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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
結願は旅程絞りぬ麦の秋 温雄|四季折々(15)

結願は旅程絞りぬ麦の秋  井内 温雄

 

全行程千キロを超える四国八十八か所巡礼での句である。

一度では到底回り切れないから、何回かに分ける。

今までは「先は長い。」とばかり多少緩みがあったかもしれない。

しかし今回は違う。

行き残したお寺をすべて回りきる旅だ。

そこで、道筋、日程をギュッと絞り込み、念入りに計画を立てた。

「絞りぬ」で結願を迎える強い気持ちを表した。

麦の収穫のように、大きな功徳があるに違いない。

(「俳林」14号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

 

posted by ただいま禅の修行中 | 15:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
コロナ禍に思う#2 大切な何かに気づく機会

漸く8月になりました。

コロナ禍も収束に向かうと思っていましたが、再度感染拡大の様相です。

コロナ禍によって様々なことが変わってしまいました。

今まで普通と思っていたことが普通でなくなりました。

会社・学校に行けなく、皆で食事ができなく、旅行に行けなく・・・。

昭和〜平成そして令和と時が流れ、変わってしまったことや無くなったものも色々あります。

レコードが無くなり、電話ボックスが無くなり、街角でタバコは吸えず・・・。

時と共に様々なことが移り変わってきました。

変化は進化なのか退化なのか?

便利になる代わりに、無くしたものに気づく機会と思います。

 

「晴れてよし、曇りてもよし富士の山、元の姿はかわらざりけり」

 

 

中央支部 龍石拝

posted by ただいま禅の修行中 | 10:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
「合掌」が破れないで「機会」を打つ 〜小川忠太郎先生剣道話(59)〜

きょうは、みんながお互いに稽古をする際の事を、ひとつ注意しておく。

剣道はまず、「気剣体の一致」が出来なくてはいけない。
それは、切り返し・掛かり稽古をしっかりやれば得られる。これは三角矩の中段の構え。

この「本体」に相手が来れば、相手との間に「関係」が生じる。地稽古(注1)の場合、相手と自分が一つになる。

だから「合掌」だよ。合掌の気持ちで相手に対する。敵じゃない。「相手と一つ」だからな。

間合いが遠くの時はいい。近くに来ると「打とう」という気持ちが出て、この「合掌」が破れちゃう。そこが問題なんだ。

「打とう、突こう」という気持ちがあってもいいんだ。打つべき時、突くべき時ならね。
「機会」というものがある。「合掌」が破れないで、そういうものがあるならいい。つまり、本体が崩れないことが大事だ。

これは、修行して自得する。自分で持っているものだからね。

一足一刀の間合に入ったら、「乗る」こと。剣道は、乗るか乗られるかだ。


この一足一刀の間合から、自分が主導する立場に立たなければいけない。
相手が打とうとする時、一緒に何かしようとしない。これは、無刀流の形の「引き身の本覚」にある。相手が打とうとするところを「パッ」と。これをひとつ研究する。

これを「機先を制する」という。「パッ」と。これを「張り技」という。

(中略)

「張り技」。これは稽古で覚える。〇〇さんなんか、だいぶいいよ。これをひとつ覚えたら、稽古が楽になる。
きょうは、これだけ話しておく。「機先を制する」(注2)。

注1)
防具を付けて竹刀を持った者同士による真剣勝負の繰り返し稽古。
注2)
本文冒頭の「合掌」と最後の「機先を制する」は別のことではない。合掌の気持ちで相手に対し、相手と一つになる。一足一刀の間合に入ったら「乗って」パッと「機会」を打つ。これすなわち「機先を制する」ことであると、先生は言われている。「機先を制するは充実にあり」とも言われた。

昭和57年2月14日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、注……栗山令道 中央支部 #剣道部 #宏道会

posted by ただいま禅の修行中 | 08:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
「子連れ摂心の頃」〜 禅と私 〜

シリーズ「女性と禅」 第6回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

今でこそ小・中学校の教師の仕事は過労死レベル、と新聞でも報じられていますが、小学校の教員として勤めていた私は、勤務時間を過ぎても仕事が終わらず職場に残っているのはあたり前、それでも終わらず家に持ち帰ることもしばしば、クラスに問題が起これば家庭訪問をしたり解決するまで常に頭を悩ませる、などして多忙をきわめ、就職したとたんに摂心には参加できなくなりました。

5分きざみの過密スケジュールと、どこに行っても人が居る人口密度の高さは、大学生活から一変し、自分にはこの仕事は向かない、やめてしまいたい、と悩む程でした。

最近の様子を聞くと更に環境が改善されないまま世の中の批判の眼も厳しく責任も重くなっている様子、私の友人は「後輩には勧められない仕事になってしまった。」と嘆いていました。

予算を投入して人を増やし一クラスの人数を減らし、事務や仕事の分担を減らして、教員が授業に専念できる体制を早く作ってほしいものと願います。

教育予算の少なさは世界的に見ても日本はお恥ずかしい限りです。

 

禅の会は大学1年から入部、2年に摂心参加と有楽流茶道に入門、3年で房総支部で磨甎庵老師に入門、4年で見性を許され、社会人1年目に道号を頂きました。

そして結婚、出産、1男1女に恵まれ、家事育児にも奮闘しました。

 

結婚した人は禅に全く縁のない人でしたので、道場まで車で送迎してはくれましたが門の中に入る事はなく、結婚の条件として坐禅(座禅)の修行は続けたい、と伝えてありましたので、道場に出掛けて行く事は認めてくれましたが宿泊してくる時は子どもを連れて行く事、と言われました。

それで子連れの摂心参加を何年かしました。

子ども達が保育園児から小学校卒業位までの間です。

 

房総支部の慧純さん(後の緝熙庵慧純老禅子)をはじめとする多くの方々のご努力で、四街道に念願の道場ができていました。

ここは環境は抜群に良いのですが、交通が不便、私の自宅から2時間はかかります。

午前中ゆっくり出発し四街道駅にあったマクドナルドで親子3人昼食を食べタクシーで入山、帰りは午睡後、作務で買物に出る車に四街道駅まで乗せて貰って下山、又駅の商店街に寄り、子ども達にごほうびのお菓子等を買って帰宅していました。

自分としては破門されない様、老師や支部の皆さんにご挨拶に来ている様な感じでした。

夏のお盆の時の摂心会は子ども達に着がえを入れたリュックを背負わせ、モノレールからバスに乗り換え終点から道場をめざしてハイキング。

小学生になってからは宿題や本も入れさせました。

少しでも静かに時間を過ごさせる為の方策でしたが、そこはやはり子ども、一向におとなしくしていず、1泊が限界、ゼニゴケ取りの作務など親と一緒に居る時はまだいいのですが、禅子寮に子ども2人丈にして私が禅堂に行くと、ドタバタ暴れる音や兄妹喧嘩の声が禅堂まで響き、やむなく立って禅子寮へ戻る、という按配でした。

食事は典座寮の隅で親子3人食べさせて貰いました。

 

今から思うと、周囲の方々にはずい分ご無理をおかけしましたし、お世話して頂いた、と思います。

せっかくそういう家庭の喧騒から逃れて禅道場に来るのにうるさい、と言われるのではないかと、肩身も狭く、障子も破くので障子紙を持参したりしていました。

 

ただ当時は若い禅子が次々に結婚、出産、育児の時で、私の他にも子ども連れで参加する方もあったので、その時は幾らかほっとしていましたが、やはり坐禅(座禅)の静寂さを保つ為には子どもに無理を強いることになるので遠慮し、やがて下火になっていきました。

夫婦で禅の道に入っている方は交代で子どもをみる、とか、実家に預けるとかしたのかもしれません。

私の場合は他に選択肢の無い、致し方のない子連れ参加でした。

摂心会以外は坐禅(座禅)をすることもできない日々、公案が透る訳がありません。

それでも行く道帰る道は、日常を離れられるので心も浮き立ちました。

父を早く亡くし、結婚以来実母と同居し、実家というものがない私には、ふるさとへ帰る帰省の様な心楽しい子連れ参加でした。

そうやって到着する私を慧純さんはじめ房総支部の方々は懐を大きくして迎えてくださいました。

 

そんなある日、こんな事がありました。夏の事です。

私は子ども達を入浴させて早く寝かしつけ、心おきなくゆっくりと坐禅(座禅)したい、と思いました。

それで待者に相談しましたら、老師が入った後で入っていいから、という返事。

感謝の思いで入浴しましたら、その後帰ってきた支部長の智鏡さんが、自分より先に風呂に入った、とカンカンに怒り、大声で私たち親子をどなりつけました。

当時房総道場に風呂は一つしかなく、男子は外でシャワー、女子は開枕後ゆずり合って入っていたのでした。

人前で親子共々どなられた私はすっかり意気消沈し、その後しばらくは摂心に行く気がおこらず不参加、破門されてもいい、と開き直った、と言えば聞こえはいいのですが、悲しい気持ちで過ごしました。

結果論ですが、一晩位夏でも子どもを風呂に入れなくても良かったのかも知れません。

智鏡さんと慧純さんはご夫婦です。

そのお二人の間にその後どんな会話があったのでしょうか。

程なくして道場の敷地内に別棟を作る計画があることを聞きました。

要請があっていささかの喜捨を私もさせて頂きましたが、やがて立派な建物が建ちました。

そこには大きな立派なお風呂場が設置されていました。

 

残念ながら建物が完成する頃には子ども達も成長し、母親にはついてきてくれない歳になりました。

なので結局摂心で子どもと共にそこを使う事はなかったのですが、夏にある「子ども禅の会」では参加した子ども達と共に賑やかに楽しそうに入浴、又、摂心会では年配の方の為のお部屋として、又、お茶会では杉林の見えるお茶席として、今は多目的に使われています。

子連れの禅子が気遅れなく修行できるように、と心配した慧純さんの母心から造られた母子寮、それが今の緝熙寮です。

 

「摂心中1回は来なさいね。」と言う慧純さんの心に背いてはならじ、という思いはありましたし、一生続けると誓った事、破門になってはならじ、という思いもありましたが、当時の私にとって遠隔地の道場への子連れ摂心は、往復の道中はともかく、なかなかハードルの高いものでありました。

 

「道場へ来て殊勝気に坐って『私は坐禅(座禅)をしてます』なんて顔するじゃねえぞ、慈啓、家の事しっかりやればそれが立派な修行なんだ」と二世総裁の妙峰庵老師が直接私に言って下さった事があります。

又、「世間で男のやる仕事なんて大した事はないんだ(?)それより子どもを育て家の事をやる女の人の仕事の方がずっと大切だ。」ともおっしゃっていました。

その言葉に、「妙峰庵は女性にはそう言うけど、男性にはそうは言わない」と慧純さんが不満気に言ってはいましたが、私にはどこか心に響くものがありました。

育児の時は育児三昧とおっしゃりたかったのでしょう。

そういう言葉に慰められながら、とぼとぼと歩いてきた様に思います。

 

やがて持っていた公案が透りました。

1つの則を13年持っていました。

その則が透った時が私の再出発のスタートでありました。

 

このとぼとぼ道はまだまだ続き、とうとう「作務もしないで参禅丈に来る人」になってしまいました。

長くなるのでこれは次号に。

介護編です。

「あけぼの」創刊号「3人目の子ども」と、2号「友への手紙」に書いてありますので、良かったら読んでみてください。

今回の思い出は、30年経ったから書ける事であり、若き禅子の為に書きました。

参考になれば幸いです。

  慈啓(中央支部) (あけぼの第25号より抜粋) #女性部

posted by ただいま禅の修行中 | 22:32 | 中央支部 | comments(0) | - |
座禅合宿の効用

五葉塾塾生の富嶽です。

会社のブログに一週間坐禅会について書かせていただきました。

https://ameblo.jp/shiny-tokyo/entry-12612374399.html

 

障害をお持ちの方の就労をサポートすることを仕事としていて、ご利用者さんからブログの感想をいただきました。

 

「お坊さんだったんですね!」

「ち‥、違います」

「でも、ああいうの良いですね。私も参加したくなりました」

「いつでも来ていただいて大丈夫ですよ」

 

どこまで本音か、はたまた社交辞令かわかりませんが、日常から離れた「非日常の空間」に身を置くことで心身ともにリフレッシュできるという点でも座禅合宿は良いと思ってます。

 

道場は緑豊かで朝は鳥が囀り、

風がそよげば小枝が重なる音が心を癒します。

 

禅堂で座禅をしていると、慌ただしい日常からほんのひと時、時が緩やかに流れている空間がそこにはあるように感じることがあります。

 

坐ることで根源的な生きる喜びを感じたり、普段はあまり意識することのない呼吸や身体との対話が生まれます。

 

ブログに書いたとおり、私は「心を鍛える」為に座禅を始めたところがありますが、座禅を通して受ける恩恵は「癒し」であったり、考え方の「とらわれ」からの解放であったり、ふとした日常の喜びを感じられる感性を磨かせてもらったりと、多くのものをいただいている気がします。

 

また、共に坐る仲間がいるということで「寂しさ」と無縁の生活が送れているということは、現代社会においてとてもありがたいことのように思います。

 

何が楽しくて坐るのか。

 

一般の人にはなかなか分からないところがあるかもしれませんが、座禅合宿にはそんな効用かあるということを、ほんの少しでも感じていただければ幸いです。

 

写真の花は、先日の茶席の床の間に飾られた、

菊芋と細矢羽薄(ホソヤバネススキ)

 

富嶽拝 中央支部 #青年部

posted by ただいま禅の修行中 | 22:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
摘み採った大葉から、根!! 〜根も葉もある話〜


庭に勝手に生えてきた大葉を摘んで、持たせるために葉の軸を水に浸けておいた。
すると、1週間ほど経った頃だろうか?葉の軸先から何やら白く短い毛のようなものが!?

「これは根に違いない!!」。さらに1週間、根はどんどん伸びて写真のように。

今までも、買ってきた大葉を持たせるために、長年同じようにしてきたが、根を確認したことはなかった。

これからどうなるのか?  一部はこのまま水の中で、一部は土に植えて育ててみよう。
水あらば水を根城、土あらば土を根城と根差してくれるか?

そんなに大きいわけでもないのに、なぜ「大葉」?
その意味を知ったような気がした。

 

栗山令道(中央支部

posted by ただいま禅の修行中 | 08:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
人間禅道場7月の茶花

7月は木々の緑に包まれて、とても良い風景です。

令和2年7月上旬頃の茶花の紹介です。

 

【草花編】

1.藪茗荷(ヤブミョウガ)の花が咲いています。手の平を広げたような若緑の葉の先に白い丸い形の花です。藪茗荷は道場全体にあります。秋にはその花の後の実が青くなり、この時期の実もまた茶花として使うことができます。ただ背丈が高いので普段は喜ばれない花です。

 

2.藪菅草(ヤブカンゾウ)が咲き始めました。花は濃い黄褐色で、さらに濃い色斑紋が内部に見られます。濃い色のため、これはあまり茶花としては生けられませんが、蕾の時を使うことをおすすめ致します。最近までは道端に咲いてましたが見られなくなり貴重な花です。正門の垣根と茶花園に咲いています。日光黄菅(ニッコウキスゲ)の咲き方と全く同じですが花の色のため嫌われ物なので扱いが全く違います。

 

3.破れ傘(やぶれがさ)の花は目立たない小さい淡紅色で、その後の色は薄鼠色です。茎先に咲いています。葉の芽が出る時は注目されます。その形が破れ傘状だからです。花の咲いている時は“添え”として時々生けます。藤棚の下の茶花園に少し増えて来ました。

 

4.矢車薄荷(やぐるまはっか) 倉庫の近くの茶花園に初めて咲きました。薄荷の名の通り葉はなめるとハッカの味がします。矢車薄荷の名は、花の形が矢車に似ていることと芳香が有ることからきてます。似た名前で矢車草がありますが、これは葉の形が5月の鯉幟等を飾る高い支柱の上の矢車の形から来てます。このように身近な物から植物は名前が付けられています。

 

5.水引草(水引・毛蓼) 4種類が道場にはあります。よく気をつけて見ないとわからない程あちこちにあります。花の色が白・赤です。葉に斑入りで赤色・白色の花が咲きます。茎の先から長い穂状につき咲きます。細かい穂状の花がびっしりと咲き、お祝い等に使われる水引に似ているのでこの名が付いています。金水引という名のつく草があります。これは名前が似てますが、葉の形と咲き方が違い花の咲き方は虎の尾の花の咲き方です。雑草と思われ少ないです。

 

【樹木編】

 

1.木槿(ムクゲ)の花が咲き始めました。ある場所は保育園入口と園庭前の茶花園にあります。園の入口の花は薄ピンクで詳しい名は「花笠」です。また園庭前の花は白で中程に赤色ですので「日の丸、宗旦ムクゲ,ソコベ二(底紅)」といいます。一日花ですので蕾を用意しておくと良いです。夏の茶花では一番生けられます。

 

2.南天・万両・藪柑子の花が白く咲いてます。花の時期には殆ど生けられません。茶花としても生けられませんが、花の少ない時には皆さんの腕の見せ所です。この樹木は冬の正月の飾りとして赤い実の付いているのを色々に使われます。繁殖率がありますので道場のいたるところで見られます。藪柑子は地面にあります。下を見ると見られます。

 

3.紫陽花が咲いてます。大木になりつつあります。額紫陽花と雪洞紫陽花です。苔山・陰寮前の垣根・南寮玄関近くに咲いてます。

 

4.色々の若い実が付き始めています。上を向いて歩くと形の面白い実を見つけられますよ。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部                               

 

posted by ただいま禅の修行中 | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
俳句を嗜む!

人間禅には、「坐忘会」という俳句の会がある。

私は、これまで俳句を嗜んだ経験はないが1年半ほど前から時々投句をしている。

俳句をはじめると、季節や旬の食べ物、草花、ちょっとした人の仕草に興味を持つようになる。

開催は、毎月1回で兼題(季語)が3つ用意されている。
開催日が近づくと、投句する7句を作るのに格闘する。
暇さえあれば、俳句を考えているが頭の中は堂々巡り…
推敲は、家内にもお願いし夫婦会議。家内は、なかなかセンスがよい。臨場感がない、意味が伝わらない、などとアドバイスをくれる。
開催日ギリギリに7句完成。さて、結果は?
これはイケると思っていた句が選ばれなかったり、いまひとつと思っていた句が選ばれたりで面白い。

 

さて、恥ずかしながら自薦の自作ベスト5は以下の通り。
(一面の…の句は、自宅のカレンダーを見ながら考えた。)
初詣 団子屋女将 腕まくり
一面の 菜の花ゆらす 小川かな
薪能 下天の夢と 唄えしか
サルトルに 栞はさみし 青すだれ
最果てと 詠まれし街の 寒き夜
 
光舟記 中央支部 #俳句
posted by ただいま禅の修行中 | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
明日もカイセイなり

人間禅中央支部の魁星です。


先月末から中央支部も徐々に活動が再開してきました。

静寂とした道場で皆で坐ると、独りで坐るのとは違って皆の真剣さが伝わってきて集中出来るような気がします。

そういう意味でも静かな道場に来て坐ることをお勧めします。
 

 


自分は道場を一歩出ると、携帯電話を常に手離せず騒がしい職場か、やんちゃ盛りの二人の子どもの相手をしている家にいるのが殆どで、静けさとは無縁の生活をしています。

本来は家でも時間を作って坐るべきなのですが、出来ていないため、今は道場で坐る時間を大切に過ごしています。

今月からは剣道の稽古も再開するので皆に会えるのは楽しみですが、4ヵ月近く稽古を休んだツケがコワイ……

 

魁星記(中央支部

posted by ただいま禅の修行中 | 10:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
目で見ないで、腹で見る 〜小川忠太郎先生剣道話(58)〜

みんな切り返しが良くなってきた。

切り返しの形が出来ても、「気剣体の一致」が出来なければいけない。それはどういう事かというと、呼吸が下がっていなければいけない。

初心の人は胸で呼吸する。それが腹へ下がる。しまいには踵(かかと)まで下がる。そこまで行けば満点だ。
切り返しでこれを練る。
これが本当に出来れば、剣道の大部分は終わり。あとは、形(カタ)で理合(りあい)をやって行けばいい。
切り返しで「気剣体の一致」を練る。

(中略)

警視庁で一番強いのは、持田先生だ。攻めが強くてどうにもならない。
……
どうしても迷わされるから、(ある先生が)「目をつぶってみたらいいだろう」と目をつぶってやってみたそうだ。
そうしたら、先生は打ってこない。
だから、剣道というものは、迷うという事がいけないんだな。

しかし、目ばかりつぶっているわけにはいかない。目なんかつぶる必要はない。
法定の努力呼吸をして、「ここ(先生下腹に手を当てられる)に収まればいい。

目で見ないで、臍下丹田で見たらいい。腹で「ズーッ」と見る。

その為には、(直心影流法定の形の)努力呼吸を数をかけてやればいい。そうなると開ける。それを知らないから、目をつぶったりする。

耳で聞かないで下腹で聞く。法定の努力呼吸は、えらいものですよ。ほかの形には、あんまりないね。

無刀流ではやっていますね。さすが山岡先生だ。「ハーッ、ンーッ」とね。これが本筋へ入る道なんだ。
誰でも出来る。中学生だって出来る。
その効果は、その人の熱心度の度合いですよ。

いいかげんにやっちゃ効果はないです。数息観と同じだ。居眠りしながら、いいかげんにやっても駄目だ。一生懸命やれば、自然に行く。

そのいい例が、白井亨。稽古を止めちゃって、苦し紛れに『夜船閑話』にぶつかって、それで2ヶ月真剣にやって、開けた。

この道場には、そういうものがあるんだから、小学生でも努力呼吸をやれば大したものだ。これは一生身に付く。

歳を取れば取るほど熟してきますからね。坐禅と同じだ。
最後のどうしても切れない雑念は、「一息裁断」。一息でいい。これで切れない雑念はない。努力呼吸はそこまで行かないといけない。

そういうものだからな。目なんかつぶらなくてもいいんだ。正確な方法でね、うんと一生懸命やる。

人間は三度三度食事をする要求がある。呼吸はいいかげんにしていても間に合う。しかし、呼吸は一番大事なんだ。これは精神的な食糧だよ。「ズーッ」と。これを毎日養ってやらないとね。

法定の形は、そういうものだ。私がこの歳(81歳)で稽古が出来るのは、法定の形のお陰だ。これに出会ったのは28の時だ。中学生の頃に出会っておれば、なお良かった。

歳を取れば取るほど熟してくる。そういうものだから、方向を間違えないように。
目なんかつぶったって駄目だ。


昭和57年1月31日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内…栗山令道 中央支部 #剣道部 #宏道会

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
旱梅雨割れ目に農夫佇みて 蓮舟|四季折々(14)

旱梅雨割れ目に農夫佇みて  江口 蓮舟

 

梅雨の雨、夏の日照、気温など、農作業は自然に左右される難しい仕事だ。

一つでも不調であれば、収穫に影響する。

雨の降るべき梅雨の時期、日照りが続き、地割れが生じるほどで、米作りには最も大切な田植えが出来ない。

田の地割れをじっと見て立ちつくす農夫。

「佇む」で、これから先どうすべきかと心配、思案している姿を表した。

これは同時に作者の優しい視線でもある。

(「俳林」18号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

posted by ただいま禅の修行中 | 14:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
穂先七竈と平小判草

中央支部五葉塾塾生の富嶽です。

通勤の電車もコロナ以前と大して変わらぬ乗車率となってきました。

自分の勤務も来週からは在宅勤務もなくなります。

 

朝の日課の一部であった座禅と茶道稽古も以前同様に行われるようになってきました。

今朝のお茶室の床の間に飾られた花は、穂先七竈と平小判草でした。

 

穂先七竈(ホサキナナカマド)の花はよくよく近づいてみると、小さな梅の花がこれでもか、とばかりに咲いているように見えます。

離れてみる姿と近づいてみるとまた別の顔が見えるというのも面白いですね。

 

平小判草(タイラコバンソウ)と先生が呼ぶ草は、調べてみると西洋小判草とか宿根小判草、偽小判草、ワイルドオーツというものらしく。

子どもの頃に野原で見かけたのもこの草ではなかったか。

 

お茶の稽古と共に色々な草木を教わるものの点前同様に覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返し。

それでも花と見れば興味関心をもって眺めるようにはなってきたなと感じています。

それは稽古の賜物なのか、はたまた齢を重ねたもののさだめなのか。

 

花の名前は忘れても

かの花は いつか見た花

微かな記憶と共に

その時の出来事が 朧気に重なる

あれから月日は巡り 今ここで出会う

 

会った花の名は同じでも

いつかみた かの花とは違う

我もまた かの時とは違う

 

また時が経てば巡り合うだろう

この花ではない その花に

その時の我もまた この我とは違う

 

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同。

 

2020年6月17日

富嶽記 中央支部 #茶道部

posted by ただいま禅の修行中 | 21:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
当面は形(カタ)三昧の有り難さ! 〜形だけ会員歓迎中〜

当面は形(カタ)三昧の有り難さ!

〜形だけ会員歓迎中〜


無得庵こと小川忠太郎先生いわく。
「形はいいんだ。ただ真剣になれないんだ。形で真剣になれたのは寺田五郎右衛門ただ一人じゃないかな?
56歳で一刀流の免許皆伝ですよ。
偉い人だね。それでまだ納得できないんだよ。それでまたやるわけなんだね。
自信が出来たのは70歳を過ぎてから。それは、東嶺和尚に参禅したから。」

江戸時代後期の剣術家寺田五郎右衛門は、竹刀と防具を用いた打ち込み稽古を邪道だとし、17歳の時一度中西道場を去っている。
51歳の時、高崎藩の命により再び中西道場に戻ってからも、竹刀と防具の稽古には目を向けず、ひたすら形三昧の修行を続けた。

その中西道場で五郎右衛門から形の指導を受けた千葉周作は、寺田五郎右衛門とその弟子の白井亨について次のように語っている。
「寺田氏は、自分の構えた木刀の先より火炎燃え出づると云ひ、白井氏は、我が木刀の先よりは輪が出づると云ひ、いずれも劣らぬ名人なり」

また、直心影流第15代山田次朗吉は、寺田と白井について、
「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ。」
と評している。

寺田の弟子白井亨は、竹刀と防具の稽古で剣術に行き詰まり、その後体力的にも行き詰まって死ぬ所まで行ってしまった。
しかし、そこでたまたま出会った白隠禅師の『夜船閑話』で、2ヶ月間真剣に坐禅をして三昧に入り、心身に著しい変化を感じた。その直後、寺田の指導によって開悟している。

ここで、ひるがえって人間禅ならびに宏道会を見たときに、私たちには、寺田・白井両先生を名人たらしめた古流の形と坐禅が、あらかじめ用意されているのである。

また、宏道会には、この社会状況下でも一人でいくらでも出来る素振りがある。さらには形の10時間立ち切り稽古である「一刀流遍稽古」もある。

 


 2019年12月に行われた10時間立切りの一刀流遍稽古


古流の形には、人間と人間とが真剣を持って向き合うという真剣勝負を通してつかみとられた、相手ではなく自己の心をどうしたら良いかという、人間形成の偽りのない極意が入っている。

故に、その形の極意を我が物とするには、どれだけ真剣になり切れるかにかかっている。言い換えれば、いかに呼吸が丹田から足元の方まで下がった状態で出来るか、ということである。
その呼吸を下げる修練が、坐禅であり、素振りだ。

その坐禅と素振りは、すでに宏道会の形稽古に出ているのである。
小川先生は、「宏道会の一刀流は自信を持っていい。」といわれている。

この機会に、そこをさらに徹底するのである。

このようにとらえ、このコロナ禍という社会状況下にあって、形三昧の稽古が出来る幸せを味わいたい。他の道場では、なかなかこうはいかないことである。

7月から再開を試みる宏道会の稽古は、マスク着用の条件付きと、当面は、基本、声を出さないで行える一刀流の稽古が中心になる。


ところで、最近の傾向として、剣道未経験の人間禅会員男女が、形(直心影流、一刀流)だけを修練する宏道会の会員となって、稽古に見える方が増えつつあるのは、とても良いことだと思う。そういう方がもっと増えてくることを希望したい。

人間禅だけではない。一般からも剣道の経験の有無・年齢・男女を問わず、形だけの稽古でもいいので、修練したいという方も歓迎します!

今はまだコロナ禍の中で、7月5日から当面日曜日午前中と水曜日夜に限って、新しい稽古の方法を模索していくところですが、コロナが収束する頃を睨んで、「形だけ会員」をぜひご検討してください。

合掌
宏道会師範 栗山令道 中央支部 #剣道部

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朝禅を制する者は1日を制す!

皆さまごきげんよう!

タイトルを見ると、「何を偉そうに言うてんねん」とツッコミが入りそうですが、目下の目標になっています。

 

実は、今から15年程前に大学禅サークルで活動していたとき、『朝禅を制する者は1日を制す!』というキャッチフレーズでチラシを作り、部室での朝座禅の勧誘に使っていました。当時は大学院生でしたが、今は社会人として仕事をする中で、いろいろなことに責任が伴ってきます。それに対応する自分の状態がどうなのか? ということが重要になってきます。そして、自分の状態は、朝座禅の充実度で決まってくるのです。そのようなわけで、今になってあのキャッチフレーズが自分の中でどんどん大きくなっています。「その通りだ!」「そうありたい!」と強く思います。

 

自分の朝座禅レベルをより向上させるために、私には有難いことに強力な2つの武器があります。1つ目は、名誉総裁老師の『数息観評点表』、2つ目は、コロナ禍で繋がった鈴木一渓居士主宰の『リモート早朝坐禅』です。

 

『坐禅の効用』には次のようにあります。 

・・・「頭の毛に付いた火を、手を使わず水を使わず、とにかく気合いで消そう」というのは容易な気合ではありません。まさに、この「頭燃を救うが如く、急切なるべし」の言葉通りであります。これができるかどうかが、評点記録の向上、しいては、本当に道力を付けていくということに連なってくるわけであります。・・・

 

・・・自分の呼吸を集中して数える数息観において気合いを込め、意思の力を強めて呼吸を数えるということ以外に何も考えない、全部切る、この決意、これが数息観の階梯をどんどん進ませる原動力になるわけであります。これ以外に何にもない。持って生まれた素質なんて関係ありません。頭の良し悪しも関係ありません。自分自身で気合いを高め、意思の強さを強めていけばよいのです。逆に言えば、評点の低いレベルのままで低迷しているというのは、あるいは、70点の壁が破れないというのは、ここが弱いからであります。ここのところを破らないといけないのであります。・・・

 

恥ずかしながら私のレベルは低く、未だ遥かなる10ですが、老師の仰る「意思の力」を強めて少しずつでも向上させなければならないと思います。

また、zoomでの早朝座禅会は、1人の時とは違い、我儘が許されず、みんなで一緒に時間を共有することによるエネルギーも発生し、切磋琢磨できる空間となっています。さらに、参加者同士のライングループもあって、さまざまな議論が交わされてそちらのほうも盛り上がっております。この会はだんだんと人数が増えてきており、座禅のほかにも、スマイルヨガ、茶話会など、さまざまなイベントも始まっています。広報向けには、一渓居士プロデュースの5分間座禅映像も毎日更新されています。

 

https://youtu.be/JDV-0kLASms

 

https://youtu.be/bvWqFF7LScM

 

これらの有難い武器を活用させていただいて、あとは自分との闘いです。弱い自分に打ち克っていきたいと思います。みなさんも、この強力な武器を手にとってみませんか?

 

粕谷玉道 中央支部 #青年部

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新しい人生のスタート

 世の中は、緊急事態宣言が解除され、感染防止と経済活動再開への両立に向かって、「新しい生活様式」に取組むことが求められております。その最中の5月29日に、私は会社を退職し、生活様式が一気に変わりました。スーツを着る、通勤する等など、これまで当たり前のようにしてきた行動が無くなりました。新しい生活様式をスタートさせて、一週間程しか経っておりませんが、生活リズムは大きく変化いたしました。とにかく、会社の事を考える必要がなくなったことは、精神的にも肉体的にも楽になりました。新型コロナウイルスの感染拡大から、世界経済は大きく落ち込み、多くの企業が業績の悪化に四苦八苦していますので、私が現役で仕事をしていたらと想像すると、ぞっとしています。そういう意味では、退職の寂しさはあるものの、幸せを実感しています。

 

 会社人生を少し振り返りますと、大学を卒業して39年間、多くのビジネスマン同様に、私も仕事人間で走り続けた毎日でした。入社した頃から、ビジネスマンは全力疾走の長距離走だと先輩から教えられ、その通りに実践してきました。気が付いたら社長になり、会長になり、相談役になり、退職のゴールテープを切りました。会社人生では、さまざまな出来事を思い出しますが、良いこともあり悪いこともありました。ふと思い出したのは、会社の創業者の座右の銘です。その言葉は“Total sum is nearly constant”です。海軍で使われていた言葉のようですが、創業者は、「長い人生良いことも悪いこともあるが、総じてみればトントンだ。」と言うような意味で使われていました。私の会社人生もトントンだったと感じています。

 

 さて、これからの人生をどう生きるか。毎日、静座、体操、スクワット、運歩、素振りを行い、総務長の仕事をこなしながら、そのことを楽しく考えています。暫しの充電期間を満喫した後、就活でも出来たら幸いです。

 

 退職日に贈られた花束

 

中央支部 三松無妙拝

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捨て身に徹底すれば崩れない 〜小川忠太郎先生剣道話(57)〜

正しい稽古というのは、さっきやった直心影流の形の気合だ。
その気合で構える。そこまで行くと、技は自然な技しか出ない。ごまかしの技は出ない。

形の一本目の「切り落とし」(面)一本。二本目の突き一本。これしか出ない。
あまりチョコチョコした技は出ない。そういう技だけ覚える。「死中に活を求める」というのはそれだ。

「ズーッ」と。本当に一生懸命になれば、「ズーッ」と一本。


ところが、基礎が悪いと、その前に右手に力が入っちゃう。打つ前に力が入っちゃうから崩れちゃう。
打とうという念があれば、右手に力が入っちゃう。そこは修練だ。

「猫の妙術」でいう「眠っている猫」「木で作った猫」でなければいけない。
そうすれば、「ズーン」といく。

剣道はこれ一本覚えれば大したものだ。
あとは色々な技を磨いたらいい。一刀流に百本もあるんだから。
とにかく「ここ」を覚える。


それには、打つ前に崩れちゃ駄目だ。それではまだ捨て身に徹底していない。
剣道の構えは捨て身。相打ち。捨て身に徹底していれば崩れない。

わずかのところだ。そこを頭に置いて、打たれる事を気にしない。「ズン」と前へ出る。

みんな、そこへ来ているんだから、打つ前に崩れないという事を修行する。
打たれてもいいんだから、出て打たれる。その間に悟りがある。

大事なところですからね。打つ前に崩れないというところをひとつ研究する。
そこをひとつ覚えれば、稽古が「グーッ」と伸びる。

みんな、良いんだけれども、打つ前に崩れる。もっと言えば、打つ前に「打とう」という一念が出る。

出ても良いけれど、一念が出た時には、打っちゃっていなければいけない。突こうと思った時には、突いちゃっていなければいけない。

思ってから行くのじゃ駄目だ。

そういうところを目標に、しっかりやってください。


昭和57年1月24日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内……栗山令道(中央支部) #剣道部 #宏道会

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近日公開予定の映画『燃えよ剣』に出演しています!

近況報告。

 

現在アメリカのアーティストビザというのは取得して、俳優、殺陣指導者としてキャリアを築く為にロサンゼルスに移りましたが、コロナの影響で全てストップし、日本に一時帰国しております。
向こうでは、アメリカ人の生徒さんも少しずつ増え、俳優として、短編映画のメインキャストも一つ決まりかけましたが、全てストップしてしまいました。

しかし、そこで感じた事が僕にとって今、日本にいる間に構築できるチャンスと捉えています。
それは、日本の文化はやはり素晴らしいという事の再確認と、
“剣と禅”という深い哲学は、俳優としても全く一致していて、それを応用して活かしている中で、そういった事をさらに深掘りして指導においても俳優としても、再構築して、戻った際に、最も明確に行動していきたいと考えているからです。

殺陣をする上でも演ずる上でも、役と自身の一致。自分自身を捨てて、役に入り、その瞬間を生き、存在する事はとても大切で、これを俳優としても、指導者としても海外で体現していきたいと思っています。

 


8月にはまたロサンゼルスに戻れたらと考えていますが、状況が状況だけに様子を見ながらとなりますが、
今やれる事を全力でやっていこうと思っています。

 

小林赤誠 中央支部

 

追記

近日公開予定の映画『燃えよ剣』に国重正文という役で出演しています。

http://moeyoken-movie.com/

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道場の6月の茶花

市川の本部道場には多くの茶花が植えられています。今回は6月上旬頃の茶花の紹介です。

〔令和2年6月の上旬頃〕

【草花編】

. 伊予蔓(イヨカズラ)が咲いています。地面を這うように淡黄色白色の花で小ぶりです。地味な花で見つけにくいです。茶花としては掛け花として使うと面白いです。掲揚塔の大きな欅の近くに咲いてます。

 

. 八重十薬(ヤエドクダミ)の八重咲きの白色で気品を持って咲いてます。普通の十楽と思われ何回も引き抜かれましたが、やっと根付きました。北寮茶室の茶庭の大きな石の周りにあります。

 

. 日光黄菅(ニッコウキスゲ)が群落状態で黄色の透明性で剣道場脇に直立し咲いてます。花自体は1日花に近いですが1本の茎に蕾が5〜7個付いてますので次々と咲きます。育てやすい花ですので株分けはいつでもできます。

 

 

. 蛍袋(ホタルブクロ)。蛍が入って隠れ易いほどの大きさで濃い赤紫色で下向きに咲いてます。この花も1本の茎に蕾を10個以上付けてますのでしばらく楽しめます。倉庫脇の茶花園に咲いてます。

 

. 鳥足升麻(トリアシショウマ)が白色で咲いてます。この近くには升麻関係の花が次々と咲きます。道場にあるのは山吹升麻・赤升麻があります。倉庫脇の茶花園に咲いてます。

 

 

. 竹葉草(チクヨウソウ)の茶色の花が咲き出しました。名前の通り竹の葉が細い茎についています。北寮茶花園にあります。

 

【樹木編】

 

  

. 泰山木(タイサンボク)の大きな乳白色の芳香ある花が咲きました。次々と咲くことでしょう。大きな大木となり約10メートル超えで下からでは花が見えなく禅堂2階の廊下からよく見えます。花も大きく、ままごとには皿としてよく使いました。

 

  

. 甘茶が咲きました。以前は目立たない場所にありましたが、今は北寮茶室の庭にあります。やっと根付き可愛い額アジサイ風に咲いてます。

 

. 売子の木(えごのき)の花が一斉に咲きました。期間が短いですが、その木の下には白色の花びらがたくさん落ち、一時期白色の絨毯が敷いてあるようです。隠寮入口の垣根近くと典座の外入口の水道近くにあります。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部

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環境は変わっても。

皆さま、いかがお過ごしですか。

私は会社員をしております。
仕事は緊急事態宣言前から完全テレワークに移行し、6月も半月以上は在宅の予定です。
在宅勤務はすぐに慣れ、オフィスと変わらずに働いています。
ただ自宅は手狭なワンルームのため、日常の行動範囲は2m×6m以内に縮小しました。

さて、そんな自粛生活もひと月を過ぎた5月下旬のことです。
こじんまりとした我が家では、仕事のデスクと食事のちゃぶ台は兼用です。
1日の仕事を終えて、今日もお疲れさまと楽しくデスクを片づけていたら、不意に、
「ああ、環境が変わっても、私は変わらないんだな。」
という思いが頭に浮かび、すっと納得しました。

もちろん、環境が変われば経済的に苦しんだり健康を害したりします。
ここでの「私」とはそうした金銭や身体という側面ではなく、「自分そのもの」のことです。
環境が変わっても、自分そのものは変わらない。
変わらないでいられるのです。
これは坐禅の修行で気づいたことでした。

それなのに。
外出自粛でどうなるかしらとちょっぴり不安だった私です。
あぁ身についていないな、本当に修行最中だなと、ちゃぶ台を拭きながらひとり苦笑いをしました。

新たな生活が徐々に始まっています。
感染予防を徹底して人に迷惑をかけないように、そして元気に行動したいと思います。
皆さまもどうかご自愛専一に、お元気にお過ごしください。

露香 拝 中央支部

 


 自宅のスナップ写真です

posted by ただいま禅の修行中 | 20:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
令和2年5月某日 朝の茶席

本部道場塾生の富嶽です。

ようやく緊急事態宣言が解除となり、様々なイベントも動きだしてくることと思います。

道場での茶道稽古も少しずつ再開されました。

 

通常、名誉総裁老師が本部道場にお泊まりになられた翌日は、朝8時より名誉総裁老師(御年80歳)のお点前にてのお茶席があります。

ここのところコロナ自粛で名誉総裁老師のお泊まりがなかったことと、そもそも私の仕事の出勤時間の都合上、私はこれになかなか参加できなかったのですが、仕事がたまたま在宅勤務であったので久しぶりに参加することができました。

 

名誉総裁老師は作陶をされ、そのお茶碗が朝のお茶席で出されます。

私が言うのもなんですが、年を重ねるたびに茶碗が進化しているように感じ、最近は「思わず眼がとまる」ということが増えました。

 

名誉総裁老師の年齢にとらわれることのない様々な活動ぶりを目の当たりにするたびに、「我々も頑張らねば」と居住まいを正さずにはいられない心持ちがいたします。

 

写真は時計回りに

床の間に飾られた軸は如々庵老師の筆で「茶烟輕颺落花風」(ちゃえん かるくあがる らっかのかぜ)

お菓子は水羊羹と鶯神楽の実

お花は下野と大山蓮華

 

富嶽(中央支部) #茶道部

 

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落ち椿春日の局の思い程 慈啓|四季折々(13)

 文京区麟祥院にて

落ち椿春日の局の思い程   片野 慈啓

 

麟祥院には、家光の乳母、春日局の墓があり、椿の寺でもある。

彼女は、家光の将軍就任後、権勢をふるい、実力者となったが、墓は、上部に穴を穿ち、「政道を見守り、直していけるよう、黄泉からも見通せるように」という遺言(思い)を形にしている。

作者は、椿が、庭一面、ぽたりぽたりと落ちているのを見て、政道を死後まで見守りたいという思いに、実力者の寂しさを感じたのだ。

見学した墓と椿を、即座に結び付けた句だ。

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

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しばらくは離れて暮らすコとロとナ

 

 新型コロナウイルス感染拡大によって、ついに3月24日東京オリンピックの開催が一年延期となりました。4月7日には東京など7都府県に「緊急事態宣言」が発出され、16日に至って宣言の対象を全国にまで拡大されました。5月4日には宣言の期限が31日まで延長されましたが、直近の感染状況の減少傾向を考慮し本日25日全面解除がやっと決定されました。

 私たちを取り巻く環境は大きく変化し、何とも言えない大変な二ヶ月でした。
この間、私なりに得た知識、出来事、体験等に感想を添えて拙文にまとめましたので参考にしていただければありがたいです。

 

伝染病に関する語源について

 

 まず「病」とは、患者の手足がこわばり横にピンと張り出すこと(丙はそのままを示す形)。
「疾」の字源は病気が矢のような速さで進行すること。
また役は古代の武器「ヤマホコ」を手に人びとが遠征する意味で「疫」には遠くまで広がるイメージがある。
よって「疫は役なり」・・・疫病は天が人民に均等に割り当てる苦役であり戦役である。
「疫、民皆疾なり」…疫病とは天下の人民が皆猛スピードで病気にかかること。
(なるほど疫病とはいつの時代でも怖ろしいものです)

 

外出自粛要請についての三題「不要不急の外出は控えること」

 

 私の長い人生の中で一ヶ月半まったく外で飲食をしなかったのは初めての経験でした。
ところが今月13日の夕方6時頃、大会社でいえば総務部長クラスの方から電話があり、
「いま社長と近くのうなぎ屋で飲み始めますので、ぜひいらっしゃい」とのお声がかかりました。
喜び勇んですっ飛んで行きました。久方ぶりの旨いお酒と肴で話も弾み、楽しい一夜を過ごすことができ元気をいただきました。
(さて、この二人とはどなたでしょうか)

座禅会といえば私が所属している中央支部月曜耳順会も自粛ということで当分の間、実施されなくなりました。自宅では一日一炷香を毎日欠かさずやっておりますが、一人で行う静坐は三昧には程遠いものがありました。ある方から総裁も参加されておる日曜座禅会が行われていることを聞き、17日8時半から久方ぶりに参加し親しい道友にお会いできました。
(3密など心配のない本部道場で感動、感謝した日曜午前のひと時でした)

10数年前から趣味の一つとして油絵をやっております。毎年6月に開催される松戸美術展に出品するために3月より描き始めました。外出自粛のお陰で時間はたっぷりあり、三ヶ月かかって完成しました。(結局、美術展は中止)題名は「M氏の古い登山靴」

 題名は「М氏の古い登山靴」

 

Stay homeにあやかりウイルスに負けず健やかに暮らす5つのStay

 

 1.体力、免疫力を保とう    <Stay Healthy>
2.ポジティブな気分でいよう  <Stay Positive>
3.つながりを保とう      <Stay Connected>
4.感謝の気持ちを忘れずに   <Stay Thankful>
5.大事なことは考え続けよう  <Stay Focused>
幸せ経済社会研究所 枝廣淳子所長
(これに人間禅の「正しく、楽しく、仲良く」が加われば言うことなし!)

 

ポストコロナへの対応

 

 ロンドン・ビジネススクール リンダ・グラットン教授(女性)日経新聞のインタビュー記事から

4-1.コロナは働き方にも影響
どこで、なぜ、いかに働くかが問われる。
デジタル技術を用いたリモートワークが一気に広がった。
人は一度経験した便利さを手放さない。
(私も昨年12月遅ればせながらスマホデビューをしました。もう手放すことができません)

4-2.人工知能(AI)やロボットの普及、気象変動などコロナ以外でも新しい環境への適応は待ったなしだ。一人ひとりが人生100年を見据えた学び直し、学び続けることが最重要事項。
(ボーッと生きているとチコちゃんに叱られますよ)

 

 本日政府より緊急事態宣言が全面解除となりました。治療薬、ワクチンが開発されない中でまだまだ楽観、予断は許されません。長期戦も覚悟せねばなりません。
新型コロナウイルス感染防止への新たな方策と新しい生活様式への対応を講じてこの難局を乗り切りましょう。

 

 油絵の魅力はデッサン、構図、色使い等やればやるほど奥が深く描いているときは2〜3時間、何もかも忘れて集中でき、三昧状態に入ったような気分になります。
(それにしても座禅では三昧状態には程遠く、まだまだ修行が足りないこと反省しきり)

 とっておきのお気に入り文句を紹介させていただき終わりとします。

「しばらくは離れて暮らすコとロとナ、つぎ逢うときは君という字に」
(漢字の君という字を分解すると、コとロとナの3文字になります)

 

令和2年5月25日記
森嶋石雲九拝(中央支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
春の宴新婦の父の絶句かな 寶州|四季折々(12)

春の宴新婦の父の絶句かな  久木田寶州

 

春の陽気の中、華やかな結婚披露宴の最後の一コマ。

締めくくりの場で、新婦の父親が親族代表として、出席者への感謝と新郎新婦への支援お願いの挨拶をした。

宴会では、それまで脇役に徹してきた父親だが、やはり一言述べるとなると、娘が結婚する喜びと共に、娘を送り出す親の思いが一気に込み上げ、感極まって言葉が詰まってしまった。

喜びと寂しさの混み入った気持ちだ。

作者の父親への同感と、暖かいまなざしが滲む。 

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

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正しい目標を持てば楽しくなる〜小川忠太郎先生剣道話(56)〜

試合ばかりやっていればどうなるか?

相手は「当てっこ」がうまい。しまいには、ごまかす事ばかりうまくなる。そうすると、「ごまかし人間」になっちゃう。 大変な事だ。

真っ直ぐやっていると、いくつになっても伸びるからね。だんだんやっていると楽しくなってくる。
私なんか、どっちかっていうと、楽しいから一生やったんだな。初めは剣道を専門にやるとは思わなかった。
正しい目標を持てば楽しくなる。

小さい者には分からないだろうが、大きい者は、おかしなごまかし 稽古を見て、「嫌だなぁ」という気持ちが出てくるという所まで行かなくちゃいけないね。
そうなると、そういう嫌なものが来ても、こっちがそれに染まらなくなる。

「嫌だなぁ」と思っても、それと一緒になっちゃ駄目だ。
社会でもそうだね。おかしな人がいるからね。初めは「嫌だなぁ」と思っていても、そのうち嫌だと思わなくなっちゃう。

そういう(おかしな)人がこちらを見習うようになればいい。それが教育だ。
いい稽古をすれば、口で言わなくとも人がそれを見習うようになる
道を説くのでもそうだね。本当にやっている人は、黙っていて、周りの人を感化しちゃうんだな。

この間、中江藤樹という人の書いた物を見た。
41歳で死んでいるけどね。この人は、自分の身を修めるという事だけをした人だけれども。この人の周りには、 悪いことをする人が居なかったそうだ。
大したものだね。

理屈を言うんじゃない。この人は、本当の学問をやった。

剣道だって、本当の剣道もあるし、「当てっこ」の稽古もあるしね。学問だって、本当の学問もあれば、理屈だけの学問もある。
中江藤樹は、本当の学問をした人だ。

昭和56年12月13日
宏道会剣道場にて述。
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成…栗山令道(中央支部)

#剣道部 #宏道会

posted by | 18:20 | 中央支部 | comments(0) | - |
70の手習い。本日のお題は「心外無別法」

  2016年月頃から、毎週土曜日、宏道会の剣道場で行われている書道教室に参加している。先生は書道歴50年以上の宏道会の剣道の仲間で、生徒も剣道の仲間人である。その中には小学生が3人おり、お母さんも参加している。

 先生がお手本を書いてくれる。子供たちには、好きな漢字を選ばせ、正しい書き順で楷書の練習をさせる。大人たちは、如々庵芳賀洞然老師の著書『新版一行物 禅語の茶掛』から五字のものを選んで練習する。先生が楷書、行書、草書の順でお手本を書いてくれる。最初は楷書の練習をして、作品を提出すると、先生が花丸の「よくできました」のハンコを押してくれ、次に練習する行書のお手本を書いて渡してくれるという具合である。

 練習を始めて四年半になるが、いっこうに上達した気配がない。わたしに対する周囲の認識も同様で、先週の土曜日など、書道の稽古に出かけようとすると、女房が「どこへ行くの? お習字?」と訊く。「ウン」と答えて家を出て剣道場に着くと、新型コロナで通常の稽古がないため、ひとりで素振りの稽古に来ていた宏道会の会員が「清巖さん、お習字ですか?」と訊く。どう見ても、わたしは「書道」というガラではないらしい。

 

 本日のわたしの草書の作品「心外無別法」

 

 しかし、わたし自身は本気である。この四年半、自宅でほとんど毎日練習している。きょう(令和2月23日)のお題は「心外無別法」であった。「心外(しんげ)に別法(べっぽう)無し」と読む。如々庵老師の解説には「欲界・色界・無色界の三界、すなわち宇宙空間に存在するものはすべて、みなただ一心の顕現したものであり、この一心と無縁に存在するものは何一つない。

 心と仏と衆生の三者は、名称がちがうとおり、一応、別のものといえば別ものではあるが、その本体からみると同じであり、その間に差別はない」とある。これだけだと唯心論的な誤解が生じる可能性があるので、さらに分かりやすく「ここでいう一心とは、人間をはじめ万物がそこから生まれ、またそこに帰るところの宇宙の大生命、仏教のいわゆる如(にょ)、儒教のいわゆる天命、老子のいうところの大道の謂いなのである。したがってこの句の真正の意味は、この宇宙空間に存在する一切のもの、人間をはじめ万物はみな宇宙の大生命・如の発露したものであり、この宇宙の大生命・如の顕現でないものは何一つない、ということなのである」と解説されており、勉強になる。

 ともかく、書道は動中の工夫であり、何よりも「一行三昧」に徹することである。だから「下手でもよい」、そう思って70の手習いに励んでいる。

 

平川清巌(中央支部) #書道

 

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いつの日か

 私の職業は電気設備工事の技術系事務職員で、横浜みなとみらい地区に新築される某ホテルと商業施設の建設事務所に勤務しております。

 建設現場の現状は基礎工事の段階ですが、基本設計図書に基づいて高品質で効率よく安全な電気設備を構築するための詳細施工方法の検討と施工図面等を作成している最中です。

 2年後には外資系の一流ホテルが完成し、いつの日か、この建物を訪れる人々にいつまでも幸せな思い出を胸に刻んでいただけるような施設を完成すべき日々励んでおります。

 

 国府台の豊かな森に包まれた人間禅道場中央支部においては、建築後半世紀以上経過した禅堂等の営繕係でもあります。

 支部営繕の係員の中に老年の自称“永遠の匠の卵”が2名在籍しています。その一人が私です。

 今年になってから営繕で手掛けた傑作な作品が2つあります。ひとつは両忘塔に上る階段入り口に設けた藤棚、もうひとつは北寮茶室の待合い屋根張替えの二物件です。

 藤棚とはいえ、今はただの潜り棚にすぎませんが、いつの日か、季節に合わせて美しい薄紫の藤花がこの棚を一面の幻想の世界に染めあげ、新緑のさわやかな風に波打つ花園の光景が観られることを楽しみにしています。

 

 

 人間禅では何事にも対応する際に心がける戒めがあります。それは、「段取り・真剣・後始末」の三つの戒めです。

 いつの日か、社会並びに道場の諸行事において事に当たる際に、この戒めを恥ずることなく実行しうる会員になりたいものです。

 

中央支部 佐瀬泰山 拝

 

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仰げば尊し・・・小川先生(無得庵刀耕老居士)のエピソード

人間禅中央支部の岡根谷無刀です。

 

2020年5月17日(日)

 

コロナ禍で剣道場は閉鎖状態ですが、普段通り、まずは道場前の道路を掃いて、禅堂で一炷香。

やっぱり、禅堂で坐るのはいい。

帰りがけ剣道場わきで、道場を振り返ると、空は晴天、理屈なくすがすがしい気分になる。

 

 

私の師匠小川先生(無得庵小川刀耕)の人生が思い起こされる。

先生は、戦後7年間(1945年〜1952年)剣道が禁止され、国士舘の剣道教師の職を失い、サツマイモを作って一家を支えた。

その間も人間禅の総務長として修行にまい進、多くのエピソードをお聞きしている。

・極貧生活であったが「自主的貧乏は、為になる」と。

・サツマイモと合わせて育てていた落花生を盗まれた時「もっと困っている人にさしあげたのだからいいじゃないか」と。

・古材で弟子たちが家を建ててくれた後に「何もお礼に差し上げるものがない、お礼に稽古」と言って、庭に蓆(むしろ)を敷いて切り返しをしたと。

 

今回のコロナ禍など比較にもならないが、同じ志をもって難局を糧にしていきたい。

 

#剣道部 #宏道会

 

 

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饒舌な沈黙 〜仙空庵心耕老居士の一周忌に寄せて〜

2020年5月14日――敬愛する仙空庵小川心耕老居士の一周忌でした。
宏道会では、先生方の呼びかけにより、個々に追憶尋思して偲びました。
いつも太陽のような笑顔で私たちに接してくださった心耕さん……との想い出の一端を回想してみたいと思います。

出会いは24年前、まだ私が出版社に勤めていた頃の話です。
ご尊父小川忠太郎先生(剣道範士九段、無得庵刀耕老居士)の稽古日誌「持田盛二範士十段との『百回稽古』」の単行本化にあたり、いいものを遺したい、ただその一念が却って邪魔をして、作業が遅々として進まない時期がありました。

世田谷の御宅を訪問して平身低頭の愚生に対して、

「父はよく言っておりました。火を点けていれば必ずお湯が沸く、と。まさに正念相続ですね」

この言葉に当時30歳の私はどんなに救われたか!
昭さん、ありがとうございます。

次にお逢いしたのは、熊谷での第1回刀耕忌を取材後、宏道会のメンバーに声をかけられて参加した日暮里・擇木禅道場での「小川忠太郎範士『剣道講話』輪読会」(剣書勉強会)でした。

茶話会の席上、翌朝、参禅を決意した私に対して、
「ああ、今夜は愉快だな。オヤジが生きていたら喜ぶぞ。もう一回乾杯しよう。僕はまだ、ちょっと参禅はご遠慮願いたいけれど(笑)」
ほどなくして昭さんも入会され、「心耕」の道号を授与されました。

同期の桜を集めて上野の鰻屋で盃を交わしたこともありました。

それからことあるごとに意気投合する呑兵衛の仲良し3人組が4人、5人……と増えていき、「心肴亭」なる酒場もあちこちにオープンしましたが、今はもう幻の名店であります。

徳利山さん(剣清庵令道老居士)と3人で春の房総を旅したこともありましたね。
電車に揺られ海辺の景色を見ながら秘蔵のどぶろくを飲み、うたた寝する心耕さん。
嵐の夜中に起き出して、シュポ、とくとくとく…、先立たれた奥さまのことを問わず語りされたこともありましたね。

里見の一本桜の下、菜の花に囲まれて呑んでいると、しばし沈黙が流れるときがありましたが、それがまた実にいいんですなぁ。

 

 2018年4月7日、小湊鐡道「里見」にて撮影

 

お互い無理に話題を作らなくても、心の中では饒舌に会話している、とでも申しましょうか。

言葉なんて要らない。

ウグイスが啼いている。

見上げれば空は快晴。

お互いに差しつ差されつ。余韻嫋々…

 

饒舌な沈黙、あれからなかなか味わうことができないでいます。

 

合掌

 

張替剣外(中央支部

 

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道場の5月の茶花

市川の本部道場には多くの茶花が植えられていますので花が咲く時期に月毎に紹介をしてみます。

〔令和2年5月の中旬頃〕

【草花編】

 

1.あやめの紫色と白色が掲揚塔近くの茶花園で気品ある姿で咲いています。

 

2.ユキノシタの白と薄ピンク色が地面に丸い葉を広げて両忘塔斜面の他の植物に混ざって直立して咲いています。

 

3.二人静。直立し葉を4枚茎の上のほうに広げて其の中に白い花2本が直立して咲いています。ユキノシタと同じ場所に咲いています。

 

4.金蘭が苔山中心に26本黄色い花をつけて咲いています。昨年よりも多く咲きました。

 

5.えびね蘭の地味な色の花が咲いています。これは野生のえびね蘭ですが、道場の土地を好み毎年増えています。茶花園に咲いています。

 

6.なるこゆり(鳴子百合)。斑入りの鳴子百合が倉庫の前の大木の下にけなげに咲いています。

 

【樹木編】

1.はないかだ(花筏)。北寮茶室の近くの大きな石の傍に低木で一枚ごとに葉の真ん中に5ミリほどの薄緑の丸い形の花が咲いています。今年は昨年より多く花が咲きました。

 

2.つくばね(衝羽根)。ぽんておうちえんの外の水場の近くの茶花園に咲いております。3度目の正直でやっと根付いて来て花が沢山咲きました。この花は枝先に目立たない葉と同様の色で2ミリほどの大きさです。この花が注目されるのは、咲き終わって実になり、その実が羽子板で使う羽根に似ているからです。初釜の時期に茶花として多くもてはやされます。

 来年正月の初釜に使えたら嬉しいです。秋季摂心会ごろには実がなります。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部

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「一如、共育ち、一如」

胎児、嬰児のまぶしい姿

未だことばを発しない光の玉

赤子たちも、この世の修行に臨んでいる

 

母体の生命力から生まれるホルモン分泌物は

おかあさんを外と内の別ないところへいざない、

臍を通じて 産道を進もう嬰児を、見えぬ手でたすける

 

胞衣(えな)と赤子、母はいっしょ 抱き抱かれて、初乳を食む

自と他とのさかいなしの光りのなかで

 

DNAとRNAの情報のおかげだけでは足らない

お産の知恵にまなぼう

 

へその緒をゆわくとき…が有る

母の頭に血がのぼらぬようねむろう…

赤子と一緒…どう眠ろう

 

おかあさんの安寧はおいしいおっぱいの味

赤子はおっぱいがおいしくないと直ぐわかる

…おっぱいは血液そのもの…

 

…おいしくない味を拒んで、あかちゃんのだ液が変化し…おっぱいはとまってしまう

 

言葉ではない赤ちゃんの表現をわかろうとする周囲のおとなたちや

お母さんの安心や気付きそのものでおっぱいはおいしくなってゆく

 

これからいのちを授かり、育てよう、未来のおかあさんをどうにかして

神聖なお産の場で守ってあげたいと思う。

人と人のつながりの実感が若いお母さんも育ちゆくように、

 

 

世の中の

マニュアルには書かれてないお祝いのときがある

 

乳離れ…赤ちゃんとお母さんが互いの自立を確かめ合うとき、おっぱいから離れてだいじょうぶだ!

 

最近、座右の銘のように、ある治療家のおかあさんと赤ちゃんのセミナー記録文、それからユニークなある物理学者の著書を読み進め、

また実母より聞かされた、むかしの知恵話とをひとつにし、子育ての経験がないのに恐縮ではございますが、

 

お産の道と誕生の道が本来ひとつ、で、

 

たいせつなおっぱいが育ててくれた繋がりの実感は

子、母、父の道のあらたなスタートになると考えてみる。

 

子どもたちには、そうして育てられた感性をちからに繋がる道を進んでいって欲しい。

 

起きてくる事象への反省の気持ちで書かせていただきました。

 

瀧口清韻(中央支部) #女性部

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