これから何回かに分けて釈尊の呼吸法について連載します。
1.大安般守意経(だいあんぱんしゅいきょう)について
大安般守意経(だいあんぱんしゅいきょう)というお経があります。漢訳に翻訳した人は安息国即ち古代イランの帝国パルティア(Partiya)の安世高という方で、皇子でありながら、父が没した跡を継がず出家し、西暦147年(後漢の桓帝代)当時の支那に至り、一番最初に仏典翻訳に従事し数々の漢訳経典を残した最初の僧であります。
小乗の人であったと見なされていますが、伝承では阿毘達磨(アビダルマ)に関して深い学識を持ち、瞑想にも通じていて、その徳は高かったことから安世高菩薩と尊称されております。
残念ながら、この大安般守意経はサンスクリット語、パーリ語による原本はもとより、チベット語訳も伝わっておりません。
この難解な大安般守意経について、東大医学部で医学研究していた村木宏昌氏が大森曹玄老師の勧めで西洋医学の立場から釈尊の呼吸についてまとめました。読み下し文として宇井伯寿先生の訳経史研究や仏教学に造詣の深い山辺習学先生の指導を受けながら著作し、ついに春秋社から昭和54年2月大安般守意経に学ぶ釈尊の呼吸法が上梓されました。
パーリ語のanapana satiのanapanaを安般と音写し、satiを守意と漢訳し大安般守意経となりました。
anaは入息、apanaは出息という意味で、その原意は出離―出て離れるーが原意、また、satiは念・正念・念行・念住などの意味でありまして、「出る息を主体にした呼吸法に念住すること」となります。
お釈迦様は苦行時代に随分激しく息を止められたことが仏典に記載されています。
強く息を止めるのを怒責(どせき)といいます。この一番の欠点は、血液の循環系を乱すこと、即ち、全身から心臓に送り返さねばならぬ静脈血の流れが妨げられます。脳は強いうっ血と充血で脳圧は上がり、脳細胞は正しい働きができなくなります。
これにきづいた時、釈尊は既に34歳を過ぎておりました。
それに気付いてなさったことは、今までとは逆に呼吸に全力投球されました。いろいろ良い呼吸の中にも短時間で疲れてしまう呼吸があります。それは出入息とも心をこめてする場合です。ラジオ体操の最後で行う深呼吸であれば4〜5回しかしません。これはかなり精神力が要ります。普段は無意識呼吸ばかりしているのに、変わった呼吸をすると大脳皮質の運動野を煩わすからです。
全力投球はやがて改良され、出息は長く、入息は短くというもので、出る息には心を傾けるが、入る息は力を抜くといった調和呼吸です。緊張の連続では疲労が早いのですが、緊張と解放の繰り返しならば持続可能なのです。
息をつとめて長く出すこと、長呼気は脳の静脈血を心臓に速やかに返すはたらきがあります。うっ血を解消し酸素を含んだ動脈血が頭部へ向かってスムーズに流れ、脳細胞のはたらきを良くし、精神活動を活発にします。
釈尊の呼吸法(2)に続く
千葉 金風記 (札幌支部)