仕事柄、中高生の部活の試合引率に行くことが多々あるが、試合に勝って喜ぶ者、負けて悔しくて泣きだす者など様々な姿を目の当たりにする。負けた後さほど悔しくないのは、そもそもたいして練習しないで試合に出たのかもしれない(笑)。たいていは負けたら悔しい、「あんなに練習したのに」「なぜうまくいかなかったのか」「なぜ負けたのか?」
そして嫌になって落ち込んでいってしまう者、負けたことを他のせいにして変わらない者、何が足りなかったのかを分析してより一層練習に励む者に分かれる。
この差は一体何だろう?
私が思うに、これは負けたという事実を正しく受け止められるかどうかであると。誰でも負けるのは悔しい、辛い、受け入れがたい事実であるが、それを他のせいにするのではなく正面から正しく受け止め、悔しい、辛い、後悔などの気持ちを引きずらないで、次の行動に向かえるかどうかが大きな分かれ道になると思う。禅では『正受にして不受』であろうか。試合に負けて、悔しくて泣く、自分と向き合い振り返って足りないものを見つけて、改善に向けて一心に努力する。こういう生徒の姿を見ているととても清々しく感じ、負けた後、より心が強く逞しくなっていると思われる。自分自身を顧みて、しっかりやらなきゃと鼓舞される瞬間です!我々大人の方は負けるということはあまりなくても、失敗する場面は多々あります。この清々しい生徒のように失敗と向き合うことができたらよいなと思います。戦国時代であれば、負けは即、死を意味していたのでしょうが、現代は有難いことにそういうことはありません。負け、失敗によってココロが強く逞しくなっていくのです。
学生時代に公案が透らずに苦しんでいたとき、今もご指導いただいている禅の先輩に「師家に鈴を振られたら、よしっ、これでオレは大悟できる!と思うんだよっ」と言われました。今も鮮明に心に残っていて励まされる言葉です。失敗を恐れずに物事に思い切り当たって、失敗してもめげずに心を強くしていきたいと思う次第です!
失敗なんて気にしないぜえーー
By ちび太