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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
正しい目標を持てば楽しくなる〜小川忠太郎先生剣道話(56)〜

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試合ばかりやっていればどうなるか?

相手は「当てっこ」がうまい。しまいには、ごまかす事ばかりうまくなる。そうすると、「ごまかし人間」になっちゃう。 大変な事だ。

真っ直ぐやっていると、いくつになっても伸びるからね。だんだんやっていると楽しくなってくる。
私なんか、どっちかっていうと、楽しいから一生やったんだな。初めは剣道を専門にやるとは思わなかった。
正しい目標を持てば楽しくなる。

小さい者には分からないだろうが、大きい者は、おかしなごまかし 稽古を見て、「嫌だなぁ」という気持ちが出てくるという所まで行かなくちゃいけないね。
そうなると、そういう嫌なものが来ても、こっちがそれに染まらなくなる。

「嫌だなぁ」と思っても、それと一緒になっちゃ駄目だ。
社会でもそうだね。おかしな人がいるからね。初めは「嫌だなぁ」と思っていても、そのうち嫌だと思わなくなっちゃう。

そういう(おかしな)人がこちらを見習うようになればいい。それが教育だ。
いい稽古をすれば、口で言わなくとも人がそれを見習うようになる
道を説くのでもそうだね。本当にやっている人は、黙っていて、周りの人を感化しちゃうんだな。

この間、中江藤樹という人の書いた物を見た。
41歳で死んでいるけどね。この人は、自分の身を修めるという事だけをした人だけれども。この人の周りには、 悪いことをする人が居なかったそうだ。
大したものだね。

理屈を言うんじゃない。この人は、本当の学問をやった。

剣道だって、本当の剣道もあるし、「当てっこ」の稽古もあるしね。学問だって、本当の学問もあれば、理屈だけの学問もある。
中江藤樹は、本当の学問をした人だ。

昭和56年12月13日
宏道会剣道場にて述。
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成…栗山令道(中央支部)

#剣道部 #宏道会

posted by | 18:20 | 中央支部 | comments(0) | - |
70の手習い。本日のお題は「心外無別法」

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  2016年月頃から、毎週土曜日、宏道会の剣道場で行われている書道教室に参加している。先生は書道歴50年以上の宏道会の剣道の仲間で、生徒も剣道の仲間人である。その中には小学生が3人おり、お母さんも参加している。

 先生がお手本を書いてくれる。子供たちには、好きな漢字を選ばせ、正しい書き順で楷書の練習をさせる。大人たちは、如々庵芳賀洞然老師の著書『新版一行物 禅語の茶掛』から五字のものを選んで練習する。先生が楷書、行書、草書の順でお手本を書いてくれる。最初は楷書の練習をして、作品を提出すると、先生が花丸の「よくできました」のハンコを押してくれ、次に練習する行書のお手本を書いて渡してくれるという具合である。

 練習を始めて四年半になるが、いっこうに上達した気配がない。わたしに対する周囲の認識も同様で、先週の土曜日など、書道の稽古に出かけようとすると、女房が「どこへ行くの? お習字?」と訊く。「ウン」と答えて家を出て剣道場に着くと、新型コロナで通常の稽古がないため、ひとりで素振りの稽古に来ていた宏道会の会員が「清巖さん、お習字ですか?」と訊く。どう見ても、わたしは「書道」というガラではないらしい。

 

 本日のわたしの草書の作品「心外無別法」

 

 しかし、わたし自身は本気である。この四年半、自宅でほとんど毎日練習している。きょう(令和2月23日)のお題は「心外無別法」であった。「心外(しんげ)に別法(べっぽう)無し」と読む。如々庵老師の解説には「欲界・色界・無色界の三界、すなわち宇宙空間に存在するものはすべて、みなただ一心の顕現したものであり、この一心と無縁に存在するものは何一つない。

 心と仏と衆生の三者は、名称がちがうとおり、一応、別のものといえば別ものではあるが、その本体からみると同じであり、その間に差別はない」とある。これだけだと唯心論的な誤解が生じる可能性があるので、さらに分かりやすく「ここでいう一心とは、人間をはじめ万物がそこから生まれ、またそこに帰るところの宇宙の大生命、仏教のいわゆる如(にょ)、儒教のいわゆる天命、老子のいうところの大道の謂いなのである。したがってこの句の真正の意味は、この宇宙空間に存在する一切のもの、人間をはじめ万物はみな宇宙の大生命・如の発露したものであり、この宇宙の大生命・如の顕現でないものは何一つない、ということなのである」と解説されており、勉強になる。

 ともかく、書道は動中の工夫であり、何よりも「一行三昧」に徹することである。だから「下手でもよい」、そう思って70の手習いに励んでいる。

 

平川清巌(中央支部) #書道

 

posted by | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
ドクダミの花

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東京支部の黄玉さんがFBにドクダミの花をアップしています。

どうぞご覧ください。

 

  (東京支部)

posted by | 10:25 | 東京支部 | comments(0) | - |
いつの日か

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 私の職業は電気設備工事の技術系事務職員で、横浜みなとみらい地区に新築される某ホテルと商業施設の建設事務所に勤務しております。

 建設現場の現状は基礎工事の段階ですが、基本設計図書に基づいて高品質で効率よく安全な電気設備を構築するための詳細施工方法の検討と施工図面等を作成している最中です。

 2年後には外資系の一流ホテルが完成し、いつの日か、この建物を訪れる人々にいつまでも幸せな思い出を胸に刻んでいただけるような施設を完成すべき日々励んでおります。

 

 国府台の豊かな森に包まれた人間禅道場中央支部においては、建築後半世紀以上経過した禅堂等の営繕係でもあります。

 支部営繕の係員の中に老年の自称“永遠の匠の卵”が2名在籍しています。その一人が私です。

 今年になってから営繕で手掛けた傑作な作品が2つあります。ひとつは両忘塔に上る階段入り口に設けた藤棚、もうひとつは北寮茶室の待合い屋根張替えの二物件です。

 藤棚とはいえ、今はただの潜り棚にすぎませんが、いつの日か、季節に合わせて美しい薄紫の藤花がこの棚を一面の幻想の世界に染めあげ、新緑のさわやかな風に波打つ花園の光景が観られることを楽しみにしています。

 

 

 人間禅では何事にも対応する際に心がける戒めがあります。それは、「段取り・真剣・後始末」の三つの戒めです。

 いつの日か、社会並びに道場の諸行事において事に当たる際に、この戒めを恥ずることなく実行しうる会員になりたいものです。

 

中央支部 佐瀬泰山 拝

 

posted by | 16:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
仰げば尊し・・・小川先生(無得庵刀耕老居士)のエピソード

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人間禅中央支部の岡根谷無刀です。

 

2020年5月17日(日)

 

コロナ禍で剣道場は閉鎖状態ですが、普段通り、まずは道場前の道路を掃いて、禅堂で一炷香。

やっぱり、禅堂で坐るのはいい。

帰りがけ剣道場わきで、道場を振り返ると、空は晴天、理屈なくすがすがしい気分になる。

 

 

私の師匠小川先生(無得庵小川刀耕)の人生が思い起こされる。

先生は、戦後7年間(1945年〜1952年)剣道が禁止され、国士舘の剣道教師の職を失い、サツマイモを作って一家を支えた。

その間も人間禅の総務長として修行にまい進、多くのエピソードをお聞きしている。

・極貧生活であったが「自主的貧乏は、為になる」と。

・サツマイモと合わせて育てていた落花生を盗まれた時「もっと困っている人にさしあげたのだからいいじゃないか」と。

・古材で弟子たちが家を建ててくれた後に「何もお礼に差し上げるものがない、お礼に稽古」と言って、庭に蓆(むしろ)を敷いて切り返しをしたと。

 

今回のコロナ禍など比較にもならないが、同じ志をもって難局を糧にしていきたい。

 

#剣道部 #宏道会

 

 

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(1) | - |
【坐る】

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知多禅会 玉風です。

コロナの影響で摂心会の延期(中止)、静坐会(座禅会)も会場の都合で中止ってことで禅の事を忘れそうです(笑)

忘れないようにブログも書いておかないと。

人間禅の先輩の方々には叱られそうな、ゆる〜い私ですが、忘れてないのは

【坐る】事です。

 

などと書きつつ、実は人間禅に入る前は「座禅」に興味は全然ありませんでした。

むしろ、座禅してどうなるの? と思ってました。よく言われるように「無」になりたい、とか、悩みがある、とか、坐って心落ち着かせたい、とか、そういった気持ちは全然無し(笑)

坐る時間があるなら、本とか読みたいし、洗濯物も干したいし、茶碗も洗いたいし、何なら昼寝したい。くらいの感じでした。

 

じゃあ、なぜ禅? そして人間禅に?

人間禅に入った理由はいくつかありますが、一つには「参禅」というものを知り、興味が沸いたから、です。そのほかの理由は次にして(次があるんか〜い)

参禅という体験は「なんじゃ、こりゃ?」の世界でした。

 

だから、しばらくは坐ることは苦手でした。

でもでも、あぁでも、こうやって少しずつでも続けていくと

「参禅」も苦しくて面白いんですが(Mか?)

「坐る」こともとても大切というのがわかってきました。

 

そしてコロナ騒動で図らずとも増えたSTAY HOMEの時間。

とはいえ、チビッコギャングの孫3人と暮らす私にとっては自宅で坐る時間は普段から捻出が難しい・・・

しかしながら、摂心会も静坐会(座禅会)も中止、となればどこでいつ坐るの〜?

 

そんな状況の中、驚いたことに「坐りたい!」と思うようになったのです。

今? と思われるかもしれませんが、今までは漠然とした義務感、坐らないといけないかな? というような気持ちで坐っていたのかもしれません。

正直に言うと、いやいや坐ってた日も無きにしも非ず・・・。チーン・・・

(この告白で厳しい風当たりにならないことを祈る。合掌)

↓気分はこんな感じ? 坐るという呪縛(笑)

 

​

 

でも、強制的にでも坐っていたことは決して無駄では無く。

自然と朝に晩に「坐りたいなぁ」と思うようになったのです。

気がつくと日常の中で

「あれ? 坐りたい? 優先順位1位?」という風に思うようになり、坐る時間も回数も増えることに。

ふふふふふふ、すごいじゃん、私。

などと思うところがまだまだまだまだ浅はかな未熟者でして。

すごいのは決して私では無く、坐禅(座禅)なんですが。

 

という具合に坐ることも苦しくて面白くなった(笑)STAY HOME。

ふとした瞬間に坐りたいと思う、そんな感覚を覚え。

チビッコギャングに振り回されつつ、時間がないからこそ坐り。

坐る時間の豊かさに気付かされたSTAY HOMEでもありました。

 

忙しさ 坐る時間を 作りけり。

 

家事と育児? に専念し、かえって自由な時間が取り上がられた感なSTAY HOME。

そろそろ、アフターコロナに向けて心の準備しないと。

 

​​​知多の紫陽花

 

↑我が家の紫陽花。季節は確実に移ろいを見せて。

 

どちらにしても坐ることを大切に。 合掌  

 

  知多禅会 河口玉風

posted by | 07:23 | 知多禅会 | comments(0) | - |
禅と私(夢遊 名古屋支部)

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シリーズ「女性と禅」 第2回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。
禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

私にとっての禅との出会いは、2015年の春。

ちょうど40歳になった頃でした。

 

大阪で生まれ、大学を卒業して、幼児教育にかかわる会社に就職。

最初は厳しかった仕事も続けていくうちにやりたかったこともできるようになりました。

30歳で結婚して、二人の子どもにも恵まれ、その場その場では大変なことやつらかったこともありましたが、振り返ってみて一言でいうと、“やりたいようになってきた”、そんな人生を送っていました。

そんな中、子育てとの両立のため転職。

その会社で任せていただいた役割がどんどん大きくなっていきました。

そのころは頼まれると断れなかった私は、まだ保育園の子どもがいるにもかかわらず、終電まで仕事をしたり、休日出勤までしたり、、、そんな日々に飲み込まれてもいました。

30代後半になった頃、ふと、自分のこれからの人生を考えて、40代以降の自分が全くイメージできないことに気づきました。

振り返ると、そのころ、私の周りには同じ世代で頑張っている女性はたくさんいましたが、人生の先輩である女性たちは、なんだか大変そうに見えることが多かったのです。

「40代になっても私はこのペースで働くのだろうか。そのうちに子どもたちが大きくなって手が離れてしまう・・・私ってホントにそれでいいのかな」と考えるようになりました。

そんな時に、偶然、ドリームマップというツールに出会い、自分自身の本当にやりたいこと、望んでいる未来は何なのか、考えるきっかけをもらい、これをもっと多くの人に知ってもらいたい、と再度転職し、その普及に携わることになりました。

 

ドリームマップでも、最初は、家族と仕事を無理なく両立させようとしていたのですが、どうも性分なのでしょうか、そのうちまた仕事の比重が大きくなってきました。

というのは、インターネットやSNSの発達で勤務時間や働く場所は自由に選択できたのですが、逆に、いつでもどこでもつながってしまうことで区切り目がなくなり、それまで以上に時間があっという間にすぎていってとどめようもない、という感覚を味わうようになっていったからです。

私が子どもの頃から大好きな本でドイツの作家ミヒャエルエンデの「モモ」があります。時間泥棒が人々に「時間を貯蓄すれば命が増える」と勧め、便利や効率に目を奪われた人々は、せかせかと生活をするようになり、人生を楽しむことを忘れてしまう、ということを通して人生で本当に大切なものは何かを考えさせられるお話です。

ふと、「モモ」に登場する町の人たちのようになっている自分に気づき、どこかで立ち止まり、自分自身にとって大切なことを見失わないようにする場があったらいいのに、と思うようになっていました。

そんな時、最初の会社で数年共に仕事をしていて仲の良かった、現在は岐阜禅会長の渡辺玉蘭さんが、Facebookで「座禅女子会」のお知らせを投稿していたのが私と禅との出会いでした。

それまで、仏教にも興味がなく、禅=座禅、バシッとたたかれる、というイメージしかなかった私。

ですがこの時「座禅なら、この飛ぶように過ぎていく時間もリセットできるかも」となんとなく思い、「久しぶりに会いに行ってみよう」というぐらいの気持ちで座禅女子会に参加したのが人間禅との出会いになりました。

 

今となっては最初は想像もしなかったほど、私にとって、本当に大事な時間であり、場となっています。

その理由は、まず、母でも、妻でも、娘でも、姉でも、仕事上の私でもない、ただ私自身としていられる場であること。

また、仕事や家庭生活の中でも自分の力だけでは何ともならないこと、予想もしないことが起きたりすることは多々あります。

しかし、そんな時でも、自分自身を整える日々の座禅があること、更に、参禅という場があることで、その時々に「外的要因はいろいろあるけれど、その解決は自分自身の中にある」と感じたり、そんな風に言葉にはならないことなのですが「あ〜、そういうことだったのか」とおなかの底の方から様々気づかせて頂ける機会であることが、本当に有難く貴重な場であると思っています。

そして、もう一つ。

コツコツと自分一人で続けていくことは本当に大変なことだと思います(私にとっては特に)が、老師がいらっしゃり、諸先輩方がいらっしゃり、ともに歩む道友がいるからこそ続けていけることだとも感じています。

 

禅と出会ったことで、今携わっているドリームマップについても、それぞれの人生を深く味わうきっかけとして活用できるのではないか、と、より深く、その意義やドリームマップというきっかけを多くの方に提供する役割としての在り方に気づかせていただく日々です。

 

これからも続く長い道を、皆様にご指導いただきながら歩んでいければと考えております。

 

ご縁に感謝して。

  合掌 夢遊(名古屋支部) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

posted by | 21:50 | 名古屋支部 | comments(0) | - |
グーペでのアンカーリンク(ページ内リンク)をhtmlだけで微調整する方法

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人間禅ではグーペというホームページ作成ツールを使っています。

初心者の私が使うにしてもまぁまぁ扱いやすいのですが、それでも「どうしたらいいの!」という部分もあります。

そりゃ、多々あります。

で、ひとつクリアしたみたいなので忘備録として載せておこうと思います。

たぶん邪道で、しかもSEO的によい方法かどうか疑問なところが残念ですが。

 

何ができたかというと「ページ内リンクの微調整」です。

結論から先に言うと、グーペのヘッダー固定のデザインでは「二行上にアンカーポイントを設置」すればいいみたい、ってことです。

 

専門家ならサクッとしかももっと効率よくできることだとは思いますが、なにせホームページ初心者ですから「アンカーリンクってなんぞや?」というところから入りました。

アンカーリンクとは簡単に言うと「任意の場所にリンクさせる仕組み」のこと。

ただ、人間禅のホームページで使っているデザインはヘッダーを固定しているため、アンカーリンクを設置するとジャンプした先でヘッダーの高さ分、位置が下にズレてしまうのです。

これがどうも気になります。

 

今回調整したのは「全国の道場一覧」ページ内でのアンカーリンクです。

人間禅には北海道から九州まで全国に座禅道場がありますが、たとえば「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県という見出しと茨城支部から下が見えるようになるはずなのに、房総支部辺りから下が見えるような状態だったのです。

とすると、茨城支部を見たいのに関東近県には茨城支部が見当たらないということになってしまうわけで困っていました。

 

CSSで調整する方法やjavascriptで調整する方法もあるようですが、素人の私はできるだけ触りたくない部分。

htmlだけでなんとかしたいので、下がる分だけアンカーポイントを上げればいいだろうと考えました。

ついでに、HTML5ではname属性というのが非推奨らしいので、id属性で作成しなおしました。

 

 

ここからが本題。

「全国の道場一覧」ページでのページ内アンカーリンクの微調整方法を書いていきます。

 

まず、大見出しにアンカーポイントを作成しました。

ソースコード

<h3><a id="全国の道場一覧"></a>全国の道場一覧</h3>

そして、「トップに戻る」という文を各地区の下に設置しました。

で、そこに

ソースコード

<p><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

というリンクを張りました。

その後、各地区のアンカーポイントを作成。

たとえば「関東近県」ならそのすぐ上の「トップに戻る」にアンカーポイントを付け足すように設置しました。

ソースコード

<p><a id="関東近県"></a><a href="#全国の道場一覧">トップに戻る</a></p>

 

これで、「関東近県ブロック」をクリックすると関東近県の見出しから下が表示されるようになりました。

フォントサイズなども関係してくるとは思いますが、二行上にアンカーポイントを設置するとよさそうです。

今度は東京支部のページでもページ内リンクを作成してみようと思います。

  合掌 翡翠(東京支部)

posted by | 19:51 | 東京支部 | comments(0) | - |
釈尊の呼吸法(2)

 

 

 

外国人観光客が減少した狸小路


釈尊の呼吸法(2)

 

大安般守意経に「数息を地と為し、相随を犂と為し、止を軛と為し、観を種と為し、環を雨と為し、浄を行と為す。是の如き六事は乃ち道に随うなり」とあり、呼吸を農作業に譬えています。
 

先ず「数息」についてですが、人間の体表面は畳一枚ほどの表面積で、身体の50兆〜60兆の全細胞のガス交換は肺のガス交換を媒介としております。つまり、酸素を血中(動脈血内)に取り入れ、炭酸ガスを対外に排除します。呼吸を正しくしてやれば血液、細胞が清められ、肺のガス交換が活発に行われ、細胞の活力も高まります。
 

心身を汚すものは第一に外部から侵入するもの、第二に内部から侵入するものがあり、前者は色、声、香、味、触の五境、後者は雑念、妄想であります。外部からのものを遮断するには数息の吸気数息、内からの雑念、妄念は呼気呼吸を用いる。つまり、出る息と共に痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどを長呼気、または力強く吐き出す息とともに対外に吐き出してしまいます。一度に処理できないでしょうから何回でも分けて吐き出します。
 

これは欠気一息(かんきいっそく)といって、吾人間禅でも、坐禅工夫に入る前に行うことを奨めております。欠気(かんき)というのは、胸から腹の奥底までたまっている息を全部吐き出し、新たな息を吸い込む深呼吸のことです。
 

その深呼吸のやり方は鼻から空気を腹部、胸部そして肺の尖部のすみずみまで吸い、そのまま息を吐き出さずに肩甲骨を下げると自然に横隔膜が下がるので、肺のすみずみまで空気がしみ通るように感じられます。そして、丹田をへこまさずに、徐々に鼻孔から細く長く吐きつくす。この時、痛み、悲しみ、妬み、悶え、怨みなどの悪感情も一緒に外にはき尽くすのです。これらを2〜3回繰り返すと静坐に入り易いのです。

二番目の「相随」とは上達した数息から息を数えることを放った呼吸のことで、随息観のことです。数息が上達すれば自ずから出息長となり、その上達した数息から数を数えることから意(こころ)を放てば、そのまま相随となります。

「相随は五蘊(ごうん)と六入に随わず、息と意に相随うなり」とあります。五蘊は色、受、想、行、識で物質界とそれを認識する人間の精神作用、六入とは色、声、香、味、触の五境に意識を加えた六識のことです。相随で心身一如となるということです。

三番目の「止」とは坐禅をしていると心は雑念、妄想に悩まされます。それを一境に止めようというものです。止の方法は4つあり、数止・相随止・鼻頭止・息心止で一の数止は数を数えることに意識を集中する方法、二の相随止は意(こころ)と呼吸とを相い随わせることによる方法、三の鼻頭止は入息・出息ともに跡をつけていけば入出息とも鼻頭でそれが停止する、四の息心止は意を呼吸のみに傾ける、それによって止を得るというものです。

このうち鼻頭止というのは古来から「眼半目を以って、鼻端を守る」といって、両眼にて自分の鼻の先を凝視してみるのもよいでしょう。
 

四番目の「観」とは五蘊を観ずることです。呼吸をしていてどうも具合がよくないなと思う時は「観」と身体とがしっくり行っていない。つまり体の調子が調わないとき、あるいは心の在り方がよくないと呼吸も正しくできない。観は観察、思い浮かべることで、こうなっていけばよいとか、こうなっては好ましくないなどと心に計らいがあると、正しい観察ができなくなる。そうしたものを心から取り去って初めて正しい観察が出来きます。観察が正しく行われるには出る息を長くして、心身を整えることが必要で長呼気は自然の同化にもっとも役立つ呼吸です。
 

五番目の「環」とは悪を棄てることです。「意は人の種なり。是を名付けて環となす。環とは意にまた悪を起こさぬをいう」とあります。心と身体はもともと一体のもので、意は人の種とは、意が中心であること。欲望を野放しにしておけば自己の内部から好ましくないものが顔を出そうとしまいます。環とは冷静な自己観察のことで、釈尊は簡潔に悪を起こさぬことだと言われました。体の悪とは殺、盗、婬、悪口、妄言、綺語(かざり言葉)です。心の悪とは貪欲、瞋恚(しんに)、愚痴です。自己の内部には善いものと悪いものが混在しており、その中の悪いものは容赦なく叩きだしてしまうのが環の目的です。

最後の六番目の「浄」は行であります。数息は大地、相随は犂、止を軛、観を種、環は雨と譬えのに対し、浄は行に譬えました。前の五条件が揃えば、次に実行が必要です。
 

「諸の所貪欲を不浄と為す」と経にあり。浄は念(おもい)を断つことであり、所有なしで大自然の運行と共にあることが浄で、大自然そのものが浄です。 
 

以上 纏めますと眼や耳などから入ってくる外界のわずらわしさを遮断するには数息がいいし、意を斂むるには相随がよい。止は意(こころ)を安定させ、観は不必要な念(おもい)から離れさせ、環は意を一つに向け、浄は以上を実践するという訳です。


釈尊の呼吸法(3)に続く 千葉 金風記  札幌支部

posted by ただいま禅の修行中 | 13:45 | 札幌支部 | comments(0) | - |
座禅一年生の歩み

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シリーズ「女性と禅」 第1回

人間禅女性部で毎年発刊している「あけぼの」から、禅の修行に関する随筆を抜粋してみました。
禅の修行は実際にやってみないとわからないことが多く、また専門用語も多く出てきますが、どのような思いで修行しているのかをお汲み取りいただければ幸いです。

 

人はそれぞれに道のりを刻み、此処にいると思います。

キャリア教育の分野で以前から親交のあった夢遊禅子からのご縁で、私は昨年4月末初めて名古屋支部の摂心会に参加しました。

面談の際に総裁老師より『絶対樹と相対樹に観る人間形成』についてのお話を伺い「あらゆる事象に当てはまる!まさに!」と、とても感銘を受けました。

それは、座禅という新たな扉を開き歩み出る私を後押ししましたし、総裁老師著書『坐禅の効用』にも示される、参禅弁道と日常の数息感による坐の行、この両輪の大切さを肝に銘じることにつながっています。

また仕事の展開を考慮する際の観点にもなっており、思考・行動の確認とこれからの変化をもたらす大いなる智慧として私の中でずっと息づいていくことでしょう。

 

「本来の面目如何?」と問われて約一年を迎えようとしている昨今、参禅会や諸先輩方々の所作を通じ改めて「知らないと知るは大違い」「知っているとできるも大違い」ということを遭遇する事象・言葉の意味の重さと深さも含めしみじみ味わっています。

礼拝を例にしても、初めは形を教えて頂きまねをすることしかできませんが、心と想いの込められた老師の礼拝する姿を目の当たりにしてその意義に感じ入ると、自分なりの三昧で臨むようになります。

毎日の一日一炷香の大切さは聞いて知ってはいるけれど、行を継続したものにしか感じることができない効用なので、身に付くまでできるには至りません。

「命を懸けて参ぜよ!」との老師のお言葉に、一生懸命はしているけれど、命がけを体現するとは?と、まだまだ未知の感覚を前に茫然となります。

反面自分の無知があからさまになることで、好奇心のエネルギーが湧いてくることも感じます。

 

一つの公案に長らく向き合い工夫三昧するうちに「ん!?」と気づきが降りてきて、現実の出来事を捉えるときの理解に結びついて心がすっきりすると、もっと深くその公案の言わんとするところを感じ取りたいという想いが湧いてくるのです。

 

先の名古屋支部摂心会では金剛庵老師から「一畝之地、三蛇九鼠(いっぽしち さんじゃきゅうそ)の心中」という興味深いお話を頂き、岐阜座禅会洞戸摂心会にては総裁老師より、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を深く味わう機会がありました。

知らないことを知る楽しさ、知るを腹落ちさせる清々しさ、師家在りきによって味わえる貴重な学びは、人間禅ならではのことだと思います。

もちろん修行をされてきた諸先輩方々のひたむきな姿や所作の伝授、お気遣いある言葉がけからも多くの刺激と教えられることが沢山あり、感嘆し感謝するばかりです。

 

私は、子ども・学生のキャリア教育や企業等の人材育成に関わる研修講師、また、着付けの講師等を主な仕事としています。

名古屋モード学園にて7年前から美容系の学生たちを対象とした着物着付け授業を担当してきました。

2時間×14コマで検定課題は、[15分で着物と名古屋帯を自分で着装]です。

単に着る技術を教えても40名全員が検定をクリアできません。

できるまでとことん繰り返すことと、集中すること、ゴールに向かう意思を持つこと、弱音を吐かない心を養うことが大切です。

サイエンスとスピリッツ、ここも『絶対樹と相対樹』の話が当てはまり、大いに納得する学生の事例が毎年存在します。

私の座禅修業は始まったばかりで、道眼、道力を養う道のりは厳しく果てしなく続くと思われます。

ですが新しい扉の先を進んでいくことで、未知の力を発揮する自分自身に気づく瞬間があり、それはこの先の人生をまだまだ豊かに楽しめる!という可能性に満ちた道のりだとも感じられるのです。

ご縁ある皆様方からの学びを、社会にてさらに活かすことのできる自分づくりを目指し、歩み続けたいと思います。

  白蓮(名古屋支部) (あけぼの第25号より抜粋)#女性部

 

posted by | 23:44 | 名古屋支部 | comments(0) | - |
饒舌な沈黙 〜仙空庵心耕老居士の一周忌に寄せて〜

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2020年5月14日――敬愛する仙空庵小川心耕老居士の一周忌でした。
宏道会では、先生方の呼びかけにより、個々に追憶尋思して偲びました。
いつも太陽のような笑顔で私たちに接してくださった心耕さん……との想い出の一端を回想してみたいと思います。

出会いは24年前、まだ私が出版社に勤めていた頃の話です。
ご尊父小川忠太郎先生(剣道範士九段、無得庵刀耕老居士)の稽古日誌「持田盛二範士十段との『百回稽古』」の単行本化にあたり、いいものを遺したい、ただその一念が却って邪魔をして、作業が遅々として進まない時期がありました。

世田谷の御宅を訪問して平身低頭の愚生に対して、

「父はよく言っておりました。火を点けていれば必ずお湯が沸く、と。まさに正念相続ですね」

この言葉に当時30歳の私はどんなに救われたか!
昭さん、ありがとうございます。

次にお逢いしたのは、熊谷での第1回刀耕忌を取材後、宏道会のメンバーに声をかけられて参加した日暮里・擇木禅道場での「小川忠太郎範士『剣道講話』輪読会」(剣書勉強会)でした。

茶話会の席上、翌朝、参禅を決意した私に対して、
「ああ、今夜は愉快だな。オヤジが生きていたら喜ぶぞ。もう一回乾杯しよう。僕はまだ、ちょっと参禅はご遠慮願いたいけれど(笑)」
ほどなくして昭さんも入会され、「心耕」の道号を授与されました。

同期の桜を集めて上野の鰻屋で盃を交わしたこともありました。

それからことあるごとに意気投合する呑兵衛の仲良し3人組が4人、5人……と増えていき、「心肴亭」なる酒場もあちこちにオープンしましたが、今はもう幻の名店であります。

徳利山さん(剣清庵令道老居士)と3人で春の房総を旅したこともありましたね。
電車に揺られ海辺の景色を見ながら秘蔵のどぶろくを飲み、うたた寝する心耕さん。
嵐の夜中に起き出して、シュポ、とくとくとく…、先立たれた奥さまのことを問わず語りされたこともありましたね。

里見の一本桜の下、菜の花に囲まれて呑んでいると、しばし沈黙が流れるときがありましたが、それがまた実にいいんですなぁ。

 

 2018年4月7日、小湊鐡道「里見」にて撮影

 

お互い無理に話題を作らなくても、心の中では饒舌に会話している、とでも申しましょうか。

言葉なんて要らない。

ウグイスが啼いている。

見上げれば空は快晴。

お互いに差しつ差されつ。余韻嫋々…

 

饒舌な沈黙、あれからなかなか味わうことができないでいます。

 

合掌

 

張替剣外(中央支部

 

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道場の5月の茶花

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市川の本部道場には多くの茶花が植えられていますので花が咲く時期に月毎に紹介をしてみます。

〔令和2年5月の中旬頃〕

【草花編】

 

1.あやめの紫色と白色が掲揚塔近くの茶花園で気品ある姿で咲いています。

 

2.ユキノシタの白と薄ピンク色が地面に丸い葉を広げて両忘塔斜面の他の植物に混ざって直立して咲いています。

 

3.二人静。直立し葉を4枚茎の上のほうに広げて其の中に白い花2本が直立して咲いています。ユキノシタと同じ場所に咲いています。

 

4.金蘭が苔山中心に26本黄色い花をつけて咲いています。昨年よりも多く咲きました。

 

5.えびね蘭の地味な色の花が咲いています。これは野生のえびね蘭ですが、道場の土地を好み毎年増えています。茶花園に咲いています。

 

6.なるこゆり(鳴子百合)。斑入りの鳴子百合が倉庫の前の大木の下にけなげに咲いています。

 

【樹木編】

1.はないかだ(花筏)。北寮茶室の近くの大きな石の傍に低木で一枚ごとに葉の真ん中に5ミリほどの薄緑の丸い形の花が咲いています。今年は昨年より多く花が咲きました。

 

2.つくばね(衝羽根)。ぽんておうちえんの外の水場の近くの茶花園に咲いております。3度目の正直でやっと根付いて来て花が沢山咲きました。この花は枝先に目立たない葉と同様の色で2ミリほどの大きさです。この花が注目されるのは、咲き終わって実になり、その実が羽子板で使う羽根に似ているからです。初釜の時期に茶花として多くもてはやされます。

 来年正月の初釜に使えたら嬉しいです。秋季摂心会ごろには実がなります。

 

佐藤妙珠(中央支部) #茶道部

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「一如、共育ち、一如」

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胎児、嬰児のまぶしい姿

未だことばを発しない光の玉

赤子たちも、この世の修行に臨んでいる

 

母体の生命力から生まれるホルモン分泌物は

おかあさんを外と内の別ないところへいざない、

臍を通じて 産道を進もう嬰児を、見えぬ手でたすける

 

胞衣(えな)と赤子、母はいっしょ 抱き抱かれて、初乳を食む

自と他とのさかいなしの光りのなかで

 

DNAとRNAの情報のおかげだけでは足らない

お産の知恵にまなぼう

 

へその緒をゆわくとき…が有る

母の頭に血がのぼらぬようねむろう…

赤子と一緒…どう眠ろう

 

おかあさんの安寧はおいしいおっぱいの味

赤子はおっぱいがおいしくないと直ぐわかる

…おっぱいは血液そのもの…

 

…おいしくない味を拒んで、あかちゃんのだ液が変化し…おっぱいはとまってしまう

 

言葉ではない赤ちゃんの表現をわかろうとする周囲のおとなたちや

お母さんの安心や気付きそのものでおっぱいはおいしくなってゆく

 

これからいのちを授かり、育てよう、未来のおかあさんをどうにかして

神聖なお産の場で守ってあげたいと思う。

人と人のつながりの実感が若いお母さんも育ちゆくように、

 

 

世の中の

マニュアルには書かれてないお祝いのときがある

 

乳離れ…赤ちゃんとお母さんが互いの自立を確かめ合うとき、おっぱいから離れてだいじょうぶだ!

 

最近、座右の銘のように、ある治療家のおかあさんと赤ちゃんのセミナー記録文、それからユニークなある物理学者の著書を読み進め、

また実母より聞かされた、むかしの知恵話とをひとつにし、子育ての経験がないのに恐縮ではございますが、

 

お産の道と誕生の道が本来ひとつ、で、

 

たいせつなおっぱいが育ててくれた繋がりの実感は

子、母、父の道のあらたなスタートになると考えてみる。

 

子どもたちには、そうして育てられた感性をちからに繋がる道を進んでいって欲しい。

 

起きてくる事象への反省の気持ちで書かせていただきました。

 

瀧口清韻(中央支部) #女性部

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一陶会と禅林さん

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中央支部の同好会に陶芸の「一陶会」がある。

15年前に発足した。

発起人は道友の、櫻井禅林さん。

彼は茶道に興味を持ち、道友の片野慈啓さんに弟子入りした。

慈啓さんは老大師の奥様、珠月様に有楽流の薫陶を受けられた。


有楽流では茶道具に自作の物を使う習わしがあり、老大師にも珠月様にも茶碗、茶杓ほか素晴らしい遺作が沢山ある。

そこで、禅林さんは自作の茶碗作りを発心し、道友の陶芸家、山下祖牛さんにご指導を仰ぐこととし、賛同者を募った。

それに乗ったのが私を含め道友及びその家族、約10名。

祖牛さんの陶芸の号「一歩」から一字貰って「一陶会」が発足した。

以来、月一回の会が続いている。現在、道友以外の参加者も多い。

 

その禅林さんが多くの病と闘われて、3月に亡くなられた。

一つ病気を乗り越える度に、聞いたのは「禅をやっていて本当に良かった。これで救われてきた。」との言葉であった。
私は禅林さんと一緒に人間禅に入会し、とても懇意にして頂いた。本当に淋しい。

 

 

 

彼から頂いた茶碗が写真Aである。

彼は沢山の抹茶茶碗を作られた。

ところで、禅林さんが盛んに誉めてくれた私の茶碗が写真Bである。

つい先日、その茶碗の上から物を落として粉々にしてしまった。

返す返すも残念で仕方ないが、きっと禅林さんのもとへ行ったに違いないと思っている。

 

木村桃雲(中央支部) #陶芸

 

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
江戸川土手散歩 〜菜の花〜

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コロナ自粛で身体がなまってはいけないと、

お天気の良い日は1万歩をメドに江戸川の土手まで往復することにしています。

3月10日ごろ矢切近くの土手の斜面には菜の花が咲き始めたばかり。

まだ蕾があったので、摘んで帰って、夕餉のおひたしにしました。

程よい辛みのしまりのよい味でした。

一合のお酒のあてにピッタリ!!

(お恥ずかしい話、この時点では食い意地が勝って、菜の花がきれいとは気が付いていませんでした)

 

江戸川土手 菜の花(土手上)

 

江戸川土手 菜の花(土手中腹)

 

3月21日病院の帰りに、お天気が良いので家まで歩いて帰ることにしました。

街中は避けたいので江戸川の土手に出て帰ろうと旧葛飾橋まで行くと、

土手の斜面一面に菜の花が咲いていました。

確かめてはいませんが、観光用に種をまいたのかと思わせる分量でした。

菜の花土手が約1kmにわたって続くのです。

いつも歩いている新葛飾橋より下流の土手では、こんな圧巻は見たことがありませんでした。

 

  土手覆ふ菜の花明り遠筑波   竜穏

 

  (中央支部) #俳句

posted by | 17:43 | 中央支部 | comments(0) | - |
新型コロナウイルス感染その後の話題

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新型コロナウイルス感染その後の話題

房総支部 仲野嶢山

 

 学校の休校、外出制限が奏功して新型コロナウイルス感染拡大の兆候が少し落ちついてきた印象があります。しかし現時点では、感染の拡大を遅らせることが辛うじてできたというだけです。依然としてほとんどの人は新型コロナウイルスに対する有効な抗体を持っていません。油断すると間違いなく第2波の流行拡大が懸念されます。

 新型コロナウイルス感染の収束には、ワクチンが開発されて世界中に行き渡るか、多くの人が感染して免疫を獲得する集団免疫が確立することが必要です。WHOの予測では現在新型コロナウイルスに対する抗体を保有しているのは世界の人口の2〜3%程度としています。先頃慶応大学病院の調査では、呼吸器感染症以外の疾患で入院した60数例の症例の6%に新型コロナウイルス抗体を確認できたとしています。都内の大学病院の入院患者を対象とした調査というバイアスがあるので、現時点ではここまでは高くないと思われます。神戸からの報告ですと、5月3日の報道で市立病院を受診した方1000名の検査で3.3%の抗体保有率とのことです。WHOの予想に近い数字ですので、現時点で日本人の3%程度は新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っていると考えられます。これらの数字については種々の議論が出ることが予想されますが、現段階で日本人300万人が不顕性感染して既に抗体を持っているということになります。集団免疫が機能するには全人口の60%以上の方に抗体ができることが必要と言われています。そうなるにはこの後ウイルス感染の爆発的な広がりが2〜3年続けば達成できる可能性のある数字です。それまでの間に、人類は新型コロナウイルスに対するワクチンを手にしない限り、コロナウイルス感染の恐怖から逃れられないのです。新型コロナウイルスに対するワクチンの実用化には1年から1年半は少なくとも必要そうです。過去に最も早く作成できて臨床に使われたウイルスに対するワクチンでも4年かかりました。そんなには待てません。一刻も早いワクチンの実用化が望まれます。

 日本人の3%が新型コロナウイルスに対する抗体を既に持っているということは、新聞報道されている1万5000人程度の顕性感染者の他に、その200倍以上の不顕性感染者300万人が日本にいることになります。この後不顕性感染が急速に広がり、知らないうちに新型コロナウイルスに対する抗体ができてくると、集団免疫が確立するまでの時間は予想されている期間より短いことも期待できます。そうなれば数年前の新型インフルエンザA型感染の時のように、しばらくするとあまり騒がれずに通常の感染症程度の扱いになるかもしれません。

 例年インフルエンザウイルス感染症で、高齢者を中心に約2000人の方が亡くなります。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは普段疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がコロナウイルス感染を心配してしっかりやっているためと思われます。コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減しているので、インフルエンザで亡くなる方の数も例年より少なくなることが予想されます。

 新型コロナウイルス感染症は、現時点では極めて感染性の高い疾患で、年配の方や合併症を有する方にとっては死亡率の高い恐ろしい疾患です。また、特に問題とならないだろうと考えられる人が重症化することも報告されています。こうした疾患にかからないようにするために個人が取れる感染予防対策を励行し、専門家が指摘するような「3密」を避け、不要不急の外出を控えて行きましょう。一見自由の制限に当たるように思われますが、今まであまりにも不用心で、体調に気配りのない生活に慣れてしまってきたようです。この辺で規則正しい、体内時計のリズムに合った、適度な量と質の食事を楽しく取り、適度な労働と運動を欠かさない禅者としての生活を他の見本となるよう送っていきましょう。 ( 房総支部 )

 

posted by ただいま禅の修行中 | 19:16 | 房総支部 | comments(1) | - |
思わぬ家族団欒の時間

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思わぬ家族団欒の時間

房総支部 仲野嶢山

 

新型コロナウイルス感染拡大防止の為、4月初旬に首都圏を中心に非常事態宣言が出されました。学校が休校になり、経済にも甚大な影響が出ています。私の勤務するクリニックも何とか診療を続けていますが、いつコロナウイルス患者が受診するかわからず、職員も最大限の注意を払い日々の仕事に当たっています。

 こんな中、都内の大学院に在学中の長女と群馬の大学に在学中の次女は大学での授業がなく、講義の再開のめども立たず千葉の自宅で待機の状態が続いています。大学進学の為に長女は家を離れて6年、次女は4年になります。子供たちが家を離れて寂しくなったと同時に、子供たちに振り回されない平穏な日々に慣れてしまった夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思いもよらない賑やかな家族団欒の時を与えてくれています。街の小さな診療所を開設している私だけでなく、県立病院の管理職になっている妻もコロナウイルス騒動で普段の仕事が激減し、思いもよらない時間の余裕を感じられる生活になりました。

 3月中旬以降、それまで毎週のように開催されていた摂心会や参禅会がほとんど中止になっています。月に3回から4回は週末の座禅会の行事に参加していた私ですが、座禅をするようになって以来初めてゴールデンウイークを自宅で堪能しています。妻も月に1回から2回参加していた国内外の医学会がすべて中止になっているので、家族4人が水入らずの濃密な時間を過ごしています。家族4人そろって朝食や夕食を取るのは長女が中学受験の準備を始めた15年前以来のことと思われます。休日の昼食も希望を出し合って皆の食べたいものを時間をかけて作り、わいわいやりながらゆっくり楽しんで食べています。こんな時間を過ごすことはもうないだろうとあきらめていた夫婦にとって、子供たちの自宅待機は思わぬ有意義な時間になっています。

 修士論文の作成に入った長女は時々パソコンで担当教授とネット会議しながら指示を貰い、必死に論文作成を進めています。傍ら自分で見つけて来た就職予定の会社の担当者と令和3年4月以降の海外派遣事業の段取りをしています。

次女は一日4〜6コマあるオンライン授業を聞きながら必死に勉強しているようです。医学部生の授業も担当している妻は群馬大学の臨床系の授業を娘と一緒に見ながら盛んに学生受けする講義のノウハウの取得に余念がありません。パソコンを駆使した双方向のリアルタイム講義は提供する側は大変でしょうが、学生には本当に理解しやすい講義です。講義が終わった後は仲の良い友達同士でテレビ会議をしながらわからなかったところや大切な部分を互いに教えあいながら復習しているようです。こうしたコンピューターや携帯を駆使した情報共有は若い人たちにとって当たり前で、我々の世代も乗り遅れないよう必死についていくしかないようです。

 いつしか家の中では役割分担ができて、家族それぞれが得意な分野を担当しています。私の担当は食材の買い出し、家庭ごみの管理、洗濯、お風呂洗いになりました。「父親に下着の洗濯までさせているとお嫁に行けないぞ。」なぞと口走ってしまうと、「何言ってるのよ。お嫁に行ってほしくないくせに。」とこちらの本音を見透かされているようです。

 まだまだコロナウイルス感染の危険が続き、すぐには自宅待機が解除される兆しはありません。大変な時期ですが家族団欒の時間をもう少し堪能したいと思います。(房総支部)

 

posted by ただいま禅の修行中 | 16:48 | 房総支部 | comments(0) | - |
コロナ禍に思う。今一度、原点回帰

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コロナでの外出自粛の為、自宅で料理する機会が増えました。

摂心会では典座係で色々工夫して料理しておりますが、自宅ではほとんど料理することはありません。

 

久しぶりにキッチンに立ち料理をしましたが、包丁がまったく切れない! 包丁研ぎから始まりました。

TVを見ておりますと、「包丁」の番組がありました。備中手打ち鍛冶「武田刃物工場」。思わず衝動買いしました。切れ味抜群です。

家庭用だと少し高価ですが、この切れ味ですと料理するのも楽しくなります。

受注生産なので3ヵ月待ちですが、待っても購入するだけの価値はあると思います。

 

 

緊急事態宣言が出され不自由な生活を余儀なくされておりますが、今までの生活習慣を見直す良い機会になったと思います。

TV放送で「緊急特別番組 寺島実郎の日本再生論−ポストコロナへの指針−」を拝見しました。

新型コロナウイルス問題の本質とは?

 

地球の歴史は46億年、微生物・細菌が登場して30億年、現生人類ホモサピエンスが登場したのが20万年前。人類は所詮、地球上では新参者。との事。

そう考えると、人間がウイルスを封じ込もうとすること自体、人間のエゴでは無いかと思います。

「新型コロナが問題を引き起こしたのではなく、人類が抱えていた問題の本質をあぶり出した」と。

 

環境問題、国家間摩擦、肥大化する金融市場、バーチャルリアリティ等。今一度、原点回帰が必要になっていると思います。

コンピュータは、目的に対する最適解を選び出すが涙はでない。涙がでる感覚こそ人間の本質。

人間の持つポテンシャルをいかに発揮できるかを大切にしたいと思います。

 

中央支部 有元龍石拝

posted by ただいま禅の修行中 | 06:00 | 中央支部 | comments(1) | - |
スペイン風邪の教訓

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スペイン風邪の教訓

房総支部 仲野嶢山

 

 新型コロナウイルス感染拡大で、想像もしたことがない耐久生活を強いられています。第三次世界大戦とも評され、先の大戦の実情を知らない人でも今の状況の異常性にほとほと嫌気がさしています。こうした新たにやってくるウイルス感染症は時として甚大な影響を世界中に起こします。経済的には1929年の世界恐慌以来のことと言われますが、医学的には今から100年ほど前に起こったスペイン風邪を思い起こさせるものです。その教訓を再度見つめ直し、今後に生かすためにスペイン風邪の被害について2020424日の朝日新聞「スペイン風邪に学ぶことは」という記事を参考に再度情報を整理してみます。

 スペイン風邪はインフルエンザウイルスA型の大流行で、1918年から1920年にかけて世界中で猛威を振るいました。数年前にも日本で新型インフルエンザウイルスA型が流行し、かなりの混乱が起きました。新型というだけで何か恐ろしいウイルスと恐れられましたが、実際には例年発症するインフルエンザと同程度ないしはやや軽いくらいの症状を起こすウイルスでした。当時鳥インフルエンザウイルスがかなり致死率の高い疾患として恐れられていましたが、それと同じくらい毒性が強いことを心配し、各地で新型インフルエンザの報道が出るとパニックになるような状況でした。でも、落ち着いてみると通常のインフルエンザワクチンも奏功し、抗インフルエンザ薬も十分に効果があり、例年のインフルエンザと変わりない対応で充分にコントロールできていました。それなのに感染初期に罹患した方は、周囲からかなりつらい仕打ちをされたような情報があります。

 今回も新型コロナウイルス感染が報道されると、種々の情報が錯綜して個人名やその所属先がネット上に暴露され、大きな人権侵害を引き起こしています。確かに現時点で新型コロナウイルスは恐ろしい印象が強いのですが、もう少し落ち着いて疾患概念が出そろうと、現在恐れられている状況とはかなり違うウイルスであることがわかってくると思います。

 スペイン風邪に話を戻します。スペイン風邪の際には当時の日本人の40%程度にあたる2400万人程度が感染し、死者が40万人に近かったようです。死亡率はおおよそ1.6%です。当時はかなりの死亡率と捉えられていましたが、特効薬やワクチンもなく、栄養状態も今よりかなり悪い時代で、ほとんど情報が入らなかった中で日本におけるこの数字は決して高くないと考えられます。今回の新型コロナウイルス感染は、スペイン風邪に比べれば現時点で23桁オーダーが小さい感染者数と思われます。ただ死亡率は現時点で0.72%と見積もられておりスペイン風邪と同程度です。

 スペイン風邪が流行した際には、当初運動会や遠足が中止になった程度ですが、その後小学校等の休校が相次いだようです。当時取られた対応法は、マスクの着用、うがいの励行、室内の換気、患者の隔離が主なもので、これは今回のコロナウイルスに対する呼びかけと全く同じで、今も100年前もあまり変わりがないようです。医療崩壊も当時問題になったようで、これも今と変わりがありません。当時と大きく異なるのは情報の量、人間の栄養状態、重症者に対する治療法と思われます。そのおかげで情報を入手し対応も取りやすいですし、生死の間をさまようような重症化例でも回復することが多いようです。一方で情報が独り歩きして過度な恐怖心や思わぬデマが広がるもとにもなっているようです。

 スペイン風邪が終息に向かったのは3年経過してからのようです。これは世界中で感染が蔓延に、人口の60%程度がインフルエンザに対する抗体を獲得するのにかかった時間と思われます。結局ワクチンはできなかったようです。新型コロナウイルスに効果のあるワクチン開発が進められています。国会答弁等では1年から1年半でワクチンができることを期待しているようです。そうなることを願いますが、過去の事例を見ると最も早くできたウイルスワクチンでも、臨床で使われるようになるには4年間を要しました。今回その期間を大幅に短縮した時間でワクチンが世に出ることを期待するばかりです。

 簡単に収束する気配のない新型コロナウイルスですので、今後どのタイミングで皆が集まって摂心会や参禅会を安全に開催できるのかわかりません。今まで通りの形態での開催は困難なこともありそうです。知恵を出し合ってこうした中での安全な座禅会の開催を模索していかねばなりません。

 53日に報告された東京荻窪支部の参禅会では、老師も学人もマスクを着用し、2m以上離れて参禅が実施されたとのことです。室内の音声が漏れないようにできるなら、参禅時に隠寮の窓を2か所以上開けておくことも必要でしょう。今回の東京荻窪支部では、食事も懇親会も宿泊もなしとのことでしたので、まずは短期間での参禅会から始めていくしかないようです。とてもお元気とはいえ80歳を超えた名誉総裁老師の参禅の際には、学人との間にビニールカーテンを設ける必要があるかもしれません。喘息の御加減が思わしくない際には参禅を中止にするくらいの心配りが必要かと思われます。

 実は私は5月中旬に千葉市医師会の活動でドライブスルーのコロナウイルスPCR検査を担当することになっております。およそ可能な限りの感染予防対策をした上で検査に当たりますが、それでも感染のリスクがゼロではありません。今も房総道場の日曜座禅会への参加を控えていますが、PCR検査担当後2週間は老師のお傍近くに寄ることは控えようと決めています。

 もう一度普段できる感染予防対策の基本を見直してしっかり励行しましょう。今年は3月から4月に流行しやすいインフルエンザやアデノウイルス感染が極めて少ないようです。これは疎かになりやすい感染予防対策を今年は皆がしっかりやっているので、コロナウイルス以外のウイルス感染症の発症率が激減していると考えられています。外出から戻ったら石鹸で30秒以上かけてしっかり手を洗い、うがい、鼻洗い、洗顔をしましょう。規則正しい生活をし、栄養、睡眠を充分に取りましょう。まめに水分を補給し、適度な運動を続けましょう。摂心会や参禅会がない生活が少なくともあと一ヶ月続きます。こんな時だからこそ24時間を使いこなす主人公となって、一日一日を有意義に大切に使っていきたいものです。(房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 18:23 | 房総支部 | comments(1) | - |
座禅とキリスト教

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 擇木道場の風印です。
 最近かなり前に録画してあった、Eテレの『こころの時代〜宗教・人生〜』を見ました。

 

 『外国人収容者と共にありて』は、牧師の柚之原寛史さんのお話でした。


 『私自身が醜い心になっていたから全てが醜く見える。裁きの目です。 何をするにしても人の粗探し。 周りの人が自分を痛めつけて苦しめていたのではなくて、私自身の思いが自分自身を苦しめて痛めつけていた。』(注1)
 私は直ぐに人を批判する癖がありますので、それは私自身の心が醜いせいだと反省しました。

 

 『「善きサマリア人のたとえ」では、強盗に襲われ、瀕死の重傷を負ったユダヤ人を、同じユダヤの神官や神殿に仕える者たちが見て見ぬふりをして素通りしていく中、ユダヤ人に差別されていたサマリア人だけが救います。』(注2)
 汝の隣人を愛せよとは、自分達の仲間だけを愛するというような『仕切りのある愛ではなくて、それを取り外した、いかなる人に対しても愛し、その愛を行いなさい。行動としてアクションを起こしなさい、というふうにイエスは語ったわけなんです。』(注3)
 隣人とは同胞のことだけを言うのではないかと誤解していました。キリスト教も面白いですね。

 

 マルコによる福音書2章17節によると、イエスは『私がきたのは義人(善人)を招くためではなく罪人を招くためである。』(注4)と語ったそうです。
 親鸞聖人の悪人正機説みたいだと思いました。

 

 

 『長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』は、カトリック長崎大司教区司祭の古巣馨さんのお話でした。


 『人間関係がですね切れていくのは、ゆるしがないからなんですよね。ゆるしがあればまた元に戻ることができます。本当にゆるしがあればそれまでどんなに難しい状況であっても、また絆を結び直すことができます。イエスは十字架にかけられた時に「父よ、この人たちをゆるしてください。何をしているのかわかっていないんです」って。十字架上の言葉は、ゆるしの言葉だったんです。そしてゆるされた人は救われた人です。ゆるされないから救われないんです。ゆるしがないところには憎しみが生まれますよ。憎しみはまた復讐となって連鎖していきます。救いの一番の泉は、そこに「ゆるしがある」ということです。』(注5)
 私はつまらないことにこだわって怒ったりイライラしていたのですが、そんなとらわれをゆるしてみれば、つまらないこだわりなどどうでもよくなってくると感じているところです。

 

 『私もせっかく生まれたんだから、生きがいを持って生きたい。そう言って自分の都合を言っているときは、とっても生きづらかったです。でもこの頃思うんです。私の都合でなくて神様の都合をいつも考えようって。神様の都合があるから、私はここにいるんだと思うんです。神父さん、私には都合はなかとです。あなたの都合の良い時に来てください。』(注6)
 これは、仏教に言う無我を言っているのではないかと思いました。

 

 座禅もキリスト教もどこか通じるところがあると思えて、とても面白い番組でした。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

注1〜4)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 外国人収容者と共にありて』,2018.9.30放送

 

注5〜6)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』,2019.9.8放送

 

posted by ただいま禅の修行中 | 23:12 | 東京支部 | comments(0) | - |
市川道場 百花繚乱 風光る(下)

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本来ならば、春季摂心会厳修中――。

ブログを書き込むことなんてできなかったと思われますが、

今を生きている証しとして、コロナ禍の市川道場の茶花を紹介します。

 

紅白ツツジ

 潮来から運送された紅白のツツジ20鉢(2020年4月20日撮影)

 

藤1 藤2 藤3

 新たに設置した藤棚の左右に藤(手前は白い藤、奥に紫の藤)を3本植えました(2020年4月21日撮影)

 

北寮ツツジ

 ツツジは保育園前に仮植え。石心庵老居士ありがとうございます!

 

キンラン

 両忘塔側面に生育した金蘭(2020年4月21日撮影)

 

北寮ツツジ

 北寮入り口に1株だけ咲いたサツキ(2020年4月17日撮影)

 

金蘭

 南寮の庭に金蘭咲き匂ふ(2020年4月23日撮影)

 

中央支部

posted by | 09:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
近況報告 本日もカイセイなり

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中央支部の魁星です。
道場で会うこともできない状況が続いている昨今ですので、近況をご報告まで。

仕事は青果物の流通業なので営業は続いていますが、

テレワーク等の業務はまだ整備が遅れているのでできず、

普段通り出勤しています。
ただ、保育園に通っていた子どもが二人家でくすぶっているので、

妻と交代で公園に連れて行ってエネルギーを発散させている日々を送っています。
 

子どももそうですが、大人も一日中家にいるのはストレスが溜まります。
早く道場で剣道したり身体を動かしたりできる日が待ち遠しいです。
心身の健康に留意しながら、元気に会える日までもうしばらくstay home ですね。

 

 

魁星記(中央支部)

posted by | 18:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
釈尊の呼吸法

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釈尊の呼吸法について

 

これから何回かに分けて釈尊の呼吸法について連載します。

1.大安般守意経(だいあんぱんしゅいきょう)について

大安般守意経(だいあんぱんしゅいきょう)というお経があります。漢訳に翻訳した人は安息国即ち古代イランの帝国パルティア(Prtiy)の安世高という方で、皇子でありながら、父が没した跡を継がず出家し、西暦147年(後漢の桓帝代)当時の支那に至り、一番最初に仏典翻訳に従事し数々の漢訳経典を残した最初の僧であります。

小乗の人であったと見なされていますが、伝承では阿毘達磨(アビダルマ)に関して深い学識を持ち、瞑想にも通じていて、その徳は高かったことから安世高菩薩と尊称されております。

残念ながら、この大安般守意経はサンスクリット語、パーリ語による原本はもとより、チベット語訳も伝わっておりません。

この難解な大安般守意経について、東大医学部で医学研究していた村木宏昌氏が大森曹玄老師の勧めで西洋医学の立場から釈尊の呼吸についてまとめました。読み下し文として宇井伯寿先生の訳経史研究や仏教学に造詣の深い山辺習学先生の指導を受けながら著作し、ついに春秋社から昭和54年2月大安般守意経に学ぶ釈尊の呼吸法が上梓されました。

パーリ語のanapana satiのanapanaを安般と音写し、satiを守意と漢訳し大安般守意経となりました。

anaは入息、apanaは出息という意味で、その原意は出離―出て離れるーが原意、また、satiは念・正念・念行・念住などの意味でありまして、「出る息を主体にした呼吸法に念住すること」となります。

お釈迦様は苦行時代に随分激しく息を止められたことが仏典に記載されています。

強く息を止めるのを怒責(どせき)といいます。この一番の欠点は、血液の循環系を乱すこと、即ち、全身から心臓に送り返さねばならぬ静脈血の流れが妨げられます。脳は強いうっ血と充血で脳圧は上がり、脳細胞は正しい働きができなくなります。

これにきづいた時、釈尊は既に34歳を過ぎておりました。

それに気付いてなさったことは、今までとは逆に呼吸に全力投球されました。いろいろ良い呼吸の中にも短時間で疲れてしまう呼吸があります。それは出入息とも心をこめてする場合です。ラジオ体操の最後で行う深呼吸であれば4〜5回しかしません。これはかなり精神力が要ります。普段は無意識呼吸ばかりしているのに、変わった呼吸をすると大脳皮質の運動野を煩わすからです。

全力投球はやがて改良され、出息は長く、入息は短くというもので、出る息には心を傾けるが、入る息は力を抜くといった調和呼吸です。緊張の連続では疲労が早いのですが、緊張と解放の繰り返しならば持続可能なのです。

息をつとめて長く出すこと、長呼気は脳の静脈血を心臓に速やかに返すはたらきがあります。うっ血を解消し酸素を含んだ動脈血が頭部へ向かってスムーズに流れ、脳細胞のはたらきを良くし、精神活動を活発にします。
釈尊の呼吸法(2)に続く
千葉 金風記 (札幌支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 11:21 | 札幌支部 | comments(2) | - |
市川道場 百花繚乱 風光る(上)

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「東の鎌倉」といわれる市川市国府台に建つ人間禅道場(市川道場)は

青の季節、色とりどりの花が咲き乱れます。

Twitterにあげたものを2回に分けて紹介しましょう。

 

破れ傘

 両忘塔脇の斜面の破れ傘(2020年3月29日撮影)

 

白雪芥子

 北寮裏に咲く白雪芥子(2020年4月11日撮影)

 

苔山金蘭

  苔山に咲く金蘭(2020年4月13日撮影)

 

青もみじ

 新緑まぶしい青もみじ(2020年4月14日撮影)

 

サトザクラ

 隠寮前のサトザクラ(2020年4月14日撮影)

 

桜島大根の花

 桜島だいこんの花(2020年4月15日撮影)

 

ミツマタ

 ミツマタに春光射す(2020年4月17日撮影)

 

風光る

 山門前に風光る(2020年4月15日撮影)

 

中央支部

posted by | 13:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
脱中心化について

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 擇木道場の風印です。

 私は看護師をしており、比較的にコロナウイルスへの感染リスクが高いと考えられるため、毎日のように座禅をしていた擇木道場に当面行けなくなってしまいました。
  外出を控えなければならなくなりましたので、自宅で本を読んだりしています。

 

 最近『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本』と言う本を読んでいるのですが、マインドフルネスや認知行動療法では「脱中心化」がキーワードになるそうです。

 『人は落ち込むとき、意識が過去に飛ぶ。そして、「なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。あんなことをしなければ、今頃こんなことにならなかったのに」といった思考が反芻を始める。そうするとそのことが頭から離れなくなり、気分もどんどん沈み込んでいく。一方、不安になると、今度は意識が未来に飛んで、そこで同じような反芻が起きる。
  「思考や感情を、自分自身や現実を直接反映させたものとして体験したり、解釈するのではなく、それらを心の中で生じた一時的な出来事としてとらえること」と定義される「脱中心化」の視点が、このような反芻にはまり込んでいる状態のときに有用であることは想像に難くない。「思いを、単なる思いにすぎないと認識する、という単純なことによって、あなたはゆがめられた現実から解放され、自分の人生をよりはっきりと見つめ、管理できるようになります」というKabat-Zinnの言葉のように、自分の思考や感情への囚われから抜け出し、正しく現実をとらえ、その状況に応じた対応が可能となる。
  実際にTeasdaleらは治療によって抑うつの再発予防ができた場合、否定的な認知が浮かんでもそれが事実ではないことを認識して距離を置けるようになること、つまり「脱中心化」した視点を持てるようになることを見出した。』(注1)

 

 マインドフルネスはうつ病、不安障害、がん、緩和医療、慢性疼痛などの治療に用いられており、臨床的にも重要性が高まっていますので、少しずつ学んで行きたいと思っております。

 

合掌 風印 拝(東京支部 #青年部

 

注1)佐藤充洋、藤澤大介『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本〜医療者のための臨床応用入門〜』,日本医事新報社,2018,P.137〜138。

 

posted by ただいま禅の修行中 | 11:54 | 東京支部 | comments(0) | - |
新型コロナウイルス感染の特徴

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新型コロナウイルス感染の特徴ついて

2020年4月23

新型コロナウイルス感染拡大予防に向けて非常事態宣言が出されて2週間、一向に感染拡大が終息に向かう感じはありません。人間禅の中心的な行事である春季本部摂心会並びに諸会議・設立記念式も人間禅発足以来初めて中止になってしまいました。各支部での行事も思うように開催できず、個人的な一日一炷香が活動の中心になっています。当初比較的若い年齢層の死亡率はそれほどでもないということでしたが、ここにきてショッキングなニュースが飛び込んでくるようになりました。軽症と思われていた50代の男性が急激に悪化して自宅で死亡しているのが発見されています。山梨では幼児が重症化して懸命な治療が続けられています。得体のしれない敵に対して戦々恐々としてしまい、自分を見失いがちです。こんな時は先ず敵を知り、それに対する合理的な対処法を取って乗り切るしかありません。信頼のおける情報元からの最近のデータに基づく確かな情報をまとめました。ご参考にしていただき、新型コロナウイルスを恐れ過ぎず、見くびらずに対応していきましょう。

1.感染の特徴

潜伏期間は通常のウイルス感染と同様に2〜7日です。平均4日です。発症した方の97.5%が11.5日までに発症しています。最大で14日経過すれば感染していないと考えられます。

一人の方から何人に感染するかの基本再生産数は1.3〜2.5人で、インフルエンザの1〜2人とほぼ同じです。マスクをせずに接触するような濃厚接触者が感染する確率は中国で1〜5%、アメリカで0.45%と言われています。

感染しているかどうかの検査はコロナウイルスDNAを数百倍に増幅して調べるPCR法があります。ただ、感染している際に陽性に出る確率は70%位と考えたほうが良いようです。30%は罹っていても陰性になります。2回検査して2回とも陰性としても、0.3×0.3=0.09%、つまり10人に一人は感染していないと評価される可能性があります。この数字は悪く見積もった際の計算で、今後より良い精度の検査法が確立されると思います。

2.症状の特徴

初期症状として、咳81%、微熱40%、息切れ31%が多く、その他に筋肉痛、倦怠感、痰、嗅覚低下、味覚低下等が3分の1程度の方に出ています。感染しても無症状の方、風邪程度の方、重症肺炎になる方がいます。80%程度は軽症に留まり、14%程度が重症化しています。

死亡率の平均は0.7〜2%、ただし80歳以上の高齢者では15%程度と高くなります。発症から7日間くらいで症状が増悪することがあり、肺炎を起こすと少なくとも2週間程度回復にかかります。

3.治療法

いわゆる特効薬は今の所ありません。家庭では熱や咽頭痛があれば市販の解熱鎮痛剤(アセトアミノフェンがお勧めです。)で様子を見ます。風邪症状で受診した際に医療機関から処方されるのは対症療法の薬で、咳止め、痰切り、解熱剤等です。

4.予防

接触感染、飛沫感染を予防することが大切です。石鹸で30秒以上一本づつ指間も洗うようにする、アルコール消毒剤で手指の衛生をはかる、やたらに鼻や口を触らないことも大切です。ドアノブ等についたウイルスは2〜3日そこに付着しています。くしゃみなどで飛び散った飛沫(エアロゾル)内のウイルスは3時間程度生存しています。飛沫の飛び散る範囲は2メートル未満、換気することで比較的短時間で飛沫はほぼなくなります。くしゃみで飛び散り床に落ちた鼻汁内のウイルスも2〜3日そこに付着していると考えたほうが良いです。道場においても手が触れる所、静座後の畳や床を拭き掃除することでウイルスの残存を減らせます。

信頼できる方からの情報ですが、感染経路不明として報告されている方の多くは公共交通機関を利用している方とのことです。インフルエンザでも電車内でマスクをせずに咳の飛沫を浴びて感染すると言われていますが、同じことが新型コロナウイルスでも言えます。ただ、今回の新型コロナウイルスの感染は、つり革や支柱に触れた手をきちんと洗わずに目や鼻、口に触れることで感染が起きている可能性が高いようです。外出して不特定多数の方が触れるようなドアノブ、エレベーターのボタン等に触れた際には、しっかり手を洗う前に手を顔に近づけない対応が大切と思われます。

5.有症時の具体的な対応

風邪のような症状がある場合、まずは自宅で待機します。現在、「熱があって体がだるい。」等の症状を訴えて飛び込みで診療所を受診しようとすると、多くの所で受付せずにまずは自宅で待機するように言われる可能性が高いです。自宅で待機する際には家族ともできるだけ接触を避けます。タオル等の共用も避けます。入浴は最後が望ましいです。4日間自宅で様子を見て症状が改善されない場合、かかりつけ医に相談するか、地域外来、検査センター(県、市町村のホームページ等に連絡先が明示されていると思います。)に連絡し指示を仰ぎます。来週(4月27日)には千葉市でも「PCRセンター」が開設され、房総支部の会員の中にも検査の為に派遣されるものがいます。しかし、どこにセンターが開設されるか公表はせずに、事前に電話で確認を取った方や医師からの紹介状を貰った方がドライブスルーでの検査を受けられるようになります(これはあくまで千葉市の方針予定ですので、各地で対応法は異なるかもしれません)。症状が急激に悪化した際、80歳以上の方は早めに医療相談をした方が良いでしょう。特に喫煙者や呼吸器の疾患がある方は症状が急激に悪化することがあります。普段からかかりつけ医に相談して、もしもの時の対応法を確認しておくことをお勧めいたします。 

合掌 仲野嶢山 九拝 (房総支部)

posted by ただいま禅の修行中 | 20:33 | 房総支部 | comments(0) | - |
心に残る言葉

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私達の内面にある欲望や感情は形もなく、目には見えないものです。

表現された言葉によって、感じ取ったり洞察したりします。

言葉の出会いによって、その人の人生が変わることもあります。

 

一つは、

 

〈女あり 二人ゆく 若きはうるわし 老いたるはなおうるわし〉

 

これは、アメリカの詩人ホイットマンの詩です。

自由な形式で自然や民衆の生活などを歌い、アメリカ民主主義の代表詩人と云われています。(1819-1892)

若い女性は美しいが、老いたる女性は更に美しいという詩です。

若い女性が美しいのは、天然自然の美。

うるわしを漢字に当てると「麗しい」となるでしょう。

それに対して、老いたるは なおうるわし のうるわしは「美し」が相応しいと言われています。

麗しは生まれついての瑞瑞しい美しさ、老いたるはの美しさは自己丹誠によって智慧や感性が豊かになり、その豊かさから来る内面的な美しさではないでしょうか。

若い時には、若さならではの花がありますが、年老いてから老いの花を感じる事は中々難しいことであります。

 

歌人の斎藤史の歌に

 

〈ぐじやぐじやのおじやなん ( * ) を朝餉とし何で残生が美しかろう〉

                   ― 『風翩翻』 (* 原文のまま

 

という歌がありますが、年を取ると視力や聴覚が落ちてゆくし、皺が出来たり、物忘れが多くなり体形も崩れていきます。

しかし外見は美しくはないが奥行きのある素朴な味わいがこの歌から感じ取れます。

たった一度きりの人生を生きていく上で、愚直であっても何か一道に向かって修養を続けていく人は、美しい老いの花へ近づいているのではないでしょうか。

それは日常の生活の中で培われるもので、純粋に感動し、感激し、そして今日より明日と希望を持って生きる人であります。

 

人は皆、明日のことはわからず?死?と背中合わせに生きているのが現実であり、だからこそ目標をもって一日一日を精一杯生きて行きたいものです。

二つ目は 貪瞋痴 ( とんじんち ) ですがこれは仏教語であります。

私たち人間に、根本的に備わっている三つの煩悩で、理想に向かって生きようとする心身を害する三毒とも言われています。

私は人間禅に入門して50年ほどになりますが、この言葉に出会ったのは入門してまだ西も東も分からない頃でした。

先師の如々庵老師のご提唱を聴聞し、私達の心身がこの貪瞋癡の三毒に侵されていることに気づき大きなショックを受けた事を思い出しています。

 

( とん ) とはむさぼりの事。

好ましい対象に対する強い執着、激しい欲求、またそれを起こさせる心理作用の事です。

貪欲とか貪愛なども同様の意義をもちます。

人間の欲望というものは、放っておくと切りのないもの。

例えば、お金や財産は無いよりは有る方がいいと思いますが足る事を知らないで、もっともっとと執着することは身の毒になるということです。

「財産を多く持っていない人が貧しいのではなく、多く欲しがる人が貧しい」という筬言もあります。

貪愛も自分の心情に合う好ましい対象だからといって強く執着したり、激しい欲望やむさぼりの心を起こすと人身を迷わせることになると説かれています。

三毒の中でもこの貪愛は特に厄介なもので「往生のさはりの中に貪愛に過ぎたるはなし」と言われています。

往生とは死後のことではなく、日常を心安らかに生きることです。

貪欲に縛られてもがいていることを餓鬼道とも言います。

 

( じん ) とは激しく怒ること。

気に入らないものに腹を立てる。

嫌がる。

不快なものを遠ざける。

自分の言い分が通らないと怒る。

自分より優れている者を妬んだり恨んだりと、気づかないうちに修羅の世界にいることがあります。

日常生活の中で怒ってはいけないと頭では分かっていても、ふとしたことで湧いてくるのが怒りです。

このような小さな怒りは、姿勢を正して大きく深呼吸する事で、心を落ち着け冷静になることが出来ます。

しかし人間が生きている限り喜怒哀楽は無くなるものではなく、怒らなければならない時は、落雷の如く怒ることも大切だと先師はしばしばおっしゃられていました。

感情的ではなく、慈愛のこもった怒りは、後も残らずカラリとしています。

この様な怒り方は、怒られた方も怒った方も気持ちの良いものでしょう。

私達の日常生活は、戦後特に便利になりました。

その反面、移り変わりが激しく、また情報も目まぐるしい程多くなっています。

そんな中で、時間のゆとりのない人、生活にゆとりのない人、心にゆとりがなくなり、イライラしたり、むかつく人が多くなっています。

家庭内に於いても些細なことで腹を立ててしまいがちですが、お互いの人格と違いを認め合い、相手を思いやる慈悲で暮らして行きたいものです。

 

( ち ) とは愚痴のこと。

言っても仕方のないことを何時迄もグチグチと言って嘆くことです。

私も時々、もう返らざる過去のことを悔やんだり、叶わないことを思って心を曇らせネガティブになることがありますが恥ずかしいことです。

癡にはもっと深い意味があると思います。

それは真理を理解する心を持たない無智な事です。

真理とは真の道理(まことのどうり)のことで、「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」という古歌にもあります様に、この宇宙の大生命大自然の法則は誰の仕業でありましょうか?

誰の為していることなのでしょうか?

 

お釈迦様は或る時の説法で、「一切が燃えている」と言われました。

人間の持つ貪瞋癡が燃えていると言われたのです。

油断して清浄心を磨くことを怠けていると、過剰に貪欲になったり、憎しみや妬みなどの感情を燃やしたり、道理を知ろうとしない愚かな感情に支配され、危ない状態になることを戒めておられるのであります。

私達人間は誰でも生まれてくる時は、平等に純粋無垢に生まれてくるものです。

赤ん坊を見れば分かるように、あるがままに何の計らいもなく素直な心を持って生まれてきます。

ところが、成長してくるにつれて、世の中のさまざまな雑事に汚染され、貪瞋癡の三毒に犯されてくるものです。この三毒に燃えていることに早く気付き、何物にも執われない智慧を養って行く事が肝要であります。

私もこの貪瞋癡の言葉に出会って、修行の継続が大切であることを痛感したのであります。

合掌

蓮昌庵 堀井妙泉 (栃木座禅会)#女性部

posted by | 13:43 | 栃木座禅会 | comments(0) | - |
一生涯できなくともいい。それを生涯教育という〜小川忠太郎先生剣道話(55)〜

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技だけだと、悪く言えば軽業師になっちゃう。だから、目標をしっかり持ってね。宏道会に目標があるでしょ。その目標だ。

道具を付けた稽古だと目標がはっきりしない。どうもそうなっちゃうんだな。道具を付けた稽古だと命に別状ないから、技だけになっちゃう。。
(中略)
(直心影流の)法定の形をやった加藤完治という先生は「坂本竜馬は、男谷下総守についていたら殺されなかったろう」と言っていた。
竜馬は千葉周作についてる。それで油断ばかりしている。明治維新に殺されてしまった。それは剣道じゃない。

剣道は、目的を良く考えて、目的に合った稽古をしなくてはいけない。そうすると人間が出来てくる。
前に話した「頭溶は直」。これを練っていると、しまいには、心が「直心(じきしん)」になる。
一生涯できなくともいい。それを生涯教育という。
7つ8つで聞いた事が、80になっても出来ないよ。「常に直心」なんて事は出来るものじゃないよ。しかし、これをはずしちゃだめなんだ。だから、人間は一生涯修行だ。

 



一足一刀の間合だってそうだ。一足一刀とは、剣先と剣先が触れたところだね。
これはどういう事かというと、ここで自分の立場をちゃんと守っているという事。相手を無視してチョコチョコ打つんじゃない。
自分も立て、相手も立てる。

こういう事をしていれば、社会に出ても人に馬鹿にされない。馬鹿にされないはずでしょ。相手を尊敬しているんだから。
お互いの人格が平等であるという事。優劣なし。平等。
平等と自由だ。それが一足一刀の間合だ。これをちゃんと身につけるのは、一生やっても出来ない。

山岡先生の無刀流はこれだ。45歳でここまで到達した。
それでもまだ足りない。まだ上がある。そのくらい奥が深い。

そういうところを目標にしていくと、いくらでも修行ができる。
頭を真っすぐにする。一足一刀から打つ。そういう事を、皆さんのように小さい時に聞いておくと為になる。それを育てていく。

宏道会の剣道の目標はそこにある。


昭和56年12月13日 宏道会にて
小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内……栗山令道(中央支部#剣道

posted by | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
“花と石”

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庭の福寿草が雪間にほころび初めた頃、見知らぬ人から一通の封書が届いたのは十年ほど前のことでした。

中には黄ばんだ古い新聞の切り抜きと、一枚の便箋に隙間なく書かれ、癌の手術をくり返えしたが完治せず、今は末期の苦しい闘病中で ( さき ) が短いこと、新聞の切り抜きの記事に、ながい間、心が癒やされて来たことのお礼などが書かれていました。

裏打ちされたぼろぼろの新聞の切り抜きを見ると、見覚えがあり、私が昭和五十年頃、北海道歌人会賞をいただいた直後に、北海道新聞の文芸欄に請われ、「花と石」という題で随筆を書いたことがありました。

何を書いたのかすっかり忘れていましたが、切り抜きを判読すると、「花と石」に象徴した人生観が書かれており、移り変って行く世の中に純粋に生きる人間を花にたとえ、不動のものを石にたとえた未熟な文章でしたが、その人が読んでくれて保存していたようですが、医師に宣告され最後の身辺整理に送ってくれたのでしょう。

 

この度、「あけぼの」にのせるテーマを前記とは関係なく「花と石」と漠然と決めていたのでその偶然に驚いています。

 

 “花”

私たちの日常生活は、急激に科学が発達し、経済生活も豊かになりましたが、「衣食住足りて空虚を知る」というアンバランスに悩まされている人が多いと聞きます。

戦前、戦後とは別次元の情報化のスピーディな日常に、ストレスや欲求不満に心身共にすり減りそうな日々を送っています。

その心の空しさを満たし、永遠の 生命 ( いのち ) を求め、真の幸福を暗中模索しているのが現代の私たちではないでしょうか?

 

寂かに坐禅を組み、自分の心中に分け入って見ると、仏にもなり、凡夫にもなり、花にもなり、石にもなる、なんとも定義しようのない不思議な存在が私たち人間であることに気づきます。

能楽を大成した世阿弥は「時分の花とは若い時の花であり、まことの花は修練、修養によって得られた花のこと」と云われ、「住するところなきをまず花と知るべし」とも言われています。

つまり、現状にとどまらず修練をつづけていくことが花であり、更には何ものにも執らわれない清浄心が花であります。

 

思い起こすと、先師の如々庵芳賀洞然老師は、石狩道場並びに新潟道場建設のために、茶掛けの一行物を沢山ご揮毫されました。

一気に三十枚もご揮毫される時もあり、老師の気迫に、手伝いを命じられた私たちは緊張の連続でしたが、時折老師のお好きな句を書き終えた時など、その句の意を細やかにご説明して下さり、それが楽しみでもありました。

 

〖 百花為誰開 〗  百花

( ひゃっか ) ( た ) が ( ため ) にか ( ひら ) く

 

春ともなると百花はなぜ色とりどりに開き、百鳥は何のために ( たえ ) なる声をはりあげて歌うのであろうか。

生物学的にいえば種族保存のためというでしょう。

しかし花や鳥は、そうした「種族保存」のためになどということを少しも意識していない。

むろん自分の幸福のためなどとも考えていない。

ただ内から盛りあがってくる生命力にもよおされ、つきあげられ、咲かずにおれなくて咲き、歌わずにおれなくて歌い、本然の自性をおのずから流露させているだけのことである。

また花や鳥には、人を楽しませてやろうとか、特定の誰のためにしてやろうとかの意識もない。

花や鳥には、自らの美しい色香や妙なる音色を誇る気持もなく、自らの本然の性のままに開いて、自らも満足し、他をも喜ばせ、しかもいささかもその功を誇ることもない花の在り方、生き方を説いて下さいました。

 

“花”は私たち修行者の在り方を象徴したものであります。

自利しようの、利他しようのとの意識もなく、ただそうせずにはおれなくて、誰彼の別なく、縁に応じて慈悲を施し、しかもその功を誇ることのない在り方、生き方を示している句であり、ふたたび三たび味わい、身につけていきたいと思います。

 

 “石”

禅語としての「石」は多くの場合 知識的な認識や常識を離れ、何物にも執われない高次の自由な心の活動を指しています。

京都の竜安寺の石庭は草木を一切使わず渦巻く白砂に大小十五箇の岩石を配した枯山水ですが、なん度訪れても飽きることのない奥深さを感じます。

一つ一つの石がそれぞれの個性を持ち、己を誇るでもなく卑下するでもなく、黙然としながら大自然をいぶきしています。

寒熱に耐え悠然と動じないのも石であり、庭園などに趣きを添え、観る人の心を和らげてくれるのも石でありますが、大自然と渾然一体となった人間の高次の心境を拓すのも石であります。

 

耕雲庵老大師の『句津籠』を拝読していたら、十五句ほどの石の句があります。

その内から五句ほど抄いてみました。

 

    石 ( かそ ) く若葉洩る日に育つべし

    打水や庭石個々の光あり

    寂然と幽石坐る梅雨の庭

    石庭の石黙々と秋時雨 (竜安寺)

    処得て石の据りや霜ばしら

 

上記のような句を拝読すると、石を詠んでいるように見えて、たんなる無機質の石ではなく、純粋な人間性を象徴する石の姿が生き生きと見えてきます。

〇新緑の若葉より洩るる日の光りは爽やかで清浄そのもの、その自然の恵みを受けて育っていく石、

〇打水に、今迄目立たなかった石たちが個性を発起し生き生きと働き出す姿、また

〇寂然不動の幽石の高次元の境涯でしょうか?

〇石庭の石のそれぞれが本然の自性を発揮しながら調和のとれた黙。

〇石を含めた一切の万物がみな その所を得、おのがじしの自性を表わしながら寂光浄土をあらわしています。

私たち人間も同じで背骨がしっかり立っていると、さまざまの困難に出あっても耐えることが出来ます。

平素は石のように目立たぬ存在であっても、難局に会ってはじめてその力量を発揮することの出来る人間力を示唆していると思います。

また、俳界において前人未踏の境地を開いたと云われる芭蕉の句にも“岩”の句があり魅かれます。

 

     ( しずか ) さや岩にしみいる蝉の声

知らない人がないくらい人口に膾炙された句ですが若い時に味わったときより、年を経て味わった時の方が、すこぶる格調の高い趣きが伝って来ます。

寂然不動たる本体の世界に、つまり、黙然の岩に、蝉の声がしみいってくると。

蝉の声には何の作意もなく、中からつきあげてくるものでひたすら鳴いているが七日ばかりのいのちでありましょう。

ここには、生々流転の流行と寂然不動の不易が調和し、大自然の寂光浄土を感じさせてくれます。

俳句や短歌を詠むには、上手によむ技よりも、作品以前の心田を耕し、心を錬磨することがより大切であります。

心田の手入れを怠ればすぐに雑草がはびこりますが、手入れを怠らず土壌を豊かにしていきたいものであります。

合掌

蓮昌庵 堀井妙泉 (栃木座禅会)#女性部

posted by | 08:43 | 栃木座禅会 | comments(0) | - |
コロナ禍での動画編集学習

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中央支部の富嶽です。

新型コロナウィルス対策として、全国に緊急事態宣言が発出されました。

これは「今いる所から移動しないでね」ということを言いたいのだろうと感じています。

人との接触を断ち、できるだけ家にいる。

それが一番の対策になるとは頭では分かっているものの、人間というのは一つ所に長くいるとストレスを抱えやすい生き物だなあと思います。

何でもそうですが、「やるな」と言われるとやりたくなってしまう天邪鬼なところもあるようで。

 

この際この機会に普段できないことや今まで先送りにしてきたことをやろうではないか。

ということで私の場合は動画編集のスキルをちゃんと学習しようという気になりまして、使っているのがMacのため、imovieの学習に手をつけました。

 

今は学習しようと思えばネット検索すれば無料で色々と学べます。

ですがだいぶ前にテキストを購入していてほとんど手付かずになっていたので、それを活用することにしました。

 

一応紹介しておくと、使ったテキストは『今すぐ使えるかんたんiMovie』です。

 

 

テキストを参考にせず、独学で動画制作をしていた時期があったのですが、今回このテキストで色々と勉強していて感じたのは

「使いたかった機能がこうすればできたのか‥」ということ。

それを知らずに余計なソフトを購入してしまったりしていて、

「ちゃんと目を通しておけば良かった‥」

という後悔をする羽目に。。

 

今まで自分なりにいじっていたことがある種功を奏してか、全7章のうちの6章までの学習が終わり、残りあと1章を残すのみ。

ほぼほぼ動画編集で自分がやりたかった事はiMovieで事足りることがわかりました。

 

人間禅における活動の様子やイベントの案内も今後は動画を活用して紹介できるようにしていきたいなと考えております。

 

学習過程で制作した2月に青年部で行った禅ZEN実践講座を動画にしてみました。

こちらは30秒程度の短い動画です。

https://youtu.be/IOCnSFGJvrY

 

 

そしてこちらが「本部道場禅堂案内」2パターン。

これがiMovieでできるとは知らなかったです‥。

https://youtu.be/kEyP-Ai7tks

https://youtu.be/nK17wbK1kSM

 

富嶽 拝 (中央支部)  #青年部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 20:33 | 中央支部 | comments(0) | - |