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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
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身体を通して考える僕と座禅(その1)

身体を通して考える僕と座禅(その1)

 

 そもそも僕が座禅を始めたきっかけなのですが、2016年11月にダライラマ13世が日本にいらっしゃいました。そして横浜で講演をされるという。その前からダライラマのご本は読んだことがあり、ああ、良いことを言ってらっしゃる、その方が横浜に来る。それで1回生きているのを見てみようと思って行ってみたのです。その時はそんな大層な意気込みで行ったのではなく、年も年だし、もう日本に来られないかもしれないし、一度生きている姿を見ておこうなんて、なんかパンダか何か見に行くようなつもりで行きました。

 で、その時のお話がやっぱり良かった。仏教の考えでいうと世界というのは何か中心があるのではなくて、全てのものがお互いつながりあって影響しあって成り立っているのだと。だから世界を平和にするためには、まずあなたが平和になりなさい。その上で人には思いやりをもって接しなさいというお話だったのですが、これが僕には新鮮で、安心できるお話でした。

 

JR荻窪駅界隈。会社員の方々が行きかいます

 

 世の中、道徳観念といっても色々な考えがあります。一方では自分の事は置いておいて他人のために尽くしなさい、みたいな考えもあるわけです。こんな人が身近にいてくれたらとっても助かる。なにしろ自分は苦しくても他の人を助けてくれる。自己犠牲ですね。結構じゃないか、ありがたいじゃないか、えらいなあ、みたいな感じもします。しかしそれだけで済むのだろうかと思うのです。私は自分を犠牲にして他人のために尽くします、と言いながら無言のうちに「当然、お前もそうするよな?」という視線を送っているような気もするのです。で、見られたほうは「え?ええ、もちろん。あなたも当然そうですよね?」とまたとなりの誰かを見る。そんな相互監視のギスギスした社会になるような感じもするのです。そして行き着く先は、世の中もっと苦しんでいる人がいるのだから自分は人生楽しんじゃいけない、そんな禁欲的な価値観を押し付けてくるイヤ〜な社会が待っているのではないかと。

 それに対して、ダライラマはまずあなたが平和になりなさいとおっしゃった。その上で思いやりをもって人に接しなさいと。全部つながっているのだから、結果としてそれで世の中全体も平和になるのだということです。

 で、じゃあどうしたらこの僕が平和になれるんだといえば、さかんに瞑想をすすめてくるわけです。あのダライラマがおすすめするんだからきっと瞑想って良いんだろう。そう思いました。

 その時、けっこうテレビでもマインドフルネスが良いよ、最近ブームだよ、といろいろやっていました。何しろGOOGLEでも社員教育に取り入れていて、しかも宗教じゃなくて科学的だからとっても安全。いいなコレ。僕もネットでマインドフルネスの道場探してそのうち行ってみようかなあ、なんて思っていました。

荻窪座禅会の看板

 

 そんなことをやっているうちに、たまたま人づてに人間禅のことを聞き、ネットで検索したらウチの近所の荻窪で座禅会をしているという。うわラッキー、座禅って瞑想みたいなヤツなんでしょ? と、そんないきさつでこちらにお世話になるようになったわけです。で、初参加した翌週に香水さんから来週老師がいらっしゃるから会ってみませんか?公案修行もできますよ、とのお話を伺いました。で、老師って誰? 公案って何? と。僕だけじゃなくて現代の日本人だったらそんなもんじゃないかと思うのですが、翌週初めて老師にお会いしたら立派な髭を蓄えたご老人が着物でデンとお座りになってて、うわホンモノだ、こんな人今どき日本にいるんだ、というのが第一印象でした。そして公案修行もぜひやると良いよ、でもやるなら覚悟をきめてやれ! と勧められました。で、すすめられて公案修行も始めたわけです。

 とにかく僕はなりゆきでここまで来ているわけです。今回、お話しを任されて自分の座禅のきっかけを思い返してみたんですが、僕には主体性が無いんですね。ただ流れで今ここにいるのを分かったような言葉で言えば仏縁というのかなと思います。

(あと未だに座禅って何なのかがわからない。ただ言い訳がましく言えば、続けていてそのうちにわかるものなのかどうかもわかりませんが、おそらくやらなければわかることはない、であるなら分かってから始めようと思っていたら一生始めないわけで、そしておそらくやってないよりやってるほうが何か良いんだと思います。)

 ただ、僕は公案修行を始めてから入会、入門まで半年ほど辞退しています。公案修行を始めてすぐに入会を誘われたのですが、考えたうえでやっぱり止めときます、とお答えしたのです。

 というのも、ほかの方の入会式にも立ち会ったのですが、その時「宗教法人人間禅」という宣言を聞いてやはりビクッとしました。そうか宗教なのか、いやそりゃ仏教なんだから仏教って宗教だよな、でも宗教かあ、と。

 今更ながらオウムみたいのだったらどうしよう、とか思うわけです。それと僕の出身校は自由学園といってキリスト教を教育の土台にしている学校です。ですので、おそらく一般的な大多数の日本人よりか宗教というものになじみはありました。

 まずオウムっぽいかどうかは、座禅したあとによくお酒のんでご飯食べながらおしゃべりしたりするし、あと選挙もあったのですが「今回は須藤さんもどこどこの党に1票を・・・」なんてこともありませんでした。そんなだから大丈夫だろうと。

 それはそれとしても、でもやはり宗教というのは重いわけです。何かのカルチャーセンターやお稽古事に入るのとは違う。たとえば何かのお稽古だったら途中で僕はもうこれぐらいでいいです、とか上手にならないじゃないかウソツキと言って辞めることもできるが、宗教とは人間の土台になる物だからそうそうお手軽には扱えないと思ったのです。

 そんなこともあり、入会は辞退したのですが、公案修行はそのまま続けるお許しが出て、半年もそのまま続けていたら、お前そろそろいい加減にしろよみたいな感じになり、自分でも半年続けていて危険な目にもあわず、やはり続けるのは自分のためになってるじゃないかと思って入会(平成30年8月24日)した次第であります。(つづく)

 

合掌 道庵(東京荻窪支部

posted by ただいま禅の修行中 | 11:13 | 東京荻窪支部 | comments(0) | - |
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