検事と禅 (その1)

  • 2020.03.20 Friday
  • 10:44

検事&禅(その1)

                   

人はなぜ罪を犯すのか?

人は何故、罪を犯すのだろうか。ある人が憎い、殺してやりたいとい気持ちがあったとしても、通常であれば殺害行為には及ばないが、中には、一線を越えて殺人を犯してしまう人がいる。どうなれば一線を越えてしまうのか、なぜ犯罪者になってしまうのか・・・

清明庵茶室の中川香水禅子(東京荻窪支部長・元検事)

約30年弱の検事人生の中で、さまざまな犯罪者と向き合ってきた。殺人、強盗、強姦などの重罪から傷害、窃盗などの軽犯罪、覚せい剤、大麻密輸などの薬物犯罪、脱税、贈収賄などの経済事犯。暴力団組員もいればサラリーマンや万引を繰り返す主婦もいる。

犯罪にいたる原因もさまざまである。金銭欲、性欲などの欲望による犯罪、怒りや憎しみからの犯行、相手を愛するがあまり生じる支配欲求など新聞やワイドショーなどの犯罪ニュースで報道されるとおりである。

これらは、全て人間の欲望、執着心に基づくものである。欲望に振り回され、それに支配され、周囲が見えなくなる、いわば欲望にのっとられた状態といってもよい。自分の欲望のためには相手が傷つこうが、苦しもうが全く意に介さない。常に「自分」のことしかなく、自分以外の他者への尊重ができなくなってしまう。

ある性犯罪の被疑者に、「もし自分の母親が、妻が、娘が同じような被害に遭ったらどう思うか。」と聞くと、「犯人を絶対に許せない」と言うが、自分が犯罪を行っている時には、そんなことを一切忘れてしまっている、それほど欲望に支配されている、禅の世界でいえば、「我」「五欲七情に支配された」状態といえる。

生まれながらの犯罪者という人は一人もいない。どんな親もわが子の幸せを願っているし、ましてやわが子を犯罪者にならせようと思う人などいない。

白隠禅師の坐禅和賛の冒頭にあるように、「衆生本来仏なり」、生まれたときは、みな仏である。自分の中に仏があるように、相手にも仏がある、自分がオンリーワンで大切であるように、相手もオンリーワンで大切である。相手の苦しみや悲しみが自分の苦しみや悲しみであるということに気付きさえすれば、相手を傷つける行為には及ばないはずである。(つづく)

 

香水(東京荻窪支部

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