ブログ内検索
人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
小川刀耕老居士「直心」の手ぬぐい

奇数月に一回、小川忠太郎先生(無得庵刀耕老居士)の境涯を学ぶ会として人間禅剣道部が主催している勉強会が、昨日(令和2年9月13日)千葉県市川市の人間禅道場にておこなわれた。

 

今から10年前の平成22年5月、日暮里の擇木禅道場にてスタートした「禅フロンティア」とともに歩みを続け、今年度から場所を本部道場に移し、今回で76回を数えた。

読み手のひとりとして毎回参加しているが、まさに役得であり、朗読させていただくと、小川先生になった気分で実に爽快である。

なぜなら、小川先生の言葉は、剣道家だけに向けられたものではなく、道を求めるすべての人が共感できる日常生活に活きる剣禅話だからだ。

 

この日、宏道会顧問師範であられる荻窪道場主の井上和英先生(剣道教士七段)も参加され、お土産に小川先生が揮毫された「百錬自得」「夢」そして「直心」の3種の手ぬぐいを参加者に配られた。誠にありがたく厚く御礼申し上げます。

 

 

わたしは、「直心」の手ぬぐいをいただいた(写真)。

文字通り、真っ直ぐな心、素直な心、赤子の心が大事である、と直心影流法定の形は説いている。

また、禅堂には楞迦窟釈宗演老師揮毫の「直心道場」の扁額が掛かっている。

 

小川先生の足跡を辿りながら、素直な心になるために、皆さんも勉強会にご参加されませんか?

次回は紅葉まばゆい11月15日(日)10時〜予定しています。

 

張替剣外(中央支部 #剣道部

posted by ただいま禅の修行中 | 15:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
雑念が入らなければ相手が写る 〜小川忠太郎先生剣道話(60)〜

形(カタ)だけだって、剣道の本当のところへ入れるんだな。そのいい例が寺田五郎右衛門という先生。形だけ。

寺田先生の形は良かったらしいな。寺田先生の形は、ほとんど雑念が入らないんじゃないかな。大したものだね。雑念が入らなければ、相手が写る。

 

何か動作をする前には考えが出るんだから、動作する前に分かっちゃだめだ。面を打とうと思うと、寺田先生に「面にくるとすりあげるぞ」と言われて、もう打てない。打とうと思うとそれが寺田先生に分かっちゃう。
寺田先生は、そこまで行っている。何人相手を代えてもそうだったっていう。
(注)

 

雑念が入らないから出来る。偉いもんだね。相手があってそうだ。相手は何をするか分からない。それが本当の形だ。(防具をつけた打ち合いは)約束動作でくるんじゃないんだから。どこへくるか分からないんだ。よく修練したものだね。
この人は、最後は白隠禅師の高足の東嶺和尚に参禅している。

 

今の剣道は、道具をつけてやっているものだから、剣道で自分を修練するんだというところに気がつきにくい。「当てっこ」だと思っているんだ。
相手の欠点だけ指摘する。それじゃだめなんだ。自分の修練。そこに気がつかない。

 

そこに気がついてやったのは、持田先生(持田盛二十段。小川先生の師)だ。稽古で打たれると、自分の欠点を教えてもらったと、感謝する気持ちだと言うんだから。
相手に打たれると「ああ、有り難い」と感謝する。そして自分の欠点を直す。それが剣道ですよ。

 

それだから、稽古がどんどん上がっていく。なかなかそれは出来ないね。普通は、自分が打ったのは良くて、相手の打ったのはだめだと思う。それだとだめになっちゃう。

 

持田先生は寺田先生みたいだな。考え方がね。だから、持田先生は道具をつけた稽古だけで、あそこまで行った。


(注)…江戸時代後期、寺田が形の指導をしていた中西道場では、当時竹刀稽古と形稽古の優劣が盛んに論じられていたという。
竹刀派の門人が、形稽古だけで防具稽古をやらない寺田に防具をつけた立ち合いを強く希望したのに対し、寺田は「強いて望みとあれば、自分は素面素小手で相手をするので、君たちは防具をつけて遠慮なく打ち込むがよい」と、相手の防具と竹刀に対し、素面素小手と木刀で応じたことによる。

 

昭和57年2月14日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成、()内、(注)……栗山令道 中央支部 #剣道部 #宏道会

posted by ただいま禅の修行中 | 05:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
「合掌」が破れないで「機会」を打つ 〜小川忠太郎先生剣道話(59)〜

きょうは、みんながお互いに稽古をする際の事を、ひとつ注意しておく。

剣道はまず、「気剣体の一致」が出来なくてはいけない。
それは、切り返し・掛かり稽古をしっかりやれば得られる。これは三角矩の中段の構え。

この「本体」に相手が来れば、相手との間に「関係」が生じる。地稽古(注1)の場合、相手と自分が一つになる。

だから「合掌」だよ。合掌の気持ちで相手に対する。敵じゃない。「相手と一つ」だからな。

間合いが遠くの時はいい。近くに来ると「打とう」という気持ちが出て、この「合掌」が破れちゃう。そこが問題なんだ。

「打とう、突こう」という気持ちがあってもいいんだ。打つべき時、突くべき時ならね。
「機会」というものがある。「合掌」が破れないで、そういうものがあるならいい。つまり、本体が崩れないことが大事だ。

これは、修行して自得する。自分で持っているものだからね。

一足一刀の間合に入ったら、「乗る」こと。剣道は、乗るか乗られるかだ。


この一足一刀の間合から、自分が主導する立場に立たなければいけない。
相手が打とうとする時、一緒に何かしようとしない。これは、無刀流の形の「引き身の本覚」にある。相手が打とうとするところを「パッ」と。これをひとつ研究する。

これを「機先を制する」という。「パッ」と。これを「張り技」という。

(中略)

「張り技」。これは稽古で覚える。〇〇さんなんか、だいぶいいよ。これをひとつ覚えたら、稽古が楽になる。
きょうは、これだけ話しておく。「機先を制する」(注2)。

注1)
防具を付けて竹刀を持った者同士による真剣勝負の繰り返し稽古。
注2)
本文冒頭の「合掌」と最後の「機先を制する」は別のことではない。合掌の気持ちで相手に対し、相手と一つになる。一足一刀の間合に入ったら「乗って」パッと「機会」を打つ。これすなわち「機先を制する」ことであると、先生は言われている。「機先を制するは充実にあり」とも言われた。

昭和57年2月14日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、注……栗山令道 中央支部 #剣道部 #宏道会

posted by ただいま禅の修行中 | 08:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
目で見ないで、腹で見る 〜小川忠太郎先生剣道話(58)〜

みんな切り返しが良くなってきた。

切り返しの形が出来ても、「気剣体の一致」が出来なければいけない。それはどういう事かというと、呼吸が下がっていなければいけない。

初心の人は胸で呼吸する。それが腹へ下がる。しまいには踵(かかと)まで下がる。そこまで行けば満点だ。
切り返しでこれを練る。
これが本当に出来れば、剣道の大部分は終わり。あとは、形(カタ)で理合(りあい)をやって行けばいい。
切り返しで「気剣体の一致」を練る。

(中略)

警視庁で一番強いのは、持田先生だ。攻めが強くてどうにもならない。
……
どうしても迷わされるから、(ある先生が)「目をつぶってみたらいいだろう」と目をつぶってやってみたそうだ。
そうしたら、先生は打ってこない。
だから、剣道というものは、迷うという事がいけないんだな。

しかし、目ばかりつぶっているわけにはいかない。目なんかつぶる必要はない。
法定の努力呼吸をして、「ここ(先生下腹に手を当てられる)に収まればいい。

目で見ないで、臍下丹田で見たらいい。腹で「ズーッ」と見る。

その為には、(直心影流法定の形の)努力呼吸を数をかけてやればいい。そうなると開ける。それを知らないから、目をつぶったりする。

耳で聞かないで下腹で聞く。法定の努力呼吸は、えらいものですよ。ほかの形には、あんまりないね。

無刀流ではやっていますね。さすが山岡先生だ。「ハーッ、ンーッ」とね。これが本筋へ入る道なんだ。
誰でも出来る。中学生だって出来る。
その効果は、その人の熱心度の度合いですよ。

いいかげんにやっちゃ効果はないです。数息観と同じだ。居眠りしながら、いいかげんにやっても駄目だ。一生懸命やれば、自然に行く。

そのいい例が、白井亨。稽古を止めちゃって、苦し紛れに『夜船閑話』にぶつかって、それで2ヶ月真剣にやって、開けた。

この道場には、そういうものがあるんだから、小学生でも努力呼吸をやれば大したものだ。これは一生身に付く。

歳を取れば取るほど熟してきますからね。坐禅と同じだ。
最後のどうしても切れない雑念は、「一息裁断」。一息でいい。これで切れない雑念はない。努力呼吸はそこまで行かないといけない。

そういうものだからな。目なんかつぶらなくてもいいんだ。正確な方法でね、うんと一生懸命やる。

人間は三度三度食事をする要求がある。呼吸はいいかげんにしていても間に合う。しかし、呼吸は一番大事なんだ。これは精神的な食糧だよ。「ズーッ」と。これを毎日養ってやらないとね。

法定の形は、そういうものだ。私がこの歳(81歳)で稽古が出来るのは、法定の形のお陰だ。これに出会ったのは28の時だ。中学生の頃に出会っておれば、なお良かった。

歳を取れば取るほど熟してくる。そういうものだから、方向を間違えないように。
目なんかつぶったって駄目だ。


昭和57年1月31日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内…栗山令道 中央支部 #剣道部 #宏道会

 

posted by ただいま禅の修行中 | 13:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
当面は形(カタ)三昧の有り難さ! 〜形だけ会員歓迎中〜

当面は形(カタ)三昧の有り難さ!

〜形だけ会員歓迎中〜


無得庵こと小川忠太郎先生いわく。
「形はいいんだ。ただ真剣になれないんだ。形で真剣になれたのは寺田五郎右衛門ただ一人じゃないかな?
56歳で一刀流の免許皆伝ですよ。
偉い人だね。それでまだ納得できないんだよ。それでまたやるわけなんだね。
自信が出来たのは70歳を過ぎてから。それは、東嶺和尚に参禅したから。」

江戸時代後期の剣術家寺田五郎右衛門は、竹刀と防具を用いた打ち込み稽古を邪道だとし、17歳の時一度中西道場を去っている。
51歳の時、高崎藩の命により再び中西道場に戻ってからも、竹刀と防具の稽古には目を向けず、ひたすら形三昧の修行を続けた。

その中西道場で五郎右衛門から形の指導を受けた千葉周作は、寺田五郎右衛門とその弟子の白井亨について次のように語っている。
「寺田氏は、自分の構えた木刀の先より火炎燃え出づると云ひ、白井氏は、我が木刀の先よりは輪が出づると云ひ、いずれも劣らぬ名人なり」

また、直心影流第15代山田次朗吉は、寺田と白井について、
「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ。」
と評している。

寺田の弟子白井亨は、竹刀と防具の稽古で剣術に行き詰まり、その後体力的にも行き詰まって死ぬ所まで行ってしまった。
しかし、そこでたまたま出会った白隠禅師の『夜船閑話』で、2ヶ月間真剣に坐禅をして三昧に入り、心身に著しい変化を感じた。その直後、寺田の指導によって開悟している。

ここで、ひるがえって人間禅ならびに宏道会を見たときに、私たちには、寺田・白井両先生を名人たらしめた古流の形と坐禅が、あらかじめ用意されているのである。

また、宏道会には、この社会状況下でも一人でいくらでも出来る素振りがある。さらには形の10時間立ち切り稽古である「一刀流遍稽古」もある。

 


 2019年12月に行われた10時間立切りの一刀流遍稽古


古流の形には、人間と人間とが真剣を持って向き合うという真剣勝負を通してつかみとられた、相手ではなく自己の心をどうしたら良いかという、人間形成の偽りのない極意が入っている。

故に、その形の極意を我が物とするには、どれだけ真剣になり切れるかにかかっている。言い換えれば、いかに呼吸が丹田から足元の方まで下がった状態で出来るか、ということである。
その呼吸を下げる修練が、坐禅であり、素振りだ。

その坐禅と素振りは、すでに宏道会の形稽古に出ているのである。
小川先生は、「宏道会の一刀流は自信を持っていい。」といわれている。

この機会に、そこをさらに徹底するのである。

このようにとらえ、このコロナ禍という社会状況下にあって、形三昧の稽古が出来る幸せを味わいたい。他の道場では、なかなかこうはいかないことである。

7月から再開を試みる宏道会の稽古は、マスク着用の条件付きと、当面は、基本、声を出さないで行える一刀流の稽古が中心になる。


ところで、最近の傾向として、剣道未経験の人間禅会員男女が、形(直心影流、一刀流)だけを修練する宏道会の会員となって、稽古に見える方が増えつつあるのは、とても良いことだと思う。そういう方がもっと増えてくることを希望したい。

人間禅だけではない。一般からも剣道の経験の有無・年齢・男女を問わず、形だけの稽古でもいいので、修練したいという方も歓迎します!

今はまだコロナ禍の中で、7月5日から当面日曜日午前中と水曜日夜に限って、新しい稽古の方法を模索していくところですが、コロナが収束する頃を睨んで、「形だけ会員」をぜひご検討してください。

合掌
宏道会師範 栗山令道 中央支部 #剣道部

posted by ただいま禅の修行中 | 10:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
捨て身に徹底すれば崩れない 〜小川忠太郎先生剣道話(57)〜

正しい稽古というのは、さっきやった直心影流の形の気合だ。
その気合で構える。そこまで行くと、技は自然な技しか出ない。ごまかしの技は出ない。

形の一本目の「切り落とし」(面)一本。二本目の突き一本。これしか出ない。
あまりチョコチョコした技は出ない。そういう技だけ覚える。「死中に活を求める」というのはそれだ。

「ズーッ」と。本当に一生懸命になれば、「ズーッ」と一本。


ところが、基礎が悪いと、その前に右手に力が入っちゃう。打つ前に力が入っちゃうから崩れちゃう。
打とうという念があれば、右手に力が入っちゃう。そこは修練だ。

「猫の妙術」でいう「眠っている猫」「木で作った猫」でなければいけない。
そうすれば、「ズーン」といく。

剣道はこれ一本覚えれば大したものだ。
あとは色々な技を磨いたらいい。一刀流に百本もあるんだから。
とにかく「ここ」を覚える。


それには、打つ前に崩れちゃ駄目だ。それではまだ捨て身に徹底していない。
剣道の構えは捨て身。相打ち。捨て身に徹底していれば崩れない。

わずかのところだ。そこを頭に置いて、打たれる事を気にしない。「ズン」と前へ出る。

みんな、そこへ来ているんだから、打つ前に崩れないという事を修行する。
打たれてもいいんだから、出て打たれる。その間に悟りがある。

大事なところですからね。打つ前に崩れないというところをひとつ研究する。
そこをひとつ覚えれば、稽古が「グーッ」と伸びる。

みんな、良いんだけれども、打つ前に崩れる。もっと言えば、打つ前に「打とう」という一念が出る。

出ても良いけれど、一念が出た時には、打っちゃっていなければいけない。突こうと思った時には、突いちゃっていなければいけない。

思ってから行くのじゃ駄目だ。

そういうところを目標に、しっかりやってください。


昭和57年1月24日
宏道会剣道場述
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内……栗山令道(中央支部) #剣道部 #宏道会

posted by ただいま禅の修行中 | 16:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
正しい目標を持てば楽しくなる〜小川忠太郎先生剣道話(56)〜

試合ばかりやっていればどうなるか?

相手は「当てっこ」がうまい。しまいには、ごまかす事ばかりうまくなる。そうすると、「ごまかし人間」になっちゃう。 大変な事だ。

真っ直ぐやっていると、いくつになっても伸びるからね。だんだんやっていると楽しくなってくる。
私なんか、どっちかっていうと、楽しいから一生やったんだな。初めは剣道を専門にやるとは思わなかった。
正しい目標を持てば楽しくなる。

小さい者には分からないだろうが、大きい者は、おかしなごまかし 稽古を見て、「嫌だなぁ」という気持ちが出てくるという所まで行かなくちゃいけないね。
そうなると、そういう嫌なものが来ても、こっちがそれに染まらなくなる。

「嫌だなぁ」と思っても、それと一緒になっちゃ駄目だ。
社会でもそうだね。おかしな人がいるからね。初めは「嫌だなぁ」と思っていても、そのうち嫌だと思わなくなっちゃう。

そういう(おかしな)人がこちらを見習うようになればいい。それが教育だ。
いい稽古をすれば、口で言わなくとも人がそれを見習うようになる
道を説くのでもそうだね。本当にやっている人は、黙っていて、周りの人を感化しちゃうんだな。

この間、中江藤樹という人の書いた物を見た。
41歳で死んでいるけどね。この人は、自分の身を修めるという事だけをした人だけれども。この人の周りには、 悪いことをする人が居なかったそうだ。
大したものだね。

理屈を言うんじゃない。この人は、本当の学問をやった。

剣道だって、本当の剣道もあるし、「当てっこ」の稽古もあるしね。学問だって、本当の学問もあれば、理屈だけの学問もある。
中江藤樹は、本当の学問をした人だ。

昭和56年12月13日
宏道会剣道場にて述。
(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)

*タイトル、構成…栗山令道(中央支部)

#剣道部 #宏道会

posted by | 18:20 | 中央支部 | comments(0) | - |
仰げば尊し・・・小川先生(無得庵刀耕老居士)のエピソード

人間禅中央支部の岡根谷無刀です。

 

2020年5月17日(日)

 

コロナ禍で剣道場は閉鎖状態ですが、普段通り、まずは道場前の道路を掃いて、禅堂で一炷香。

やっぱり、禅堂で坐るのはいい。

帰りがけ剣道場わきで、道場を振り返ると、空は晴天、理屈なくすがすがしい気分になる。

 

 

私の師匠小川先生(無得庵小川刀耕)の人生が思い起こされる。

先生は、戦後7年間(1945年〜1952年)剣道が禁止され、国士舘の剣道教師の職を失い、サツマイモを作って一家を支えた。

その間も人間禅の総務長として修行にまい進、多くのエピソードをお聞きしている。

・極貧生活であったが「自主的貧乏は、為になる」と。

・サツマイモと合わせて育てていた落花生を盗まれた時「もっと困っている人にさしあげたのだからいいじゃないか」と。

・古材で弟子たちが家を建ててくれた後に「何もお礼に差し上げるものがない、お礼に稽古」と言って、庭に蓆(むしろ)を敷いて切り返しをしたと。

 

今回のコロナ禍など比較にもならないが、同じ志をもって難局を糧にしていきたい。

 

#剣道部 #宏道会

 

 

posted by | 07:00 | 中央支部 | comments(1) | - |
一生涯できなくともいい。それを生涯教育という〜小川忠太郎先生剣道話(55)〜

技だけだと、悪く言えば軽業師になっちゃう。だから、目標をしっかり持ってね。宏道会に目標があるでしょ。その目標だ。

道具を付けた稽古だと目標がはっきりしない。どうもそうなっちゃうんだな。道具を付けた稽古だと命に別状ないから、技だけになっちゃう。。
(中略)
(直心影流の)法定の形をやった加藤完治という先生は「坂本竜馬は、男谷下総守についていたら殺されなかったろう」と言っていた。
竜馬は千葉周作についてる。それで油断ばかりしている。明治維新に殺されてしまった。それは剣道じゃない。

剣道は、目的を良く考えて、目的に合った稽古をしなくてはいけない。そうすると人間が出来てくる。
前に話した「頭溶は直」。これを練っていると、しまいには、心が「直心(じきしん)」になる。
一生涯できなくともいい。それを生涯教育という。
7つ8つで聞いた事が、80になっても出来ないよ。「常に直心」なんて事は出来るものじゃないよ。しかし、これをはずしちゃだめなんだ。だから、人間は一生涯修行だ。

 



一足一刀の間合だってそうだ。一足一刀とは、剣先と剣先が触れたところだね。
これはどういう事かというと、ここで自分の立場をちゃんと守っているという事。相手を無視してチョコチョコ打つんじゃない。
自分も立て、相手も立てる。

こういう事をしていれば、社会に出ても人に馬鹿にされない。馬鹿にされないはずでしょ。相手を尊敬しているんだから。
お互いの人格が平等であるという事。優劣なし。平等。
平等と自由だ。それが一足一刀の間合だ。これをちゃんと身につけるのは、一生やっても出来ない。

山岡先生の無刀流はこれだ。45歳でここまで到達した。
それでもまだ足りない。まだ上がある。そのくらい奥が深い。

そういうところを目標にしていくと、いくらでも修行ができる。
頭を真っすぐにする。一足一刀から打つ。そういう事を、皆さんのように小さい時に聞いておくと為になる。それを育てていく。

宏道会の剣道の目標はそこにある。


昭和56年12月13日 宏道会にて
小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)
*タイトル、構成、( )内……栗山令道(中央支部#剣道

posted by | 17:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
小さい者に二つだけ〜小川忠太郎先生剣道話(54)〜

小さい者に二つだけ言っておきます。

一つは、形の時に「顔を真っすぐにする」。つまり、「頭」だな。「頭のかたちは直(ちょく)という言葉がある。頭が真っすぐになると、腰が入る。これで「かたち」ができる。そして「かたちを練る」。「頭容は直」。これは『小学』という本に出ている。

 

8歳の時からこれを練る。そうすると身についちゃう。真っすぐ「ズーッ」と。「頭容は直」。思い出してはこれをやる。

形をやる時、静坐の時もこれを思い出す。剣道でこれを習ったら、ほかの生活でも応用する。これをしっかりやるのが『小学』だ。

 

小川忠太郎先生宅書斎

 

これが『大学』になると、かたちばかりじゃない。心も真っすぐにする。それが「直心(じきしん)」。15歳ぐらいからここに気をつけるといい。

今度は、身体ではなく、心を真っすぐにする。「直心」。だから高等学校ぐらいになると、直心影流の形を稽古するようになるが、そこを修行する。

その土台になる「かたち」が7つ8つの時から出来ていないから、直心影流の形は骨が折れる。14、5歳までにそれが身についていて、かたちが素直になっていれば、自然に心も素直になる。

かたちが素直になっていないと、今度は骨が折れる。骨が折れても「直心」を目指す。

これが直心影流の動作だ。これを一本一本やる。だから、今のうちはかたちをしっかりやる。頭を真っすぐ。

 

それから、もう一つは、面を打つ時に、そばまで歩いて行って打つかというと、そうじゃない。一足一刀ということを覚える。ちょうど竹刀の触れ合う所だから6尺。一足出れば打てる。ここから打つ。

みんなそばまで行っちゃうだろ。一足一刀から「メン」と。これがまた将来の「もと」になる。このかたちをやっておくことが精神につながる。

切り返しでそばまで行って打つんじゃなく、遠くから「ボクーン」と行く。これが一足一刀。

 

今日は、「頭容は直」と「一足一刀」の二つを言っておきます。

 

 

『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より

昭和56年12月6日述

タイトル、構成……栗山令道(中央支部)#剣道部

 

posted by | 21:31 | 中央支部 | comments(0) | - |