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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
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身体を通して考える僕と座禅(その2)

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身体を通して考える僕と座禅(その2)

 

 僕の本業は整体師であり、身体と座禅ということを自分なりに考えてみました。何しろまだまだ修行の浅い者ゆえ、そのような者はこのような間違えた考え方をするものだと思ってお聞きください。

 

剣道場の入口 ビルの5階にあります

 

 座禅以前に、僕は人間の身体を会社のようなものだと考えています。そうすると脳とは社長というか経営陣のようなもので、会社全体の方針を決定する役割があると。もちろんそれだけではなく会社にも製造部門や営業部があるように、人間の身体にも胃や腸や手足があって各々の仕事をしているわけです。しかも企業組織として考えると恐ろしく巨大であり、人間の総細胞は一説によると約37兆2000億個、さらに腸の中では腸内細菌が外部の委託業者のように働いていてくれて、これが約100兆個いるといわれています。

 だがしかし、社長はこの社員一人ひとりの様子を把握しているわけではない。でも、現場では熟練の職人のような細胞たちが日夜せっせと自分の仕事をしてくれているわけです。

「腸は第二の脳」という言葉を聞かれた方はいらっしゃるでしょうか。腸内には脳細胞に匹敵する数多くの神経細胞がネットワークを形成しており、独自の活動をしている。それを指して第二の脳と呼んだりするのですが、これは不遜な言い方だと思っております。世の中脳がない生物がゴマンといるわけで、生物の進化の歴史の中では腸と皮膚の原型が最初にできたのであり、脳ができたのはよっぽど後であります。それを後から来たやつが先輩を差し置いて一番偉そうに振る舞う。これは脳、というか意識至上主義があるから生まれた言葉だと思うのです。あたかも意識で知覚できる部分のみが自分のすべてと思いがちですが、知覚できる部分は自分の存在のごくごく一部にすぎないわけであります。ほとんどの部分は知覚できない。知覚できないがもちろん存在して一人の人間が生きている。それが、とくに最近は脳ばっかりがもてはやされて、脳で考えられていることが自分のすべてであるような風潮があると思います。

 そもそも人間の身体とは自然のものであります。自然とはいくら科学が発達しても人知の及ばない存在であります。それを「既に分かっているもの」として扱うか「まだわからないもの」として扱うかでやり方は変わってきます。わかっているのだから、こうすればこうなるはず、と扱ってしまうと、実は違っていて大失敗をすることもあるわけです。わからないなりに、まるごと扱う、これが肝要かと思います。

 で、座禅の話でありますが、僕が最初に老師から伺ったのは座禅とは考えない力を鍛えるものだ、ということでした。考えない、でも自分は存在しているのであり、ひとつにはそれは自分の主導権を意識から知覚できない身体に戻すことなのではないか、と思ったりするわけです。

荻窪剣道場。ここで座ります 

 

 話は飛びますが、意外にも「精神」という言葉が日本語に生まれたのは意外に最近で明治のころで、英語のspiritを翻訳するために新しく作り出された言葉なのだそうです。キリスト教の考えでは肉体とはそれだけでは役に立たないガラクタのようなモノにすぎない。そこに神様から賜ったspirit精神が入ることで初めて役立つものとなる。心身二元論の考えが根底にあるわけです。

 非常な乱暴な考えではありますが、であるなら明治以前の日本人には心と身体を分けるという考え方がなかったのではないかと。心と体は別だ、いや一体だ、という議論ではなくて、心と体を別にするという考え方そのものが理解できないのではなかったかと。そうすると自分の存在を高める方法は、必然的に肉体を入り口にするしかなかったのではないかと思うのです。

 僕は人間の心のありようは、身体の状態に大きく左右されると思っております。自分の意志や物の考えは頭の中だけのものと思う人も多いかと思いますが、僕はそう考えません。

 ごくごく単純な例ですが、今自分のお腹が痛いとしましょう。このタイミングでアンケートが渡される。「日本の未来はどうなると思いますか?」痛いお腹を抱えながら考えると、なんか先行き暗いんじゃないかなぁ、と答えるかもしれません。逆においしいものをたくさん食べて上機嫌なときにアンケート渡されたら、バラ色の未来が待っているなんて答えるかもしれません。これはお腹が痛いという分かりやすい状況ですが、私たちの身体は常に何かしらの状態にあるわけです。なぜだか気分が悪い。そうすると人間とは常に答えを探そうとするクセがありますから、ああ職場の上司の性格が悪いのがストレスなんだ、と原因を探そうとする。僕の仕事でみると、そうではなく、骨格が歪んでいて無理な姿勢をとってるからという場合も多いのです。それを解消すればスッキリする。もちろん上司の性格が悪いのまで解決するわけではないのですが、生活の中のストレスと身体とはお互い影響しあうわけです。

 自分が座っているときも、何か雑念がいろいろ沸いて集中できないときは、気が付くと姿勢が崩れていたりします。それを直すと集中できるようになる。集中しろ集中しろと頭の中で頑張るのではなく、身体の状態を整えることで自分の状態が整う。これはやはり正しい事をやってるんじゃないかと思うわけです。

 なにしろ脳偏重の世の中で、極端な考えには首から下はもうロボットでいいんじゃないか、もっといくと脳内のデータを電子化すれば永遠に生きられるんじゃないか、みたいな事を言う人もいます。これは絶対に許せない考えであります。肉体なんてもういらない、なんて社会になったら僕の仕事はいらなくなって失業してしまうわけで、こんなことを絶対に許すわけにはいかないのであります。

 また話は飛ぶのですが、世の中、道徳観念にもいろいろあって、一方には人間なんぞはロクなものじゃなくて好き勝手にさせると悪いことしかしない。だからこそあれをやっちゃいけない、これをやらなきゃいけない、とルールを強制しないといけない、という考えがあります。他方、これもダライラマの本を読んで僕が勝手に解釈しているのですが、人間にはだれにも良い本質があるのだと。それを仏性というのだと僕は解釈しているのですが、それを磨いて出てくるようにすれば、ああせいこうせい言わなくても、しかるべき時にしかるべき行動をとるようになる。外から強制されなくても自然にそうなるようになる。勝手にそうなる、というのが魅力であります。世の中、いかにも良い事やってますとアピールをする人もいます。かくいう自分もそうだったりします。それがバレバレで後で指摘されてものすごく恥ずかしい思いをすることもあるわけです。座禅を続ければそういうこともなくなるのかと期待しつつ、修行を頑張ろうと思います。

 

合掌 道庵(東京荻窪支部) 

 

posted by ただいま禅の修行中 | 15:53 | 東京荻窪支部 | comments(0) | - |
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