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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
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穂先七竈と平小判草

中央支部五葉塾塾生の富嶽です。

通勤の電車もコロナ以前と大して変わらぬ乗車率となってきました。

自分の勤務も来週からは在宅勤務もなくなります。

 

朝の日課の一部であった座禅と茶道稽古も以前同様に行われるようになってきました。

今朝のお茶室の床の間に飾られた花は、穂先七竈と平小判草でした。

 

穂先七竈(ホサキナナカマド)の花はよくよく近づいてみると、小さな梅の花がこれでもか、とばかりに咲いているように見えます。

離れてみる姿と近づいてみるとまた別の顔が見えるというのも面白いですね。

 

平小判草(タイラコバンソウ)と先生が呼ぶ草は、調べてみると西洋小判草とか宿根小判草、偽小判草、ワイルドオーツというものらしく。

子どもの頃に野原で見かけたのもこの草ではなかったか。

 

お茶の稽古と共に色々な草木を教わるものの点前同様に覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返し。

それでも花と見れば興味関心をもって眺めるようにはなってきたなと感じています。

それは稽古の賜物なのか、はたまた齢を重ねたもののさだめなのか。

 

花の名前は忘れても

かの花は いつか見た花

微かな記憶と共に

その時の出来事が 朧気に重なる

あれから月日は巡り 今ここで出会う

 

会った花の名は同じでも

いつかみた かの花とは違う

我もまた かの時とは違う

 

また時が経てば巡り合うだろう

この花ではない その花に

その時の我もまた この我とは違う

 

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同。

 

2020年6月17日

富嶽記 中央支部 #茶道部

posted by ただいま禅の修行中 | 21:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
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