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人間禅での修行を実社会でどう生かしているのか。変化の激しい日々の暮らしの中で、どのように平穏な心を保つ精進を心掛けているのか。未熟ながら修行中の者が考えてみました。我々が日々学んでいる文献等については、「人間禅」のホームページをご参照ください。https://ningenzen.org
座禅合宿の効用

五葉塾塾生の富嶽です。

会社のブログに一週間坐禅会について書かせていただきました。

https://ameblo.jp/shiny-tokyo/entry-12612374399.html

 

障害をお持ちの方の就労をサポートすることを仕事としていて、ご利用者さんからブログの感想をいただきました。

 

「お坊さんだったんですね!」

「ち‥、違います」

「でも、ああいうの良いですね。私も参加したくなりました」

「いつでも来ていただいて大丈夫ですよ」

 

どこまで本音か、はたまた社交辞令かわかりませんが、日常から離れた「非日常の空間」に身を置くことで心身ともにリフレッシュできるという点でも座禅合宿は良いと思ってます。

 

道場は緑豊かで朝は鳥が囀り、

風がそよげば小枝が重なる音が心を癒します。

 

禅堂で座禅をしていると、慌ただしい日常からほんのひと時、時が緩やかに流れている空間がそこにはあるように感じることがあります。

 

坐ることで根源的な生きる喜びを感じたり、普段はあまり意識することのない呼吸や身体との対話が生まれます。

 

ブログに書いたとおり、私は「心を鍛える」為に座禅を始めたところがありますが、座禅を通して受ける恩恵は「癒し」であったり、考え方の「とらわれ」からの解放であったり、ふとした日常の喜びを感じられる感性を磨かせてもらったりと、多くのものをいただいている気がします。

 

また、共に坐る仲間がいるということで「寂しさ」と無縁の生活が送れているということは、現代社会においてとてもありがたいことのように思います。

 

何が楽しくて坐るのか。

 

一般の人にはなかなか分からないところがあるかもしれませんが、座禅合宿にはそんな効用かあるということを、ほんの少しでも感じていただければ幸いです。

 

写真の花は、先日の茶席の床の間に飾られた、

菊芋と細矢羽薄(ホソヤバネススキ)

 

富嶽拝 中央支部 #青年部

posted by ただいま禅の修行中 | 22:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
朝禅を制する者は1日を制す!

皆さまごきげんよう!

タイトルを見ると、「何を偉そうに言うてんねん」とツッコミが入りそうですが、目下の目標になっています。

 

実は、今から15年程前に大学禅サークルで活動していたとき、『朝禅を制する者は1日を制す!』というキャッチフレーズでチラシを作り、部室での朝座禅の勧誘に使っていました。当時は大学院生でしたが、今は社会人として仕事をする中で、いろいろなことに責任が伴ってきます。それに対応する自分の状態がどうなのか? ということが重要になってきます。そして、自分の状態は、朝座禅の充実度で決まってくるのです。そのようなわけで、今になってあのキャッチフレーズが自分の中でどんどん大きくなっています。「その通りだ!」「そうありたい!」と強く思います。

 

自分の朝座禅レベルをより向上させるために、私には有難いことに強力な2つの武器があります。1つ目は、名誉総裁老師の『数息観評点表』、2つ目は、コロナ禍で繋がった鈴木一渓居士主宰の『リモート早朝坐禅』です。

 

『坐禅の効用』には次のようにあります。 

・・・「頭の毛に付いた火を、手を使わず水を使わず、とにかく気合いで消そう」というのは容易な気合ではありません。まさに、この「頭燃を救うが如く、急切なるべし」の言葉通りであります。これができるかどうかが、評点記録の向上、しいては、本当に道力を付けていくということに連なってくるわけであります。・・・

 

・・・自分の呼吸を集中して数える数息観において気合いを込め、意思の力を強めて呼吸を数えるということ以外に何も考えない、全部切る、この決意、これが数息観の階梯をどんどん進ませる原動力になるわけであります。これ以外に何にもない。持って生まれた素質なんて関係ありません。頭の良し悪しも関係ありません。自分自身で気合いを高め、意思の強さを強めていけばよいのです。逆に言えば、評点の低いレベルのままで低迷しているというのは、あるいは、70点の壁が破れないというのは、ここが弱いからであります。ここのところを破らないといけないのであります。・・・

 

恥ずかしながら私のレベルは低く、未だ遥かなる10ですが、老師の仰る「意思の力」を強めて少しずつでも向上させなければならないと思います。

また、zoomでの早朝座禅会は、1人の時とは違い、我儘が許されず、みんなで一緒に時間を共有することによるエネルギーも発生し、切磋琢磨できる空間となっています。さらに、参加者同士のライングループもあって、さまざまな議論が交わされてそちらのほうも盛り上がっております。この会はだんだんと人数が増えてきており、座禅のほかにも、スマイルヨガ、茶話会など、さまざまなイベントも始まっています。広報向けには、一渓居士プロデュースの5分間座禅映像も毎日更新されています。

 

https://youtu.be/JDV-0kLASms

 

https://youtu.be/bvWqFF7LScM

 

これらの有難い武器を活用させていただいて、あとは自分との闘いです。弱い自分に打ち克っていきたいと思います。みなさんも、この強力な武器を手にとってみませんか?

 

粕谷玉道 中央支部 #青年部

posted by ただいま禅の修行中 | 10:00 | 中央支部 | comments(0) | - |
理想の自分

 擇木道場の風印です。
私は看護師をしており、新型コロナ疑いの患者様を担当することもありますので、道場に行けない日々が続いております。
とは言え、ずっと引きこもっているのも辛いので、先日自転車で葛西臨海公園まで行ってきました。

 

 自宅近くの隅田川沿いには桜の木が沢山植わっているのですが、5月下旬の今は青々とした葉が茂っていました。

木々の生命を感じるようでこれも悪くないと思いました。

 

 荒川沿いをずっと南下したのですが、途中で一面の花畑がありました。

鮮やかな花は気持ちを和ませてくれますね。

 

 荒川の土手に沢山の人が集まっていて、何をしているのだろうと思ったのですが、ブルーインパルスの航空ショーを見に集まっていたようです。
 

 私も運良く写真を撮ることが出来ました。

ブルーインパルスについては様々な意見があるようですが、先入観を捨てて見れば見事なショーだと思います。子どもの頃のように純粋な気持ちを持てなくなったのは、何時からだろうと思いました。

 

 さらに南下して海が見えてきました。

 

 海辺に行くとフナムシがいました。


子どもの頃は平気でバッタなどを触っていたのに、虫が苦手になったのは何時からだろうと思いました。

 

 波音を聞きながら昼食を食べましたが、夜勤明けだったため海辺で寝てしまい、手や顔が真っ赤に日焼けしてしまいました。

 

 最近思うのは、不満や辛さの裏側には思い描く理想の自分があるということです。
もっと人に認められたい、豊かになりたいという気持ちが叶わない時、不満や辛さを感じる。
しかし、そんな気持ちを抱くのは浅ましいとも思っているので、中々それが認められない、気付かない。
他方で理想を思い描くのは決して悪い事ではなく、理想があるから意欲や向上心を持てるとも思います。
社会的な成功に一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいと思うのは、妬みがあるからではないかと思います。
皆が達観できる訳ではないし、その必要も無い。
共同体の価値観を認めた上で、執着せずにいられたら良いなと思っています。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 05:20 | 東京支部 | comments(0) | - |
座禅とキリスト教

 擇木道場の風印です。
最近かなり前に録画してあった、Eテレの『こころの時代〜宗教・人生〜』を見ました。

 

 『外国人収容者と共にありて』は、牧師の柚之原寛史さんのお話でした。


 『私自身が醜い心になっていたから全てが醜く見える。裁きの目です。 何をするにしても人の粗探し。 周りの人が自分を痛めつけて苦しめていたのではなくて、私自身の思いが自分自身を苦しめて痛めつけていた。』(注1)
私は直ぐに人を批判する癖がありますので、それは私自身の心が醜いせいだと反省しました。

 

 『「善きサマリア人のたとえ」では、強盗に襲われ、瀕死の重傷を負ったユダヤ人を、同じユダヤの神官や神殿に仕える者たちが見て見ぬふりをして素通りしていく中、ユダヤ人に差別されていたサマリア人だけが救います。』(注2)
汝の隣人を愛せよとは、自分達の仲間だけを愛するというような『仕切りのある愛ではなくて、それを取り外した、いかなる人に対しても愛し、その愛を行いなさい。行動としてアクションを起こしなさい、というふうにイエスは語ったわけなんです。』(注3)
隣人とは同胞のことだけを言うのではないかと誤解していました。キリスト教も面白いですね。

 

 マルコによる福音書2章17節によると、イエスは『私がきたのは義人(善人)を招くためではなく罪人を招くためである。』(注4)と語ったそうです。
親鸞聖人の悪人正機説みたいだと思いました。

 

 

 『長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』は、カトリック長崎大司教区司祭の古巣馨さんのお話でした。


 『人間関係がですね切れていくのは、ゆるしがないからなんですよね。ゆるしがあればまた元に戻ることができます。本当にゆるしがあればそれまでどんなに難しい状況であっても、また絆を結び直すことができます。イエスは十字架にかけられた時に「父よ、この人たちをゆるしてください。何をしているのかわかっていないんです」って。十字架上の言葉は、ゆるしの言葉だったんです。そしてゆるされた人は救われた人です。ゆるされないから救われないんです。ゆるしがないところには憎しみが生まれますよ。憎しみはまた復讐となって連鎖していきます。救いの一番の泉は、そこに「ゆるしがある」ということです。』(注5)
私はつまらないことにこだわって怒ったりイライラしていたのですが、そんなとらわれをゆるしてみれば、つまらないこだわりなどどうでもよくなってくると感じているところです。

 

 『私もせっかく生まれたんだから、生きがいを持って生きたい。そう言って自分の都合を言っているときは、とっても生きづらかったです。でもこの頃思うんです。私の都合でなくて神様の都合をいつも考えようって。神様の都合があるから、私はここにいるんだと思うんです。神父さん、私には都合はなかとです。あなたの都合の良い時に来てください。』(注6)
これは、仏教に言う無我を言っているのではないかと思いました。

 

 座禅もキリスト教もどこか通じるところがあると思えて、とても面白い番組でした。

 

合掌 風印 拝(東京支部) #青年部

 

注1〜4)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 外国人収容者と共にありて』,2018.9.30放送

 

注5〜6)NHKEテレ『こころの時代〜宗教・人生〜 長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて』,2019.9.8放送

 

posted by ただいま禅の修行中 | 23:12 | 東京支部 | comments(0) | - |
脱中心化について

 擇木道場の風印です。

 私は看護師をしており、比較的にコロナウイルスへの感染リスクが高いと考えられるため、毎日のように座禅をしていた擇木道場に当面行けなくなってしまいました。
  外出を控えなければならなくなりましたので、自宅で本を読んだりしています。

 

 最近『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本』と言う本を読んでいるのですが、マインドフルネスや認知行動療法では「脱中心化」がキーワードになるそうです。

 『人は落ち込むとき、意識が過去に飛ぶ。そして、「なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。あんなことをしなければ、今頃こんなことにならなかったのに」といった思考が反芻を始める。そうするとそのことが頭から離れなくなり、気分もどんどん沈み込んでいく。一方、不安になると、今度は意識が未来に飛んで、そこで同じような反芻が起きる。
  「思考や感情を、自分自身や現実を直接反映させたものとして体験したり、解釈するのではなく、それらを心の中で生じた一時的な出来事としてとらえること」と定義される「脱中心化」の視点が、このような反芻にはまり込んでいる状態のときに有用であることは想像に難くない。「思いを、単なる思いにすぎないと認識する、という単純なことによって、あなたはゆがめられた現実から解放され、自分の人生をよりはっきりと見つめ、管理できるようになります」というKabat-Zinnの言葉のように、自分の思考や感情への囚われから抜け出し、正しく現実をとらえ、その状況に応じた対応が可能となる。
  実際にTeasdaleらは治療によって抑うつの再発予防ができた場合、否定的な認知が浮かんでもそれが事実ではないことを認識して距離を置けるようになること、つまり「脱中心化」した視点を持てるようになることを見出した。』(注1)

 

 マインドフルネスはうつ病、不安障害、がん、緩和医療、慢性疼痛などの治療に用いられており、臨床的にも重要性が高まっていますので、少しずつ学んで行きたいと思っております。

 

合掌 風印 拝(東京支部 #青年部

 

注1)佐藤充洋、藤澤大介『マインドフルネスを医学的にゼロから解説する本〜医療者のための臨床応用入門〜』,日本医事新報社,2018,P.137〜138。

 

posted by ただいま禅の修行中 | 11:54 | 東京支部 | comments(0) | - |
コロナ禍での動画編集学習

中央支部の富嶽です。

新型コロナウィルス対策として、 全国に緊急事態宣言が発出されました。

これは「今いる所から移動しないでね」 ということを言いたいのだろうと感じています。

人との接触を断ち、できるだけ家にいる。

それが一番の対策になるとは頭では分かっているものの、 人間というのは一つ所に長くいるとストレスを抱えやすい生き物だ なあと思います。

何でもそうですが、「やるな」 と言われるとやりたくなってしまう天邪鬼なところもあるようで。

 

この際この機会に普段できないことや今まで先送りにしてきたこと をやろうではないか。

ということで私の場合は動画編集のスキルをちゃんと学習しようと いう気になりまして、使っているのがMacのため、 imovieの学習に手をつけました。

 

今は学習しようと思えばネット検索すれば無料で色々と学べます。

ですがだいぶ前にテキストを購入していてほとんど手付かずになっ ていたので、それを活用することにしました。

 

一応紹介しておくと、使ったテキストは『今すぐ使えるかんたんiMovie』です。

 

 

テキストを参考にせず、 独学で動画制作をしていた時期があったのですが、 今回このテキストで色々と勉強していて感じたのは

「使いたかった機能がこうすればできたのか‥」ということ。

それを知らずに余計なソフトを購入してしまったりしていて、

「ちゃんと目を通しておけば良かった‥」

という後悔をする羽目に。。

 

今まで自分なりにいじっていたことがある種功を奏してか、 全7章のうちの6章までの学習が終わり、残りあと1章を残すのみ。

ほぼほぼ動画編集で自分がやりたかった事はiMovieで事足り ることがわかりました。

 

人間禅における活動の様子やイベントの案内も今後は動画を活用し て紹介できるようにしていきたいなと考えております。

 

学習過程で制作した2月に青年部で行った禅ZEN実践講座を動画 にしてみました。

こちらは30秒程度の短い動画です。

https://youtu.be/IOCnSFGJvrY

 

 

そしてこちらが「本部道場禅堂案内」2パターン。

これがiMovieでできるとは知らなかったです‥。

https://youtu.be/kEyP-Ai7tks

https://youtu.be/nK17wbK1kSM

 

富嶽 拝 (中央支部)  #青年部

 

posted by ただいま禅の修行中 | 20:33 | 中央支部 | comments(0) | - |