TBSラジオ「こども電話相談室」のなかで小学6年生の女の子が好きなひとに告白する言葉を教えてください、と相談した際、永さんは次のようにアドバイスしました。
言葉は一番大切です。
でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。
「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。
だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。
スポーツの応援でもいいです。
そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。
やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。
二人っきり、まずはふたりになること。
きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
言葉をとても大切にした永さんらしい回答だなと共感しました。
さだまさしの歌に「その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました」という歌詞があります。
花や月や虹を見て“きれい”とか、映画や音楽・スポーツの話題で盛り上がったりするのと同様に、いっしょに坐って、同じ釜の飯を食べるという摂心会(参禅会)みたいな場をもっともっと多くの人が体験して気づいてもらえたらいいなあと感じています。
千葉県市川市にある人間禅道場は今、春爛漫です。
(写真は、洗心庵茶庭に咲く馬酔木の花)
剣外拝(市川松戸座禅道場)
]]>今年2月の木曜日、仕事を終わらせ、新幹線のぞみ号姫路行きの最終列車に乗車した。姫路駅に着いたのは、もう少しで0時を迎える頃であった。今回の帰省の目的は、姫路港(瀬戸内海)〜日本海まで歩くこと。
昨年6月に左肩の手術をし、剣道の稽古が出来なくなったこともあり、歩く機会が増えた。中禅寺湖や芦ノ湖一周・山手線一周など各地を歩きで巡った。そんなある日、東京湾〜新潟(日本海)まで走ったことのある人の本を読んだ。“フム”、そんなことをする人達がいるのか! 私の心は動かされた。“そうだ! 兵庫県を縦断してみよう。”(ちなみに兵庫県は、本州の両端の青森県・山口県を除き南北を海に面している唯一の県と言われている。)
1日目◆金曜日(祝日)の朝、姫路港まで先ずは移動。周辺は、日本製鉄広畑などがある工業地帯。ここを出発し姫路城を通過、JR播但線と市川(二級河川)沿いのなるべく車の通らない道を選んで歩いた。私にとっては青春時代の淡い思い出が残る懐かしい景色ばかりだ。この日歩いた距離は約40km。
2日目◆JR新野駅を出発。生野峠を通過、JR和田山駅まで歩いた。ここで、生野について2つ紹介したい。
朝来市生野町には、生野銀山があった。生野銀山は、江戸時代、幕府直轄地として栄え、明治時代、近代日本の産業化に大きく貢献している。現代は生野で採掘されていた銀の輸送経路(生野〜姫路・飾磨)が「銀の馬車道」として日本遺産に登録されている。
2つ目は、生野の山を境にして、川の向き・流れが変わることだ。前述の市川は、瀬戸内海に向けて南に流れる。もう一つは円山川、日本海に向けて北に流れる。そう、生野は分水嶺の地でもあるのだ。
歩いていて、つい数分前まで私に向かって流れていた水が、今度は私の歩いている同じ方向に流れている、なんだか不思議な感じがした。なんとも禅的な話のような…。
この日歩いた距離は、1日目とほぼ同じ40km。
3日目◆JR和田山駅を出発。この駅は、播但線の最終駅であり山陰本線の要となる駅となる。午前中の天候は、みぞれのち雨。残り50km、ひたすら歩くしかない。ゴール手前には志賀直哉の小説『城の崎にて』で有名な城崎温泉。ここを通過すると日本海まで残り4km。夕方6時過ぎになんとか日和山海岸に到着した。
3日間で約130kmを歩いた。50代の私には、なかなか堪える距離であった。
ゴールの後は、城崎温泉に戻って温泉に浸かった。偶々泊まった旅館は、禁門の変で敗れた長州藩士桂小五郎(木戸孝允)の潜伏先だったとのこと。
この旅では、山城として有名な竹田城跡や豊岡でコウノトリを見たりもできた。
私の故郷の奥深さをこの歳で改めて感じる旅となった。
光舟 記(市川松戸座禅道場)
]]>JUGEMテーマ:ヨガ
魁星です。
先日の土曜日に静座とヨガと抹茶のデトックスに参加して来ました。
普段、なかなか静座が出来ていないためこのような機会はとても有難く、毎回身体と心がほぐれてリフレッシュさせてもらってます。
先月のデトックスでは、参加者のお一人が、毎朝日記を付けて頭の中を整理したり、その日のやる事(目標など)を決めたりしていると話されていました。
目標を決めないで、ただ流されて日々が過ぎているばかりだったので、私には耳が痛くお聴きしました。
目標といえば、私が通っている宏道会の今年の目標は、「日々素振り100本で稽古に臨む」です。
目標をサボり自分が嫌になることばかりですが、折角いいきっかけをいただいたので、これから一歩ずつ変わっていきたいと思っています。
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そもそも「ちむどんどん」ってどんな意味かといいますと、ネット上では次のように出ていました。沖縄の方言で、「ちむ」は「肝」という言葉がなまった言葉。「肝」とは、心情や情などのことを指します。そのため、「ちむ」の後ろに「どんどん」を付けると、胸が高鳴る様子を指し、胸がドキドキする(心臓がバクバクする)、心が落ち着かない、という意味になります。沖縄では若者たちまで知っている 有名な言葉で、「前向きで肯定感に満ちた、わくわく感」、という意味合いがあります。
ちむどんどん というフレーズも良いですし、とても生き生きとした感じが伝わる言葉ですよね。
禅門には“一行三昧”という言葉があります。
仕事をする時には仕事三昧、遊ぶ時には遊び三昧、食事の時には食事三昧、勉強の時には勉強三昧、その間に一点の雑念妄想をはさむことなく、全身全霊をもって事にあたる。まさに、今に生きるということだと思います。これができれば、常に心は、ちむどんどんして、生き生きと働いている状態ですよね。実際に行じるのは、果てしなく難しいですが、一度しかない人生! ここを目指していきたいと思います。
さて、ここからは、ご案内です。
来る3月2日から9日まで、市川市国府台にある人間禅本部道場では、1週間座禅会があります。座禅三昧、食事三昧、作務三昧に打ち込んで、心をちむどんどんさせてみませんか? ぜひご一緒しましょう! お待ちしております。
玉道拝(市川松戸座禅道場) #摂心会 #作務三昧 #ちむどんどん
]]>JUGEMテーマ:剣道
富嶽です。
まだ明けきらぬ朝の5:30から空気の冷たさを感じながら座禅が始まり、5:50から皆で挨拶をして体操。そして法定の呼吸法を取り入れた稽古が始まり、素振りを含めた基本稽古。
それから切り返しをして素振り100本へと続きます。
今年の寒稽古の内容は概ねそのような内容になっており、まだ2日間を終えたばかり。
寒くて暗い中、昨日、一昨日と20名ほどの会員が参加しています。
宏道会に入会してから年末の寒稽古は途切れることなく続いており参加しているわけですが、寒稽古が始まると「もう今年も終わるんだな」という気持ちになります。
今年の宏道会の目標が「全力を出し切って稽古を終わる」でした。
それを受けて寒稽古の目標が「全力を出し切る」となりました。
自分なりの解釈であり想いですが40代の半ばを過ぎて仕事も多忙な中、剣道を続ける意味というのは、
「上手くなる」とか「誰かよりも強くなる」ということよりも「己自身に打ち克つ心を磨く」というところにあり、
誰かや何かとの比較ではなくなってきています。
そういう意味でも稽古において「全力で取り組む」ということは大事なことであり、
それでこそ怠けそうになる自分に打ち克つことができるのではないかと思います。
稽古において剣道において自分に打ち克ち、
日常の中においても怠惰な生活をしたくなる自分に打ち克ち、
五戒を少しでも達せられる人になりたいと思います
「言うは易く行うは難し」でそうそう簡単に事は運ばないわけですが、今年一年の締めくくりである寒稽古。
目標にあるように“全力を出し切る”稽古をして良い年を迎えたいと思います。
岩村富嶽(市川松戸座禅道場) #宏道会 #剣と禅
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今年も恒例の「紅葉狩り」が禅道場で行われました。
こんな町中にもみじが見られる所があるのかとしみじみ感動しました。
秋の行楽シーズンになると決まって今年はどこに紅葉を見に行こうかと考えます。
近いところで日光のいろは坂とか遠いところで京都とか、お金と時間がかかります。
でもこんな近くに紅葉の名所があったんですね。
ゆっくりと境内を散策すると、さわやかな空気と鮮やかなもみじの色に日常の喧騒を忘れ癒されます。
禅堂で座禅をした後、お楽しみは「もみじの天ぷらうどん」です。
典座のテーブルにサンプルが置いてありました。
思わず「うまそー」と声が出てしまいました。
トッピングにちくわと大葉の天ぷら、にんじんの切り抜きが乗っています。あご出汁の匂いが食欲をそそります。
順番を待ち、いよいよ、いただけることに。
もみじの天ぷらは、さっくりとして無常観がただようような、なんともいえない味でした。
この味わいを多くの人に体験していただきたいと思いました。
無心拝(市川松戸座禅道場)
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中央支部 佐藤 妙珠
今年も10月中旬に1泊2日で私の兄弟会を行いました。この兄弟会は母が99歳で亡くなり、其の後兄弟で話し合い、みんなが元気な間は兄弟会をしてみんなの近況報告等をして兄弟仲良くして行こうとなり、もう約20年の間、続けております。コロナの時期のみは中止にしていました。
最初の頃は姉夫婦の大きなワンボックスカーに6人兄弟の連れ合いと乗るのですから賑やかでした。その時は12人でした。泊まる旅館では男子の部屋と女子の部屋と別れて泊まりました。着いた日には最初に皆さんで抹茶を飲みます。お菓子は各部屋に用意されていたお菓子を持って来て、お茶を楽しく飲みました。兄弟も自分の子どもが成長して仕事を始めたり、自分自身が定年後からこの会を始めましたので、年々人数が減って来まして、最初は実家の兄夫婦が亡くなり、数年後に姉夫婦が相次いで亡くなりとなり、今年は5人の会でした。
妹夫婦の7人乗り用の車で駅で待ち合わせして「伊香保」方面に行きました。
もう5人の旅ですので、ゆったりとしようが目的でした。妹夫婦の旅行計画にのって、秋の紅葉にはまだ早いのですが静かなゆったりとした1泊2日の旅をして兄弟の友好を高めました。
其の旅でいちばん興味をそそられたのは群馬県の北部にある「四季を感じる禅寺」とうたっていた臨済宗の宝徳寺でした。行った日が鏡床を拝見出来る初日でしたので、お客は10人程度でした。お寺の方の説明と写真を撮って下さり有り難いひとときでした。鏡床が庭に面して一瞬で庭の様子が鏡床に映り絵画のような世界を造っていました。テレビ等で紹介されていたのを知っていましたが、本物を拝見したので驚きと、これを考えた先人に感謝と敬服を致しました。小径のお庭も拝見いたしました。天気にも恵まれた楽しい旅でした。帰りの車の中で来年は新潟方面に行きましょうとなり散会しました。
ところが後日談ですが、妹夫婦はカメラ店で働いていたのですぐに写真を整理して送って来ました。其の中に鏡床の写真があり、とても良く映っているわと見ていたら最後のページに、妹のご主人が描いたコミック的な漫画で鏡床にいる兄弟を表現していました。それにはおかしいやら、感心やら忘れられない1枚の写真でした。妹のご主人は家族の思い出を漫画で表現して楽しんでいるのは知っていましたが、ここに描いていただくのは初めてでしたので、今年の兄弟会の締め括りとして最高でした。其の漫画チックな写真を載せます。。
]]>JUGEMテーマ:俳句
前回2023年3月に道場近くのじゅんさい池を取り上げたが、その続きに、眞間山の枝垂桜をご紹介したい。
10年位前、静座会(耳順会)に参加させて頂いた。坐禅のあとのお茶の時間に、参加者は、いろいろ雑談、話題提供などしていたが、古参の方から「富安風生(とみやすふうせい)の 『まさをなる空よりしだれざくらかな』の句によって、市川・真間の弘法寺の枝垂桜が全国的に有名になった。」と言う話をお聞きした。まだ筆者は俳句を始めていなかったので、このお話により、富安風生が高濱虚子率いる「ホトトギス派」の有名俳人であることや、「まさおなる」が「真青な」ということを初めて知った次第。たしかに、この句は、桜が空高くからしだれている如く描写し、雄大なイメージで、いろいろな歳時記の「桜」の項には必ず収録され、風声の名句のひとつだ。
市川市街を見下ろす国府台にある古刹、弘法寺(ぐぼうじ)には、樹齢400年という枝垂桜の名木があり、季節になると大勢の見物客で賑あう。紺碧の空に桜のピンクが生えて美しく、俳人の心を捉えたのだろう。早稲田の応援歌に「紺碧の空、仰ぐ日輪」というフレーズがあるが、似たようなモチーフだ。
桜は「伏姫(ふせひめ)桜」と呼ばれ、その由来は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』に登場する里見義実の娘の「伏姫」から来ると言われている。見物客には写真に収める人ばかりでなく、絵を描く方もおられる。私自身、この長い間、花の季節に見ているが、最近は木の丈が低くなり、枝の広がりも小さくなってきている。いろいろ手当をし、周りには若い染井吉野を植えて盛り立てているのだが、「空より枝垂れ」というかつての堂々とした勢いは乏しいようである。何とか復活させてもらいたいものと思っている。隣に「月見桜」というのがあるが、その言われは知らない。ここ10年位前に表札が付けられたのではなかろうか(添付の伏姫桜の写真は、高凛庵粕谷玉道老居士が提供されたもの。市川市の観光振興課の「写真de市川旅気分♪」キャンペーン | 市川市公式Webサイト (ichikawa.lg.jp) 花の写真もご覧下さい。)
伏姫桜
この木の近くに風生の句碑がある。若しご覧になるなら、山門方面には小林一茶の「真間寺に斯う拾ひしよ散紅葉」、水原秋櫻子の「梨咲くとかつしかの野は とのくもり」の句碑もあるから一緒に巡られれば良い。
↑ まさをなる空よりしだれざくらかな(風生)の句碑
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7、8年前のことです。日曜の朝の静座会での思い出を書かせていただきます。
いいお天気の初夏でした。
東京に住む姪の長男をつれての参加。その日も素晴らしい人間禅の庭がむかえてくださいました。
入山者名簿に筆でじぶんの名前を書き、ごあいさつして、玄関掃除の担当を。小学生の背より高くて長いすのこを外に運び出す。
ほうきで砂ぼこりをそーっとはらう。土間を掃き、手水で清める・・・居士のお手本をみて 子供はマネて学んでいました。
さて、立派な木の階段を一段一段上り、ひろーい畳敷きの禅堂、息をしずめながら、お話しをうかがっていました。
「ひろい地球のここにきみのその座布団をこう敷いて、で、そこにゆったり座るんだ。さあ、やってみようか!」と、あざやかな言葉掛けをいただきました。
二柱香、もじもじながらだったかなと思いますが無事終え、お茶とおやつをご馳走になり、美しい道場をあとにしました。
駅へ向かう途中、「おむすび食べてもいい?」と、親が持たせてくれたおむすびを頬張りながら、空中を飛ぶようにスキップしながら小学生と私たちは帰りました。
学年をすぎ、ある日電話がかかってきて「猫が死にそうなんだ。ぼくには何ができるんだろう」と。
咄嗟のわたしはこう尋ねました。「いま一番大切にしてること、頑張ってることとはなあに?」
小学生の勇斗「サッカーだよ、サッカー」
叔母のわたし「そうか、では猫ちゃんに、すごく頑張ってるサッカー、それがいま百点だったとしても ぼくはもっともっと真剣な満点とるよって、約束してみる? できる?」と。
勇斗君「わかったー、そうする!」
中学、高校と進み、おかげさまで今は大学の1年です・・・。
さて、おかげさまは私自身であります。人間禅とお会いできて11年がたち、もしひとりで家で座る、が出来て”いた”としても今日のじぶんはないと思います。
摂心会においてお一人お一人のだいじな参禅と、各役位の真剣な務め、果たされかたに、迷ってなどいない素早い決断と美しい行いに接することが出来、学ぶところは深くあります。先輩禅者の影響を、戴いていることを知ります。
ブログもいろんな方々に読んでいただける「場」で、また各静座会のかたのブログにも出会える「場」で・・・影響をいただいています! これからもたのしみ! です。
合掌
瀧口清韻拝(市川松戸座禅道場)
]]>この会は座禅をするだけでなく、なんと各流派のお点前を一度に見れると言う茶道に興味のある方は必見!の会なんです。
今回は、二日に渡り有楽流・裏千家・表千家の呈茶がそれぞれ2席設けられ、その他にも講師を招いて『お茶と禅』の講演など盛り沢山の内容でした。
残念ながら私は受付やお点前中のお運びなどの仕事が多く、ゆっくり皆さんのお点前を拝見することは叶いませんでしたが、それでも学ぶことが多く、皆さんのお点前をワクワクしながら垣間見て楽しんでいました♪
座禅と茶道?何の関係があるの?って思われる方も多いかも知れませんが、茶道も座禅と同じく正念の相続(今ここに集中することを継続する、マインドフルネス)をするもので、お点前と言われる一連の動作は頭で考えたり覚えるものではなく、反復することで身体で覚えるものです。座禅もひたすら座り、頭で考えること(計らい)を手放すものですから、動作があるかないかの違いですね。私も毎朝お点前の練習をしながら、座っている時の感覚と似ているなぁと感じています。
茶道から禅に興味を持つ方もいらっしゃるし、私のように禅から茶道に入る人もいます。老師に「禅をするなら『道』がつくものをひとつやると良いよ」と言われましたが、全くその通りだなと感じています。
「茶禅一味の会」は毎年一回、市川の本部道場で行われます。茶道と座禅の両方を堪能できる良い機会です。
来年も多くの方のご参加をお待ちしています!
合掌 衣風(横浜支部)
とは言っても酒量は多くはなく、依存症などには至らない程度に楽しんでおります。
一人酒、二人酒、そして大勢で呑めや歌えやの宴会と様々な楽しい時間を過ごしてきました。
日中の仕事での悩みや嫌なことなど、そのまま持ち帰っていたらどうにかなってしまうような精神状態のときでもお酒で癒されてきました。
楽しみ、リラックスできるお酒を吞んでいる時間を持てたことに感謝しています。
しかしそれは嫌なことを忘れさせてくれていたと言うことで、言い換えればお酒に逃げていたと言うことかもしれません。確かに気分転換には役に立っていたことは間違いないのですが、やっと最近になって今更ですが気付いたことがあります。今お読みになってくださっている方は当たり前だろ! 〇カじゃないの! と思われるでしょうが、気付いたこととは、
酒を呑んでも翌日には現実は何も変わっていない、ということです。
毎夜呑んで悩み、嫌なことを忘れても、翌朝には問題を解決していかなければならないことの繰り返しにやっと気付きました。
そこで私が通っている座禅道場、剣道場に行った時だけ座るのではなく、数年前から自宅で、
しかも毎朝仕事に行く前に短時間ではありますが、座る習慣をつけるようにしたところ、
毎日同じ時間、同じ場所で数息観をすることで、その日一日を送るための勇気が湧いてくるようになりました。そしてその日の言動に自信を持つことができ、堂々と振る舞えるようになってきたと実感しております。
インターネットを閲覧すると、飲酒には良いことなどなく、止めると良いことを山のように報じている昨今で、心許なくなりますが、私は細く長くお酒と付き合って行こうと思っていますし、当然毎朝の座禅を続けて行きます。
合掌 火蓮拝
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ただ、やはり、何といっても胸にグサッとささるのはこの『君たちはどう生きるか?』というフレーズです。これは、『お主はどう生きるのか?』と直付けに突きつけられている感じがします。人ごとではなく、我ごとです。
『私はどう生きるのか?』『職業人としてどう生きるのか?』『家庭人としてどう生きるのか?』『禅者としてどう生きるのか?』
真剣に真正面から取り組まなければならない現成公案です。
「正しく楽しく仲よく」をモットーに、お互いに人生を味わい、深めていければと願います。
粕谷玉道(千葉 市川松戸座禅会)
]]>人生の折り返しにあたる年齢になった頃から、私は死を強く意識するようになった。自分は永遠に38歳! という図々しい認識をもっているのだが、生物学的状況からは逃れられない。生きていられるのは残り半分かそれ以下だと思うと、前半の人生とあまり変わりばえしないスタイルで生きていくのが退屈に思えた。「変わりたい」という気持ちがふつふつと湧いていた。そんな矢先、人間禅と出会ったのである。
突然だが私はアゲハチョウが大好きで、自宅の庭先に山椒と柚子を植えてせっせとアゲハチョウを誘致している。ぷくぷくと太っていく青虫はほんとにかわいい。そして蛹になると、なんと青虫はその中で一度ぐちゃぐちゃに溶けるのだ。そして優雅な蝶になってついには空へ飛んでいく。見た目も違うが生きる次元も2次元から3次元へ。それは変化ではなく「変容」。そんな蝶を見ていて思った。私が望んでいるのは「変容」「トランスフォーメーション」であると。
しかしながら変容するためにどうしたらいいのか? もしかして座禅もいいかもしれない、と座禅会に通うようになった。そして一年が過ぎた頃、『迷える者の禅修行』(ネルケ無方著)という本の中で、「この世界が自分の一部であるという感覚になる」という一節に出会った。自分が世界の一部、というのはわかる気がするが、その逆とは一体どういう感覚なのだろうか。ぜひともこの世に生きてるうちにそんな感覚になってみたいものだと思った。でも、このまま週1回の座禅会に参加しているだけでは現生では間に合わない、もっと本腰を入れなくてはこの感覚にはたどり着けないだろう、ということで人間禅に入門、入会する決心がついたのだった。
そして2年が過ぎた。入会すると参禅がある。質問の意味もわからないような問いに答えなくてはならなかった。私は混乱した。考えれば考えるほどわからなくなっていった。2年間、暗くて長いトンネルの中にいるようだった。でも、今振り返ると、この時期、私は蛹の中にいて、ぐちゃぐちゃに溶けながら確実に新しい形へのプロセスを踏んでいたんだと思える。
そしてついに蛹から抜け出す時がやってきた。その日は早朝の参禅だった(ちなみに蛹も早朝に羽化する)。一番最初の公案にやっと通ることができたのだ。私にとって「変容」が起こった瞬間だった。自分のカラダと心がフワッと自由になったような気がした。まさしく狭い蛹から出たような感覚だった。
さらに「静心(せいしん)」という道号をいただいた。なんとも美しい響きである。内向的というより外交的、静というより動、好きな色は青じゃなくて赤、な私が、「静かな心」である。名実ともに全くもって「変容」だ。全く違う人生、そして修行がスタートしたんだと実感した。これから静心として軽やかに穏やかに、そして静かな青い炎を燃やしてパッショネイトに生きていきたい。実際、赤い炎より青い炎の方が高温なのだ。
なお、青虫は自分だけでは羽化はできなかった。「いっしー」という蛹をたくさんの仲間が見守ってくれていたことに感謝感謝である。
石原 静心(千葉・市川松戸座禅道場)
]]>摂心会は日程が規則正しく定められています。基本的な日程を列挙すると次の通りです。朝起きたら、掃除三昧、静座三昧、参禅三昧、朝食三昧、作務三昧、静座三昧、参禅三昧、昼食三昧、休憩を挟んで、作務三昧、静座三昧、夕食三昧、掃除三昧、提唱三昧、静座三昧、参禅三昧、そして就寝です。この日程を毎日繰り返し、起きてから寝るまで三昧のトレーニングをしています。
摂心会は、数息観の行で三昧力を養い、何事においても三昧になれるようにする。言いかえれば、道力(真理通りに実行する力)を養う。その上で、参禅により道眼(真理を把握する眼)を磨いていく強化合宿とも言えます。
家庭や仕事の関係で、摂心会に門外不出で詰めることは難しいと思いますが、日程を工夫して、一日でも二日でも摂心会に詰めて、三昧トレーニングをしてみるのもお薦めです。
合掌
中央支部 三松無妙拝
]]>森田露香
今年の夏は本当に暑い日が続きますが、皆様はお元気にお過ごしでしょうか。
さて、いまから16年程前に私が最初の禅問答を許されて道号をいただいたとき、大学からの道友(座禅の仲間)の皆さんがお祝いに寄書きの色紙をくださいました。さまざまな言葉のなかで目に留まったひとつが「把手共行」でした。当時は単純に一緒に座禅を続けようという意味に受け止めて、良い言葉だなと思いました。
人は誰でも長所もあれば短所もあり、強いときもあれば弱るときもあります。おたがいに修行最中です。だからこそ声を掛けあって、手をとって共に行く。肩肘張らずに「おててつないで」くらいがよいように思います。そうするなかで、おたがいが少しずつ成長するのだと感じます。ありがたいことです。
おててつないで歩んでいきたい。そう願っております。
夏の終わりの本部道場
]]>「シニア椅子座禅会」の立上げについて
1 シニア椅子座禅会立上げの経緯
日本で急速に進む少子高齢化は、社会保障費の膨張によって現役(若者)世代への圧迫の度を強めており、今や「敬老」という言葉は「嫌老」という言葉にとって代りつつある。
「高齢世代と若者世代の世代間闘争」(五木寛之『嫌老社会を超えて』2015年)更には
「高齢者は老害化する前に集団自決しかない」(成田悠輔 米イエール大学助教授 2021年)という言葉も平然とネットに流れ出る時代であり、人込みを歩いていたらいきなりぶん殴られて“痛いじゃないか”と一言でも発しょうものならば、「ウザイんだよ、年寄は!」との捨て台詞を残して立ち去られるという心配も必要になりそうな時勢である。
少子高齢化対策として政府(行政)も色々手は打ってきてはいる(令和5年度版高齢化白書他)ものの、即効性を期待するには程遠く、結局「一人ひとりができることから始めましよう」というのが現状である。
高齢者による現役(若者)世代への圧迫度を和らげ、高齢者が社会に貢献し、高齢者が現役(若者)世代と把手共行するために有効と考えられる手段はいくつか考えられるが、健康な高齢者なら誰でもができることは、健康を保って社会保障費就中医療費の抑制に助力することだと思う。その為の方策も又いろいろあるであろうが、私は椅子座禅を勧めたい。足腰の固くなった高齢者でも椅子座禅ならば容易にできる。
2 椅子座禅に期待する
座禅をすれば身心が活性化され、従って健康にもいい、とは昔から言われてきていることであり、科学的にも証明されているし、座禅を少し経験した人ならば誰でもが実感していることだと思う。座禅の効用については、名誉総裁の『坐禅の効用』丸川雄浄著 に精しく説かれている。
私は、私を含め、高齢者に外出する(一歩を踏み出す)目的を与えるだけでもいいと思う。
高齢者が積極的に外出することによって、本人においては身体面や精神面で良い影響がもたらされ、その結果、社会的にも介護費・医療費などのコスト削減、地域 活性化や消費拡大などの効果を与えることが期待されている。 (水野映子 第一生命経済研究所)
政府(行政)がいう「一人ひとりができることから始めましよう」というのはこのことであり、身心が活性化されれば、何かをやろう、創めようという気も起り、それが新たな生き甲斐を生み、さらに身心が活性化されて健康が維持増進されるということである。
パワースタンドイメージ図 参照
電気自動車がパワースタンドで充電されて動き出すように、高齢者が擇木道場における椅子座禅によって充電(身心が活性化)され、その成果として健康が維持増進され、よって些かなりとも社会に貢献できようというわけである。
3 東京東支部シニア椅子座禅会 会員規則(素案)
・会員:高齢者(概ね75歳以上)
・座禅会:原則1回/週 1.5時間(1炷香の椅子坐禅、真向法体操、茶話会等)
・会費及びシニア椅子座禅会員の支部内での扱い:支部座禅会員に準ずる。
・立上げの時期:支部理事会に諮った後、令和6年の早い時期
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人間禅道場を知るまでは、私なりに禅、ヨガ、瞑想を本やYouTube等で勉強し、実践しましたが、知識だけがつき、身に付く事が全然出来ませんでした。
情報社会の怖いところですね、、簡単に知る事ができるのは、、
その最中、ホームページでこちらの道場を知り、今年の7月から坐禅会に参加しています。
初日に坐禅(数息観)の作法を丁寧に指導して頂き、早速坐禅をしました。
先ず最初に感じた事は、呼吸に集中する事がこんなにも難しい事でした、5つくらいしか数える事が出来ませんでした、きっと精神が乱れているのでしょうね。
現在、まだ2カ月足らずで未だ未だ呼吸に集中する事が出来ませんが、最近は座る事が出来る幸せを感じるようになってきました。
先日、お恥ずかしながら、坐禅中に涙が流れてしまいました🥲
これからも道場に足を運び、坐禅だけではなく、たくさんの事を吸収し、これからの人生を豊かにしたいと考えております。
市川松戸日曜座禅会 М・S
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この程度の知識でした。
初参加の日。通り一遍のお作法を習い、いざ座禅。
〈無心〉
・無心になろうと考えている時点で無心ではない。
・無心になるのはとても難しい。けれど、それが人間なのだとも思えました。
・無心とは 先ず、自分と向き合う。自分自身の心を静かに見つめ直す。
・ただ、思うがままに、自分の気持ちに正直に考えるがままに座る。
そう、思いながら今日に至ります。
人は生きていくなかで、人との情、人との繋がりはとても大切でなくてはならないことだと私は思います。
独りでは自分に甘く、とても座ることはできませんが、〈静座会〉の皆さんと一緒であれば、精神的にも落ち着いて座れます。
休憩時間の少しのお喋りも
楽しく、それ故、また、座ろうという気持ちが芽生えてきます。
座った後は、心も身体もリフレッシュ‼️ 楽しかった‼️
まさしく、この心地良さが〈静座会〉へと足を運ぶ私の最大の理由です。
船橋座禅会 山中🥀
]]>JUGEMテーマ:絵画
今回のブログ投稿で早いもので7回目となります。
表題のコとロとナの後に「つぎ逢う時は君という字」という文が続きます。漢字の「君」という字を分解するとコ、ロ、ナになるからです。
やっとのことで新型コロナウイルス感染症の位置付けが本年の5月8日から「5類感染症」に低減されました。6回目のワクチン接種の効果を期待してマスクもはずし「コロナの君」と普段通りのお付き合いをしたいものです。
さて前回は「健康寿命を延ばすには」というテーマでしたが今回は「ひょんなことからと人間禅」というテーマで拙文をまとめてみました。
まず昨年末から今年前半にかけて私が趣味の一つにしている油絵でひょんなことから一枚の絵が誕生しました。人間禅ともかかわりが深く、その経緯を記してみます。
・昨年12月29日中央支部恒例の餅つき会が3年ぶりに行われた。
・その日は朝が早かったので自宅で行う一日一炷香はやらずに直接道場に行った。
餅つきは2回程度で例年のことながらあまり役に立たず、時間を持て余した。
・時間調整も兼ねて座禅を組もうと禅堂に行ってみると笹田名誉会員が互礼会用の綺麗な花々を一心に生けておられた。
・笹田さんの了解を得て一人だけで45分間の座禅を組んだ。
・この時、東側の摺りガラス窓に冬の朝日を浴びた落葉樹のシルエットに気付いた。
まるで影絵のようで、それはなんとも言えない幻想的な光景であった。
同時にこの光景を油絵に描いてみたい衝動にかられた。
・座禅が終るとカメラを持った如水居士が禅堂に上がってこられたのでこの光景を写真に撮っていただく。(↓これがその時の写真)
・3月上旬から制作にかかり6月上旬に完成し、7月1日から始まる一般公募の松戸美術展に会員として出品した。
・なお作品の題名は毎回悩むところであるが、月一回の慧日庵老禅子の仏教講座で使われている教本から「寂静」という仏教用語を見つけ題名にした。
寂静(じゃくじょう):煩悩を脱し苦しみなくして真理に到達した涅槃の境地
・美術展開催中は、竜穏居士、剣外居士、総裁老師に猛暑のなかご覧いただいた。
なお同じ油絵教室に通っている幽水居士の「まっすぐ見つめて」という作品が昨年に引き続き佳作に入選した。
以上が「ひょんなことから」寂静という題の油絵がうまれたいきさつです。
ところが、3月2日付け清韻禅子の「美しいなあ」という題名のブログを拝見して驚きました。
ご本人の了解を得てますのでその美文の一部を紹介させていただきます。『よいしょ!よいしょ!の声が聞こえてきます。………花生ける花人の右の掌、左の掌、全身全霊で立ちてひざまずいて祝いの花が生けられていく。気づけば半眼になりてその横でしづかに座しておられる居士がおひとり。東の方から射す窓に枝葉をうつし花生ける道を照らしておられる。……美しいなあ!(祝花をいけてくださった方は名誉会員の笹田圭子さまで座しておられる方は申し上げるまでもありませんね。)』
・なんと座していたのは私石雲でした。
「寂静」
油絵を始めて丁度15年経ち、まだまだ未熟ですが、この絵は記憶に残る思い出多い「一枚の絵」となりました。
まさにひょんなことで人間禅での関わりから生まれた絵です。
今後とも座禅の修行をとおして人間形成を高め、このご縁を大切にして限られた人生を有意義に生きたいと思っております。
おわりにこの絵は実物とは異なり摺りガラスは二面だけにして周りは暗くしております。前面にあるのは流木を描いております。
令和5年8月15日
森嶋石雲(中央支部)
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再会のきっかけは、数ヶ月前に、Facebookで検索したということで、姉の夫さん(義兄)からメールが入り、26年前の揉め事から派生した財産の対応で困っているから助力してほしいという連絡がありました。揉め事後、姉と結婚した義兄と連絡を取るのも初めて。最初どうしようかなとも思いました。それなりに歯科医として地元密着で活動されている方なので、一度話を聞いてみても良いかなと思い直し、Zoom会議で対面し、困っている財産対応については一肌脱ぐことにしました。
財産の件は、遺言書も合わせて作ることになり、知人の行政書士と相談しながら、私も証明書類取得でいろいろと動き、司法書士、公証人の助けも借り、銀行の理解も得て、なんとか決着させました。
その後、姉がお礼にごちそうしたいということになり、日本橋の中華料理店で会うことにしました。お店に妻と一緒にいくと、姉が私を見つけて開口一番、「老けたね!」との発声。心の中ではムッとしましたが、笑顔で「そちらも同じでしょ!」と返答。相変わらず、失礼な奴です。姉の歯科医業も順調な様子で、弟の私としては、ほっとしました。
25年ぶりの姉を見て、会食中ずっと喋っているので、そんなにおしゃべりが好きな人だったけ? と思いましたが、ああ、緊張しているのね、不安なのねと気づきました。妻もあとで同じようなことを言っていました。また、話しぶりから無類の食通ということも発見しました。その後、双方の家族で会食もして、互いに紹介しました。
いまは、母の介護について、兄弟間でどう対応するのかということが関心事です。90歳になる母はもともとかなり尖った性格に認知症状が加わり、毎日30本超の電話を家族や親戚にかけまくっているほど元気です。元気すぎて、施設のほうから退所を申し付けられはしないかとヒヤヒヤしています。
この夏は、福島母畑温泉近くにある我が家の墓参りに日帰り一人旅を計画していました。青春18きっぷを使い、ビールを飲みながらJR水郡線鈍行の旅を満喫するつもりでした。しかし、突然、姉が私も墓参りに行きたい! と言い出し、結局妻も加わり、姉と妻と私の3人で行くことになりました。そして、いつの間にか妻と姉はLine友達になっていて、この女子ーズ2人組からの要望で日帰りが1泊2日旅程に変わり、それに伴い私が新幹線切符手配、宿予約、レンタカー手配(もちろん足ッシーくんは私)をして、さらに夜は郡山の和食のお店で夕食を取りたいと姉からのオーダーも入ってきて、気軽な男一人旅が、いつの間にかクラブツーリズムの旅のようにワンランク上の旅に変容してしまいました。
このように、姉が私のペースをかき乱すのは昔と同じですが、座禅の効用か、私は笑って動じなくなっています。
(中央支部 高村如水)
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JUGEMテーマ:剣道
四月、晩春の頃。老剣士と、5歳の孫の会話。
老剣士「もう少し大きくなったら、爺じと剣道しよう」
5歳児「剣道って、何?」
老剣士「ムムム・・・・」
それから、老剣士は、念々と工夫中。
「剣道は、この日本の地に根付いた日本民族の祖の時代から、自分の命を守り、また大切な人の命を守るため長い年月をかけて育んできた武術の中の一つ。
時代を経て、剣術から人としての在り方を内包して剣道と呼ばれる。」
というものか?
剣道の徳(爺じの押し売り)
というようなことを、工夫中、念・・・・・・
さて、5歳児になんと話せばいいのやら。
老剣士 得真(中央支部)
令和5年8月1日
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JUGEMテーマ:剣道
人間禅中央支部の岡根谷無刀です。
2023年7月30日(日)
7月15日〜22日1週間の摂心に続いて、26日〜30日の5日間、宏道会の暑中稽古が行われました。
摂心作務では、またまた樹木の剪定が私の主な役割、千坪もある敷地内は庭木、高木もたくさんあり、成長する樹木との追っかけっこの感もありますが、玄関回りなどずいぶんよくなりました。
宏道会の暑中稽古は、朝5:30からの静座に始まり、基本稽古、切返し、掛稽古、地稽古と気合の入った稽古になりました。最終日30日の参加者は28名(内、小学生4名)、小学生の会員が10名以上いるのですが、子供が少ないのはどうにも寂しいね。
宏道会でも23日(日)、30日(日)稽古後に道場裏の樹木の剪定、道場前の竹藪の間引きをし、見栄え、風通しがずいぶんとよくなりましたかね!
合掌
]]>東京中央支部
金田里香
おはようございます。
東京中央支部 の金田里香と申します
本日は お話の機会を戴き 感謝申し上げます。
表千家茶道を習い始めて50年。
自宅で茶道教室を開いて30年。
専門学校で茶道の授業を受け持つようになり約25年経ち ました。
現在 茶道教室を週に5日ひらいています。
朝45分の坐禅を継続して一年半過ぎたところです。
座禅、お茶の支度、指導、片付けに、日々明け暮れ、
それが元気の源のようにおもいます。
・最近の稽古の写真を紹介しながら、お話しさせていただき ます。
弄花香満衣
・花よせ とは
席中にたくさんの花入れを置き、花を数多く用意して亭主も客も思い思いに花を活ける式法です。
・皆さん ご自分が 花になったように笑顔です。
・花を活けるときは無心になって花と向かい合いましょう。
自分の思いではなくその花らしく活けましょう。
花の命を活けましょう と 声がけしています。
・自分と花が一つになるように。
・春のひとこまです
・軸 は 佳気満高堂 「佳い気は素晴らしい場所に集まる」という意味です
・右上の写真は 相伝物「茶杓飾り」
相伝物で、稽古をつんで 家元に稽古が許された方のみ 稽古できます。
元来 口伝で 直接の師匠より 伝えられます。
・左下の写真は 「炭点前」
お湯が沸かないことにはお茶は始まらないので炭を的確に継ぐことはとても大切です。
お茶の炭には 形や長さの違いがあり、それぞれの役割があります。
種火の火からはじまり、
育み、導き、留め、蓄え、余力と組織力で火力を保ちます。
お客様をもてなすためにお湯の煮えがつく時間、
お湯が沸き続ける時間 を考慮して炭を継ぎます。
・炭は一つでは火が保てません。少なくとも3つ必要です。
近づきすぎても 離れすぎても 火は保てません。
つかず離れずの距離感で 互いに明るく照らし合い ぱちぱち音が聞こえてくるように継ぎます。
まるで 良好な人間関係のようです。
立礼茶会の稽古をしています
皆さん いきいきと稽古されています
「亭主」(お茶をたてるひと)
「半東」(お手伝いするひと)
「客」
・それぞれが それぞれの 役割を果たす
ことにより 茶会がなりたち 一座建立 となります
七事式 花月
・「花月」とは、客4人、亭主1人、主客5人でします。
・札を引き 「花」の札の当たった人がお茶をたて、
・「月」の札の当たった人がお茶を飲む趣向で、あわせて出所進退の修練を兼ねています。
・無学和尚は 「互換機鋒仔細看」と偈頌
・札の当たり方 、札の回し方で千変万化します。
・おぼえたことをその通りにするのではなく
機に応じて自在にはたらく必要があります。
七事式
如心斎は新たな稽古を制定するにあたって
七つの式それぞれに禅的な境地を求めた
茶カブキ 裁断舌頭始可知真味
廻り花 色即是空凝思量則背
廻り炭 端的看
花月 互換機鋒仔細看
さ座 是法住法位
一二三 修証則不無 染汚則不捏
数茶 老倒疎庸無事日 安眠高臥対青山
七事式とは 江戸時代半ばに 表千家七代如心斎が
弟の裏千家8代又玄斎(ゆうげんさい)、
高弟 川上不白らと相談して完成させました。
大徳寺の無学和尚による偈頌が付された。
如心斎は新たな稽古を制定するにあたって七つの式それぞれに禅的な境地を求めた
茶カブキ 裁断舌頭始可知真味 舌頭を裁断始めて真味を知るべし
廻り花 色即是空凝思量則背 色即是空思慮を凝らせば則ち背く
廻り炭 端的看 端的に看よ
花月 互換機鋒仔細看 互換の機鋒を仔細に看よ
さ座 是法住法位 是法は法位に住す
一二三 修証則不無染汚則不捏 修証すれば則ち無ならず染汚すれば則ち捏ならず
数茶 老倒疎庸無事日安眠高臥対青山
茶事の趣旨 表千家家元の言葉
親しい人々を招き、季節の道具を使って、
懐石料理を振る舞い、濃茶、薄茶を供し、
その間に主客互いの真心の交わりを楽しみ、心の修養を志す
・茶事の種類
・時間で 朝茶 正午 夜ばなし 暁
・行事で 口切 初釜 初風炉 等々
・写真は今年の朝茶事と初釜です
・懐石の本来の意味 空腹をしのいで身体を温める程度の質素な食事
・懐石料理は一汁三菜+α 三菜とは向こう付 煮物 焼き物
季節に従って四季折々の食材、
・お茶をいただく前に食べきれるように、献立は簡素で質素な内容
6・17の「茶禅文化探求」の
久松真一著「芸術と茶の哲学」第三部茶道「芳たく」の読み合わせで学んだこと
「茶道の根源が禅」
「茶道というものは、茶を喫するということを契機として、禅が自分自身を表現したものである」
今回の発表の為 まとめをしているうちに
私の中で
確かに 禅 が
茶道の中に表現されている と
茶道と禅がはっきりとつながりました。
東邦歯科医療専門学校は創立時から 茶道を教育の一環の中に組み込んでいる専門學校です。
茶室 石庭 水屋 茶道具 完備。 茶道を教養科目の授業としておこなっています。
お配りしたプリントは 20年前
2002年に「日本養生学会」で
この学校の授業を
「茶道で磨く身体感覚」のタイトルで報告をした時の抄録の一部切り貼りしたものです。
25年続けています。
写真は昨年の茶道授業の風景です。
授業前の5分間座禅を取り入れています。
4,考察欄の一部きりはりです
?茶禅一味
?身体の感覚で禅語を味わう
?太極に出逢う
?点前座の位置取り、道具の置き合わせ
?独楽紋
20年前に 自分で勝手に 禅に出逢っています。お笑いください。
太極拳を長年続けていて、
太極思想と茶道とのつながりを強くかんじています。
正流
久松真一先生の ご著書の中に
「茶をやります場合には本然の目的をもって、正流に従ってやるべきである」とあります。
「正流」とは どこに?あるのでしょう
私は「正流」を外に向かって探すのではなくて、
自分が今 立っているところから「正流」の流れがみえてくるまで
まず深く掘り下げていくことが大切とおもいます。
久松真一先生が言われている
「茶道の根源が禅」という自覚をもって
「無形の文化財の作法 点前を正しく稽古する」
「有形の文化財の茶室 露地 茶道具 掛物 料理等々を鑑賞 使用 体験する」
これら別個ではなく一体として 習得していくこと が
正流に従うことだと思います。
今年4月より
吉祥庵香水老禅子にお声がけいただき
中央大学五葉会の茶の湯指導を受け持ちました。
久松真一先生の 「茶道の根源が禅」という自覚をもって
「無形の文化財の作法 点前を正しく稽古する」
「有形の文化財の茶室 露地 茶道具 掛物 料理等々を鑑賞 使用 体験する」これら別個ではなく一体として稽古。
まずは きちんと 正しく稽古するよう 指導しています
(習得して、さらにそれに活を入れて精神を甦らせる)ことをめざします。
正流を外れるは とても簡単です。
少しの心得違いで すぐに外れてしまいます
生きて流れている正流の流れを見うしなわない ように
根源の禅 に意識を向ける必要があるとおもいます。
・昨年7月栃木道場にて 薄茶席を担当させていただきました。
・昨年10月市川本部道場剣道場にて 立礼席を担当させていただきました
・今年6月めじろ台里々庵に 葆光庵老師、吉祥庵老禅子ご来駕
・お茶をしていることで 時空を超えて瞬時に 心を繋ぐことができることに感謝いたします。
茶道に導かれ
禅を知り
日々 豊かに楽しく過ごしています。
これからもこの有形無形の宝物を
伝えていきたいとおもいます。
ご清聴ありがとうございました。
青字 原稿
赤字 表千家家元の言葉 抜き書き
久松真一先生の著書抜き書き
小さい頃、夏休みに入ると近所のお寺の境内でラジオ体操するのが日課でした。
早起きは苦手で、兄に連れられ、蚊に刺されながら嫌々通ったのが正直なところでした。
あの寺は、なんという名称だったっけ?
ネットで検索してみると、真宗大谷派の寺院で浄土真宗関東七大寺の一つだとわかった。
ご縁があったのですね。
ラジオ体操の後、禅堂に上がって若い住職の説法みたいなものを聴く時間がありました。
そこで唱和した言葉が今も脳裏に深く刻み込まれています。
『わらわれて わらわれて えらくなるのだよ
しかられて しかられて かしこくなるのだよ
たたかれて たたかれて つよくなるのだよ
よのなかの えらいと いわれたひとが
みんな いちどは とうた みちなんだよ』
子ども心にズバッと胸に刺さった言葉です。
あれから五十余年――。
「胸にステントを留置してなかったら、死んでましたよ」と医師に言われるくらいの病気にかかり、またひとつ、人生観が変わりました。
今年の夏も猛暑が続きますが、来週より一週間の座禅合宿が始まります。
「三連休は禅道場へ」
ご興味のあるかたは、ぜひ「人間禅」と検索して、ほんとうの自分と向き合うことをおススメします。
中央支部 張替剣外 拝
]]>俳句部林玄妙
俳句部では去る6月3〜4日に総裁千鈞庵老師・伏龍庵老師のご参加のもと、茨城支部潮来禅道場をお借りして吟行俳句会を開催致しました。前日は台風通過による大雨で、危ぶまれましたが3日午後には好天となり、4日の長勝寺・潮来アヤメ園は台風一過夏らしいすばらしい天気でした。
市の観光ボランティアガイドも務められる、観音堂月林居士に案内をお願いし、臨済宗の古刹 長勝寺、あやめ祭り最中の潮来あやめ園を吟行いたしました。100万株といわれるの花菖蒲が満開、大勢の人々とそれは楽しい一時、お昼は舟つき場のレストランでいただき、道場へ帰って句会、披講を行いました。17名の参加、以下概略をご報告いたします。
日時 6月3日(土)18時〜4日(日)16時
場所 潮来坐禅道場集合・水郷吟行
3日(土) 16:30 潮来坐禅道場集合
17:00 静座1炷香
18:30 懇親会
20:30 懇親会終了 片付け
4日(日) 6 :00 起床
6 :30 静座1炷香
8:00 朝食
9:00 吟行出発(当季雑詠5句提出)
潮来市市営駐車場(無料)観音堂月林居士案内
長勝寺→アヤメ園
12:00 昼食 食後潮来禅道場へ
13:30 句会
15:30 静座
16:00 解散
当期雑詠五句提出
天 慕(おも)い載せ魯水脈(ろなみ)拡げて四葩(よひろ)河岸(かし) 三浦大元
地 長勝寺
昔日の駅家(うまや)の跡も夏木立 林玄妙
人 巡る庭茅葺本堂風薫る 飯田幽水
以下順不同
花菖蒲背丈くらべて風そよぐ 佐瀬霞山
お手づから竹の子づくしここの酒 水井惟精
禅道場朝鳴鶯(めいおう)の声仕切り 平井蜂生
出水して嫁入り舟のままならず 大谷竜穏
水無月の潮来花嫁水の上 木村桃雲
夏の風山門こえて長勝寺 三浦元真
朝風に百花繚乱あやめ園 小松元山
群れ菖蒲風吹きぬけて白日傘 大熊蕉山
紺法被(はっぴ)白むく連れて渓蓀(あやめ)船 泉水眞澄
長もち唄にあわせて歩む花嫁さん 梶原玉香
花嫁も舟待ちとなり花菖蒲 北川光舟
五月晴れ天一杯に千の風 加藤了仙
駅家(うまや)の碑黙して語るあやめ咲く 観音堂月林
初夏の日に名刹の歩道一直線 林 道清
以上
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その出家された元教員のお坊さん(私はI先生とお呼びしていたので、この後I先生とさせて頂きます)は、大柄で豪快な方で、初めはとても驚きましたし、とても苦手でしたが、カウンセリングも学ばれているということで、根気強く私の話を聞いて下さり、その先生の勧めで坐禅会に参加する運びとなりました。
初めての坐禅会は苦痛でしかなく時間が経つのもとても遅く感じましたが、終わる頃にはなぜかスッキリとした快い気分になり、何か狐につままれたような不思議な気持ちでした。
I先生のお寺はとても山奥にあり、普段何かと音や刺激のある環境が当たり前なので、静かな場所だったのも今振り返ると、初心者の私には良かったのだと思います。
あれから社会人になり、地元も離れ忙しなく毎日過ごしておりますと、休みの日にも何か気持ちがざわついているような、一息つくのも何か「サボっている」と怒られてしまうような、なんとも言い難い焦りを日々感じておりまして、以前、坐禅を勧めて下さったI先生を思い出し、インターネットから船橋座禅会を探し、参加させていただいている次第です。
一人でも坐禅をしてみようと思い立った事もありますが、気が散ったり、何かもっとしないといけない事があるような落ち着かない気分でいっぱいになってしまい、あっさりと断念しました。
船橋座禅会に参加し、皆様の集中した気配に包まれていますと、落ち着いてきて、心地よい集中にご指導いただけているようで、帰り道はささやかな達成感と、何かホッとしたような安堵したような気持ちになっております。
少しずつ精進し、一人でも集中して坐禅ができるといいな、と思っておりますので、練習しつつ、先輩の皆様のお力を借りつつ努めていきたいです。
船橋座禅会 М
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なので、担当師家の葆光庵老師がいらしてます。
何がスペシャルなのかというと、午前は囲碁のイベント、午後は「禅茶道を究める」イベントがあります。
今年から始まった試みなのですが、今日はその第1回。
イベント前は、朝の定例静坐会。
その後、お茶を飲みながらの雑談会。
たまたま囲碁に興味があるという人が3人いて、その話題に。
葆光庵老師「囲碁はいいですよ。大局観も養えるし、人間性が出ます」
うーん、いい話。
その後、囲碁クラブの講師を務める葆光庵老師が、私と新しく来られたYさんの二人を相手に二面打ちで対局開始。
(二面打ちは、二つの盤面を使って二人を同時に相手に対局することで、かなり実力差がないとできません。)
いつものように、白熱した対局に。
吉祥庵香水支部長の「またガチの真剣勝負してますねー」という声も耳に入らないくらい、みな熱中しています。
下手(したて)の私が黒、上手(うわて)の老師が白。
中盤になって、何度かの応酬の後、手番が白に渡りました。
老師「よっしゃー! この先手が大きいんやー!!」
……老師、「勝ち負けにはこだわらない」っておっしゃってましたよね?!
あれ? 攻めてたはずなのに、私の黒石、いつのまにか取り囲まれて取られてる……!
老師の打ち筋、さすが老獪(ろうかい)ですね……。
あっ! また黒の大石が取られた……!!
っていうか老師、囲碁には人間性が表れるっておっしゃってましたけど……、
人間性、エグくないですか?!(笑)
こうして、黒が白にだいぶ差をつけられましたが、
私も白石を取ろうと、あらがってみました。
老師「おっ! 生意気なことしてきよった!」
稽古をつけてくださる師匠(今まさに目の前にいる人)が良いので……。
棋風が似てきましたかね?
(棋風は、打ち方に表れる個性のことです。)
そんなこんなで、だいぶ差が縮まって、白の二目勝ち。
新しく来られたYさん、筋の良い打ち方で、指導対局した老師によると、私とは違う棋風だそうです。
今度来られたとき、打つのが楽しみです!
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石香
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去る6月18日、第19回人間禅囲碁連盟大会が茨城・潮来禅道場で挙行された。
この大仰な名前を冠した囲碁大会は2002年に始まった。
人間禅関東・北越地区の囲碁愛好家が集って、中央支部と坂東支部(現茨城支部)の交代で年一回、開催されてきた。コロナほか諸事情で中止の年もあったが、20年もの歴史ある大会となった。
私も初回から参加させて頂いている。手元に第7回以降の記録があるが、第7回の参加者は中央支部6名、坂東支部(現茨城)5名、北越支部(現新潟)2名、東京第一支部(現東京東)3名の計16名。
その後、房総支部の参加もあって盛況だったが、他界者あり、高齢化もあって少し縮小ぎみだ。
今年、 葆光庵春潭名誉総裁の参加もあって一段と力の入った対局となった。参加者は名誉総裁、茨城支部、中央支部、合わせて9名。茨城支部の方々の準備万端もあって大変楽しく充実した一日となった。
みんなで碁盤を囲めば、「楽しく、仲良く」の実践に最高です。賞品も沢山用意されます。私のように実力無き者は沢山のハンディを貰えます。全国に門戸が開かれているので、人間禅の横の繋がりのためにも是非参加してみてください。
木村桃雲(中央支部) ♯囲碁 ♯棋禅一味
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『至誠』とは「この上ない誠実なこと」「まごころ」という意味。
中国の古典『孟子(もうし)』に「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」とある。「天地万物にあまねく貫いているのが誠であり、天の道である。この誠に背かないようにつとめるのが人の道であり、まごころをもって対すればどんな人でも動かせないことはない」という意味です。この「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」の一言は吉田松陰が大事にしたそうです。
ペリー浦賀来航、ロシアのプチャーチン長崎来航により、日本は太平の眠りから目覚め明治への道を歩み始める。尊王攘夷運動が盛んになり生麦事件に端を発した薩英戦争、池田屋事件、蛤御門の変、四国(米、英、蘭、仏)連合艦隊の下関砲撃、薩長同盟、倒幕の密勅、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、五か条の御誓文、明治維新と続いた。
吉田松陰は欧米列強に対抗できる日本国家を作るために尽力した。思想家、教育者、山鹿流兵学師範であり明治維新の志士に大きな影響を与えた。松下村塾の門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などがいて、明治維新の要となった。弟子にまごころを尽くして教育し、明治維新という偉大な事業を成し遂げたと言える。
徳川慶喜の幕臣であったが明治政府の官僚になって、造幣、戸籍、出納などに政策を立案して初代の紙幣頭、大蔵省少輔事務取扱をつとめた後、退官して実業界に転じて第一国立銀行、東京証券取引所を設立した。「国家社会のためにこの事業を起こす」といって王子製紙の母体の「抄紙会社」を起こすなど、多くの株式会社を設立して経済の面で日本の近代化に尽力した人に、渋沢栄一がいる。
『渋沢栄一訓言集』には次のようにあります。
○道はすなわち至誠であって今も昔も二つあるべきものでない。
昨今の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入ってくるけれども、その新しいというのは、ただその言い回しが巧みなるに過ぎないので、われわれから見れば、すでに数千年の昔から東洋において道破されていたのである。言い換えれば、昔の言葉の焼き直しにすぎぬのである。
○天は万物を生み養う。この生養ということが、すなわち天の経済である。その生養中に万古不易の条理がある。これすなわち天の道徳である。この道徳がなくては、生養の経済を遂げることはできない。
○天より人を視れば、みな同じく生みしところのものである。ゆえに四海の人々はみな兄弟であるから、人々相親しみ、相愛して、衣食住を営むは、天に対する務めである。
ここにも『至誠』があります。
磨甎庵老師のご揮毫軸に『至誠無息』があります。「至誠、息(や)むことなし」と読みます。これも『中庸』にあります。今北洪川老師は『禅海一瀾』の中で、「至誠」のはたらきを次のように言っています。「譬えば、以て鳥は春に鳴き、以て雷は夏に鳴り、以て虫は秋に鳴き、以て風は冬に鳴るが如し。其れ唯だ毫釐(ごうり)も欺(あざむ)かず。而も循環、息(や)むこと無し」と。
これは「至誠」とは、たとえば鳥は春に鳴き、雷は夏に鳴り、虫は秋に鳴き、風は冬に鳴るようなものである。それは少しも欺くことがなく、循環してとどまることがない。自分の力で無理にでも努めて成し遂げようというのではなくて、大自然のはたらきそのものが「至誠」であると言っています。
私たちの修行は「座禅」と「参禅」です。座禅しながら初関の「本来の面目」を工夫して、我と我以外(自然)が一体であることを確認する。自然といっても多々あります。山河草木を対象とした自然科学、人間とその集まりを対象とした人文社会、経済学など。それらは人間があれこれ思索して操作する前から、それ自体で運行していて留まらない。これが「至誠」なのでしょう。また、人間禅で言われる「如」なのだと思います。
私が在職時代の試作機開発中にトラブルが多々ありました。色々と考えては試行錯誤して解決してきたのですが、目に見えない原因という「至誠」に気づいて的に中った対処をしたことが解決に繋がっていたのだろうと思います。
渋沢栄一翁は「国家社会のためにこの事業を起こす」と言って、現在の日本経済の基盤を確立した。生涯を「至誠」に努めた偉人ですね。
東京東支部 龍泉 拝
我々が、もし、日常的に「無感情、無反応な状態」にいたとしたら、必ず、その状態に違和感を感じ、自分が自分ではないことが認識できると思うから。そう感じられる我々は、いくら座禅をしても、無感情、無反応な人間になりようがありません。
もう少し考えを進めると、座禅では、己事究明、本当の自分を観察し知ることができる。
そして、数息観で、本当の自分でいられる心境を確認することができます。その心境は、喜怒哀楽の無い平常で、すべてのことに対して無意識(ニュートラル)でいられる状態と考えます。
この無意識(ニュートラル)でいられる状態と「無感情、無反応な状態」は、ある意味で共通性を見出せますが、数息観で、万物に対する公平な意識状態を知ることで、別のものであることがわかる。
ですから、心が乱れることなく、穏やかな気持ちで、充実した日々を送れている時は、
本当の自分でいられている状態を指すと考えます。
ただ、日々の生活で、我々は自分の考えに反したことが、頻繁に起こる社会の中で生きています。生きていく上で、心が重くなっている自分に気づいたり、心が揺さぶられることもあるかもしれません。または、いつの間にか自分が苦境に立たされるときもあるかもしれません。
そんなとき打開策として、数息観で確認した心境(本当の自分)を思いだし、それをゴールとして見据え、そこへ戻るための問題解決に取り組む方法もあります。座禅をしていると、自分が主体となり、そんな能動的な一歩の踏み出し方ができる自分に気づくのでは!
日々の座禅の中で、本当の自分を知り、本来あるべき状態を知ることで得た体験は、困難に直面したとき、私たちを導き、本当の自分を取り戻すための道しるべとすることができます。自分の中にそのような場所があることは、本当に素晴らしいことだと思います。
ふとした時、気が付いたら、実は自分が「無感情、無反応な状態」人となっていると感じたのなら、それは、自分を変える良い時期に来ているのかもしれません。
合掌 龍潭(東京東支部)
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私は、「初級者ですが囲碁と将棋をやりたい」と手を挙げたら、
囲碁将棋クラブとして立ち上がり、
アマチュア二段の葆光庵老師に囲碁の指導をしてもらうことになり、
あれよあれよという間に年5回の囲碁講座が決まりました。
一応言っておくと、クラブとして認められたのは「禅的だから」ですよ!
初心者・初級者しかいないわが支部の中で、老師の強さはずば抜けています。
私との対局がどんな感じかというと、
・私がハンディキャップを多めにつけてもらっても老師が圧勝してしまう
・その局面で盤面をひっくり返し、老師が私の局面からスタートする
・圧倒的不利なその局面から老師が逆転勝ちしてしまう
そんなふうにもてあそばれて?いますが、誤解のないようにお伝えしておくと、
「勝ち負けにこだわらず集中して確信の一手を読み切ることを大切にしよう」と一貫して言われています!
実際に、その姿勢を大事にされていることは、指導を通じていつも感じています。
囲碁は「手談」ともいわれており、盤をはさんで対話しているようで楽しいです。
老師(83歳)との先日の指導対局はこんな感じでした。
9子局(ハンディキャップとして石を九つ置かせてもらう対局)でスタート。対局開始!
おっ……! あー、そこ打ちたかったのに! 先に打たれた! あっ、また!
いやっ、これ指導対局っていうより……本気で潰しに来てますよね?!
サッカーでいうと、スパイクの裏で私の足を削りに来てるような、エゲツない手?
ハンディキャップを多くつけてもらったのに、そんなこんなで逆転され、老師の21目勝ち。
これでも、中押し(ちゅうおし=終局まで打たずにギブアップで決着すること)でないだけ、だいぶ進歩しました!
10目=ハンディキャップ1子と考えると……21目≒2子か。
「今回9子局でしたから、ハンディキャップ増やして、次は9子+2子=11子局でいいんですよね、老師?」
「いや、次も9子!」
えー、それじゃ私が勝てなくないですか?!(笑) もー!
写真:この碁盤で対局しています
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石香
]]>それはプラスチックです。
しっかりして強い、腐らず長く使える、水を透さない。生活の隅々までそれらは行き渡り、溢れてきました。
その品が今は人間を悩ませ、大気や海を汚し、魚の体を通して人間の体にも入っているのでは? と、疑われています。
台所で使うスポンジもマイクロプラスチックの元として下水処理の微細な網の目をくぐって川に流れ込む、と聞いた時、人間が人間の生活を傷めるものを作ってしまった不条理に愕然としました。
地球環境が異常であることは、異常気象ではっきり認識させられます。
もう手遅れかも知れません。でもささやかな抵抗として、衣類は化学繊維のものはこれからは買わないことにしました。綿、毛、絹100%の品、燃やしても有毒物質が出ず、灰は土に返る品。そしてその作る過程が子どもの労働によるものでないものでありますように。
これからはタワシや石鹸など、石油原料でない、昔の品物が見直されていくのではないでしょうか。
江戸時代の循環型社会、エコな生活に学ぶものが沢山ある気がします。便利さを求め、人間が傲慢になった結果、地球規模でのしっぺ返しを受けている気がします。
今や駅にも公園にも山にも、ゴミ箱は有りません。自分の出したゴミは自分で持ち帰ることになっています。企業は、自社のイメージを上げ、優良団体としての価値を高めるべく、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みを競ってアピールするようになりました。
人間禅もその世界的な流れに乗って、SDGsを推進していければ、と、願っています。
片野慈啓(中央支部)
その先生とは「東京セルフ研究会」という勉強会で知り合いました。
「東京セルフ研究会」は、心身医学、心と身体について勉強する会で、心身医学は九州大学名誉教授の池見酉次郎先生がその基礎を築かれました。
私は、子供のころからずっと生き辛さを感じていました。看護師を目指して看護学校に入ったものの、身体、しかも部分(臓器)だけを扱う西洋医学に、「何かが違う」と、感じ始めました。精神科看護の授業で心身医学の話を聞き、病気は身体だけの問題ではなく、心も大きく関わっているのではないかと思うようになりました。
就職してからは早く一人前になろうと毎日必死で、勤務の後も病院に残り勉強会に出たり、緊急入院があると遅くまで残って手伝ったり、かなり無茶な生活をしていました。
そうこうしているうちに自分が病気になり休職することになりました。挫折感を味わいました。そして、考えました。根本的に良くなるためには方向転換が必要だと思い、心身医学の分野に入って行きました。
同じころ、職場の先輩で鍼灸の資格も取り、病院で治らなかった患者さんを治してしまう凄い看護師さんがいて、その方の影響もあり東洋医学への興味も深めていました。
東洋医学の先生は、セルフ研究会の中で異彩を放つ存在でした。 先生は、もともと京都で作庭の仕事をされていましたが、20才代で胃癌に罹り京都大学病院の医師から「私たちには治せない」と見放され、ご自分であらゆる治療法を学ばれ、ご自分で治した方です。ご自分の治療をきっかけに治療家へ転身され、現在80歳になろうとしていますが、今も現役でいらっしゃいます。
その先生が取り入れられた治療法は、漢方薬、鍼灸、物理療法、心理療法、内観、ヨーガなど幅広く、あらゆる分野に精通されておられます。そしてすべての基礎となっているのが「禅」「坐ること」だそうです。
先生は9歳の時に自ら坐るようになられ、ある老師から跡継ぎにと請われたことがあるそうです。 「坐らないと始まらないし終わらない」と、先生はよく仰っています。
私は、クルクルと頭の運動会をして慣れ親しんだ嫌な感情に浸っているうちは自分の本当の感情に出会うことが難しいし、物事の本質もわからない。坐ることで本来の自分に戻ることができるということなのだろうと理解しています。
先生からそのように言われて、うん十年が経ちました。言い訳をこしらえては一人ではなかなか坐らない私が長年いました。
坐るためには、強制的にそういう場に自分を放り込むしかない、もっとしっかり坐りたい、と思い参加するようになったのが、人間禅の静坐会でした。
人間禅とのご縁は、29年前に職場の同僚の看護師さんに誘われて参加したのが最初でした。その看護師さんは、千葉大学看護学部時代に千葉大の座禅会に所属していました。何かの話の中で座禅の話になり座禅会に誘われました。
12月だったと思います。私たちは仕事が終わってから遅れて行ったので、到着した時は大勢の方が坐っておられ、その厳粛な雰囲気に圧倒されたのを覚えています。 その時はそれ一回きりで、その後かなり間が空きました。
私が引っ越しをして、通勤途中に道場があったことと、しっかり座ろうと思った時期が重なり、またご縁が繋がりました。
本当に細〜〜〜く長〜〜〜い静坐とのご縁です。長年坐っているなどと恥ずかしくて言えないです。 けれども、いつの頃からか、出勤前には必ず坐るようになりました。 ほんの15〜20分程ですが、坐ってから出勤するのと坐らないのとでは何かが違うと感じるようになりました。何が違うのかは、まだ言葉になりません。夜寝付けない時、どうしようもなく嫌な気分の時などにも坐ると心が落ち着いてきます。 お陰様でずっと抱えていた生き辛さもかなり薄らいで来ました。
東洋医学の先生は、「身体が整うと息が整う。息が整うと心が整う」と、よく仰います。心と身体は表裏一体であるとも。
身体と心を整え、本来の自分、物事の本質を見極められるようになりたい。
そうなるには、まだまだ先が遠いように思いますが、少なくとも身体と息を整える方法を知ることができただけでも、とても幸運だったと思っています。
今回ブログを書く機会をいただき、これまでのことを振り返ってみると、本当にたくさんの方々とのご縁があったお陰でここまで来ることができたのだなぁ、有難いなぁと思います。
のらりくらり、ボチボチ歩きの私です。
それが私の歩みの速さのようです。
このような私ですが、これからも静坐会の末席に居させていただけたら有難いです。
今後ともよろしくお願いします。
船橋座禅会 Y.S
私が初めて坐禅をしたのは、2014年9月で、55歳になったばかりでした。鎌倉の円覚寺で初心者向けの坐禅会に参加いたしました。
坐禅を始める1年ほど前に妻の父が亡くなり、その葬式の準備でお寺の和尚さんと、いろいろ打合せをする機会がありました。
その時感じたのが、「私はお寺のことを何にも知らない」「仏教のことを何にも知らない」
ということでした。
若いころからお寺巡りが好きで、「お寺のこと」「仏教のこと」は詳しいつもりでおりましたが、実際は「何にも知らない」と実感しました。
禅に関しても、漠然とした「興味」「憧れ」がありましたが、実際は何も知りませんでした。
仏教の勉強をするなら「坐禅から」と思い、一念発起し、円覚寺の坐禅会に参加してみました。
また、もう一つ理由があります。当時の私は、周囲に対し「不平・不満」が鬱積し、社会に対しても「劣等感」「ねたみ」を強く感じておりました。常にイライラし、怒りっぽい状態でした。そんな自分を「変えてみたい」との思いも、坐禅を始めたきっかけでした。
初めて参加した坐禅会は、初心者説明を含め、1時間程度の坐禅会で、20分の坐禅を二炷香坐りましたが、坐禅が終わった後、非常にスッキリした気分で、心の中のモヤモヤが晴れたような感覚でした。
そのような素晴らしい感覚を体験できたので、しばらく坐禅を続けようと思い、現在に至っております。
坐禅を続けるにあたり、毎週、北鎌倉まで通うのも、時間的には無理であるなか、インターネットで「船橋静坐会」を見つけ、2015年1月より参加させていただいております。
会場が自宅から近く、開催時間も会社帰りに参加可能な時間帯なので。大変助かっております。
坐禅を始めて約9年間経ちました。なかなか自分の性格を変えることはできませんが、考え方を変えるよう努力しております。
周囲に対する「不平・不満」は、「自分で想定した理想的な状態」と「実際の状態」とのズレが原因と考え「変なこだわり」を捨てようと努力しております。なかなかうまくいきませんが。
坐禅を始めて数回目のある坐禅会で、直日の和尚さんが、「この坐禅会で何かを得ようとしないでください」「坐禅とは捨て去る修行です」と仰った言葉が印象に残っております。
「執着(しゅうじゃく)」を手放せるよう、これからも坐禅を続けたいと思います。
船橋座禅会 N
]]>そこで、人が無になりたいと思う時は、どんな時かを考えてみた。?精神的に疲れ果てた時(人間関係や健康状態など)?仕事や稽古・スポーツに集中したい時(ゴルフだと、ここぞの時にワンパットで入れたい…)?感情に振り回されず楽に生きたいと思う時。
うなずくしかなかった事が気になって、唐突ですが三浦綾子さんの小説『自我の構図』を30年ぶりに読み直した。(タイトルの自我の部分が妙に気になっていたので…。無(無我)の対義語は自我と考えた。自我の構造ではなく、構図なのは読んでのお楽しみ。)
三浦綾子さんは、カトリックを信仰する作家で、代表作に『氷点』や『塩狩峠』がある。本著を読み直したものの残念ながらズバリの答えは見つからなかったが、三浦文学のテーマを一言で表すと、「原罪」だと思う。生きていく中で、決して避けられない原罪に苦しめられながら、登場人物は北海道の厳しい大自然を舞台に必死に生きている。
私は、家族がカトリック信者で比較的カトリックは身近な宗教と考えている。教会のミサでは、司祭と信者で冒頭に神にお祈りする。「全能の神と司祭兄弟の皆さんに告白します。わたしは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深いわたしのために神に祈ってください。」そして使徒信条を唱える。「天地の創造主、全能の父である神を信じます。(中略)からだの復活、永遠の命を信じます。」原罪を背負っている人間が、全てを告白し、罪を認め絶対主である神に祈る。妻曰く、「全てを神にさらけ出す感覚で祈る。」と言う…。余談ではあるが、ばちがあたるという発想はないと言う…。また、日本のカトリック教会では、七五三や地鎮祭など日本の古来の行事もあり、日本人的な感性を感じる。(私が、家を建てた時、神父様がお酒を撒く光景には驚かされた。)
次に、禅道場で対比出来るものは何だろうと考えた。「座禅和讃か!」「衆生本来仏なり、水と氷の如くして(中略)この身即ち仏なり。」座禅によって、ひたすら自分の内面を見つめる。全能の神↔この身即ち仏の違い興味深いが、話が長くなるので置いておくが、前段のカトリックの祈りの究極は、愛なのだろうとすると、慈悲=愛! 人間は、原罪・煩悩・執着… 言葉は違えど自我に苦しめられる。祈るも良し、座禅も良しだ。
冒頭の「無になりたい。」をどう捉えるか。自我の構図(構造)を知り、自我を鎮める修行をするしかなさそうだ。言うまでもなく、祈りより座禅のほうが私の場合しっくりくる。実生活で大事にしたいのは、「とらわれないしなやかな心(復元力)」と思う。人生は、苦の連続ですが、苦の中の美しさや人間らしさを大切にしたい。
光舟 記(中央支部)
育児を長年積極的にしてこなかった事を反省し、最近は仕事以外の時間は子どもと過ごすように努めています。それが出来るのも道場の皆様のお蔭であり、本当に感謝しています。
家で子どもと一緒に居て、感じたことをつらつらと書こうと思います。
これからはどんどん外に連れ出して色んな世代のお友達や大人に触れ合って欲しいと考えています。
何故なら、子どもの成長のことを考えたら家と学校と塾だけの世界とは離れたところに居場所がある子どもは、どっかでつまずいても、きっと行き詰まることなく生きていけるのかなと。
自分は仕事漬けの日々でストレスフルだった時に、剣道と座禅を通して、気の合う仲間に出会い、発散することとオン・オフの切り替えを知り、救われました。
今の子どもたちが大人になる頃にはきっとAI全盛で、世の中も様変わりして想像もつきかねるのですが、「広く開かれた道場」を標榜するこの道場が、座禅だけでなく剣道や茶道や書道や俳句や陶芸等の学び場としても地域の方々に今後も慕われる「居場所」であり続けてほしいと願っています。
自分は、子どもが「もううざいからヤダ」というまでは子どもの近くに居ようと思っています(^_^。
魁星 拝
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去年の3月からフリーランスとなり5月に法人化し、慣れない業界で四苦八苦しつつ、剣道の宏道会では幹事長を仰せつかりその対応や剣道場管理、摂心や参禅会となれば茶席係として色々と任されることが多く、身も心も息つく暇もない日常を過ごしています。
はっきり言って、去年の3月頃から全くもって数息観ができていない状態でして、常に頭の中にあるのはその日のタスクが気に掛かるといった有様で「こんな状態で坐ることに意味なんてあるのだろうか?」と思うこともしばしばです。
この1年、闇雲にというか、ただただ目の前の事をこなすだけで精一杯で、例えるなら荒れる大海原に舵もうまくきかないなか、ただ必死に船から落ちまいと足掻いているような感覚が、今もって続いています。
これを幸せとか不幸とか、そういう物差しで今ははかるべき時ではないし、
またこんな状況の中で座禅をすることにどのような価値や意味があるのかも、今は問うべきではない気がしています。
過去の自分の人生を振り返り、さまざまなことに「継続」ということができてこなかったという後悔のようなものがあり、
細くとも「続く」ということに「意味」や「意義」や「価値」というものがあると感じています。
何事もインスタントにやりたいことだけやって、嫌になったらすぐやめるような風潮が強いようなご時世の中、
意味や意義を見失いかけても、その根底にある「何か」を信じて続けるということが、今の自分には大切なことのように思えるのです。
ただやる。ただ続ける。
その意味や価値は、この嵐のような日々が過ぎた後に、自ずと見えてくるもの。
今はただそれを信じて、淡々と、黙々と、できることを自分なりに続けていこう。
万事、塞翁が馬というように、全てのことは表裏一体の関係にあると思えば、
余計なことに捉われずに、その日その日を歩んでいこう。
富嶽拝(中央支部)
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カトマンズの街角で
私は首都カトマンズを離れ、ガイドさんと妻と一緒にヒマラヤの小径を歩いていた。
小さな村を通りかかったところ何人かの子供たちに囲まれた。日本でいえば小学校高学年くらいだろうか。ノートを見せながらスクール、スクールと言っている。
ガイドさんがにやにやしながら内容を教えてくれた。要はこの村に学校を建てたいので寄付をしてほしいということだった。彼らの服はボロボロ、寒くても素足にビーチサンダル。学校なら少しは寄付をしてもいいかなと思った。
そこでガイドさん曰く。もう何十年も同じことをやっているのですよ。学校なんていくら待っても建ちませんよ。
子供たちは、観光客にいいことを言って小遣い稼ぎをしているのだった。
ウーン。ここは騙されても、寄付(?)をしておくか。私はポケットにあった小銭を差し出した。
再びカトマンズに戻って、帰りのお土産を買っていた。ネパールで物を買うときは値切るのが当たり前。この時はヤクの毛でできた手袋を買おうとしていた。700円が500円になった。さらに値切ろうとすると店主が突然怒り出した。
「あんたたち日本人は金持ちじゃないか。この手袋一つ作るのに、田舎のおばちゃんが何時間かけていると思っているんだ。そのことを思い出してくれ。もう100円値切ってどうするんだ」
言葉に押されて言い値で買った。日本で買ったら、3000円〜5000円する手袋だ。
店主は私の後姿を見て舌を出しているかもしれない。でもこれもまたよしとしよう。
40年振りのネパールでその発展に目を奪われる一方、根底にはまだすさまじい貧困が横たわっていた。
チベットから亡命してきたオバチャンと。
顔のしわに苦労が刻み込まれているようだった。ダライラマもそうだが、チベットからの亡命者は世界中にいる。
ネパールで最大のヒンドゥー教寺院の敷地の中。
火葬場が川に突き出るように並んでいる。
煙が出ているところは火葬中。火葬して残った灰は川に流され、やがてはガンジス川に注がれる。
街を歩くヒンドゥー教のサドゥー(修行者)。
写真を撮った後、お金をせびられた。
観光客相手のインチキサドゥーでした。本物はこんなところにはいない。
世界遺産のパタン。
大小の寺院が並んでいる。寺院の柱にはちょっと言えない、写真ではもっと載せられない彫刻が刻まれている。
ネパールでは最大の高さ36メートルの仏塔、ボダナート。
チベット仏教を信仰している人は、この周りを時計回りに回っている。上方には四方を見渡すブッダの目が描かれている。
またしても奇跡的な出会いがあった。
ボダナートの近くで道に迷ってしまい、軽い気持ちでチベット僧に道を尋ねた。
「僕も日本の仏教徒ですが、寺院を見てみたい」と言うと、「ああそれならあの角を曲がったところに私の寺院があります。もうすぐ法要が始まるので行ってみたらいいですよ。入れてくれるかもしれないですよ」と言われびっくり仰天。
好奇心旺盛の僕はさっそく行ってみた。
チベット寺院の中に入ると「そこに座って見ていていいですよ」と言われた。
見るというよりも聞くが正しい。鐘や太鼓、シンバルや長い角笛のようなものが一体となって曲(?)を奏でていて、これに合わせて声明が唱えられる。不謹慎だが前衛ジャズのようだ。静寂の禅とは両極端だ。機会があれば皆さんもどうぞ。You Tubeでチベット仏教と打つと聞けます。
これで「ヒマラヤへ行ってきた」シリーズを終わります。
摂心後の懇親会でこれらの話をしたところ、老師に文章にして残しておくようにとのお言葉を頂き書いたものです。どうぞ最初からお読みください。
合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)
「ヒマラヤへ行ってきた」シリーズ
]]>特に足首が痛くなり長時間経つと股関節も痛くなり座っているのがとてもつらくなってきます。
ある時、先輩会員に「足痛くないですか?」と尋ねたことがあります。
すると「痛いよ」と涼しい顔で軽く返され、座禅とはそういうものなのだと理解していました。
私は宏道会に所属しておりまして剣道の稽古の前に座禅をするのですが、ここ半年ぐらい前から助警に毎回体が左に傾いていると直されておりました。多分座り方が良くないのだと思っていました。
そこで座り方を見直してみました。
まず足の組み方を考える前に「仏教の勉強会」で教わった腰骨を立てることを始めとして背骨を伸ばし頭をバランス良く載せるということを意識しました。
次に足の組み方ですが半跏趺坐しかできないので、左右の足を交互に組むことにしました。
とにかく真っすぐに座ることを意識しました。
朝と夜、20分から30分くらいですが毎日やってみました。
たったそれだけか! とお𠮟りを受けそうですが、何と最近座禅をしても足が痛くならなくなったのです。
そればかりか、最近生活の中で集中力が増してきたような気がします。
あらためて『数息観のすすめ』を読んでみると数息観の効果についていろいろと書かれておりました。
足が痛くなくなったこと、集中力が高まったこと、原因は何かと考えた時、座る時間が長くなったからだと気が付きました。なんだ今までがさぼりすぎていたのかと気づき継続することが大切なんだとつくづく思う今日この頃です。
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その中で倉庫と隠寮に行く広場のそばの茶花園の中の大木も切り倒されました。
職人さんの達磨落しの如くの切り方を垣間見ました。
倉庫の屋根には一切傷をつけずにする仕事には驚嘆としかありませんでした。
その後切り倒された大木が茶花園にしばらく置かれていましたが、
摂心会等で会員の皆様のお陰で綺麗に片付けをしていただきました。
茶花園は元のように戻り一安心しました。何人かの方から茶花園の草花を心配されましたが、大丈夫です。少し草花の芽の数は減っていますが、芽が出ました。有難いです。
「ブラボー植物です!」
(2023/3/21撮影)
花はまだですが、大木の後の芽が出た写真です。
3月中旬頃には日中に咲く「東一華(アズマイチゲ)」です。
この花の付近には福寿草が花を咲かせました。寒菖蒲も咲きました。
これからは片栗(カタクリ)・碇草(イカリソウ)・鳥足升麻(トリアシショウマ)・岡虎の尾(オカトラノオ)が咲きます。
ここに宿根草を植えて良かったと思いました。
木々のチップが多く蒔かれましたので肥料になるまでは数年かかりますが宿根草は強いですので、少しずつ増えていくかと思います。
秋には秋明菊・磯菊・細芒が咲きますので楽しみにしてください。
また、茶花園の階段の右際は大木の切った影響は全くなく色々の草花の芽が出てます。
冬には縁取りとして植えた寒菖蒲(カンアヤメ)と水仙(日本水仙・ラッパ水仙・菊咲き水仙等)が見事に咲きました。
日当たりが良いのと土壌が良いのだと思います。
ここにはこれから丁子草(チョウジソウ)・都忘れ・おけら・リンドウ・秋明菊(シュウメイギク)・菊・海老根(エビネ)等の芽が出て賑やかに花が咲くと思います。
全部宿根草なので根を取らない限りはまた次の年も芽を出します。
「ブラボー植物」
佐藤妙珠(中央支部)
]]>JUGEMテーマ:俳句
道場近くのじゅんさい池公園は皆様お馴染みかと思いますが、句会(坐忘会)で「国分沼」と呼んだところ、多くの人々がご存じなかったので、少しあれこれご紹介しようと思います。
公園は東の中国分の台地と西の国府台の間の谷間に位置し、周囲約1キロ半、大きさは東京ドーム1.7倍の約8.5ヘクタールの緑地です。中央には南北に細長い池があります。安政5年(1858)発行の『成田参詣記』の絵図には、「国分沼」と記され、南側(つまりバス通り側)に土手、東側に「ジュンサイを出す」と注記されています。沼が水田として利用された時期もありましたが、放置されていたのを、昭和56年、公園に整備したときに「じゅんさい池公園」と呼ばれるようになりました。残念ながらジュンサイは戦前に絶滅し、現在有志が復活を試みています。
NHKの「ブラタモリ」風に言えば、6000年くらい前は、当時の東京湾は現在よりもずっと奥深く入り込んでいたところ、約3000年前には海水が徐々に後退し、市川では大きな砂州や入り江が形成され、「真間の入江」も出来ました。この海水の後退の時にこの付近が取り残されて池(沼)となったと言われています。
そのような昔ではありませんが、この池について、ある郷土研究家によると「昔、牧野富太郎がここで採取した標本に基づき、オオミクリが独立した種と認められた」とのことです。(山村剛士『ジュンサイ』)明治、大正の頃は、愛好家が、植物、昆虫などの採集に出かけて来たのでしょう。
公園を巡るには、どこから入ってもよいのですが、一番良いのはバス通り側の入り口でしょう。ここには駐車場もあり、車の人も便利です。
入口前の大銀杏の所に「姫宮」と呼ばれる祠があります。伝説では「今から460年位前の永禄7年(1564)、国府台の合戦で敗れた里見軍の姫君たちが、この沼に入水して死んだのを村人たちが哀れんで、その霊を祀った」(松永しげる『じゅんさい池の今と昔』)のだそうです。真偽はわかりませんが-----。
公園に入ると左側、それに一番北側に梅林があり、また、池の周りあちこちに梅が植えられています。数年前までは毎年「梅まつり」が開かれ、模擬店、消防隊の演奏、人びとの歌や踊り、女子高生の野点などがあって、地域の交流の場でしたが、ここ数年中止となっているのは残念です。
池周辺や丘の斜面にあるウメやサクラ、ケヤキ、ヒノキ、イヌシデ、ツツジなど大小いろいろな樹木だけでなく、野鳥も魅力です。特に、三つある池の一番奥(北側)の池に来るカワセミは写真家の人気のマトで、朝早くから脚立を立てて撮影しています。(夏には、緑陰写真展があり作品販売があります。)冬場にはいろいろな種類のカモが飛来、越冬します。春のウグイスの谷渡りも、谷間の公園ですから、文字通りですね。夏にはセミ、ガマガエルの声などもにぎやかです。秋の紅葉・黄葉も楽しめます。池にはコイが飼われ、カメが時々甲羅干しをしています。遊歩道のところどころ水に濡れた所がありますが、これは地表近くの水脈から、水が湧出しているのです。モグラの穴もあちこちにあります。近郊の公園としては自然が豊かと言ってよいでしょう。
私はこの地に引越ししてきて40年位になりますが、この公園を頻繁に訪れるようになったのは、10年程前、月曜静座会で誘われ、朝のラジオ体操をするようになってからです。お蔭様で、近隣の老人とも知り合うようになりました。夏場には100人以上の人々が園内あちこちで体操しています。(人数は減少傾向)落梅の頃には、この人々が梅酒、梅干しなどのためウメを拾っています。公園は犬も入れるため、遠くから犬連れで来る人も多いです。
公園の中ほどには、市川の俳人能村登四郎の代表作「火を焚くや 枯野の沖を誰れか過ぐ」の句碑があります。先述の「今と昔」によると、高浜虚子が昭和7年にこの地で、次の2句を作ったそうです。
旱魃や池のほとりの百姓家 池水のへりてにごりし旱かな
わが坐忘会の三百回記念句集など見ますと:
鉄棒に遊びし老ひの夏大根 梅風
池尻に小鴨寄り添い列をなす 蕉山
ジュンサイ池鴨を待つ間の静けさよ 竜穏
梅林の余白に斜め野点傘 幽水
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ルーカスとはポカラのホテルで待ち合わせた。しばらくの間は今朝見たヒマラヤのことを話したり、仕事の話などを話したりしていたが、だんだん坐禅の話になっていった。
聞けば彼の父親も坐禅に傾倒していて、なんと自分の家の裏庭に小さな道場を建て、多くの人に禅を紹介しているそうだ。親子そろって本当に熱心だ。
彼がヒマラヤで、典座教訓や正法眼蔵のことを持ち出したことで分かるように、彼らがやっているのは曹洞宗の修行だ。
しばらく話をしていたら、ルーカスが、まじめな顔をして言ってきた。
「義存さん、あなたはマスターですか?」
「何言ってるの?僕のことをからかってるの?」
「そうじゃないですよ。だってあなたの言うことは、僕のマスターが言っていることと同じですよ」
「浅い深いはあるけど同じ禅について話しているのだから同じに決まっている。真理が二つも三つもあるわけないでしょう」
「なーるほど」
「僕はただ坐禅について今まで学んだことを言っているだけだよ。でもまあ、坐禅の基礎や目指すところは、臨済宗でも曹洞宗でも同じだからそう聞こえたのかもしれない。僕とマスターでは雲泥の差があって、僕の手が届くところにマスターはいない。マスターは公案の修行が終わってさらに修行を続け(聖胎長養なんて訳せない)マスターの、マスターが許可して初めて指導ができる本当のマスターになるんだ。僕はティーチャーではあるけど、それも一番レベルの低いティーチャーなんだよ。だからこれ以上難しいことは話せない」
僕が永くその会員である「禅と茶の集い」ではもう40年も毎年禅入門講座をやっているが、そのたびに緝煕庵老禅子の入門者向けの禅の話を聞いてきた。同じく「禅と茶の集い」の輪読で、ちょうど「禅マインドビギナーズ・マインド」を読んでいたので、それがたまたま役に立ったのだろう。
どういう修行をしているのかと聞かれたので、一日一炷香と公案(koanは世界的な単語になっている)の修行をしていると答えた。
彼はそんなに少ししか坐禅してないのですかと聞いてきた。ウーム、まいった。
「ところで、公案とはどういうものなのですか」
難しい問題を投げかけられた。
やっぱりここは「本来の面目」かなあと思って、ちょっと話し始めた(ようと思った)が、5秒くらいで僕の英語力では無理だということが分かった。僕より英語ができる妻に「ちょっと訳してみてよ」と言ってみたが、「英語ができるからって訳せるわけじゃないでしょ。日本語の意味だって分からないんだから」と言われた。そりゃそうだ。
だいたい「本来の面目」の訳し方が分からない。帰国して調べたら、Original Aspect だった。その後、パラパラとGasenshuを見たがこの本は本当に格調が高い。
後で思ったことだが、下手に訳さなくてよかった。変な誤解を与えることもあるし、もし見解が出たとしても、それを見てくれる師家がいない。ルーカスがずっとそれが正しいかどうかが分からないまま過ごすのは、返ってつらいかもしれない。
正脈の師家について修行できるというのはとても有難いことだと改めて思った。普段は、この有難さを自覚していない自分が恥ずかしい。コロンビアでは公案の修行はできないのだ。
臨済の修行の難しさはここにあるという気がした。アメリカで師家について修行しているというのは見たことがあるが、ほかの国ではどうなのだろう。
ルーカスに対して黙っているのも恥ずかしいので、大燈国師の『まくわ瓜の話』をした。最後の一段まで話した瞬間、二人で大笑いした。彼は十分わかっている。ちなみに妻は、きょとんとした顔をしていた。
ここで彼の師(マスター)の話になった。
とにかくルーカスは熱心に修行しているのだが、彼は誰をマスターとして修行しているのだろう。
聞くと彼のマスターはフランス人で数年前にコロンビアに単身でやって来たそうだ、どうやって布教をしたのかと聞いてみたらこれがすごい。
最初の2年間は、ひたすら坐っていたという。2年くらいたった後、はじめは相手にしていなかった近所の人が、少しずつ食べ物を持ってきてくれるようになった。
その後彼のうわさを聞きつける人が来て、徐々に人が増え始め、道場ができたそうだ。今ではコロンビアには道場が二つあるという。これじゃあ、達磨大師と同じじゃないか。
磨甎庵老師がご提唱の時におっしゃられた言葉が脳裏をよぎった。
「本物の修行をすることが最大の布教だ。本物の修行をしていれば必ず本物を求める者がやってくる」。でも、これは難中の難だ。
ルーカスはこのことを思い出させてくれた。
ただひたすら坐り続けるという布教と(これを布教というのか?)SNSを使った布教とどちらがいいか僕には判断できなない。
道場に来たみんなが坐禅を続けているかどうかを聞いてみたが、答えはどこも同じ、大体の人が続かないということだった。
さらにマスターのことを聞くと、彼は、弟子丸泰仙の孫弟子でずっとフランスで修行してきたという。フランスには20以上の弟子丸泰仙門下の道場があり、ヨーロッパ全体ではもっと多いそうだ。何年も修行した後、彼のマスターがこれならもう大丈夫だということになると、布教して来いと、独りでどこかの国に派遣されるという。もちろん完全な出家主義だ。
今朝はヒマラヤを見て言葉が出なかったが、またもや言葉を失った。
卑近な言い方だが、「やってるやつはやってるなあ」というのが僕の感想だ。
日本でも、人知れずどこかで徹底的に坐っている人がいるだろうか
ルーカスが時計を見て、慌てて「ごめんなさい、これからオーストラリア人と会う約束していたので行かなくちゃ」と言ったので名残惜しいが彼と別れることになった。もう4時間が経っていた。
彼はこの後イスタンブールへ行くそうだ。
彼と別れて改めて思った。ここは道場じゃない。ネパールの大衆レストランだ。よくもまあこんな話をしたもんだ。改めて縁の不思議さを思った。
彼とはもうフェイスブックで友達になっていたし、メッセンジャーでもつながっていたので、お互いに帰国した後も時々連絡を取り合っている。
彼は相変わらず世界中を旅しながら、そこで坐禅をしている。
日本に来たら、ぜひ人間禅を訪ねてきてくださいね。
合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)
]]>2023年2月9日(木)、コロナ禍で延期されていた皆の楽しみにしていた千鈞庵総裁老師の慰労と感謝の旅に、朝9時に道場を出発、中央支部道友有志10名2台の車に分乗して出かけました。
梅の香に包まれて春浅き南房総へ。まずは君津市の晴れた日には富士が見えるという丘にある君津市営聖地公園に、第三世総裁磨甎庵白田劫石老師のお墓に参詣をしました。
昼の宴は浜金谷の漁師料理の老舗「かなや」の海に面した奥の席にて、久しぶりの心の和む海鮮料理、5種類の貝のかき揚げなど満喫しました。
◆鋸山 山頂の散策
ロープウエイで山頂へ、急な坂道を登って頂上の展望台へ、頂上の「地獄のぞき」では足が竦みながらも見下ろす内房の春の海は、なんとも素晴らしい絶景でした。
◆「グランビュー岩井」にて句会を楽しむ
最上階(12F)にある展望風呂では、洋上の雲間に沈む大きな夕陽に感動、しばらく眺めていました。
風呂上がりに部屋にて海を眺めてしばしの座禅をと思っていましたが、老師から言われていた一人3句の短冊を夕食前に集めて句会の準備をしました。
夕飯には一人ずつの船盛りの刺身、食べきれぬ程でしたが、、千鈞庵老師に感謝の杯を捧げて、又も心癒される宴たけなわとなりました。その座の頃あいをみて楽しき句会が開かれました。各自の句が回覧されてその場での選句と自分の選んだ句の感想などで、話も弾み楽しい坐の和む句会となりました。
早春に先師の墓を磨きけり 霞山 五点
師と登る厳しき道に梅の花 無妙 五点
春浅く山路はゆかし我が余生 蕉山 四点
春めきし房総の海波静か 石雲 四点
以上は高得点句順ですが、3点句は桃雲、竜穏、泰山居士の句でした。(選句は自分の句を除き一人5句としました)
◆2月10日 フラワーロードを勝浦へ
海風に包まれ南房総の海岸に沿って生憎の雨の中、館山経由最南端の野島崎灯台に着きましたが、雨脚も早くなり傘をさして黒潮の海辺の丘に立つ野島崎灯台を眺めました。道の両端に菜の花がどこまでも咲き競う花の道に驚きながらフラワーロードを通り抜けて外房海岸を走りました。千倉、白浜からは白波寄せる黒潮の外房の海を見ながら鴨川の市街を通過いくつかの隧道を抜けて、誕生寺や鯛の浦にも寄らずに一路勝浦のシーパーク三日月ホテルへとドライブをしました。
◆勝浦のタンタン麺の老舗料理店にて宴
勝浦では有名なタンタン麺を食べるべし、と千鈞庵老師。
荷物と車を三日月ホテルに預けて街に出ると、歩いてすぐの処に旗の出ている良さそうな料理店を見つけて、その一つしかない大きな座卓を皆で囲みました。店の主自慢の玉葱出汁が秘伝のタンタン麺、なかなかの味でした。また主とアルバイトの女子学生も交えて、またしても皆はぬる燗の地酒で話が弾みました。
◆三日月シーパークホテル勝浦にて
外房、太平洋を一望する大浴場の湯舟からは、白波寄せる白砂青松を眼下に見下ろして、またしばしの至福の時を過ごしましたが、部屋に戻って外海に対峙して海を眺めていたら今宵も句会をやるべしと千鈞庵老師。おもえば昔、公案になり切る如くに俳句にも三昧になるべしと、耕雲庵老大師も申されたような気がしてきましたが、何とか3句を短冊にまとめました。
その夜の晩餐には磯の香のただよう海鮮料理と鮑の踊り食いに舌鼓みを打ち、千鈞庵老師に感謝の盃を重ねて歓談、句会の坐の楽しさも満喫出来ました。
最高特選句は千鈞庵老師の句に人気が集まりました。
車窓から望む荒海春の風 霞山 六点
どこまでも続く菜の花房総路 桃雲 五点
以下名句が続出しましたが、どの句も二点か一点に票が割れて、元山、竜穏、蕉山、石雲、泰山、無妙各居士の参加者全員の句が揃い、またカラオケも楽しみました。
◆2月11日帰路 茂寿司にて
朝食後、勝浦の朝市にてぶらぶら歩きを楽しみました。
漸く活気の出てきた勝浦の街を後にして、早春の波静かな海に癒された旅路は山道に入り、里山の野に咲く花や花粉をいっぱいつけた杉の自然林を抜けて養老渓谷へ向かいました。渓流沿いの遊歩道も復旧工事中で降りられず、車道から流れに沿って歩いて橋の上から滝を見下ろしました。
帰路、昼食は総裁老師の従弟で木更津の実業家飛田憲一氏のお心遣いによる茂寿司にて〆の宴、心温まる3日間の南房総の旅路や、人間味あふれる坐の高度な遊戯の楽しき句会などに話が弾みました。そして千鈞庵総裁老師に、道中お世話になった運転手や幹事さん達に感謝の盃を捧げて慰労の旅の宴は御開きになりました。
大熊蕉山(中央支部)
]]>道場にいまして、美しいなあ! と、どきどきする発見がありますが、その記憶の中からふたつほど、思い起こし書かせていただきます。
よいしょー! よいしょー! の声がきこえてる。
禅堂の間、お軸はおさめられていて床の間上に竹林から準備された真っ青な竹のお手作りの花器、そして準備していただいたお正月を祝う花々。
花いける花人のみぎの掌、ひだりの掌、全身全霊で立ちてひざまずいて、祝いの花がいけられてゆく。
気付けば半眼に成りてその横でしずかに座しておられる居士が、おひとり。
東の方から射す陽は窓に枝葉をうつし、花いける道を、照らしておられる。
よいしょー! よいしょー! と餅米の白い湯気をまとった、仙人の如くのこどもたち、おとなたちのこえが畳を突き抜ける...美しいなあ!
(祝花をいけてくださったかたは名誉会員の笹田圭子さまで座しておられた方は申し上げるまでもありませんですね...)
もう一つの美しいなあ、をおききください。
あたたかな季節の早朝座禅会...会を終えて ひとりそのかたは、南寮の玄関先を掃き清められて、庭の朝を進まれた。
その歩みにいざなわれるようにわたしは後方を進んでいた。
花や木、石に無言のあいさつをおくり 両忘塔のところに来ると、
脇の水道の蛇口を捻って、塔に手向けられている花々に、お早うございますの水をくべられた。
庭のみんながキラッと光って、きよらかな一日のはじまり、はじまりでした。
(この方こそ、名誉会員の木村幸惠さまです)
道友のみなさまのご家庭の支えとはどんなにか深いものでありましょう。
そしてその血をぶっ超えた深き縁もありえがたきことと感じる昨今であります。
合掌しブログを終えます。
瀧口清韻(中央支部)
]]>東京支部 鈴木翠珠
此度由縁あって、火大級に進級することができました。黒絡子の扱いに慣れず、まだまだあわあわしてます。実は自身の進級式の際、式次第をよくよく読まず、「隠侍の声掛けに従って、証書や絡子をもらえば良いのだろう!」と変な自信で臨んだものですから三拝するべきところをボケっとしていたり、次の動作が分からずキョロキョロしていたら、老師に大目玉を喰らいました。そして記念撮影後、そのまま摂心の御礼の挨拶に合流したところ絡子を外すのを忘れて、また怒られる…。散々です。今思い返しても全く冷や汗ものです。そうした反省点を踏まえ、改めて人間禅の根底にある考えとは何だろう?と興味を覚え、関連書を繙いてみます。
まずは「要覧 人間禅会規」12条から。
会員の修行歴を、次の七階記に分ける。師家分上・識大級・空大級・風大級・火大級・水大級・地大級。
次は『告示』158号 平成27年2月1日 平成27年総裁(現在の名誉総裁)年頭垂示から。
…耕雲庵老師が制定された修行歴の進展度を表す進級規定は、人間形成の禅にとって、申すまでもなく極めて重要であります。 地大級・水大級・火大級・風大級・空大級・識大級・師家分上と 7 階級に人間形成の境涯が規定され、水大級で道号授与、火大級で黒絡子、空大級で茶絡子、識大級で庵号授与となっております。これは長幼に関係なく、修行の年数に関係が無く、人間形成の修行の進展を明確に表しており、当然道場内での重要な尺度であります。 階級毎にだんだんと悟境が深まり、その悟境に至る厳しい修行の骨折りが忍ばれるものであります。 例えば、識大級で庵号をお持ちの方を老居士・老禅子と、「老」を付けた呼称にしているのにも意味があり、その境涯の貴重で尊敬すべきことがそれに含まれています。人間禅の識大級は、僧堂においては罷参底という高く深い境涯であり、その世界では呼称においても、郵便物等の名前の下に付ける言葉においても極めて丁寧且つ尊敬語が古来から付けられている訳であります。参禅の時の順番にしても些細なことではありますが、伝統ある僧堂においては厳然と遵守されています。 最近の若い人が多くなった人間禅の支部においては、この識大級の人に対する呼称の重さにしても、参禅の順序にしても、十分に認識されていない状況がみられますし、修行歴の深さを慮ることなく、また自分の境涯の浅さを顧みない僭越な発言が出てくる等、人間形成の人の集まりとしては軽く浅い、まさに僧伽(そうぎゃ)としての成熟度が未熟であることを示しております。 こういうことは、法の重みが判っていないから生ずることであり、法を軽忽にしないという観点から忽(ゆるが)せにしてはならないのです。 入会式、進級式、任命式が厳かに執り行われるのも、『要覧』が細部にわたるまで遵守されなければならないのも、法を軽忽にしない僧伽を形成するためであります。 そしてこれは、畢竟するに『立教の主旨』の第2項「人間禅は、転迷開悟の実を挙げ、仏祖の慧命を永遠に進展せしめる。」を僧伽全体として正受しているかどうかに関わってくるのであります。
摂心での自身の振る舞いが身につまされ、まさにドキッとさせられる文章です。三宝(さんぼう)という言葉があります。衆生が帰依すべき三つの宝のことで、仏・法(仏の説いた教え)・僧(仏に従う教団)を指します。三宝を理解するため参考になる考え方は人間が「社会的動物」であることです。元来はアリストテレスのゾーオン・ポリティコン(ポリス的動物)が由来です。人間が個人として存在していても、その個人が唯一的に存在し、生活しているのではなく、絶えず他者との関係において存在している。つまり個人が社会のうちにおいて生活し生存しているのであって、社会なくして個人は存在しません。そして一方で人間はまた社会の親でもあります。人間は社会的なものであると同時に、また社会の形成者として参加します。つまり社会はあくまでも個人を基礎として成立すると同時に、個人はまた社会を担ってそれを進展させるものです。世の中には数多くの社会的組織があります。家族や会社、自治会、はたまた僧伽も社会的組織の中の一つです。こうした考えに照らすと、僧伽(僧)としての在り方は一社会を変える原動力を秘めており、方向性を誤らないために仏と法が根本にあるのだと分かります。決められたルールに倣ったり従うことは実は教えをなぞっているのです。それが積み重なって秩序になるという塩梅です。会社もそうです。新入社員が最初に叩き込まれるのは会社の経営理念です。口を酸っぱく注意されます。というのも、どうしても判断に迷う案件が出てきたときの助けにするためです。こうしたとき昇進すればするほど、誰かに相談することが難しくなります。ここで経営理念に立ち返り、会社の進むべき方向からずれないように判断を下すのです。ここでの仏は目指すべき理想、法は経営理念等、僧はその会社を構成する社員達になります。
最後に「人間禅清規」絡子授与式・進級式の項目から。
一 絡子の着脱に際しては、必ず合掌すべきである。また、絡子を畳の上に直かに置いてはならない。
一 絡子をかけるときは服装を正さなければならない。
一 絡子は、会の儀式・茶礼のときにかけるのは勿論であるが、種々の行事を指導する場合にはこれをかけた方が宜しい。また一般の葬儀・追悼会等にかけても差し支えない。
絡子は袈裟を簡略化したもの。袈裟のもともとの由来は信者が布を施し、その布をつなぎ合わせて衣服にしたことにあります。絡子をよくよく見るとパッチワーク状なのはそのためです。また、布を施していたから「布施」。布施というと金銭を思い浮かべますがもともとは布を施していたのが原点です。「無財の七施」という布施があります。地位や財産がなくても心掛け一つで誰もが簡単に周囲に幸せを与えることができ、自分も幸せになれます。
1. 眼施(がんせ) 常に温かく優しい眼差しを施すこと。
2. 和顔施(わがんせ) いつもニコニコ笑顔で接すること。
3. 言辞施(ごんじせ) 優しく時には厳しく叱る愛情のこもった言葉。
4. 身施(しんせ) 自分の身体を使い奉仕すること。
5. 心施(しんせ) 心配り・気配り、思いやりの心を持ち、相手の立場になってみ
ること。
6. 床座施(しょうざせ) 座席や場所、地位を譲ること。
7. 房舎施(ぼうしゃせ) 家や部屋を提供すること。
つまり布施は利他の精神の現れなのです。そんな布施の伝統と歴史を今現在でも目に見えるものとして再現しているのが袈裟であり絡子です。もともとは信者の方からいただいた布を衣服として大切にした背景があるからこそ、粗末に扱ってはいけないのです。
改めて文章で記していくと往々にして発見するものがあります。今回もまさしくそうで、火大級進級で大目玉を喰らったことをバネに、あれやこれや調べてみると秩序としての人間禅の法の在り方、絡子に込められた思いを発見することができました。絡子は布としては軽いですが、物事の背景を知るとより重みを感じます。そのため、絡子を謹んで身に付けるということは利他の心を纏うという意味なのでしょう。機械的に身に付けるのではなくそれこそ無財の七施が自ずからいつでもできるようになれば、きっとその人間性はとても薫り高いものになりましょう。水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ。水を掬えば水となり。花を持てば花となる。そうした境地はまだまだ先ではありますが向かう先を思い描けるようになった今日この頃です。
初めて禅の世界に踏み入れたときは大海原に放り込まれた感があり、この深くて広い世界をはて、どこに向かえば良いのか、皆目見当もつきませんでした。火大級になってみるとまだまだ大海原に浮かんでは沈んでを繰り返しておりますが、ようやく進むべき進路が見えそうで見えない…といった境地です。総裁老師から進級の寿ぎの言葉を頂戴したとき、今の境地に満足せず、ここからが本格的な修行だっ!この道はうたた深く、うたた広い!といったような主旨をお話し下さいました。お話しの細部は違ったかもしれませんが、印象深く今でも残っております。
修行とは何ですかと問われたとき、禅者になりたての頃はひたすら座禅することが修行だ!と思っておりました。目指す境地は1炷香座っても足が痺れない!しかし、この頃は常々修業とは道場に赴くことであると思います。これは私のようなあれもやりたい、これもやりたい人間にとっては容易なことではありません。詰まった予定や時間に何とか折り合いを付けるということですから。要するに欲深です。毎日の仕事は朝早く夜遅くで、帰ると常にあれをやりたい、いやすぐさまベッドで寝たいと葛藤が始まります。そしておおよそ作業途中で寝落ちして朝を迎えます。朝は猛ダッシュで支度をし、会社に向かいます。休みは休みで着付けのお稽古、お茶のお稽古、部屋の掃除、アイロン掛け等やることが山盛りです。その合間を縫うように定例の静座会、摂心で道場に赴いています。いかに両立してこなすかがいつも問われています。大抵は予定が長引き、いつも途中から参加してますが…。しかし、初期と比べると大分改善しました。それは通う道場を最寄りに変えて、その分可処分時間が増えたからです。今は東京支部所属ですが、3,4年前は八王子支部(現在は東京支部に吸収)に所属していました。学生時代そちらの方面に住んでいたからですが、社会人になって引越した後もそちらに通っていました。摂心に参加するにしても通いは難しいため、最後の1・2日にようよう顔を出すのが精一杯でした。幸いなことに心配した老師が自宅から最寄りの擇木道場を勧めてくれ、今は此方に通っています。やはり、近いというのは武器です。今まで往復に4時間弱かかっていたのが約1時間に短縮、4分の3の可処分時間ができました。やりっぱなしにしてはいけない。これは五戒の中の言葉の一つですが、中途半端にする気持ちはなくても結果中途半端にさせていたわけですから結果を見て大いに反省すべきところではあります。
また修行において道友の存在は有難いです。一人でやる作業よりも二人でやった方が断然早く、楽しいものです。年齢も社会歴も様々な道友と一緒に摂心を作り上げていくのは在家禅ならではの良さでしょう。老師のお姿が見えなくなると支部でこっそり萬歳三唱したり、摂心の片付けが終わると好きなアイスをほうばったり、女子会ならぬ禅子会を開いたりそれはそれで面白いです。摂心終了後の懇親会も家庭的な温かさに満ち、食事もより美味しくなると常日頃思います。
これからの人生、まだまだ激動の最中にあります。今ある生活も諸行無常、刻々と移り変わっていきます。まさしく鴨長明が記した方丈記のよう。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
今は細くとも長く、この禅という、広くて深い大海原を引き続き進んで参ります。
2023.2.20
合掌
鈴木改め角田翠珠 拝
余談:細く長く修行をする時期もあれば、太く修行する時期もあるそうです。これは歴戦の諸先輩の言です。
※参考文献
禅宗お坊さんのブログ布教 〜禅語・修行・座禅など禅僧のリアル体験記〜
小さな袈裟 絡子(らくす)2015-05-15 2023.2.19
https://ameblo.jp/gen-maru/entry-12000957183.html
曹洞宗 圓通閣 澤龍山 少林寺
住職の話 無財の七施 2023.2.19
広辞苑 第六版 岩波書店
ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版 ブリタニカ・ジャパン
「訓注 禅林句集(改訂版)」、柴山全慶 輯、書林 其中堂、1972
1万年堂ライフ
方丈記の冒頭文「ゆく川の流れは絶えずして」の原文と現代語訳と解説 2022.06.16
1万年堂出版 2023.2.19
https://www.10000nen.com/media/42811/
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JUGEMテーマ:剣道
昨年末に人間禅付属の団体である、剣道と静坐を通じて人間形成の修行をする宏道会の会長を拝命しました。
宏道会は今年67周年を迎える歴史のある会であり、重責を担う重大さを受け止めつつ、
早速、今年年頭の互礼会にて就任の挨拶とともに、恒例の今年の目標の発表をさせていただきました。
挨拶では、恵まれた素晴らしい環境で剣道が出来ることの有難さを認識し、道場内外の掃除や管理を感謝を込めて行って欲しいということ、会員の人数を減らさず増やしていくための工夫を皆でしていこうということ、そして究極の目標である至誠の人となる為の修行を続けていくことを忘れない、ということを述べました。
また今年の目標として、“全力を出し切って稽古を終わる” としました。
毎回の稽古での素振り、切り返し、防具着用での稽古、そして古流の型稽古に於いて
自分の持っているものを全て出し切ることを目指し、稽古が終わって悔いのない、やり切った気持ちを全員で実感したいと思います。
宏道会は一生懸命の人たちの集まりであります。
ご興味のある方、是非一度、宏道会剣道場においでいただき、熱のこもった稽古をご覧ください。
お待ちしております。
合掌
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翌朝、まだ薄暗いうちに目が覚めた。外を見ると黒い壁のようなものが見える。なんだこれは?
少しずつ明るくなるにつれ、それが山だということが分かってきた。徐々に、山容がくっきりしてくる。
寒いのも忘れて、部屋の外に出た。形容のしようがないほどの迫力だ。妻を起こした。大変だよ、ヒマラヤがすぐそばだ。
ガイドさんも飛んできて、屋上に行けと言った。
二人で屋上に行って山を眺めているうちに朝日が昇ってきた。山が真っ赤に染まった。言葉が出ない。
<チャイを飲みほす。宇宙を飲みほす>
少し落ち着いてから、38年前の妻との約束のとおり、ヒマラヤを眺めながら二人で、チャイを飲んだ。これで今回の旅の二つ目の目標の達成だ。
そうこうしているうちに、屋上にいた人も、少しずつ部屋に帰り始めた。
そんな時、突然後ろから話しかけられた。
(以下カタカナは彼が日本語で言ったこと)
「ニホンジンデスカ?」
「そうですよ」
「サセンシマスカ」
なんで僕が左遷されたこと知ってんだ?
「え〜!、もしかして坐禅のこと?」
「ソウ、ザゼンデス」
「しますよ」
なんで僕が坐禅すると思ったんだ?
周りに何人も人がいるのに何で僕に聞いてきたんだ?
「テンソキョクン読んだことありますか」
「もしかしてそれ典座教訓のこと?」
「そうです」
「読んだことはありますよ。でもよくそんなこと知っていますね。日本人だってあまり知らないですよ」
以前、禅と茶の集いの輪読で読んだ。あ〜、読んでおいてよかった。知らなかったらヒマラヤを見ながらチャイを飲むどころか、ヒマラヤを見ながら大恥をかくところだった。
「じゃあ、ショホケンソは」
彼の日本語の発音がだいたい分かってきた。
「正法眼蔵ね。何章かだけだけど、読みましたよ。でもあれはとてつもなく難しいですよ」。
「はい、そうですよね」
ヒマラヤで、こんな会話をするとは思いもよらなかった。
「それにしても、なんで僕に声をかけたの?」
「なんとなく坐禅してそうだったから」
そんなこと分かるのかなあ。僕は登山の普通の恰好してるし、特に変わったところはないと思うのだが。
この人は、いったい何者なんだ。30代くらいで、髪を伸ばしている。
もう聞くしかない。
「あなたの名前は?どこから来たのですか?」
「名前はルーカス、コロンビアから来ました」
僕も名乗らなければならない。「義存といいます」
「ヒマラヤで坐禅するのが夢でここに来ました。ここで坐るために持ってきた座蒲もあります」
僕は妻とチャイを飲みたくて来たのに、彼は坐禅か、一本取られた。
話が弾み、これでは物足りないということになり、山を下りてからポカラで会うことにした。
それにしても、こんなに偶然が重なることってあるのだろうか。
コロンビアから来た彼と日本から来た僕が、ヒマラヤの小さな村のロッジの屋上で会った。彼が突然話しかけてきたことがきっかけで禅の話をし始めた。歯車が一つ嚙み合わなかっただけでこんなことは起こらない。
日本で、「あなたは坐禅しますか」なんて突然声をかける人はいないだろう。話が出来過ぎている。
でも、これだけ偶然が重なると、もはや必然としか言いようがない。
彼はおもむろに坐り始めた。
僕は写真を撮った後、そっと屋上を下りた。
<アンナプルナ南峰(7256m)の頂上付近>
<マチャプチャレ(6993m)を望む。ここは聖なる山なので登山禁止>
<すごくいい姿勢だ。普段から坐り込んでいるに違いない>
(続く)
合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)
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アーユルベーダの治療のおかげか、体調が改善して来たのをいいことに、ヒマラヤを眺むだけでなく、ある程度のところまで登ってみようという大それた望みを持った。
まだ、ポカラの街を散歩できるようになっただけなのに、これは希望ではなく無謀とも言えた。そもそも、一年前は車椅子で外出していたのだ。
といいながら、もうヒマラヤに行けるなんで二度とないと思い、仲良くなったホテルのマネージャーにいろいろ頼むことにした。
まずはトレッキング許可証。そして入山許可証。これはどの地域まで入っていいかという証明書だ。地域によって金額が違う。ちなみにエヴェレストは、110万円。(もちろん僕は登らないが)
そしてガイドさんを雇うことになった。ヒマラヤで迷子になるわけにはいかない。通常なら、これにポーターを雇うのだが、一泊二日の短い行程なので、バックパックは自分で背負うことになった。そして、できるだけ目的地の近くまでジープで行くことにした。これは死活問題だった。
道が開通するまでは、二三日歩かなければ行けないところを車では数時間で行ける。
朝早めにホテルを出発し、山道に入ったのはいいが、信じられないような悪路で、車の天井に何度も頭をぶつけた、ずっとひどい凸凹道が続き、むち打ちになるのではないかと思った。
車で行けるところまで行き、さあ、ここからは歩かなければならない。標高は2000mで目的地は2500mなので、普通の人にとってはたいしたことはない。僕たち夫婦とガイドさんの三人で歩き始めたのはいいが、さっそく僕が遅れ始めた。
ガイドさんは最初は付き合ってくれたが、あまりの遅さにあきれて、ここは一本道で、迷子にはならないといって先に進み始めた。その代わりに僕の荷物を持ってくれた。妻も僕を置いて先に行った。自分のペースで歩かないと、遅くてもかえって疲れる。
僕のそばを子供が駆け上がっていく。道は生活道路として使われているので、思ったより整備されていた。
休み休み登って、3〜4時間で目的の村に着いた。疲労はピークだったが、よく登ってこられた。村はロッジがたくさん建っていて思ったよりも広かった。
ガイドさんは、ここは少数民族の村なので案内すると言ってくれたが、村の中は階段だらけなので断った。今思えば、あ〜行っとけばよかった。
ロッジの部屋に案内されてやることはただ一つ、ひたすら寝る。夕食の前まで寝て、夕食の後も寝る。ちょっとだけ夜空を見たが、曇っていて星は見えなかった。明日の朝も曇りかもしれない。
こんなに頑張ったのに山が見えなかったらどうしようと思いながら毛布をかぶった。
<こんな山道を延々と登った>
(続く)
合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)
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一か月ネパールを旅してきた。40年振りのネパールだ。
今回の旅の目的は二つ。一つは、アーユルベーダの治療院に入り、一週間の施術を受けること。二つ目は 38年前の約束を果たすべく、妻とヒマラヤを見ながらチャイ(インド式ミルクティー)を飲むことだ。
空港を出てまず驚いたことは、その車の多さだった。40年も経てばどの国でも見違えるような街並みになっているのは当然だが、当時世界の最貧国のうちの一つに挙げられた国がこんなにも発展したとはにわかには信じられなかった。
道路には車やバイクがあふれそこかしこに人込みも見受けられた。その一方で排気ガスの臭いこと。こんな街に暮らしていたらすぐにでも病気になりそうな気さえした。
昔は道路には牛がのんびり歩いていて人力車が走っていた。タクシーを探すことさえ大変だった。
そんな首都カトマンズを後にして、ネパール第二の都市ポカラへ向かった。先日墜落した飛行機と同じ航路で同じ機種。本当に同じ飛行機だったかもしれない。危なかった。
二三日ゆっくりして、治療院に入った。あらかじめメールで何回も連絡を取っていたので、カルテができていた。面接をして次の日から施術を受けることになった。
最初に脈を測った時のことだが、内臓関係だけではなく、僕が長年悩まされている膝痛と腰痛の位置まで特定されてびっくりした。
アーユルベーダは紀元前5〜6世紀頃からの治療方法で、背後には膨大な哲学的な背景がある。(ウィキペディア参照)
治療の方法としては僕の症状に合った薬草をしみ込ませたオイルで一日3回全身をマッサージするのが主だ。治療院に入っているため、食事も管理され、ヨガの教室もある。
施術を始めて二〜三日後に、猛烈に体調が悪くなった。日本に帰れるとは思えなかったくらいだ。聞けば、これは好転反応なので、いい兆しだと言われた。
確かにその翌日くらいから、体調が戻りはじめ、体が軽くなっていった。
僕は10年以上取れなかった疲労感が大分改善し、妻は10歳は確実に若返ったと言っていた。
これで一つ目の目標は一応達成することができた。
体調が改善されたことで気をよくして、もう一つの目標を達成図すべくヒマラヤへ行く準備を始めた。
<上空から8000m級のヒマラヤを望む>
<カトマンズの古い町並み>
(続く)
合掌 鈴木義存 三拝 (房総支部)
]]>2016年4月入学式から始まり、6年間の苦楽を共にして2022年3月卒業式で送り出しました。中には、入学式で担任として呼名し、卒業式でも同一生徒を呼名するというとても感慨深いものがありました。
中学から高校にかけては、最も多感な時期といえます。昨日のことのように覚えているのは、中学の時に担任した女子生徒Zです。まるごと反抗期なのか⁉︎
反抗期が服を着て歩いてるといわれる程、大人に食ってかかるわ、言葉尻を捉えて生意気を言うわ、言うことは全く聞かないわで、、。クラスメイトと揉めては、「いじめの被害にあっているからなんとかしろ」と訴えたり、授業中に気に入らないことがあると癇癪を起こして急に教室を飛び出して行くことも一度や二度ではありませんでした。そんな調子でしっちゃかめっちゃか格闘しながら、どうすればよいのか自問自答の日々でした。
学年が進み、Zの担任ではなくなったのですが、教科担当はしておりました。Zは相変わらず生意気でしたが、なぜか数学の質問にはよく来ていました。
Z「全然分かんないっ!」
私「どのあたりから分からなくなったの?」
Z「全部!」
私「全部かいっ!? 授業はきちんと聞いてたの?」
Z「ちゃんと聞いてたけど全然分かんない! 教え方が悪いっ‼」
(いやいや、突っ伏してたやん、、、)
私「そうなん・・・そりゃ悪かったね。じゃやろうか!」
こんな感じの繰り返しでした笑
高校になると自分の志望する分野への勉強を熱心にするようになりました。そして、鋭く張り詰めたようなZの表情がだんだんと柔らかくまろやかになっていきました。
また、テスト前には決まって数学の質問に来て、終わった後に笑顔で「ありがとうございました!」と言ったときには一瞬、耳を疑いました。そんなことが言えるようになったのかと驚き感動したのを覚えています。
時は流れ、Zは高校3年生となり受験に突入し、猛勉強の末、苦労の甲斐あって、見事に名門大学某学部に合格しました。卒業式後に、保護者と一緒に私のところにやってきて、
「先生のおかげで第一志望の大学に合格しました。先生には一番ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。有難うございました! 小さい頃からの夢だった道を邁進します!」
と美しい涙とキラキラの笑顔で言われた日には、「くぅー泣かせるじゃないか!」と心の底から良かったと思いました。そして、「立派な〇〇になれるように頑張ってね」と私も嬉しくなり、これまでの私の苦労など一瞬でどこへやら、吹き飛んでしまいました。
今にして思えば、Zは心を開くのに時間がかかっていたのだと思います。心を開いてない子にどれだけ正しいことを言ったとしても通じません。一年、二年、三年としていくうちに、鉄壁だったガードも徐々に緩み始め、少しずつ心を通わせることができるようになりました。
そして、Zに限らず生徒はどこでゴロッと大化けするか分かりません。必ずやその日は来ると信じて向き合うことが大切だと痛感させられました。
禅門には『泥多ければ仏大なり』とあります。励みになる言葉です。
さまざまな生徒たちを通じて自分も磨かれた貴重な6年間に感謝しております。合掌
中央支部 粕谷玉道 拝
☆行事の想い出☆
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朝起きて会社に行き、夜には帰宅する。そんな長年慣れ親しんだ日常生活とお別れして、早いもので2年半余りが経ちました。毎朝、出社準備でドタバタすることも無くなり、基本的な朝のルーチンワークは、座禅をし、読経をし、運歩をし、素振りをする。怠惰な生活をしないために、充実した一日を過ごしたいがために、このルーチンワークは大切なサプリメントと位置付けています。
剣道や座禅の修行を通じて学んできたことは、人間形成という言葉。この人間形成のために、数息観と参禅弁道の両輪で、境涯を深め高めていく。終わりのない果てしない修行の道。その第一歩を、毎朝の座禅でスタートする。継続することは、なかなか難しいが、気負うことも、神経質になることも無く、出来ない時は出来ないと割り切っていく。どうしても湧き上がってくる怠け心を抑えるために、座禅をする場所に掛けた禅語は、「潜行密用 如愚如魯」。目標とするには高過ぎる境涯ではありますが、字を見ているだけでも、勇気をいただける言葉です。このような言葉が、人間形成の段階に応じて山のようにあるから、禅はありがたいです。
合掌
中央支部 三松無妙拝
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今年も元旦、朝7時から本部道場禅堂にて、元朝座禅会が催されました。今年の参加者は15名です。総裁老師のご参加を頂き、一炷香静座のあと、読経を行いました。
以前から元日の朝に坐るということは各自がご自宅で行っていて、道場に集まって坐るということは近隣の有志だけだったように思います。実は一昨年末に、総裁老師と道場若手(「自分は若い」と自認している方も含む)が酒宴をする機会があり、そのときに道場若手から「元旦は酒を飲んでしまって、なかなか自分で坐ることができない」とか「一年の初めから座禅もいい」とかなんとか、私も酔っていたのでよく覚えていませんが、そんな話が出て、総裁老師から元朝静座会の直日は如水がやるようにとのお話をいただきました。
まあ、昨年は経験の浅い私がおっかなびっくりで直日を勤めさせていただきましたが、今年(2023年元旦)は、支部長の高凜庵老居士が直日を勤められました。
元旦の朝日を浴びながら坐ることは、まるで富士山頂に立ちご来光を拝むような雰囲気というまでには至りませんが、少なくとも今年1年も頑張って行こう! という気持ちになれるものでした。
また、座禅会の後は総裁老師を囲んで、抹茶や美味しいお水を頂きながら、丸餅と角餅の境はどの辺かというような元旦らしい話題にも花を咲かせました。ちなみに、丸餅と角餅の境はどうやら東から愛知県豊橋市付近までは角餅で、それより西方は丸餅のようです。
楽しい元朝座禅会のひとときでした。皆様、ありがとうございました。
?村如水(中央支部)
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2022年12月29日午前中、本部道場奥の洗心庵茶室の内露地にて「茶筅供養」が行われました。
清香庵妙珠老禅子を中心に有楽流の茶道部員が支度をし、手水鉢近くに掘った穴に大きな鉄やかんを据え、松ぼっくり、杉の枯れ葉、枯れ枝、それと使い古した茶筅をくべて、その沸かしたお湯で抹茶を点てて飲む、という年末の行事です。
耕雲庵英山老大師が大晦日になさっていた行事でしたが、亡くなられて途絶えていたのを又再開するように、という磨甎庵老師のご指導で有楽流の仲間でお餅つきのある日と同じ日に毎年やってきていました。コロナのため3年ぶりでしたが、今年は天候に恵まれ、風もなく暖かで穏やかな中に進められました。
初めは茶筅塚と、立田珠月様(老大師の奥様)、三浦緑水様(老大師の次女)の仏壇にお茶を捧げるお点前を厳粛に清香庵老禅子がされ、その後は、各々持参の茶筅や2年間貯めてあった茶筅を燃やしてお茶を点て、和やかに飲み合いました。入れ替わり立ち替わり、延べ35人程の方々が参加されました。
普段目立たないお道具の茶筅ですが、茶筅が無ければお茶はできません。その茶筅に焦点を当て、主役にして感謝し供養する、というこの行事は、針供養と同じ意味を持つもので、禅の道場にふさわしい行事。訪れる他の流派の茶道関係の方々も「原点に帰る行事」と大変感激されます。
あわただしい年末の一日、まさに「忙中閑」のひとときでした。
私は年末の慌ただしさがありながらも、1年の締めくくりの臘八摂心会を終えてほっとする時期でもあります。
年末は道場で恒例の餅つきを行います。今年は感染対策に気を付けての実施です。
餅米を蒸す人、お餅をつく人、成形する人、調理する人と役割分担をして、大人も子供も和気藹々と参加するとても楽しい会です。
私は鏡餅づくりを担当しています。
禅堂と剣道場にお供えする鏡餅は、下段はひと臼、上段はひと臼の半分のお餅で作る大きな鏡餅です。
先輩から引き継いでから何年も経ちますが、まるくきれいに仕上がるように毎年が挑戦です。今年はこんな仕上がりとなりました。
朝日を浴びる鏡餅です。
たくさんのお餅ができました。遠目に見ても鏡餅は存在感があります。
平和な行事を一緒に楽しめるのも、道場のありがたさです。
今年も本当にありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。
森田露香(中央支部)
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道場というものは、ああいう風の一定の神棚を祭った道場を言う。
あれも道場だけれども、もっと根本的に言えば、直心とは、今日一番初めに話した正直な心、「嘘をついてはいけない」(人間禅『五戒』の一つ)、自分の心がそういう風に修まっていれば何処に行っても道場。
押し合い、揉み合いの電車の中でも道場。どんな場合でも道場。
それと反対に、神様の祭ってある、そうして掃除の行き届いている道場だって、ただ(竹刀の)当てっこでバタバタやっているなんて、あれは道場じゃない。
本当の道場は直心。直心。これを養ってゆけば「天地の間に塞がる」。これは孟子が言っている。(*)
これを養うと自分が修まる。それで家庭が修まるんです。そういう心でおれば職場が修まる。
自分の地位が上がれば上がったでそういう人のおる場所は皆修まる。皆良くなる。
それは天地の間に塞がる。こういう人が一国の宰相(さいしょう)になりゃあ国は治まる。
堯舜禹(ぎょうしゅんう)の三代目禹は、中国の天子になっていますね。出は農民ですよ。
(昭和59年11月 香川県にて。色紙にご揮毫の句の意味を問われて。酒井無刀記す)
*〔我れ善く吾が浩然の気を養なう。その気たるや至大至剛、直(ちょく)を以て養なって害するなくんば、天地の間に塞がる〕
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今回のブログ投稿で6回目となります。
毎回説明しておりますが「コとロとナ」の後に「つぎ逢うときは君という字」という文章が続きます。漢字の君という字を分解するとコ、ロ、ナになるからです。まさか今までに5回もワクチン接種を受けるとは思いもしませんでした。治療薬も開発されているし、早くインフルエンザと同類の感染症法改正が待たれます。そうすれば君ともお逢いして普段どおりのお付き合いをしたいものです。
さて前回は「あっという間と人間禅」というテーマでしたが、今回は「健康寿命を延ばすには?」というテーマで拙文を纏めました。
本年の7月19日中央支部摂心会で担当師家千鈞庵老師の命により名誉会員という立場で講話をさせていただきました。
「2年半のコロナ禍で考えたこと」という題でお話しをし、その中の一つに「人生100年高齢化社会での生き方―健康面から考える」と、いささか大きなテーマで紹介させていただきました。
その時の講話を参考にしてこのブログでは健康寿命ということに的を絞って述べさせていただきます。
まず健康とは「健体康心」と言われるように体が健やかであり、且つ心が安らかな状態ではじめて本当に健康だと言えます。
ご承知の通り寿命については平均寿命と健康寿命の二つに分類され統計上の数値が発表されております。
この健康寿命の定義は「心身共に自立し健康でいられる年齢」といわれます。
男性 女性
平均寿命(2021年)81.5歳 87.6歳
健康寿命(2019年)72.7歳 75.4歳
その差 約9歳 12歳
一番多い死亡年齢 85歳 90歳
まず上記の数値から男女とも健康寿命が低いことに驚きました。何と男性は73歳にも満たない数値です。
病気で寝たきりになったり、認知症に罹ったり、病院に入院したりしている人が予想以上に多くおり健康寿命を押し下げていると思われます。一方男性の平均寿命は81.5歳で平均寿命との差は約9歳の開きがあり、女性に至っては12歳もの開きがあります。
また「死亡した人数の一番多い年齢は何歳か」という興味深いデータもあります。ズバリ男性85歳、女性90歳だそうです。
何はともあれ、人生100年高齢化を迎える中で私達は健康寿命を延ばして、いかに健康で長生きするかが最重要課題です。
では人生100年をを見据えて私なりに得た知見や経験に基づいて健康寿命を延ばすための考え方と方策について以下に紹介させていただきます。
1. 健康年齢の目標を持つ
私の場合は本年79歳なので、まず平均寿命81.5歳をクリアーして一番多い死亡年齢85歳を目標に健康寿命の保持に努める。
2. 人間禅での修行に勤しむ
・一日一炷香を毎日継続実施
・摂心会への参加…参禅、作務
・今を正しく楽しく仲よく生きる
・人間禅は死ぬまでやめられない
3. 老いや衰えを素直に認めて受け入れる
「我慢無理をしないこと」
4. 今のうち元気なうちに好きなことをやって楽しく生きていく
・大いに笑い、常に「ありがとう」の感謝の気持ちを持つ
・常に何かに興味を持ち行動する
・引きこもらず外に出て歩く
5. 肉を食べて「まごわやさしいヨ」の食品を摂る
ま(豆類) ご(ゴマ類) わ(わかめ海藻類) や(野菜、根菜類) さ(魚類、青魚) し(椎茸他キノコ類) い(芋類) ヨ(ヨーグルト)
・好きなお酒は、ほどほどに飲む
以上五点私なりに方策等について紹介させていただきましたが、口で言うのは簡単ですが実行にあたってはなかなか難しい点も多々あります。皆様方もそれぞれの健康法をお持ちで実践されていると思いますが、健康寿命を延ばすという観点から何か参考になれば幸いです。
なお今までの内容は65歳以上の高齢者を対象にしております。若い方々、中堅の方々は健康に対して「自分は大丈夫だ、健康には自信がある」と余り過信しないことです。生活習慣病、がん予防のためにも定期的に種々の検査健診を受けて対応してください。
「早期発見、早期治療」が肝要です。
おわりに7月に開催された松戸美術展に出品した風景画の写真を披露させていただきます。
松戸方面から見た江戸川の風景で、題名は「対岸の取水塔」です。
令和4年12月4日
森嶋石雲(中央支部)
月曜朝座禅の帰りに道場の近くの遵菜池緑地を、ぶらりと落ち葉を踏み踏み池に沿って散策をした。
池には鴨が眠るように丸くなって浮かんでおり、少し寒くなったせいか、亀は出て来ないが、橋を渡ると鯉がたくさん集まってきて、相変わらずカメラを持った人達は、翡翠が小道の奥の池の止まり木に飛来するのを待ち構えていた。
散策は私の楽しみな日課になっているが、今年の春は鎌倉を歩き、古寺の山門と鐘楼の絵を絵画展に、そしてこのブログに写真を載せたのを思いだしたが、月日の経つのは早いものである。
夏目漱石は今北洪川老師の後に円覚寺の管長になられた釈宗演老師の若い頃に参禅をしているが、漱石の小説『門』の主人公の宗助にその時の参禅を語らせているのをふと思い出した。
宗演老師は明治26年に米国シカゴでの万国宗教会議に参席して、仏教を世界に広めんと「悟り」についての講演をしたが、その時に同行して翻訳を務めていたのは鈴木大拙老師であった。『善の研究』を著した哲学者西田幾太郎博士とは同じ越前の出身で親しかったが、二人して同じ鎌倉の古寺に骨を並べている。両者は共に根源的に情緒の系図と分析を試みている。禅については時間と空間を解脱して、日本固有の仏教および禅的文化芸術、生活様式も熟成され、剣道、茶道、柔道などが成立している。曰く、目に見えるもの、心によぎるもの全てを断って一心に集中する、念慮を捨てて只管打座すれば身を持って得られる究極の境涯に達すると。
私にはよく解らないのであるが、真直ぐに今出来ることを気持ちよくやればよいのだと思う。そして残された時間を自然の美しさに感動して、自分らしく過ごせばそれでいいのではないかと歩きながら考えていた。
大熊蕉山(中央支部)
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JUGEMテーマ:剣道
最寄りの駅はJR津田沼駅(または新京成線新津田沼駅)であるけれども「船橋静座会」の名称で船橋市東部公民館3階和室を借りて毎週木曜日(月3回)の夜7時〜座禅会を実施している。
第1回例会が平成26年(2014年)6月21日だから、かれこれ8年目になる。
楽水軒栗原道妙居士のあとを受けて、自分が担当するようになり、コロナ禍で会場が使用できなかった期間もあったが、近隣の有志が集い、黙々と座っている。
会場は新京成線の線路の脇に建つため、ガタンゴトン、電車のブレーキ音と踏切の警報音がひっきり無しに聞こえ、静寂とはほど遠い環境だが、家で、ひとりで座るよりも、みんなで座ると腰がシャキッと伸び、効果があると実感している。
なかには「電車の音が気にならなくなった」「むしろ、心地よい感じがする」というから不思議だ。
今夜は暴風雨だから誰も見えないかなぁと思っていると、時間を工夫して参集する。
まさに役得で、こちらが教わることが多い。
さて、この夏(7月)から例会に参加している男性から先日メールが入った。
彼は白隠禅師の「内観法」に興味を持ち、座禅会に足を運ぶようになったのだが、「こんど座る前に直心影流『法定の型』にある”運歩”を教えてください」と依頼してきたのだった。
なるほど! 個人レッスンするよりも、みんなで座る前に呼吸法がてら運歩をしてみようじゃないか! ということになった。
太陽を丸ごと飲み込むように口を大きくあけて(ハァ〜〜〜ッ)と息を吸い込み、横隔膜を広げると同時に、両手を上から半円を描くように左右に広げて胸の前で手を組み、「ん〜〜」と下腹(丹田)から足の踵(かかと)まで呼吸を下げる。
これを数回くり返すだけでカラダの内側から熱くなってくるのがわかる。
そして、左足からおもむろに前に出し、右足・・左足・・と呼吸を詰めつつ進む。この時、”百万人といえども我往かんの気持ちでいくことが大切である”と、宏道会師範・剣清庵栗山令道老居士から教わった言葉を伝える。
日頃の運動不足もあり、数往復するだけで脚のふくらはぎがパンパンになる感じがするが、無理は禁物だ。
後日、参加者から感想のメールをいただいたので本人の許可を得て紹介する。
「本日は運歩のご指導、本当にありがとうございました。
吸気の力強さが特に印象的でした。
仕事中や外を歩いている時、折を見てやってみます。
その後の座禅は呼吸が整い、股関節がほぐれていることもあって、導入が非常にスムーズでした。
もうひとつ、いつもの座禅より堂々としたものになった気がします。
静的で落ち着いているばかりではない、変化に富み、力強い座禅の側面をほんの少し垣間見た気がします。これが仁王禅に繋がっていくのでしょうか」
予想以上の反応に、我が意を得たり、と心が躍った。
試行錯誤しながら、これからも工夫を重ねていきたい。
張替剣外(中央支部)
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JUGEMテーマ:剣道
人間禅中央支部の岡根谷無刀です。
2022年10月26日(水)
宏道会の水曜夜定例稽古。コロナ禍の感染予防のため声出しを控えていたが、先週からこれを解除となった。
午後5:30〜6:30、小学生中心の1部稽古。
子供たちの中には入会した時からすでにコロナ禍で大きな声を出したことがない子さえいる。
まずは、木刀を使っての基本稽古。相手なし鏡に向かって自分自身と向かい合って足運び、メン、ツキなど基本動作の稽古。私自身がメン、コテ、ドウ、ツキと気合の出し方を示すが、、、あれ? ちょっと私自身、声を出すことを控えてきたので、出しづらさを感じながら指導する。
続いて、竹刀を使っての切返し。指導者と子供たちが順番に対して稽古をする。ここでも子供達には、メン、メン、メン、、、、、、と声、気合を出させた。剣道は、剣・体の一致が目標であり、初心者には大きな声を出すことが分かりやすい。
最後に、一刀流の形稽古。一刀流の形稽古では声を出さずに行うが、稽古が終わった後には「疲れた〜」「おなかが減った〜」とか、、、やはり声を出したほうが全力を出すことにつながる。子供は、やっぱり元気でうるさいくらいがいい。
午後6:45〜8:30、大人中心の2部稽古。
基本稽古、一刀流の形稽古に続いて防具を付けて切返し、掛稽古、地稽古とコロナ禍以前と同じフルコース。終了後の感想では、やはり体力が落ちていると言ったものが多かった。
もうすぐに11月、年末となる。
2022年の目標「稽古をして、自分の全力を見る」の実現に向けて、寒稽古、一刀流遍稽古に向け、皆で士気を高めていきたい。
合掌
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