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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
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木を見て森を見ず

古い諺には不思議な力と味わいがあります。

この諺は森の中の一本一本の木を見て、大きな森全体を見ないということですが、その奥にある意は、物事を見る場合には末梢のことにとらわれず、本筋を見よという教訓であります。

 

ある時、歌人の集会で女性は「木を見て森を見ず」と指摘されたことがありました。

失敗や欠点をズカリと言われるより、物事に譬えた諺で言われた方が心の底から納得することがあります。

標題の言葉も 何時の時代に、誰が言ったのかわかりませんが、切り捨てるような教訓ではなく、言葉の奥に包み込むような思いやりが感じられます。

 

わたしたちは、ともすると小さな感情に囚われて大局を見失ってしまいますが、それを戒めた諺でありましょう。

森には曲りくねった松もあれば、真直ぐに伸びている杉もあり、桜もあれば大きな柏の木もある。

落葉樹もあれば常緑樹もあり、葉には裏もあり表もあります。

木はそれぞれの個性を持ちながら、譲り合って精一杯生きてをり、それが自然の相であります。

 

わたしたちの社会には、さまざまな出来事があります。

自分の意にかなったり、かなわなかったり、人に誉められたり ( けな )されたり、苦しみ悩んだり、喜ばされたり、一喜一憂して生きているものですが、それらはみな小さな自我に囚われているからでありましょう。

小さな自我を否定し、無限の慈悲と智慧を磨きながら、それぞれの個性や人格を認めあい、互に譲りあって仲よく生きること、それが社会という大きな森であるという解釈もできます。

 

 

私たち女性には視野の狭いところがあるのではないでしょうか。

末梢のことにとらわれて本筋が見えなくなり、折角ご縁があって禅に入門しても、途中で挫けてしまい、修行を中断してしまうことは残念なことです。

 

禅語に「 八風吹 ( はっぷうふけども ) 不動 ( どうぜず ) 天辺 ( てんぺんの ) ( つき ) 」という語があります。

八風とは人の心を動揺させるさまざまことを風に譬えたもので、 ( り ) ( すい ) ( き ) ( よ ) ( しょう ) ( き ) ( く ) ( らく )  のことを言います。

 

( り ) ( すい )  ・・・・・意にかなうこと と 意に反すること。

( き ) ( よ )  ・・・・・人を悪く言いたてること と 賞讃すること。

( しょう ) ( き ) ・・・・・ 面前で ( ほ ) めること と 誹謗すること。(そしること)

( く ) ( らく )  ・・・・・ 身心を悩ますこと と 喜ばすこと。

 

人間の社会にはこのような風が常に吹き荒れているようですが動揺せず、いかなる困難にあっても、いささかも挫けないで、正法に安住し、泰然自寂としていることであります。

私たちも限られた命を大切にして、一歩でも半歩でもこのような境涯に近づきたいものであります。 

蓮昌庵 堀井妙泉 (栃木座禅会)#女性部

posted by | 18:15 | 栃木座禅会 | comments(0) | - |
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