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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
再録「禅と茶道」 緝熙庵内田慧純老禅子

1 現代と茶道 利休に帰れ

 

 茶味という題で、これからお話をするわけですが、お茶の世界は、入れば入るほど奥深く、とても一片のお話でもって、その味わいを語ることはできません。ただ将来、茶道に親しまれ、その行に精進されて、茶味を味わいつつ豊かな茶の文化を楽しまれる契機となることを願いつつお話をすすめてみたいと思います。

 

 

※今回、緝熙庵内田慧純老禅子の「禅と茶道」をブログに掲載しようと思ったのは、禅の蘊奥を極めた老禅子の語り口が素晴らしく、禅についても茶道についてもわかりやすく書かれているからです。

 茶禅一味と言われるように、禅の心を表したものが茶道と言えるのではないでしょうか。

 これからあらためて新しいホームページに順次掲載していきます。

(このお話は、千葉大学教養部の総合科目の講義で、「茶味−茶禅一味の茶について」と題してなされたものですが、後で「禅と茶道」という題に変えて一冊の書となったものです。)

 

加藤紫光(八王子禅会) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 八王子座禅道場 | comments(0) | - |
令和2年5月某日 朝の茶席

本部道場塾生の富嶽です。

ようやく緊急事態宣言が解除となり、様々なイベントも動きだしてくることと思います。

道場での茶道稽古も少しずつ再開されました。

 

通常、名誉総裁老師が本部道場にお泊まりになられた翌日は、朝8時より名誉総裁老師(御年80歳)のお点前にてのお茶席があります。

ここのところコロナ自粛で名誉総裁老師のお泊まりがなかったことと、そもそも私の仕事の出勤時間の都合上、私はこれになかなか参加できなかったのですが、仕事がたまたま在宅勤務であったので久しぶりに参加することができました。

 

名誉総裁老師は作陶をされ、そのお茶碗が朝のお茶席で出されます。

私が言うのもなんですが、年を重ねるたびに茶碗が進化しているように感じ、最近は「思わず眼がとまる」ということが増えました。

 

名誉総裁老師の年齢にとらわれることのない様々な活動ぶりを目の当たりにするたびに、「我々も頑張らねば」と居住まいを正さずにはいられない心持ちがいたします。

 

写真は時計回りに

床の間に飾られた軸は如々庵老師の筆で「茶烟輕颺落花風」(ちゃえん かるくあがる らっかのかぜ)

お菓子は水羊羹と鶯神楽の実

お花は下野と大山蓮華

 

富嶽(中央支部) #茶道部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 14:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
落ち椿春日の局の思い程 慈啓|四季折々(13)

 文京区麟祥院にて

落ち椿春日の局の思い程   片野 慈啓

 

麟祥院には、家光の乳母、春日局の墓があり、椿の寺でもある。

彼女は、家光の将軍就任後、権勢をふるい、実力者となったが、墓は、上部に穴を穿ち、「政道を見守り、直していけるよう、黄泉からも見通せるように」という遺言(思い)を形にしている。

作者は、椿が、庭一面、ぽたりぽたりと落ちているのを見て、政道を死後まで見守りたいという思いに、実力者の寂しさを感じたのだ。

見学した墓と椿を、即座に結び付けた句だ。

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
しばらくは離れて暮らすコとロとナ

 

 新型コロナウイルス感染拡大によって、ついに3月24日東京オリンピックの開催が一年延期となりました。4月7日には東京など7都府県に「緊急事態宣言」が発出され、16日に至って宣言の対象を全国にまで拡大されました。5月4日には宣言の期限が31日まで延長されましたが、直近の感染状況の減少傾向を考慮し本日25日全面解除がやっと決定されました。

 私たちを取り巻く環境は大きく変化し、何とも言えない大変な二ヶ月でした。
この間、私なりに得た知識、出来事、体験等に感想を添えて拙文にまとめましたので参考にしていただければありがたいです。

 

伝染病に関する語源について

 

 まず「病」とは、患者の手足がこわばり横にピンと張り出すこと(丙はそのままを示す形)。
「疾」の字源は病気が矢のような速さで進行すること。
また役は古代の武器「ヤマホコ」を手に人びとが遠征する意味で「疫」には遠くまで広がるイメージがある。
よって「疫は役なり」・・・疫病は天が人民に均等に割り当てる苦役であり戦役である。
「疫、民皆疾なり」…疫病とは天下の人民が皆猛スピードで病気にかかること。
(なるほど疫病とはいつの時代でも怖ろしいものです)

 

外出自粛要請についての三題「不要不急の外出は控えること」

 

 私の長い人生の中で一ヶ月半まったく外で飲食をしなかったのは初めての経験でした。
ところが今月13日の夕方6時頃、大会社でいえば総務部長クラスの方から電話があり、
「いま社長と近くのうなぎ屋で飲み始めますので、ぜひいらっしゃい」とのお声がかかりました。
喜び勇んですっ飛んで行きました。久方ぶりの旨いお酒と肴で話も弾み、楽しい一夜を過ごすことができ元気をいただきました。
(さて、この二人とはどなたでしょうか)

座禅会といえば私が所属している中央支部月曜耳順会も自粛ということで当分の間、実施されなくなりました。自宅では一日一炷香を毎日欠かさずやっておりますが、一人で行う静坐は三昧には程遠いものがありました。ある方から総裁も参加されておる日曜座禅会が行われていることを聞き、17日8時半から久方ぶりに参加し親しい道友にお会いできました。
(3密など心配のない本部道場で感動、感謝した日曜午前のひと時でした)

10数年前から趣味の一つとして油絵をやっております。毎年6月に開催される松戸美術展に出品するために3月より描き始めました。外出自粛のお陰で時間はたっぷりあり、三ヶ月かかって完成しました。(結局、美術展は中止)題名は「M氏の古い登山靴」

 題名は「М氏の古い登山靴」

 

Stay homeにあやかりウイルスに負けず健やかに暮らす5つのStay

 

 1.体力、免疫力を保とう    <Stay Healthy>
2.ポジティブな気分でいよう  <Stay Positive>
3.つながりを保とう      <Stay Connected>
4.感謝の気持ちを忘れずに   <Stay Thankful>
5.大事なことは考え続けよう  <Stay Focused>
幸せ経済社会研究所 枝廣淳子所長
(これに人間禅の「正しく、楽しく、仲良く」が加われば言うことなし!)

 

ポストコロナへの対応

 

 ロンドン・ビジネススクール リンダ・グラットン教授(女性)日経新聞のインタビュー記事から

4-1.コロナは働き方にも影響
どこで、なぜ、いかに働くかが問われる。
デジタル技術を用いたリモートワークが一気に広がった。
人は一度経験した便利さを手放さない。
(私も昨年12月遅ればせながらスマホデビューをしました。もう手放すことができません)

4-2.人工知能(AI)やロボットの普及、気象変動などコロナ以外でも新しい環境への適応は待ったなしだ。一人ひとりが人生100年を見据えた学び直し、学び続けることが最重要事項。
(ボーッと生きているとチコちゃんに叱られますよ)

 

 本日政府より緊急事態宣言が全面解除となりました。治療薬、ワクチンが開発されない中でまだまだ楽観、予断は許されません。長期戦も覚悟せねばなりません。
新型コロナウイルス感染防止への新たな方策と新しい生活様式への対応を講じてこの難局を乗り切りましょう。

 

 油絵の魅力はデッサン、構図、色使い等やればやるほど奥が深く描いているときは2〜3時間、何もかも忘れて集中でき、三昧状態に入ったような気分になります。
(それにしても座禅では三昧状態には程遠く、まだまだ修行が足りないこと反省しきり)

 とっておきのお気に入り文句を紹介させていただき終わりとします。

「しばらくは離れて暮らすコとロとナ、つぎ逢うときは君という字に」
(漢字の君という字を分解すると、コとロとナの3文字になります)

 

令和2年5月25日記
森嶋石雲九拝(中央支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
春の宴新婦の父の絶句かな 寶州|四季折々(12)

春の宴新婦の父の絶句かな  久木田寶州

 

春の陽気の中、華やかな結婚披露宴の最後の一コマ。

締めくくりの場で、新婦の父親が親族代表として、出席者への感謝と新郎新婦への支援お願いの挨拶をした。

宴会では、それまで脇役に徹してきた父親だが、やはり一言述べるとなると、娘が結婚する喜びと共に、娘を送り出す親の思いが一気に込み上げ、感極まって言葉が詰まってしまった。

喜びと寂しさの混み入った気持ちだ。

作者の父親への同感と、暖かいまなざしが滲む。 

(「俳林」17号より)

 

飯田幽水(中央支部) #俳句

posted by ただいま禅の修行中 | 09:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
テレワークで集中できないonoff切り替えできない方には座禅がおすすめ

緊急事態宣言が出されてから約50日。

ようやく解除されましたが、これからは働き方も変わってきそうです。

 

新型コロナウイルスの影響で働き方が変わると言われている中、テレワークに移行していく業種もあると言われています。

ただ、テレワークで集中できない、とか、やる気がでないという話を聞きました。

テレワーク100%になったら集中力がもっと必要だという話も聞きます。

今こそ座禅(数息観)を試してみるよい機会だと思います。

ということで、座禅の方法を載せている人間禅のホームページをご紹介します。

社会人のための坐禅(座禅)道場〔人間禅〕

 

座禅を試すといっても1回や2回で何かが変わるなんていう訳でなく、少しずつでも毎日続けることがよいのだと言われています。

 

座禅風景(於 擇木道場)

 

座禅をおすすめしたい理由は、集中力がつくからということももちろんありますが、それは座禅を続けた場合に期待できるのではないかと私は考えています。

集中力をつけることと座禅との関係性は老師(人間禅名誉総裁 葆光庵丸川春潭老師)の「道力(胆力)を付けるには」などを読んでいただければと思います。

テレワークで集中できないという場合、仕事前に座禅をすることによって、集中の前段階であるonoff切り替えがしやすくなると感じています。

仕事前にたとえ短時間でも座禅(数息観)をすることによって「これから仕事」という意識になりやすいです。

少なくとも私は意識を次のこと(たとえば仕事)に向けやすくなると感じています。

テレワークで集中できないとお思いの方、どうぞお試しあれ。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 20:54 | 東京・日暮里の座禅道場【擇木禅道場】 | comments(0) | - |
正しい目標を持てば楽しくなる〜小川忠太郎先生剣道話(56)〜

試合ばかりやっていればどうなるか?

相手は「当てっこ」がうまい。しまいには、ごまかす事ばかりうまくなる。そうすると、「ごまかし人間」になっちゃう。 大変な事だ。

真っ直ぐやっていると、いくつになっても伸びるからね。だんだんやっていると楽しくなってくる。
私なんか、どっちかっていうと、楽しいから一生やったんだな。初めは剣道を専門にやるとは思わなかった。
正しい目標を持てば楽しくなる。

小さい者には分からないだろうが、大きい者は、おかしなごまかし 稽古を見て、「嫌だなぁ」という気持ちが出てくるという所まで行かなくちゃいけないね。
そうなると、そういう嫌なものが来ても、こっちがそれに染まらなくなる。

「嫌だなぁ」と思っても、それと一緒になっちゃ駄目だ。
社会でもそうだね。おかしな人がいるからね。初めは「嫌だなぁ」と思っていても、そのうち嫌だと思わなくなっちゃう。

そういう(おかしな)人がこちらを見習うようになればいい。それが教育だ。
いい稽古をすれば、口で言わなくとも人がそれを見習うようになる
道を説くのでもそうだね。本当にやっている人は、黙っていて、周りの人を感化しちゃうんだな。

この間、中江藤樹という人の書いた物を見た。
41歳で死んでいるけどね。この人は、自分の身を修めるという事だけをした人だけれども。この人の周りには、 悪いことをする人が居なかったそうだ。
大したものだね。

理屈を言うんじゃない。この人は、本当の学問をやった。

剣道だって、本当の剣道もあるし、「当てっこ」の稽古もあるしね。学問だって、本当の学問もあれば、理屈だけの学問もある。
中江藤樹は、本当の学問をした人だ。

昭和56年12月13日
宏道会剣道場にて述。
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成…栗山令道(中央支部)

#剣道部 #宏道会

posted by | 18:20 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
70の手習い。本日のお題は「心外無別法」

  2016年月頃から、毎週土曜日、宏道会の剣道場で行われている書道教室に参加している。先生は書道歴50年以上の宏道会の剣道の仲間で、生徒も剣道の仲間人である。その中には小学生が3人おり、お母さんも参加している。

 先生がお手本を書いてくれる。子供たちには、好きな漢字を選ばせ、正しい書き順で楷書の練習をさせる。大人たちは、如々庵芳賀洞然老師の著書『新版一行物 禅語の茶掛』から五字のものを選んで練習する。先生が楷書、行書、草書の順でお手本を書いてくれる。最初は楷書の練習をして、作品を提出すると、先生が花丸の「よくできました」のハンコを押してくれ、次に練習する行書のお手本を書いて渡してくれるという具合である。

 練習を始めて四年半になるが、いっこうに上達した気配がない。わたしに対する周囲の認識も同様で、先週の土曜日など、書道の稽古に出かけようとすると、女房が「どこへ行くの? お習字?」と訊く。「ウン」と答えて家を出て剣道場に着くと、新型コロナで通常の稽古がないため、ひとりで素振りの稽古に来ていた宏道会の会員が「清巖さん、お習字ですか?」と訊く。どう見ても、わたしは「書道」というガラではないらしい。

 

 本日のわたしの草書の作品「心外無別法」

 

 しかし、わたし自身は本気である。この四年半、自宅でほとんど毎日練習している。きょう(令和2月23日)のお題は「心外無別法」であった。「心外(しんげ)に別法(べっぽう)無し」と読む。如々庵老師の解説には「欲界・色界・無色界の三界、すなわち宇宙空間に存在するものはすべて、みなただ一心の顕現したものであり、この一心と無縁に存在するものは何一つない。

 心と仏と衆生の三者は、名称がちがうとおり、一応、別のものといえば別ものではあるが、その本体からみると同じであり、その間に差別はない」とある。これだけだと唯心論的な誤解が生じる可能性があるので、さらに分かりやすく「ここでいう一心とは、人間をはじめ万物がそこから生まれ、またそこに帰るところの宇宙の大生命、仏教のいわゆる如(にょ)、儒教のいわゆる天命、老子のいうところの大道の謂いなのである。したがってこの句の真正の意味は、この宇宙空間に存在する一切のもの、人間をはじめ万物はみな宇宙の大生命・如の発露したものであり、この宇宙の大生命・如の顕現でないものは何一つない、ということなのである」と解説されており、勉強になる。

 ともかく、書道は動中の工夫であり、何よりも「一行三昧」に徹することである。だから「下手でもよい」、そう思って70の手習いに励んでいる。

 

平川清巌(中央支部) #書道

 

posted by | 17:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
ドクダミの花

JUGEMテーマ:

 

東京支部の黄玉さんがFBにドクダミの花をアップしています。

どうぞご覧ください。

 

  (東京支部)

posted by | 10:25 | 東京・日暮里の座禅道場【擇木禅道場】 | comments(0) | - |
いつの日か

 私の職業は電気設備工事の技術系事務職員で、横浜みなとみらい地区に新築される某ホテルと商業施設の建設事務所に勤務しております。

 建設現場の現状は基礎工事の段階ですが、基本設計図書に基づいて高品質で効率よく安全な電気設備を構築するための詳細施工方法の検討と施工図面等を作成している最中です。

 2年後には外資系の一流ホテルが完成し、いつの日か、この建物を訪れる人々にいつまでも幸せな思い出を胸に刻んでいただけるような施設を完成すべき日々励んでおります。

 

 国府台の豊かな森に包まれた人間禅道場中央支部においては、建築後半世紀以上経過した禅堂等の営繕係でもあります。

 支部営繕の係員の中に老年の自称“永遠の匠の卵”が2名在籍しています。その一人が私です。

 今年になってから営繕で手掛けた傑作な作品が2つあります。ひとつは両忘塔に上る階段入り口に設けた藤棚、もうひとつは北寮茶室の待合い屋根張替えの二物件です。

 藤棚とはいえ、今はただの潜り棚にすぎませんが、いつの日か、季節に合わせて美しい薄紫の藤花がこの棚を一面の幻想の世界に染めあげ、新緑のさわやかな風に波打つ花園の光景が観られることを楽しみにしています。

 

 

 人間禅では何事にも対応する際に心がける戒めがあります。それは、「段取り・真剣・後始末」の三つの戒めです。

 いつの日か、社会並びに道場の諸行事において事に当たる際に、この戒めを恥ずることなく実行しうる会員になりたいものです。

 

中央支部 佐瀬泰山 拝

 

posted by | 16:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(0) | - |
仰げば尊し・・・小川先生(無得庵刀耕老居士)のエピソード

人間禅中央支部の岡根谷無刀です。

 

2020年5月17日(日)

 

コロナ禍で剣道場は閉鎖状態ですが、普段通り、まずは道場前の道路を掃いて、禅堂で一炷香。

やっぱり、禅堂で坐るのはいい。

帰りがけ剣道場わきで、道場を振り返ると、空は晴天、理屈なくすがすがしい気分になる。

 

 

私の師匠小川先生(無得庵小川刀耕)の人生が思い起こされる。

先生は、戦後7年間(1945年〜1952年)剣道が禁止され、国士舘の剣道教師の職を失い、サツマイモを作って一家を支えた。

その間も人間禅の総務長として修行にまい進、多くのエピソードをお聞きしている。

・極貧生活であったが「自主的貧乏は、為になる」と。

・サツマイモと合わせて育てていた落花生を盗まれた時「もっと困っている人にさしあげたのだからいいじゃないか」と。

・古材で弟子たちが家を建ててくれた後に「何もお礼に差し上げるものがない、お礼に稽古」と言って、庭に蓆(むしろ)を敷いて切り返しをしたと。

 

今回のコロナ禍など比較にもならないが、同じ志をもって難局を糧にしていきたい。

 

#剣道部 #宏道会

 

 

posted by | 07:00 | 千葉・市川松戸 座禅道場 | comments(1) | - |
【坐る】

知多禅会 玉風です。

コロナの影響で摂心会の延期(中止)、静坐会(座禅会)も会場の都合で中止ってことで禅の事を忘れそうです(笑)

忘れないようにブログも書いておかないと。

人間禅の先輩の方々には叱られそうな、ゆる〜い私ですが、忘れてないのは

【坐る】事です。

 

などと書きつつ、実は人間禅に入る前は「座禅」に興味は全然ありませんでした。

むしろ、座禅してどうなるの? と思ってました。よく言われるように「無」になりたい、とか、悩みがある、とか、坐って心落ち着かせたい、とか、そういった気持ちは全然無し(笑)

坐る時間があるなら、本とか読みたいし、洗濯物も干したいし、茶碗も洗いたいし、何なら昼寝したい。くらいの感じでした。

 

じゃあ、なぜ禅? そして人間禅に?

人間禅に入った理由はいくつかありますが、一つには「参禅」というものを知り、興味が沸いたから、です。そのほかの理由は次にして(次があるんか〜い)

参禅という体験は「なんじゃ、こりゃ?」の世界でした。

 

だから、しばらくは坐ることは苦手でした。

でもでも、あぁでも、こうやって少しずつでも続けていくと

「参禅」も苦しくて面白いんですが(Mか?)

「坐る」こともとても大切というのがわかってきました。

 

そしてコロナ騒動で図らずとも増えたSTAY HOMEの時間。

とはいえ、チビッコギャングの孫3人と暮らす私にとっては自宅で坐る時間は普段から捻出が難しい・・・

しかしながら、摂心会も静坐会(座禅会)も中止、となればどこでいつ坐るの〜?

 

そんな状況の中、驚いたことに「坐りたい!」と思うようになったのです。

今? と思われるかもしれませんが、今までは漠然とした義務感、坐らないといけないかな? というような気持ちで坐っていたのかもしれません。

正直に言うと、いやいや坐ってた日も無きにしも非ず・・・。チーン・・・

(この告白で厳しい風当たりにならないことを祈る。合掌)

↓気分はこんな感じ? 坐るという呪縛(笑)

 

​

 

でも、強制的にでも坐っていたことは決して無駄では無く。

自然と朝に晩に「坐りたいなぁ」と思うようになったのです。

気がつくと日常の中で

「あれ? 坐りたい? 優先順位1位?」という風に思うようになり、坐る時間も回数も増えることに。

ふふふふふふ、すごいじゃん、私。

などと思うところがまだまだまだまだ浅はかな未熟者でして。

すごいのは決して私では無く、坐禅(座禅)なんですが。

 

という具合に坐ることも苦しくて面白くなった(笑)STAY HOME。

ふとした瞬間に坐りたいと思う、そんな感覚を覚え。

チビッコギャングに振り回されつつ、時間がないからこそ坐り。

坐る時間の豊かさに気付かされたSTAY HOMEでもありました。

 

忙しさ 坐る時間を 作りけり。

 

家事と育児? に専念し、かえって自由な時間が取り上がられた感なSTAY HOME。

そろそろ、アフターコロナに向けて心の準備しないと。

 

​​​知多の紫陽花

 

↑我が家の紫陽花。季節は確実に移ろいを見せて。

 

どちらにしても坐ることを大切に。 合掌  

 

  知多禅会 河口玉風

posted by | 07:23 | 愛知・知多 座禅道場 | comments(0) | - |
禅と私(夢遊 名古屋支部)

シリーズ「女性と禅」 第2回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。
禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

私にとっての禅との出会いは、2015年の春。

ちょうど40歳になった頃でした。

 

大阪で生まれ、大学を卒業して、幼児教育にかかわる会社に就職。

最初は厳しかった仕事も続けていくうちにやりたかったこともできるようになりました。

30歳で結婚して、二人の子どもにも恵まれ、その場その場では大変なことやつらかったこともありましたが、振り返ってみて一言でいうと、“やりたいようになってきた”、そんな人生を送っていました。

そんな中、子育てとの両立のため転職。

その会社で任せていただいた役割がどんどん大きくなっていきました。

そのころは頼まれると断れなかった私は、まだ保育園の子どもがいるにもかかわらず、終電まで仕事をしたり、休日出勤までしたり、、、そんな日々に飲み込まれてもいました。

30代後半になった頃、ふと、自分のこれからの人生を考えて、40代以降の自分が全くイメージできないことに気づきました。

振り返ると、そのころ、私の周りには同じ世代で頑張っている女性はたくさんいましたが、人生の先輩である女性たちは、なんだか大変そうに見えることが多かったのです。

「40代になっても私はこのペースで働くのだろうか。そのうちに子どもたちが大きくなって手が離れてしまう・・・私ってホントにそれでいいのかな」と考えるようになりました。

そんな時に、偶然、ドリームマップというツールに出会い、自分自身の本当にやりたいこと、望んでいる未来は何なのか、考えるきっかけをもらい、これをもっと多くの人に知ってもらいたい、と再度転職し、その普及に携わることになりました。

 

ドリームマップでも、最初は、家族と仕事を無理なく両立させようとしていたのですが、どうも性分なのでしょうか、そのうちまた仕事の比重が大きくなってきました。

というのは、インターネットやSNSの発達で勤務時間や働く場所は自由に選択できたのですが、逆に、いつでもどこでもつながってしまうことで区切り目がなくなり、それまで以上に時間があっという間にすぎていってとどめようもない、という感覚を味わうようになっていったからです。

私が子どもの頃から大好きな本でドイツの作家ミヒャエルエンデの「モモ」があります。時間泥棒が人々に「時間を貯蓄すれば命が増える」と勧め、便利や効率に目を奪われた人々は、せかせかと生活をするようになり、人生を楽しむことを忘れてしまう、ということを通して人生で本当に大切なものは何かを考えさせられるお話です。

ふと、「モモ」に登場する町の人たちのようになっている自分に気づき、どこかで立ち止まり、自分自身にとって大切なことを見失わないようにする場があったらいいのに、と思うようになっていました。

そんな時、最初の会社で数年共に仕事をしていて仲の良かった、現在は岐阜禅会長の渡辺玉蘭さんが、Facebookで「座禅女子会」のお知らせを投稿していたのが私と禅との出会いでした。

それまで、仏教にも興味がなく、禅=座禅、バシッとたたかれる、というイメージしかなかった私。

ですがこの時「座禅なら、この飛ぶように過ぎていく時間もリセットできるかも」となんとなく思い、「久しぶりに会いに行ってみよう」というぐらいの気持ちで座禅女子会に参加したのが人間禅との出会いになりました。

 

今となっては最初は想像もしなかったほど、私にとって、本当に大事な時間であり、場となっています。

その理由は、まず、母でも、妻でも、娘でも、姉でも、仕事上の私でもない、ただ私自身としていられる場であること。

また、仕事や家庭生活の中でも自分の力だけでは何ともならないこと、予想もしないことが起きたりすることは多々あります。

しかし、そんな時でも、自分自身を整える日々の座禅があること、更に、参禅という場があることで、その時々に「外的要因はいろいろあるけれど、その解決は自分自身の中にある」と感じたり、そんな風に言葉にはならないことなのですが「あ〜、そういうことだったのか」とおなかの底の方から様々気づかせて頂ける機会であることが、本当に有難く貴重な場であると思っています。

そして、もう一つ。

コツコツと自分一人で続けていくことは本当に大変なことだと思います(私にとっては特に)が、老師がいらっしゃり、諸先輩方がいらっしゃり、ともに歩む道友がいるからこそ続けていけることだとも感じています。

 

禅と出会ったことで、今携わっているドリームマップについても、それぞれの人生を深く味わうきっかけとして活用できるのではないか、と、より深く、その意義やドリームマップというきっかけを多くの方に提供する役割としての在り方に気づかせていただく日々です。

 

これからも続く長い道を、皆様にご指導いただきながら歩んでいければと考えております。

 

ご縁に感謝して。

  合掌 夢遊(名古屋支部) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

posted by | 21:50 | 名古屋座禅道場 | comments(0) | - |
グーペでのアンカーリンク(ページ内リンク)をhtmlだけで微調整する方法

人間禅ではグーペというホームページ作成ツールを使っています。

初心者の私が使うにしてもまぁまぁ扱いやすいのですが、それでも「どうしたらいいの!」という部分もあります。

そりゃ、多々あります。

で、ひとつクリアしたみたいなので忘備録として載せておこうと思います。

たぶん邪道で、しかもSEO的によい方法かどうか疑問なところが残念ですが。

 

何ができたかというと「ページ内リンクの微調整」です。

結論から先に言うと、グーペのヘッダー固定のデザインでは「二行上にアンカーポイントを設置」すればいいみたい、ってことです。

 

専門家ならサクッとしかももっと効率よくできることだとは思いますが、なにせホームページ初心者ですから「アンカーリンクってなんぞや?」というところから入りました。

アンカーリンクとは簡単に言うと「任意の場所にリンクさせる仕組み」のこと。

ただ、人間禅のホームページで使っているデザインはヘッダーを固定しているため、アンカーリンクを設置するとジャンプした先でヘッダーの高さ分、位置が下にズレてしまうのです。

これがどうも気になります。

 

今回調整したのは「全国の道場一覧」ページ内でのアンカーリンクです。

人間禅には北海道から九州まで全国に座禅道場がありますが、たとえば「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県という見出しと茨城支部から下が見えるようになるはずなのに、房総支部辺りから下が見えるような状態だったのです。

とすると、茨城支部を見たいのに関東近県には茨城支部が見当たらないということになってしまうわけで困っていました。

 

CSSで調整する方法やjavascriptで調整する方法もあるようですが、素人の私はできるだけ触りたくない部分。

htmlだけでなんとかしたいので、下がる分だけアンカーポイントを上げればいいだろうと考えました。

ついでに、HTML5ではname属性というのが非推奨らしいので、id属性で作成しなおしました。

 

 

ここからが本題。

「全国の道場一覧」ページでのページ内アンカーリンクの微調整方法を書いていきます。

 

まず、大見出しにアンカーポイントを作成しました。

ソースコード

<h3><a id="全国の道場一覧"></a>全国の道場一覧</h3>

そして、「トップに戻る」という文を各地区の下に設置しました。

で、そこに

ソースコード

<p><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

というリンクを張りました。

その後、各地区のアンカーポイントを作成。

たとえば「関東近県」ならそのすぐ上の「トップに戻る」にアンカーポイントを付け足すように設置しました。

ソースコード

<p><a id="関東近県"></a><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

 

これで、「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県の見出しから下が表示されるようになりました。

フォントサイズなども関係してくるとは思いますが、二行上にアンカーポイントを設置するとよさそうです。

今度は東京支部のページでもページ内リンクを作成してみようと思います。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by | 19:51 | 東京・日暮里の座禅道場【擇木禅道場】 | comments(0) | - |
釈尊の呼吸法(2)

 

外国人観光客が減少した狸小路


釈尊の呼吸法(2)

 

大安般守意経に「数息を地と為し、相随を犂と為し、止を軛と為し、観を種と為し、環を雨と為し、浄を行と為す。是の如き六事は乃ち道に随うなり」とあり、呼吸を農作業に譬えています。
 

先ず「数息」についてですが、人間の体表面は畳一枚ほどの表面積で、身体の50兆〜60兆の全細胞のガス交換は肺のガス交換を媒介としております。つまり、酸素を血中(動脈血内)に取り入れ、炭酸ガスを対外に排除します。呼吸を正しくしてやれば血液、細胞が清められ、肺のガス交換が活発に行われ、細胞の活力も高まります。
 

心身を汚すものは第一に外部から侵入するもの、第二に内部から侵入するものがあり、前者は色、声、香、味、触の五境、後者は雑念、妄想であります。外部からのものを遮断するには数息の吸気数息、内からの雑念、妄念は呼気呼吸を用いる。つまり、出る息と共に痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどを長呼気、または力強く吐き出す息とともに対外に吐き出してしまいます。一度に処理できないでしょうから何回でも分けて吐き出します。
 

これは欠気一息(かんきいっそく)といって、吾人間禅でも、坐禅工夫に入る前に行うことを奨めております。欠気(かんき)というのは、胸から腹の奥底までたまっている息を全部吐き出し、新たな息を吸い込む深呼吸のことです。
 

その深呼吸のやり方は鼻から空気を腹部、胸部そして肺の尖部のすみずみまで吸い、そのまま息を吐き出さずに肩甲骨を下げると自然に横隔膜が下がるので、肺のすみずみまで空気がしみ通るように感じられます。そして、丹田をへこまさずに、徐々に鼻孔から細く長く吐きつくす。この時、痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどの悪感情も一緒に外にはき尽くすのです。これらを2〜3回繰り返すと静坐に入り易いのです。

二番目の「相随」とは上達した数息から息を数えることを放った呼吸のことで、随息観のことです。数息が上達すれば自ずから出息長となり、その上達した数息から数を数えることから意(こころ)を放てば、そのまま相随となります。

「相随は五蘊(ごうん)と六入に随わず、息と意に相随うなり」とあります。五蘊は色、受、想、行、識で物質界とそれを認識する人間の精神作用、六入とは色、声、香、味、触の五境に意識を加えた六識のことです。相随で心身一如となるということです。

三番目の「止」とは坐禅をしていると心は雑念、妄想に悩まされます。それを一境に止めようというものです。止の方法は4つあり、数止・相随止・鼻頭止・息心止で一の数止は数を数えることに意識を集中する方法、二の相随止は意(こころ)と呼吸とを相い随わせることによる方法、三の鼻頭止は入息・出息ともに跡をつけていけば入出息とも鼻頭でそれが停止する、四の息心止は意を呼吸のみに傾ける、それによって止を得るというものです。

このうち鼻頭止というのは古来から「眼半目を以って、鼻端を守る」といって、両眼にて自分の鼻の先を凝視してみるのもよいでしょう。
 

四番目の「観」とは五蘊を観ずることです。呼吸をしていてどうも具合がよくないなと思う時は「観」と身体とがしっくり行っていない。つまり体の調子が調わないとき、あるいは心の在り方がよくないと呼吸も正しくできない。観は観察、思い浮かべることで、こうなっていけばよいとか、こうなっては好ましくないなどと心に計らいがあると、正しい観察ができなくなる。そうしたものを心から取り去って初めて正しい観察が出来きます。観察が正しく行われるには出る息を長くして、心身を整えることが必要で長呼気は自然の同化にもっとも役立つ呼吸です。
 

五番目の「環」とは悪を棄てることです。「意は人の種なり。是を名付けて環となす。環とは意にまた悪を起こさぬをいう」とあります。心と身体はもともと一体のもので、意は人の種とは、意が中心であること。欲望を野放しにしておけば自己の内部から好ましくないものが顔を出そうとしまいます。環とは冷静な自己観察のことで、釈尊は簡潔に悪を起こさぬことだと言われました。体の悪とは殺、盗、婬、悪口、妄言、綺語(かざり言葉)です。心の悪とは貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴です。自己の内部には善いものと悪いものが混在しており、その中の悪いものは容赦なく叩きだしてしまうのが環の目的です。

最後の六番目の「浄」は行であります。数息は大地、相随は犂、止を軛、観を種、環は雨と譬えのに対し、浄は行に譬えました。前の五条件が揃えば、次に実行が必要です。
 

「諸の所貪欲を不浄と為す」と経にあり。浄は念(おもい)を断つことであり、所有なしで大自然の運行と共にあることが浄で、大自然そのものが浄です。 
 

以上 纏めますと眼や耳などから入ってくる外界のわずらわしさを遮断するには数息がいいし、意を斂むるには相随がよい。止は意(こころ)を安定させ、観は不必要な念(おもい)から離れさせ、環は意を一つに向け、浄は以上を実践するという訳です。


釈尊の呼吸法(3)に続く 千葉 金風記  札幌支部

posted by ただいま禅の修行中 | 13:45 | 札幌座禅道場(石狩禅道場) | comments(0) | - |