ブログ内検索
人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
<< 禅と私(紫光 八王子禅会) | TOP | 俳句を嗜む! >>
禅と出会って(香水 東京荻窪支部)

シリーズ「女性と禅」 第5回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。

禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

平成26年夏に、はじめて日暮里の擇木道場の女性部静座会(座禅会)に参加してから、早いもので4年目を迎えようとしている。

本来飽き性である自分がよく続いているものだと我ながら思う。

最初は、単に座りにこようと思っただけだったが、初日に丸川春潭老師にお会いし、お茶室で抹茶をいただきながら人間禅の歴史を聞いた。

土曜日午前中の女性部静座会(座禅会)に通ううちに、公案修行の話を熱く語る会員の方に接し、老師に願い出て初関をいただいたが、そのあまりにもわけのわからない内容がむしろ新鮮だったのか、俄然やる気になった。

何度目かの参禅を迎える早朝、朝から座っているときに、「これだ!」というものと出会った時の心の底からの安心は、今でもはっきり覚えている。

その直後に散歩して目に入ってきた木の葉がなんと鮮やかだったことか。

 

その後、公案修行の難しさに打ちのめされることもたびたびあるが、とりわけ自分の眼を開かせてくれた公案(例えば、「好雪片々」「至道無難」など)との出会いは、ただただ素晴らしいと思うと同時に、自分の眼の暗かったことに慄くばかりである。

もっと早く禅に出会いたかったというのが、正直な気持ちである。

 

とはいえ、20代で禅と出会ったとして、禅の修行を始めることができただろうか? と考えると、やはり無理だったのではないかと思う。

中学2年生の時に交通事故で亡くなった父親のいわば遺言として法曹の道を目指していた私にとって、とにかく早く司法試験に合格して母親を安心させてあげたいという気持ちが強く、実際に合格して検事になった後は、結婚、2人の娘の子育てと目まぐるしい毎日を送っており、到底禅の修行に時間を割くことはできなかったであろう。

子育てがひと段落し、やっとこれから自分のしたいことができる、その時は仕事がしたいと思っていたわけだが、結果的に、禅と出会うことになったのは、やはりお釈迦様の御導きというほかなく、これでよかったとも思う。

 

しかし、昔を思い出してみると、大学時代には無教会主義の信奉者である大学教授による聖書を読む会に参加したり、30代前半ころには近所の教会にも一時期通っていたことがあった。

若いころ、遠藤周作(「沈黙」は最高傑作であると思う)や高橋たか子の小説をよく読んでおり、その影響もあったのかもしれない。

将来に対する漠然とした不安感から逃れたという気持ちや自分の生きる道しるべのようなものを探していたのではないかと思う。

 

人生の後半に差し掛かる50歳直前で出会った「人間形成の禅」は、私にとっては、今後の生き方の道しるべであり、最終的にはいずれ迎えるであろう死との対面準備である。

 

三昧を身に付けることは容易なことではないが、毎日愚直に座り、ただ座り、道を求めていきたいと願うばかりである。

  合掌 香水(東京荻窪支部)

 

 「おのれこそ おのれのよるべ

  おのれを措きて 誰によるべぞ

  よくととのえし おのれにこそ

  まことえがたき よるべをぞ獲ん」

法句経160  友松圓諦著「法句経」

(講談社学術文庫より抜粋)

posted by ただいま禅の修行中 | 22:13 | 東京荻窪支部 | comments(0) | - |
コメント
コメントする