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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
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≪曹渓庵佐々木指月老師のこと≫ (1)

「指月(曹渓庵佐々木指月老師)がアメリカへ行ってさして時を経ない頃のことである。

評論家石垣綾子氏の『夫婦』と題する書の中に、石垣氏の居られた同じアパートの一室に、佐々木指月という男が、その仲間の一人と同居していて、その室には仏壇をもうけ、アパートの各室を歴訪して仏教の宣伝をしていた。 誰も相手にしないのみか、迷惑がり、軽蔑さえした。二人は居たたまれなくなり、どこかへ行ってしまったという一節があることを、一友人が空穂(*1)に告げたという。」

 

曹渓庵佐々木指月老師 1939年頃 ニューヨークにて
曹渓庵佐々木指月老師 1939年頃 ニューヨークにて

 

実は、今からおよそ30年前の人間禅機関紙『人間禅』137、138、139号に、岳南支部の大先輩である故斎藤是心さん(慈雲庵斎藤是心老居士:大正11年〜平成28年帰寂)の投稿された文章の一コマです。

悲哀感というか、悲壮感が感じられ、今でも、小生の心の底に残っております。

 

今回、もう一度、拝読し、ブログへ何回かに分け(抜粋して)、掲載したいと存じます。 

 

*1)窪田空穂氏【歌人、国文学者、日本芸術院会員:1877年(明治10年)〜1967年(昭和42年)】は、是心さんの尊敬しておられた短歌の先生です。

 

天城山隧道北側
天城山隧道北側

 

(1) まえがき

 私の尊敬する歌人窪田空穂の著作の中に『佐々木指月という人』と題する一篇がある。確か昭和39年頃の短歌雑誌に2回にわたって掲載されたものであるが、当時私は、両忘庵門下の師家としての曹渓庵佐々木指月老師の名を聞き及んでいたので、その著作にめぐりあえたことに、不思議な機縁を感じ、深い感銘を覚えたものである。そこには曹渓庵老師が、わが歌の師と仰ぐ空穂先生の紹介によって、両忘庵釈宗活老師に入門されたことが記されており、その出生からアメリカ布教の中途に於いて逝去するまでの一部始終が細かく記されていたからである。

 曹渓庵老師はどちらかといえば不遇の中から身を起こし、彫刻により生活の資を得ながら禅の道に入られ、やがて両忘庵老師に従って伝道のためアメリカに渡り、生涯の大半ともいうべき三十年間を北米ニュヨークで過ごされ、師の悲願であるアメリカ伝道の礎をきづかれた方である。

 【佐々木指月という名は、私には甚だ親しく、忘れがたい名となっているが、しかし我が国内では三・四の人を除いては、殆ど誰も知らない名であろう・・・・指月が禅門に入る以前からの交友として、現在生存している者は、ただ一人、八十一歳の私が残っているだけである。人間としての指月の輪郭だけなりともと思って、この一文を草した次第である。】と空穂先生は述べているが、これだけの言葉からも曹渓庵老師に寄せる空穂先生のあつい思いが窺え、二人の交流の深さが偲ばれるのである。

 空穂先生が愛情をこめて綴ったその文章から窺える曹渓庵佐々木指月老師の人間像を、極力空穂先生の文章を引用させて頂き、紹介しておきたいと思う次第である。

 空穂先生の文章は曹渓庵老師のアメリカ伝道のことから書きおこされ、迫力ある構成となっているが、私はその中から取捨して経時的な老師の人間像を辿ってみようと思う。

〜続く〜

  閑徹(横浜支部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 20:29 | 横浜支部 | comments(0) | - |
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