは一口にいって、これから私が述べる本当の茶の湯、茶道というものからは大分遠いように思われます。

 茶道第一の書と言われる『南方録』の滅後の巻にはすでに、利休の言われた言葉として、次のように記されております。

「十年ヲ不過(すぎず)、茶ノ本道捨(すた)ルベシ」。この意味は、自分の死後、十年もたたないうちに、茶の本来の姿はすたるであろうというのです。そして、「スタル時、世間ニテハ却而(かえって)茶ノ湯繁昌ト思ベキ也」と続いています。本来の茶道の姿が見失われて行くであろうけれども、そういう時はかえって茶の湯が繁昌して、多数の人が関心をもつに違いないというのです。

『南方録』は、利休の弟子南方宗啓が、平素の師の教えを書きとめた、いわゆる聞き書きですが、滅後の巻は利休の三回忌に際して書かれたと伝えられます。たしかに利休の死後、茶の湯は、その創成期の生き生きとした息吹きを失い、だんだんと硬直化、形式化の道をたどり、先人の遺した形や寸法に固執するのみで、自由な茶の心を失ってきているといわれます。

 利休流の茶の湯は、その子孫や弟子によって多数の流派に分かれて伝えられてきましたが、現在、茶を習う人口は今までにないほどの多数にのぼって、まさに繁昌しております。とくに婦人が好んで稽古をするようになりましたので、一見まことに茶の湯の世界ははなやかに隆盛しています。しかし、このように普及してきますと、安易に流れやすく、稽古事として、点前の順序や道具の扱い、作法を覚えるに止まって、茶道の本質が忘れ去られていくのではないかと思われます。

 元来、日常茶飯事の言葉の通り、茶の湯は日々の生活の営みに深くかかわってくるはずなのに、特定の茶室のなかや茶会のいわゆる晴れの場に限られて存在すると錯覚してきてはいないでしょうか。さらに茶会を催す折に、道具屋より目新しい高価な道具を備えて借りる風潮がみられると聞きますと、「茶の道すたるべし」の指摘の通りといわざるを得ないのではないかと思います。

 ある人は、このような稽古や茶会の現状を茶の湯の疑似体験と酷しく批評しております。にせの体験というのです。せっかく茶の稽古によって学んだ技法や心入れを日常生活に生かすまでに深めないならば、単なる手すさびに終わってしまうのです。一時の体験に止めてしまうのは、あまりにも惜しいことです。永年にわたって茶の湯を生活に浸透させ、それによって人間形成していくことが望まれます。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

posted by ただいま禅の修行中 | 20:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯には儀礼、社交、芸術、修行・・・|再録「禅と茶道」 輯熙庵内田慧純老禅子

(1)茶の湯の側面

 伝統的に培われた点前や道具、建物、庭など有形無形の深い趣をもつ茶の美に魅せられ、芸術的価値を見出している立場もありましょう。また、心のこもった社交の儀礼として、つまりセレモニーの方法と評価する見方もあります。

 なお極端な見方として、金持ちの道楽に過ぎないと否定的に見る見方があります。本来道楽とは、道を楽しむことで高次の楽しみのはずですが、現在普通に使われる意味の道楽とみなす見方です。財力にまかせて高い茶器を買い、ぜいたくな茶室を建てるなど、茶の湯が、庶民から遠い、金のかかる道楽となっているという批判です。

 たしかに、茶の湯文化は奥が深く、多面的な要素をもっています。人びとはそれぞれの立場や関心から自由に茶の湯にかかわっているのですから、見方や評価が分かれても仕方がありません。ここで以上のことを整理してみますと、茶の湯には、儀礼、社交、芸術、修行という性格があるといえると思います。

 そこで、本当に深く茶の湯の豊かな文化とその心を味わいたいとするならば、茶の湯の本質とは一体どんなものか、日本を代表する最も日本的な味わいとその文化体系とはどんなものか、もう少し茶の湯の世界に分け入って考えてみなければならないと思います。

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

posted by ただいま禅の修行中 | 15:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
茶の湯の側面|再録「禅と茶道」 緝熙庵内田慧純老禅子

1 現代と茶道 利休に帰れ

(1)茶の湯の側面

 まず茶の湯ということですが、日本文化のなかでも、最も日本文化らしい特色をもち、世界にも誇りうる極めて格調の高い文化といわれています。

 茶はもともと中国より伝わったものです。しかし、中国流の茶の製法と飲み方を取り入れてから、日本においては、茶の湯、茶道という独特の文化形式を育てあげてきたのです。つい先頃、日本の茶道のある家元の方が中国に行かれ、時の政治家や一般の方々に、日本式のお茶を点てて飲んで頂き、親善をはかったという報道がありました。つまりお茶の逆輸入によって文化交流を果たしたということです。中国の方々から、今までこのような飲み方を知らなかったと大変喜ばれたという話です。

 また先日は、ソ連の高官の来日を歓迎して、東京都で茶会を催したということも伝わってきましたが、このような例を挙げるまでもなく、日本文化を外国に紹介するときには、ほとんど決まったように茶の湯が取り上げられます。日本文化の代表のように扱われるわけですが、では、かえりみて、わが国の人々は茶の湯をどのように認識しているのでしょうか。これにはさまざまの見方や評価がなされています。

 第一に、茶の湯は非常に格式ばったやかましい作法があって窮屈な古めかしいものという表面的な認識があります。あるいは、若い女性が結婚前に礼儀作法を習う稽古事に過ぎないと見る見方もあります。あるいは、日本的に趣味や教養を身につける風流の道という位置づけもされていると思います。またお茶を通して人生を味わい人間形成をはかろうと願う人びともあるでしょう。(つづく)

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |
再録「禅と茶道」 緝熙庵内田慧純老禅子

1 現代と茶道 利休に帰れ

 

 茶味という題で、これからお話をするわけですが、お茶の世界は、入れば入るほど奥深く、とても一片のお話でもって、その味わいを語ることはできません。ただ将来、茶道に親しまれ、その行に精進されて、茶味を味わいつつ豊かな茶の文化を楽しまれる契機となることを願いつつお話をすすめてみたいと思います。

 

 

※今回、緝熙庵内田慧純老禅子の「禅と茶道」をブログに掲載しようと思ったのは、禅の蘊奥を極めた老禅子の語り口が素晴らしく、禅についても茶道についてもわかりやすく書かれているからです。

 茶禅一味と言われるように、禅の心を表したものが茶道と言えるのではないでしょうか。

 これからあらためて新しいホームページに順次掲載していきます。

(このお話は、千葉大学教養部の総合科目の講義で、「茶味−茶禅一味の茶について」と題してなされたものですが、後で「禅と茶道」という題に変えて一冊の書となったものです。)

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 八王子禅会 | comments(0) | - |