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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
エクセルファイルをホームページやブログに埋め込みたい

思い込みというものはとても怖いということを思い知りました。

 

表計算や文書はPDFにして管理や受け渡しすべし、という思い込みをしていたものだから、ホームページやブログにエクセルファイルを掲載したいという要望を何人から聞いても「そんなことできるの?」と謎なだけでした。

しかし、人間禅房総支部のある方からいただいた情報に目から鱗!

OneDrive上では埋め込みコードを作成することができるのです。

そのため、そのコードを貼り付ければ、ホームページでもブログでもエクセルファイルを閲覧したりダウンロードしたりできるということになります。

 

なぜエクセルファイルを掲載したいのかというと、摂心会の日程表や参加表などを開催支部と参加者でやりとりしたいからですが、PDFの掲載では、PDFに変換したりPDFからエクセルに変換したりとややこしいことこの上なし。

 

さて、エクセルを埋め込めるのなら埋め込んでみようではないか!ということで、早速やってみましょう。

 

1. OneDriveにサインインします。

2. OneDriveに埋め込みたいエクセルファイルを保存します。

3. ファイル → 共有 → 埋め込み → 埋め込みコードをコピーします。

4. ホームページまたはブログに埋め込みコードを貼り付けます。

※ 埋め込みコードを貼り付けるときは、ソースコードが編集できる画面で行います。

以上です。

以上ですよ!なんて簡単なんでしょう!!

ホントにもう「老居士、ありがとうございます」としか言えません。

 

ひとつ注意しなくてはならないのは、共有設定で「編集を許可する」のチェックを外さなければならないことです。

このチェックを外さないと誰でもそのファイルを編集できてしまいます。

 

 

とりあえず今回は埋め込むことができればもうそれでよしとします。東京

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 14:52 | 東京支部 | comments(0) | - |
声を出すということ

シリーズ「女性と禅」 第3回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。
禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

「禅は無功徳」といいますし、座禅に何かを求めているつもりもありません。

しかし、擇木道場に通い始めて2年目に入った現在、思い返してみると私のなかに思わぬ変化があったことも事実です。

 

私は「声を出す」「話をする」ということに非常に不安と恐怖を抱いてしまいます。

女性部の静座会(座禅会)では静座(座禅)後に自己紹介や近況報告をする場面があります。

さらに参禅では公案を述べるのにも声を出さなければなりませんし、摂心会では会歌斉唱があったり、食事で食前の文や食畢の偈を唱えるのにも声を出します。

懇親会での歌なんて恐怖でしかありません。

 

今でも声を出すということに対して苦手意識はありますが、それでもその苦手意識が少し薄れたような感じがあります。

そして「話をしても大丈夫なのかもしれない」という安心感のようなものが芽生え始めたのではないかとも感じています。

 

安心感というよりもある意味「諦め」と言ったほうがよいかもしれません。

禅をとるか、それとも苦手なことから逃げるかを選択するときに禅を続けることを選んだということです。

以前の私だったら迷うことなく「声を出す・話をする」という苦手なことから全力で逃げていたはずです。

でも、逃げずに座禅を続けるなら声を出すしかないし、話をするしかありません。

そういう状況に自らを追い込むことができたとも言えそうです。

 

なぜ苦手なことより座禅を選んだのかは自分でもよくわかりません。

そのメカニズムがわかれば他の苦手克服にも役立つのではないかと思うのですが。

 

今でも大きな声を出すことは上手くできません。

ただ、声を出すコツのようなものがなんとなくですがわかってきたように思います。

これは法定のおかげもあると私は考えています。

法定は東京支部の摂心会で作務としてしているだけですが、腹の底から声を出すということを初めて経験したことで、のどの使い方を体がわかってくれたのかもしれないと感じています。

法定は数息観ではありませんが、やはり禅なのだなと思えます。

動きや呼吸のひとつひとつを意識して、その動きや呼吸だけに全力を尽くす。

動きはまったく違うけれどお茶のお点前と似ているとも感じます。

ということはつまり、いつもは忘れてしまいがちだけれど、日常のすべてが禅なのでしょう。

 

日常のひとつひとつに全力を尽くすことはできていないけれど、苦手なことも多いけれど、それでも毎日少しでも数息観をして、できるだけ一炷香坐る。

そんな日々をこれからも過ごしていきたいと思っています。

(掲載に際し、一部修正を加えました)

  合掌 翡翠(東京支部) (あけぼの第25号より抜粋) #女性部

posted by ただいま禅の修行中 | 20:39 | 東京支部 | comments(0) | - |
理想の自分

 擇木道場の風印です。
私は看護師をしており、新型コロナ疑いの患者様を担当することもありますので、道場に行けない日々が続いております。
とは言え、ずっと引きこもっているのも辛いので、先日自転車で葛西臨海公園まで行ってきました。

 

 自宅近くの隅田川沿いには桜の木が沢山植わっているのですが、5月下旬の今は青々とした葉が茂っていました。

木々の生命を感じるようでこれも悪くないと思いました。

 

 荒川沿いをずっと南下したのですが、途中で一面の花畑がありました。

鮮やかな花は気持ちを和ませてくれますね。

 

 荒川の土手に沢山の人が集まっていて、何をしているのだろうと思ったのですが、ブルーインパルスの航空ショーを見に集まっていたようです。
 

 私も運良く写真を撮ることが出来ました。

ブルーインパルスについては様々な意見があるようですが、先入観を捨てて見れば見事なショーだと思います。子どもの頃のように純粋な気持ちを持てなくなったのは、何時からだろうと思いました。

 

 さらに南下して海が見えてきました。

 

 海辺に行くとフナムシがいました。


子どもの頃は平気でバッタなどを触っていたのに、虫が苦手になったのは何時からだろうと思いました。

 

 波音を聞きながら昼食を食べましたが、夜勤明けだったため海辺で寝てしまい、手や顔が真っ赤に日焼けしてしまいました。

 

 最近思うのは、不満や辛さの裏側には思い描く理想の自分があるということです。
もっと人に認められたい、豊かになりたいという気持ちが叶わない時、不満や辛さを感じる。
しかし、そんな気持ちを抱くのは浅ましいとも思っているので、中々それが認められない、気付かない。
他方で理想を思い描くのは決して悪い事ではなく、理想があるから意欲や向上心を持てるとも思います。
社会的な成功に一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいと思うのは、妬みがあるからではないかと思います。
皆が達観できる訳ではないし、その必要も無い。
共同体の価値観を認めた上で、執着せずにいられたら良いなと思っています。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 05:20 | 東京支部 | comments(0) | - |
テレワークで集中できないonoff切り替えできない方には座禅がおすすめ

緊急事態宣言が出されてから約50日。

ようやく解除されましたが、これからは働き方も変わってきそうです。

 

新型コロナウイルスの影響で働き方が変わると言われている中、テレワークに移行していく業種もあると言われています。

ただ、テレワークで集中できない、とか、やる気がでないという話を聞きました。

テレワーク100%になったら集中力がもっと必要だという話も聞きます。

今こそ座禅(数息観)を試してみるよい機会だと思います。

ということで、座禅の方法を載せている人間禅のホームページをご紹介します。

社会人のための坐禅(座禅)道場〔人間禅〕

 

座禅を試すといっても1回や2回で何かが変わるなんていう訳でなく、少しずつでも毎日続けることがよいのだと言われています。

 

座禅風景(於 擇木道場)

 

座禅をおすすめしたい理由は、集中力がつくからということももちろんありますが、それは座禅を続けた場合に期待できるのではないかと私は考えています。

集中力をつけることと座禅との関係性は老師(人間禅名誉総裁 葆光庵丸川春潭老師)の「道力(胆力)を付けるには」などを読んでいただければと思います。

テレワークで集中できないという場合、仕事前に座禅をすることによって、集中の前段階であるonoff切り替えがしやすくなると感じています。

仕事前にたとえ短時間でも座禅(数息観)をすることによって「これから仕事」という意識になりやすいです。

少なくとも私は意識を次のこと(たとえば仕事)に向けやすくなると感じています。

テレワークで集中できないとお思いの方、どうぞお試しあれ。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 20:54 | 東京支部 | comments(0) | - |
ドクダミの花

JUGEMテーマ:

 

東京支部の黄玉さんがFBにドクダミの花をアップしています。

どうぞご覧ください。

 

  (東京支部)

posted by | 10:25 | 東京支部 | comments(0) | - |
グーペでのアンカーリンク(ページ内リンク)をhtmlだけで微調整する方法

人間禅ではグーペというホームページ作成ツールを使っています。

初心者の私が使うにしてもまぁまぁ扱いやすいのですが、それでも「どうしたらいいの!」という部分もあります。

そりゃ、多々あります。

で、ひとつクリアしたみたいなので忘備録として載せておこうと思います。

たぶん邪道で、しかもSEO的によい方法かどうか疑問なところが残念ですが。

 

何ができたかというと「ページ内リンクの微調整」です。

結論から先に言うと、グーペのヘッダー固定のデザインでは「二行上にアンカーポイントを設置」すればいいみたい、ってことです。

 

専門家ならサクッとしかももっと効率よくできることだとは思いますが、なにせホームページ初心者ですから「アンカーリンクってなんぞや?」というところから入りました。

アンカーリンクとは簡単に言うと「任意の場所にリンクさせる仕組み」のこと。

ただ、人間禅のホームページで使っているデザインはヘッダーを固定しているため、アンカーリンクを設置するとジャンプした先でヘッダーの高さ分、位置が下にズレてしまうのです。

これがどうも気になります。

 

今回調整したのは「全国の道場一覧」ページ内でのアンカーリンクです。

人間禅には北海道から九州まで全国に座禅道場がありますが、たとえば「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県という見出しと茨城支部から下が見えるようになるはずなのに、房総支部辺りから下が見えるような状態だったのです。

とすると、茨城支部を見たいのに関東近県には茨城支部が見当たらないということになってしまうわけで困っていました。

 

CSSで調整する方法やjavascriptで調整する方法もあるようですが、素人の私はできるだけ触りたくない部分。

htmlだけでなんとかしたいので、下がる分だけアンカーポイントを上げればいいだろうと考えました。

ついでに、HTML5ではname属性というのが非推奨らしいので、id属性で作成しなおしました。

 

 

ここからが本題。

「全国の道場一覧」ページでのページ内アンカーリンクの微調整方法を書いていきます。

 

まず、大見出しにアンカーポイントを作成しました。

ソースコード

<h3><a id="全国の道場一覧"></a>全国の道場一覧</h3>

そして、「トップに戻る」という文を各地区の下に設置しました。

で、そこに

ソースコード

<p><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

というリンクを張りました。

その後、各地区のアンカーポイントを作成。

たとえば「関東近県」ならそのすぐ上の「トップに戻る」にアンカーポイントを付け足すように設置しました。

ソースコード

<p><a id="関東近県"></a><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

 

これで、「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県の見出しから下が表示されるようになりました。

フォントサイズなども関係してくるとは思いますが、二行上にアンカーポイントを設置するとよさそうです。

今度は東京支部のページでもページ内リンクを作成してみようと思います。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by | 19:51 | 東京支部 | comments(0) | - |
座禅とキリスト教

 擇木道場の風印です。
最近かなり前に録画してあった、Eテレの『こころの時代〜宗教・人生〜』を見ました。

 

 『外国人収容者と共にありて』は、牧師の柚之原寛史さんのお話でした。


 『私自身が醜い心になっていたから全てが醜く見える。裁きの目です。 何をするにしても人の粗探し。 周りの人が自分を痛めつけて苦しめていたのではなくて、私自身の思いが自分自身を苦しめて痛めつけていた。』(注1)
私は直ぐに人を批判する癖がありますので、それは私自身の心が醜いせいだと反省しました。

 

 『「善きサマリア人のたとえ」では、強盗に襲われ、瀕死の重傷を負ったユダヤ人を、同じユダヤの神官や神殿に仕える者たちが見て見ぬふりをして素通りしていく中、ユダヤ人に差別されていたサマリア人だけが救います。』(注2)
汝の隣人を愛せよとは、自分達の仲間だけを愛するというような『仕切りのある愛ではなくて、それを取り外した、いかなる人に対しても愛し、その愛を行いなさい。行動としてアクションを起こしなさい、というふうにイエスは語ったわけなんです。』(注3)
隣人とは同胞のことだけを言うのではないかと誤解していました。キリスト教も面白いですね。

 

 マルコによる福音書2章17節によると、イエスは『私がきたのは義人(善人)を招くためではなく罪人を招くためである。』(注4)と語ったそうです。
親鸞聖人の悪人正機説みたいだと思いました。

 

 

 『長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』は、カトリック長崎大司教区司祭の古巣馨さんのお話でした。


 『人間関係がですね切れていくのは、ゆるしがないからなんですよね。ゆるしがあればまた元に戻ることができます。本当にゆるしがあればそれまでどんなに難しい状況であっても、また絆を結び直すことができます。イエスは十字架にかけられた時に「父よ、この人たちをゆるしてください。何をしているのかわかっていないんです」って。十字架上の言葉は、ゆるしの言葉だったんです。そしてゆるされた人は救われた人です。ゆるされないから救われないんです。ゆるしがないところには憎しみが生まれますよ。憎しみはまた復讐となって連鎖していきます。救いの一番の泉は、そこに「ゆるしがある」ということです。』(注5)
私はつまらないことにこだわって怒ったりイライラしていたのですが、そんなとらわれをゆるしてみれば、つまらないこだわりなどどうでもよくなってくると感じているところです。

 

 『私もせっかく生まれたんだから、生きがいを持って生きたい。そう言って自分の都合を言っているときは、とっても生きづらかったです。でもこの頃思うんです。私の都合でなくて神様の都合をいつも考えようって。神様の都合があるから、私はここにいるんだと思うんです。神父さん、私には都合はなかとです。あなたの都合の良い時に来てください。』(注6)
これは、仏教に言う無我を言っているのではないかと思いました。

 

 座禅もキリスト教もどこか通じるところがあると思えて、とても面白い番組でした。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

注1〜4)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 外国人収容者と共にありて』,2018.9.30放送

 

注5〜6)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』,2019.9.8放送

 

posted by ただいま禅の修行中 | 23:12 | 東京支部 | comments(0) | - |
脱中心化について

 擇木道場の風印です。

 私は看護師をしており、比較的にコロナウイルスへの感染リスクが高いと考えられるため、毎日のように座禅をしていた擇木道場に当面行けなくなってしまいました。
  外出を控えなければならなくなりましたので、自宅で本を読んだりしています。

 

 最近『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本』と言う本を読んでいるのですが、マインドフルネスや認知行動療法では「脱中心化」がキーワードになるそうです。

 『人は落ち込むとき、意識が過去に飛ぶ。そして、「なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。あんなことをしなければ、今頃こんなことにならなかったのに」といった思考が反芻を始める。そうするとそのことが頭から離れなくなり、気分もどんどん沈み込んでいく。一方、不安になると、今度は意識が未来に飛んで、そこで同じような反芻が起きる。
  「思考や感情を、自分自身や現実を直接反映させたものとして体験したり、解釈するのではなく、それらを心の中で生じた一時的な出来事としてとらえること」と定義される「脱中心化」の視点が、このような反芻にはまり込んでいる状態のときに有用であることは想像に難くない。「思いを、単なる思いにすぎないと認識する、という単純なことによって、あなたはゆがめられた現実から解放され、自分の人生をよりはっきりと見つめ、管理できるようになります」というKabat-Zinnの言葉のように、自分の思考や感情への囚われから抜け出し、正しく現実をとらえ、その状況に応じた対応が可能となる。
  実際にTeasdaleらは治療によって抑うつの再発予防ができた場合、否定的な認知が浮かんでもそれが事実ではないことを認識して距離を置けるようになること、つまり「脱中心化」した視点を持てるようになることを見出した。』(注1)

 

 マインドフルネスはうつ病、不安障害、がん、緩和医療、慢性疼痛などの治療に用いられており、臨床的にも重要性が高まっていますので、少しずつ学んで行きたいと思っております。

 

合掌 風印 拝(東京支部 #青年部

 

注1)佐藤充洋、藤澤大介『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本〜医療者のための臨床応用入門〜』,日本医事新報社,2018,P.137〜138。

 

posted by ただいま禅の修行中 | 11:54 | 東京支部 | comments(0) | - |
オウギヤシという植物

 インド西ベンガルの冬はけっこう寒いです。とはいえ、4度以下になることはなく、霜が降らないので日本で見られない熱帯植物が色々みられておもしろいです。
このヤシの木はインドの東北部ではどこでも見られるオウギヤシ、ここでは実を食べたり、樹液から砂糖や酒を作ったりします。ベンガルではタール、サンスクリット語では<tara>とよばれています。紙が使われる前は、インドではこの葉でお経を書いていました。葉の表面に鉄筆で文字を刻み、炭を塗り拭き取って文字を残します。葉に横二箇所に穴を開け、紐を通して一枚読んでは向こう側にめくると、散逸しないようになっています。これがインド古来の経の形式<Tara pattra>(貝多羅、貝葉経)です。
貝葉経は今でも東京上野の法隆寺館で私たち誰もが見ることができます。『梵本心経および尊勝陀羅尼』7世紀初頭頃。インドから中国に渡った僧が梵語で書いた般若心経と陀羅尼経だといわれています(これは墨で書かれている)。しかしながら、こんな葉っぱが、さらにはるばる日本に運ばれ、千数百年も大切に保存されていることは凄いことです。
2020年、今年の年越しもシアン村で過ごしました。この地は私と主人が学生時代1973年から頻繁に来ている場所です。そろそろ半世紀になります。長かったようで過ぎ去った時は、ほんの一瞬の様にも思えます。

インド西ベンガル州ビルブム県シアン村にて

 

西岡由利子 <東京上野桜木在住 東京支部の坐禅会員>

 

posted by ただいま禅の修行中 | 14:00 | 東京支部 | comments(0) | - |
人間禅擇木道場について

人間禅擇木道場について

 

 人間禅は千葉県市川市に本拠地を置く宗教法人で、会社員、主婦、学生など様々な方々が日常の暮らしの中で道を求め、共に禅を学び自己の修養を深める、社会人のための座禅道場である。全国に36ヶ所の道場があり、擇木道場は人間禅の東京支部として日暮里の谷中に所在する座禅道場である。

 宗教法人「人間禅教団」の源は、明治8年に創設された居士禅の会である「両忘会」にある。居士禅とは、従来僧侶にしか許されていなかった禅門の修行を、職業を持つ社会人に認め、佛法の正脈を伝える事を認めた新しい禅佛法を言う。

「両忘会」創設の由来は、幕末から明治の剣術家・政治家として知られる山岡鉄舟を初めとする10数名の居士が、国の前途を憂え寺院の伝統の殻を脱却した在家禅の振興によって、有為の人材を養成するために、当時臨済宗円覚寺の管長であった今北洪川禅師を東京に拝請して摂心会を開催し、この集まりを「両忘会」と称したことによるものである。

「両忘会」の主催者となった山岡鉄舟が出家しようとした時、洪川禅師は「失望せざるを得ない。(仏法の)大なるところを攫んで居られないやうな気がしてならぬ」として反対したが、これは決して出家を否定したから出家を止めたのではないと考えられる。

 出家とは自分を徹底無にすることが条件である。姿形を無くし法そのものになることである。空である。しかし娑婆は色である。職業や立場など具体的な姿形を通じて救済の働きを成さねばならぬ。

 洪川禅師は、伝法嗣法は出家が命がけでやるから、君はそちら側で働くべきである。君は特別な働きができるのだから。君という形はふたつとないのだから。形を無くしてはいけない。在家のまま働いて、多くの人を彼岸に渡してほしい。このように言われたのではないだろうか。

 結果として山岡鉄舟は出家せずに「両忘会」を続けていたが、その「両忘会」も何時とはなしに中絶してしまった。

 明治34年に、当時鎌倉円覚寺において参禅していた居士らが、時の管長釈宗演老師のもとに、「居士会」を創設したいため、釈宗演老師の戸籍上の息子である釈宗活老師を東京に拝請したい旨を申し出た。釈宗演老師はこれを許可し、その会に一時中絶していた「両忘会」という名称を与え、ここに「両忘会」が再興されることとなった。

 釈宗演老師は慶応に学んで洋学や英語を学んだり、セイロンに留学したり、日本全国のみならず世界へと行脚し、欧米に初めて「ZEN」を伝えた老師として知られている。

 一方、釈宗活老師は、医者であった父親に才を見込まれて英才教育を受けたが、臨終の母の「富貴栄達を望まず、正しき教えに就いて自分の心を磨いて名珠の如き人間になれ」との遺言を守り、20歳の時今北洪川禅師に入門、洪川禅師帰寂後は釈宗演老師に参禅して厳しい修行をし、29歳の時出家した。そして、明治34年、32歳の時に釈宗演老師に両忘庵の庵号を授与され、その命により「両忘会」を再興したのである。明治38年頃には若き日の平塚らいてうも日暮里の両忘会の道場で座禅をしていたそうである。

 釈宗活老師は明治39年に渡米し、サンフランシスコに北米両忘会を開設した。その後、北米両忘会はニューヨークに移り合衆国の公認を得て、昭和20年まで会は存続し、老師も何度か渡米したとのことである。

 そしてついに大正4年、医科機械商を経営し、禅の修行もしていた田中大鋼居士が日暮里の谷中に「擇木道場」を建設し、両忘会を主催していた釈宗活老師に寄進したのである。ここで、「擇木(たくぼく)」とは「良禽(りょうきん)は木を擇(えら)ぶ」という中国古典 「左伝」の中から採られ、修行者が正しい師家を求めて参禅弁道すると言う意味である。

 大正14年には、認可に伴い「財団法人両忘協会」が設立され、立田英山老師が第一回理事に就任した。両忘協会は、昭和15年には宗教団体法施行により「両忘禅協会」に変更された。

 立田英山老師は、明治26年生まれで、大正5年に東京帝国大学在学中に釈宗活老師に入門。大正8年に東京帝国大学を卒業し、大正10年に中央大学予科、自然科学の教授に就任した。大正12年、30歳の時に「耕雲庵」の庵号を授与され、昭和3年、35歳で師家分上となり、両忘会最初の居士身のままでの法嗣が誕生した。出家しなければ本格の修行ができず、妻を離縁せざるを得なかった今北洪川禅師の時代から、出家が在家を嗣法者にした時代が来たのである。

 釈宗活老師が立田英山老師を法嗣とした決断の背景には、出家か在家かの区別以前に、只々真の求法者でありたい、という願いがあったのではなかろうか。その真剣さが出家か在家かという区別を乗り越え、「二者択一」から「不二」へと飛躍したのだと思う。

 昭和4年、中央大学に座禅の会である「五葉会」が結成され、これが機縁になって各大学に座禅の会が結成された。

 昭和11年には、千葉県市川市に現在の人間禅本部道場が建設された。本部道場は今も当時の面影を十分留めており、会員の手で大事に守られている。

 この後、戦中戦後の時代が来るが、混乱の中の巡錫は困難を極めたという。例えば立田英山老師が北海道の摂心会に巡錫の際には、身動きできない混雑の中で汽車に揺られ、海を渡るには蟹工船にまで乗ったということだった。

 昭和22年、突如「両忘禅協会」は釈宗活老師によって閉鎖された。

 理由は明らかにされていない。この時のことを立田英山老師は、「私の20数年に亘る宗教生活の基盤が足元から崩れ、途方に暮れてしまいました、ただわずかに自利利他の素願の達成はあらゆることに優先し、誰人といえどもこの志だけは奪えないという信念と、志を同じゅうする少数の道友に励まされて」翌年ただちに「人間禅教団」を発足させたと振り返っている。

 昭和24年、立田英山老師は人間禅を設立し、その初代総裁に就任した。その「立教の主旨」には、従来の「伝法のための伝法」ではなく、「布教のための伝法、世界楽土の建設のための立教」であることが明記された。人間禅の精神としては、人間味が豊かなこと、各自の個性を重んずること、神秘性を説かないことが挙げられた。科学者らしい合理を重んじた明快な宗教観と言えるであろう。

 釈宗活老師は両忘禅協会閉鎖の理由を語らなかったが、老師自身が幕を引いたことで、出家のしの字もきれいに無くなり、伝統的な寺や僧や歴史的なしがらみがもたらす全てが払拭され、「在家の、在家による、在家のための僧伽」が誕生した。

 換骨奪胎されて残ったもの、そこに永遠にあるもの、それは釈尊の悟りであり、仏法そのものである。純粋に真っすぐに自己に向かう努力を惜しまず、やがて人々と共に彼岸に渡る、その誓願である。娑婆に生きる者自らが任に就き働く道がここにある。釈尊の神髄は天地を窮め、人間禅という在家禅の存在そのものの中にも生きているのである。

 その後、擇木道場は建物が老朽化したため、多くの関係者による寄付金によって、昭和63年に第一期改築工事、平成4年に第二期改築工事が完了して現在に至っている。擇木道場は人間禅の東京支部として、支部員をはじめ、禅を志す人々が日々、修行に精進している。

 

人間禅擇木道場

 

擇木道場の禅堂

 

参考文献

「擇木道場創建100周年記念 蒼龍窟今北洪川禅師から山岡鉄舟への手紙」 平成28年2月14日発行 著者:慧日庵笠倉玉溪 発行所:宗教法人 人間禅 擇木道場

 

「宗教法人 人間禅教団30年史」 昭和53年5月5日発行 発行者:人間禅教団30年史 編纂委員会 発行所:宗教法人 人間禅教団

 

合掌 風印(東京支部) 拝

 

posted by ただいま禅の修行中 | 19:41 | 東京支部 | comments(0) | - |
立田英山老師作品集

擇木道場の風印です。

人間禅の新しいホームページでは、立田英山老師作品集をご覧になることが出来ます。

 

 

上の写真は写真集『我ここに今かく在りぬ』の中の一枚です。

 

社会人のための坐禅道場 [人間禅]
https://r.goope.jp/ ningenzen1948

 

PCでは上記ホームページの「立田英山老師作品集」をクリックするとご覧になれます。

 

 

スマートフォンでは下の赤丸の部分をクリックし、

 

 

「立田英山老師作品集」をクリックするとご覧になれます。

 

 

その他にも人間禅が発行した禅の文献や機関誌「禅」も読むことが出来ますので、ご覧になって頂けると幸いです。

 

 

合掌 風印 拝

 

posted by | 20:59 | 東京支部 | comments(0) | - |
ちょっと禅的な自由詩

何かを書こうにも、言葉はあっという間に色あせて、私は押し黙る。
あんなに強く思っていたのに、今日は何も感じない。

 

私の心は何処へ行ってしまったのか?
私の身体は昨日と同じようにここに在る筈なのに。

 

心の裏切りに、肉体から涙がこぼれ出る。

 

私がない。
その深淵に灰色の虚空を見る。私は宇宙の粒になって漂い、彷徨う。
私を捕まえてと、叫びながら。

 

香春(東京支部

posted by ただいま禅の修行中 | 20:12 | 東京支部 | comments(0) | - |